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アーサー・ビナードさんの講演動画「ことばと政治、そして日本の未来」(2017年1月28日@堺市)のご紹介

 今晩(2017年1月30日)配信した「メルマガ金原No.2708」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
アーサー・ビナードさんの講演動画「ことばと政治、そして日本の未来」(2017年1月28日@堺市)のご紹介

 私がアーサー・ビナードさんの講演を直接うかがったのは、3.11から約4ヶ月後、2011年7月9日のことでした(於:和歌山地域地場産業振興センター5階ホール)。「核戦争防止和歌山県医師の会」主催で、演題は「夏の線引き─アメリカからピカドンを見つめて─」というものでした。非常に感銘を受けた私は、その日のうちに「メルマガ金原」に聴講レポートを書いたものです(2年後に「弁護士・金原徹雄のブログ」に転載しました)。
 その後も、折に触れてビナードさんの講演を聴きたくなり、巻末のリンク一覧のとおり、メルマガ(ブログ)で、ビナードさんの数ある講演動画のごく一部をご紹介してきました。
 
 ビナードさんの講演動画を探そうという人は、YouTube及びIWJアーカイブの検索ボックスに「アーサー・ビナード」と入力し、検索ボタンをクリックするのが定石であり、今日私がやったこともこれです。
 実は、私がこの作業をやってみようという気になったのは、先日来、貴重な論文「ゴジラが子どもたち
に伝えたかったこと(2005年)」を私のメルマガ&ブログに転載することをご了解いただいた伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が、ご自身のFacebookタイムラインで、休日であった一昨日(1月28日)、堺市で開かれたビナードさんの講演会に初めて足を運んだところ、「まさに「ど真ん中の直球」でビナードさんの言葉は響いてきました」と、深い感銘と刺激を受けたことを書いておられるのを読み、是非私も聴いてみたくなったことによります。
 
 そして、検索の結果、幸いにも、伊藤さんが聴かれた一昨日の堺市での講演会そのものを収録したIWJ大阪による動画アーカイブがアップされており、全編(2時間09分)視聴できることを確認しました。
 サンスクエア堺B棟ホールにおいて、「いま9条と私たち 非戦の市民講座」が主催する「非戦の市民講座 第18回講座」として、「詩人アーサー・ビナードが語る『ことばと政治、そして日本の未来』」という講演会が開かれ(於:サンスクエア堺B棟ホール)、当日は、ビナードさんの講演に先立ち、合唱「アーサー・ビナードの詩を唱う」と題して、地元堺市男声合唱団コール・ドラフト(Chor.Draft/府立泉陽高校出身者で構成され平均年齢21歳とか)による演奏が披露されました。
 作曲家・石若雅弥氏の指導により同氏のオリジナル曲などを唱うだけではなく、様々な分野に活動の場を広げているようで、その活躍の一端が、公式YouTubeチャンネルで見られます。
 当日は、金子みすゞの詩に石若雅弥氏が曲を付けた『私と小鳥と鈴と』で始まり、続いてアーサー・ビナードさんの詩に石若氏が作曲した『おはよう おはよう おはようございます』(2012年・童心社
刊『さがしています』収録)の「世界初演」が行われました(この詩のタイトルの表記が正確かどうかは保障できませんので悪しからず)。
 
 引き続き行われたアーサー・ビナードさんの講演のタイトルは、「ことばと政治、そして日本の未来」というものでした。
 私が2011年にビナードさんの講演を初めて聴きに出かける時、「夏の線引き─アメリカからピカドンを見つめて─」って何だ?と思いましたが、聴き終わった後は、とても納得したものでした。
 ことばをとても大切にするビナードさんにとって、講演タイトルについても、主催者任せで「何でもいいですよ」というようなことは絶対ないのでしょうね。
 一昨日の「ことばと政治、そして日本の未来」についても、聴講者を裏切ることのない内容のはずだと
いう信頼感があるのです、ビナードさんには(伊藤宏さんも太鼓判を押してくださっているし)。
 ということで、コール・ドラフトの演奏は全部聴いたものの、アーサー・ビナードさんの講演部分はまだその一部しか(時間の都合で)視聴できていないのですが、皆さんに自信をもって視聴をお勧めしたい
と思います。
 私のメルマガの読者の中には、私がご紹介した動画を、時間の許す限り、律儀に全部視聴しようとされている方もいるのですが(非常に珍しいけれど、ありがたいことです)、そういう方にとっても決して失
望することはないはずです。
 ただ、ホールの音響の関係からか、やや聴き取りにくいことも事実なので、かなり集中して耳をそばだ
てる必要があることをお断りします(家事をしながらの「ながら視聴」は難しいかもしれません)。
 
 
 以上に付け加えることはあまりないのですが、伊藤宏さんがFacebookに書かれた感想の中に、以下のような箇所がありました。
「ビナードさんは、「駆けつけ警護」という言葉の欺瞞性を説明する中で、有名な「雨ニモ負ケズ…」の
詩について、「東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい…」の部分で、東と西と南は「子供あれば」のように助詞の「が」がなく、いずれも「行って」いるのに対し、北は「喧嘩や訴訟が」と「が」が入っている一方で「行って」はないと解説。これが、日本のあるべきスタンスをよく示しているというのです。」
 IWJの動画で、ビナードさんが宮沢賢治の詩に言及しているのは1時間49分~の部分です。もっとも、この部分をよく理解するためには、その前の「駆け付け警護」という欺瞞に満ちた言葉についての詳しい解説をまず聴く必要がありますが。
 それにしても、「雨ニモマケズ」の中の「北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」の中に憲法9条が入っていたというのは私にとっても新鮮な見方です。というのも、喧嘩はともかく、訴訟を生業とする職業に就いているものですから、前からこの一節は気になっていましたので(※青空文庫「雨ニモマケズ」)。
 そして、それとの関連で、2013年12月14日にビナードさんが東京都江戸川区で行った公演の中
から3分18秒だけ抜き出したアーサー・ビナード / Arthur Binardさん  雨ニモマケズを語る」という動画を見つけましたのでご紹介します。視聴してみると、この詩の中の「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」こそ、「雨ニモマケズ」の中で最も重要な一節であることを述べた部分でした。ご参考までに。
 

 最後に、ビナードさんは、反核・反原発についての講演も数多く行っていますが、とりわけ、2013
年8月19日~20日、ビナードさんが祝島を訪問した際、その旅に同行した東条雅之さんによって撮影・編集された動画アーサー・ビナードさん 核と命めぐる祝島の旅 2013.8.19~20』(2時間22分)は素晴らしい作品です。巻末のリンク一覧にあるとおり、私のメルマガ(ブログ)でこの動画を紹介していますので、そちらもお読みいただきたいのですが、是非1人でも多くの方にこの動画を視聴していただければと思います。

冒頭~ 平萬次(たいらまんじ)さんの棚田を訪ねて
17分~ 恒例の月曜日原発反対デモ
22分~ 公民館での交流会(ビナードさんのお話) 
1時間37分~ 夜の懇親会 
1時間47分~ さようなら祝島「またぜったい来ます」~田ノ浦
2時間07分 祝島を訪れて(アーサー・ビナードさんの思い)
2時間19分 「きれいな海を守ろう! エイエイオー!」
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2011年7月9日(2013年7月6日に再配信)
アーサー・ビナード氏講演会(in和歌山市)レポート/2011年7月9日
2013年7月7日
7/2アーサー・ビナード氏講演会「ヒロシマとフクシマとどっちが遠い?」(in岡山市)
2013年8月16日
スナメリチャンネルが伝えた8月の広島(アーサー・ビナードさん講演会&中国電力前アピール)
2013年9月5日
アーサー・ビナードさん 祝島への旅(スナメリチャンネル)
2014年9月5日
アーサー・ビナードさんの講演は面白くて為になる~9月2日・岡山から(付記・足立力也さんによる「消極的平和と積極的平和」)
2015年1月8日
殺すな!殺されるな!~福島菊次郎さんとアーサー・ビナードさんの対話(in多摩市)
2016年5月16日
早稲田の杜から「Democracy Strikes Back!! 民主主義の逆襲」(5/15)
高畑勲さんとアーサー・ビナードさんの対談が聴けます。 
 

(付録)
『私と小鳥と鈴と』 原詩:金子みすゞ 作曲:BANANA ICE 演奏:円香
 
※2017年1月26日ライブ@渋谷GLAD
YouTubeチャンネルより引用
円香(まどか)
1997年和歌山生まれ。 うたを歌って、作詞・作曲・楽曲提供などをやってます。 音楽と自然と人が好きです。
今日も1日 みんなが健康で、
明日も1日 みんなが幸せで、
そして 世界が平和でありますように。

 

選挙市民審議会の「選挙・政治制度改革に関する中間答申」(2017年1月24日)を読んで議論しよう

 今晩(2017年1月29日)配信した「メルマガ金原No.2707」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
選挙市民審議会の「選挙・政治制度改革に関する中間答申」(2017年1月24日)を読んで議論しよう

 「選挙」というのは、私たち普通の市民にとって、政治参加の最も重要な機会の1つですが、その「選挙」の仕組みを規定している法制度(公職選挙法を中心とした)が、相当におかしい、ということについて、多くの人が気がついていることと思います。
 衆議院議員選挙(選挙区)や都道府県知事選挙に立候補しようとすれば、300万円の供託金を納めねばならず、有効投票総数の10分の1の得票が得られなければ供託金を没収されるのは何故か?候補者が有権者のお宅を訪ねて自らの政見を述べて投票を依頼することがなぜ刑罰付きで禁止されなければならないのか?などなど、言い出せばきりがありません。
 しかし、選挙制度を「改正」しようとすれば、現行の選挙制度によって当選した議員で構成される国会で改正案を成立させなければなりません。議会で多数を得ている党派は、現行制度による「利点」を最も享受しているからこそ多数派になっているのですから、少し考えてみれば、選挙制度の「改正」が容易でないことはすぐに分かります。
 
 けれども、「難しい」と言って手をこまねいていては何も始まらないということで、様々なグループや個人が行動している中に、2014年11月から活動をスタートさせた「公正・平等な選挙改革にとりくむプロジェクト」(略称:とりプロ)というものがあります。
 「とりプロ」の設立趣旨や具体的な活動内容については、ホームページの中の「ABOUT(公正・平等な選挙改革にとりくむプロジェクトとは)」をご覧ください。
 私が特に注目したのは「公職選挙法改正までのロードマップ」を明示していることです。引用してみます。
 
公職選挙法改正までのロードマップ】
有識者23名による「選挙市民審議会」を2015年11月に発足させ、部分改正法案の元となる提言を練り上
げています。2017年1月に中間答申、2017年末に「第1期最終答申」を公表します。
※「選挙市民審議会」メンバーはこちら秋葉忠利広島市長は辞任されたようですが)
■同時に、国会議員・地方議員や文化人たちに対して、とりプロへの「趣旨賛同の輪」を広げます。
超党派の議員による「公職選挙法部分改正議員連盟」を設立し、選挙市民審議会の提言に基づく法案を
、一つずつ議員立法のかたちで法律にしていきます。2017年の通常国会には少なくとも一つの「公選法部分改正議連」を立ち上げる予定です。
 
 ここまでくると、立派なシンクタンクですね。
 そのロードマップ通り、去る1月24日(火)16時30分から、参議院議員会館101会議室で、選
挙市民審議会の第5回全体審議会が開催され、「選挙・政治制度改革に関する中間答申」が決議され、17時から、引き続き同じ会場で記者会見が行われました。IWJとUPLANによるアーカイブ動画をご紹介します。
 
 
【UPLAN】
20170124 UPLAN【記者会見】選挙市民審議会「選挙・政治制度改革に関する中間答申」(1時間22分)
 
 
 そこで、公表された「選挙・政治制度改革に関する中間答申」を読んでみたいということになるわけですが、全文を「とりプロ」ホームページの中の「議事録・レジメ資料シェルフ」からダウンロードすることができます。
 「中間答申」は、全部で5つの文書に別れており、その内容は、
  ① 表紙・前文・目次
  ② 骨子
  ③ 本文
  ④ 用語集
  ⑤ 選挙市民審議会の道のりとこれから
となっています。ちなみに③の本文は全部で52ページありますので、それはおいおい読んでいただくと
して、ここでは、「前文」の一部と「骨子」のみ引用させていただくことにしました。
 私もまだ「骨子」しか読んでいませんが、大体において賛同できる方向での提言だと思いました。ただ、「都道府県議会・政令市議会選挙を比例代表制に」については、既成政党と縁のない市民各層からの候補者擁立がやりにくくならないか?というような疑問が起きたりもしますが、それでも和歌山県議会に見られるような閉塞状況を打開する可能性を秘めているとは思います。
 この「中間答申」を素材に、いろいろと議論してみる機会を作るのが望ましいし、そのような市民の議
論の結果を、「最終答申」に出来るだけ反映してもらえればと思います。
 
(引用開始)
はじめに

中間答申の公表にあたって
 一昨年の11月30日、わたしたちは大いなる夢をもって、選挙から政治の未来をつくりだそうと決意し、「選挙市民審議会」を設立しました。
 わたしたちの夢とは、主権者の手によって日本における議会制民主主義を成熟させ、主権者がその実りを共有することです。
 わたしたちは、現在の選挙制度では公正・平等な選挙にならないと考えています。主権者の多数意見が国会の中で多数意見となっていません。少ない得票でも多くの議席が与えられ、しかも、膨大な死票が生まれるなど民意を正確に代表できていません。加えて、立候補や選挙運動も自由にできません。また、「迂回献金」による政策誘導は後を断ちません。
 議会制民主主義は成熟せずに、劣化しているのではないでしょうか。
 限られた人たちだけが選挙に携わり、多様な民意が政策・立法に反映されない結果、政治不信による投票棄権や白票を投じる行為など、負の循環が起こっています。このままでは日本の議会制民主主義は沈没してしまいます。
 そのように考えたわたしたちは、国会議員にお任せするのではなく、市民のイニシアチブによる選挙制度改革を進めようと、この一年間、3つの部会に分かれて、活発な議論を行ってきました。
(略)
 このたび、その一部について結論がまとまりましたので、ここにこれを「選挙・政治改革に関する中間答申」として公表します。公表の目的は、喫緊の課題である選挙制度改革の必要性を世間に広め、改革機運を盛り上げることにあります。批判も含め様々な仕方で、この中間答申を活用していただきたいと願っています。
 今後、選挙運動の完全自由化や公費負担の見直し、比例代表選挙を中心とする選挙制度への改革、首長選挙選挙管理委員会のあり方等のテーマについても引き続き検討を進め、1年後には結論を得て、「選挙・政治改革に関する最終答申」を公表する予定です。ぜひ、選挙市民審議会への傍聴やウエブサイトの注視をいただきますとともに、わが国の民主主義の成熟と真の実現のため、貴重なご意見等を多数お寄せいただきますよう、お願いいたします。
 
中間答申の公表に至るまで(略)

  選挙市民審議会 共同代表
  片木淳 只野雅人 三木由希子
  2017 年1月24日
 
公職選挙法改正提言骨子

1 選挙運動を自由に楽しく
 選挙運動は、わたしたち市民が候補者や政党の主張を知り、判断するための重要な手段です。これを合理的な理由なく規制することは、憲法の定める表現の自由罪刑法定主義に反するのみならず、国際人権規約等に定められた人類普遍の原理にも違反するものです。市民の政治への参加を促進し、民主主義と地
方自治の更なる発展、向上を図るため、現行の選挙運動規制は抜本的に改革すべきです。
 なお、資金の豊富な者が選挙で有利になることを防ぐため、政治資金と法定選挙運動費用の透明性を高
めるとともに、その規制の強化等についても見直しが必要です。
 項目ごとの内容は、要旨、次のとおりです。
 
1-1戸別訪問の自由化・・・本文1ページ
 戸別訪問は、選挙運動の基本的手段のひとつとして積極的に活用されるよう、これを全
面的に自由化すべきである。現行制度は、「買収、利害誘導等の温床になりやすい」こと等の弊害を理由
としている(最高裁判決)が、それらの犯罪等は別途、直接これを規制すれば足り、その「弊害論」の根拠とするところは説得力に極めて乏しい。欧米の先進諸国においても、戸別訪問を禁止している例はなく、早急にこれを自由化すべきである。
 
1-2 電子メールによる選挙運動の自由化・・・本文5ページ
 政治活動、選挙運動は、原則として誰でもが自由に参加できるしくみにすべきであり、「インターネッ
トを活用した電子メールをはじめウェブサイト、フェイスブック、ブログ、ツイッター等のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を活用した選挙運動を全面的に自由化」すべきであるが、その段階的な見直しとして原則すべての人が選挙運動として電子メールの送信ができるようにすべきである。
 
1-3 ローカル・マニフェスト頒布の自由化・・・本文 10 ページ
 それぞれの候補者の政策の方向性や考え方などを知り、政策選択による投票を促すため、「いかなる選挙においてもパンフレット・書籍、ビラ等の作成、頒布(配布)は自由にする」ことが抜本的な改正であるが、その段階的な見直しとして都道県議会議員及び市区町村議会議員など、自治体議会議員選挙におけるローカル・マニフェスト(ビラ)の頒布を可能にすべきである。
 
1-4 公開討論会の自由化と公営立会演説会の復活・・・本文 13 ページ
 選挙においては、候補者や政党が演説会等で自らの主張や公約を一方的に表明するだけでなく、市民も交えて互いに討論を行うことが必要である。そのための基本的手段であり、市民が面前で、あるいはインターネットの中継を通じて候補者や政党を比較できる公開討論会はこれを全面的に自由化するとともに、公営立会演説会(公開討論会)を復活すべきである。あわせて「公設民営」の公開討論会も検討すべきである。
 
1-5 18 歳未満者の選挙運動の自由化・・・本文 18 ページ
 18歳選挙権年齢の引き下げにより、市民性教育シチズンシップ教育)の必要性が指摘されその取組み
が進められつつある。若年者の投票行動、政治参加を促し、国政、自治体政策への関心を高め、政治、選挙の重要性の認識をより深めることが中長期的には民主主義を強化することになるものと考え、全ての人の政治活動、選挙運動を全面自由化すべきである。
 
2 政治参加のハードルを下げる
 民主主義は、わたしたちすべての市民が積極的にかかわり、一人ひとりがこれを実践していくべきもの
です。そこで、18 歳選挙権の実現を機に、市民性教育シチズンシップ教育)の重要性が再認識され、市民が自ら政治活動に参加するための能力を獲得し、政治活動を実践する場を保障することが課題となっています。このため、国政レベル、自治体レベルにおいて、政治参加のハードルを下げ、多様な市民が選挙や政治活動に自由にアクセスする機会を保障するため、高額な供託金制度を撤廃し、選挙運動期間(事前
運動の禁止)を廃止することがその手始めになります。
 項目ごとの内容は、要旨、次のとおりです。
 
2-1 供託金の廃止・・・本文 21 ページ  
 供託金に関しては戦前から減額あるいは廃止の議論が出されていたが、戦後も供託金制度は存続しているばかりか、消費者物価の伸び以上にその額が高騰している。しかも、現行の供託金額は国際的に比較しても極めて高額であり、最近においても与党自民党から見直し提言が出された。このような供託金制度は、高額の供託金を納める資力に乏しく、格差拡大・貧困・少子化・過疎などの深刻な問題に直面する非正規労働者、育児中の女性、高齢者、障害者等立候補の妨げになっている。より国民の生活実態に即した政策立案を可能とするため、
早急に供託金を廃止し、その資力にかかわらず、より多くの市民が立候補しやすくすべきである。
 
2-2 選挙運動期間の廃止―その方向性・・・本文 28 ページ
 選挙運動期間を定めず、事前運動の禁止規定の廃止を提案する。これにより、市民が自由に選挙運動に参加できるようになり、既存政党であれ、新政党であれ、政権党であれ、野党であれ、現職議員であれ、新人候補者であれ、それぞれが公正な機会を獲得し、自由な選挙運動が行えるようになる。これまで事前運動禁止により、新政党や新人議員候補者は、不利な条件を強いられてきた。さらに、法律での明文規定なしで行われてきた選挙運動と政治活動を区別する必要はなくなり、政治活動の自由が保障される。
 
3 身近な選挙を政策で選ぶ選挙に
 選挙制度は、国政の問題だけではありません。地方議会議員選挙制度も、さまざまな課題を抱えてい
ます。都市部の市区町村議会選挙では数十人の立候補者から一人だけを選ぶという困難さがあり、一方で、市町村議員選挙では全体傾向として無投票が増えています。都道府県議会選挙や政令市議会選挙は、選挙区に分かれていますが、1 人区から最大で17人区まで混在し、選挙区ごとの「一票の較差」も国政以上です。そして、根強い地方議会不要論もあります。地方議員や地方議会が何をしているのかわかりにくい原因は複数ありますが、一つは選挙が政策で選べる仕組みになっているとは言えないと考え、地方議会議
員選挙の制度改革を検討し、以下の項目を中間報告として取りまとめました。
 項目ごとの内容は、要旨、次のとおりです。
 
3-1 市区町村選挙に制限連記制導入・・・本文 31 ページ  
 現在、政令市を除く市区町村議会選挙は立候補者から一人を選んで投票する大選挙区非移譲式単記制を採っている。長く続けられている選挙制度であるが、高齢化、人口の偏在化の進展、市民ニーズ・社会課題の多様化などの社会状況の変化を受けて、従前の選挙制度を継続するだけでなく、議員をどのように選ぶかということも検討すべき状況にある。こうした問題意識のもとで、市区町村議会選挙(ただし政令指定都市を除く)について検討し、「制限連記制」の導入による、複数の候補者に投票できる選挙制度を提案する。連記しうる候補
数は、議員定数20名までは2名、同30名までは3名、同40名までは4名、同41名以上は5名までとする。これにより、有権者の投票に対する意識を高めて投票率を押し上げる。また、無所属候補者たちの政策ごとのグループ化および議員の多様化を促す。
 
3-2 都道府県議会・政令市議会選挙を比例代表制・・・本文 35 ページ
 現在の都道府県議会選挙は、単独の市の区域または複数の市町村を合わせた区域を選挙区として実施されているが、選挙区ごとの定数は1名から十数名までのばらつきがあり、小選挙区制と中選挙区制が混在するいびつな制度となっている。人口格差も国会以上に大きい。政令市議会についても、行政区を基準に選挙区を設けることが認められているため、都道府県議会と同様の問題が生じている。全都道府県または全市を一区とする比例代表制の選挙に改めることにより、選挙権の不平等は解消できる。また、政党が名簿を作成する際に、性別、年齢層、職業などに配慮した多様な人材を候補者として記載する動機となることも期待される。
 
4 民意が反映される国政選挙
 1990 年代初頭、政権交代と政権選択の実現を掲げ、政治改革が行われました。しかし、改革の狙いは実
現されておらず、多数党に議席が集中するなど、かえって、民意の反映が阻害されています。本当に投票したい候補者や政党がないと感じている有権者は少なくないでしょう。政治改革を促すきっかけとなった政治と金の問題も、解決していません。有権者にできるだけ多様な選択肢を提供し、本当の意味で民意が
反映された選挙制度を、衆議院参議院双方で実現する必要があります。
 項目ごとの内容は、要旨、次のとおりです。
 
4-1 衆議院選挙制度改正の方向性・・・本文 40 ページ 
 現行の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区において選挙区間の「一票の較差」が依然として大きいこと、第1党が7割台の議席を獲得するのが常態化していること、大量の死票が発生していることなど、きわめて問題が多い。多様な民意の反映を選挙制度改革の基軸に置き、比例代表制を中心としながら、絶対多数代表制や大選挙区制も含め、多面的に検討する。さらに、政党の選択と人物の選択との兼ね合い、既存政党だけに有利とならない仕組みにも配慮する。その上で、法の下の平等や議院内閣制などの憲法上の原則を踏まえた、明確な理念をもった改革案をまとめることとする。
 
4-2 参議院選挙制度改正の方向性・・・本文 44 ページ 
 参議院選挙の選挙区間の「一票の較差」は衆議院以上に大きい。選挙区ごとの定数(1~6)のアンバランスも問題である。しかもその大部分が小選挙区であることにより、衆議院小選挙区と同様な問題を抱えている。また、都道府県を単位とする地域代表としての性格を認めるべきか、人物の選択をどこまで重視するかについても、検討が必要となる。そのためには、憲法の要請する二院制の存在意義や参議院の役割を明確にするとともに、各々の選挙制度との適切な関係を検討していくことが重要である。その検討結果を踏まえて、改革案をまとめることとする。
 
4-3 両院共通の選挙制度改正の方向性・・・本文 46 ページ
 両院の定数については、“身を切る”という側面からの削減論だけが叫ばれてきた。一方で、高すぎる
議員の歳費・政治活動経費や政党助成金などの議論については放置されてきた。議員定数は、諸外国の議会と比較して決して多くない。全国民の多様な民意を反映し、代表する国会として活動するためには、ど
の程度の定数が適切かという観点からの議論が求められる。削減ではなく増員もありうる。
 下院で193ヶ国中157位(列国議会同盟、2016年8月)という数字が示すように、女性議員の少なさも両院
共通の問題である。女性の政治進出を阻害する構造的要因や社会意識を変えるためにも、女性議員の増加が必要であり、選挙制度の工夫だけでなく、まずは政党に女性候補の擁立を促す仕組みづくりを検討する
 
5 透明で公正な政治活動

5-1 企業団体献金の全面禁止
・・・本文 48 ページ
 現行政治資金規正法で一部許容されている企業団体献金を全面的に禁止する。政治資金パーティーも含
めどのような形であれ企業団体献金を許容することは、選挙の際資力のある者が有利になることをもたらしている。また、企業団体による政策誘導が黙認される。企業団体内部構成員の政治参加も制約されうる。これらの課題を克服するために企業団体献金を全面禁止する。そもそも政党助成金導入の際に企業団体
献金を全面禁止するはずであったのだから。
(引用終わり)

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)

 今晩(2017年1月28日)配信した「メルマガ金原No.2706」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)

 伊藤宏さんの論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」の後編です。
 後編では、ゴジラ誕生30周年の1984年、9年ぶりに製作された第16作『ゴジラ』(論文では『新・ゴジラ』と呼称)から、誕生50周年の2004年に、「これで打ち止め」という触れ込みで製作された第28作『ゴジラ FINAL WARS』までが論じられます。
 ゴジラをめぐる研究書は多数刊行されているようですが、論文のサブタイトルにあるように、「ゴジラ」シリーズが「原子力」をどのように描いたかという観点から読み解いた(おそらくは)ユニークな論文だと思います。
 
 伊藤さんの「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』までを対象として2005年に書かれた論文ですから、当然のことながら、2014年公開のレジェンダリー・ピクチャーズ製作『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)や東宝が12年ぶりに製作して2016年に公開した『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、樋口真嗣監督)には触れられていません。今度、伊藤さんにお会いしたら、是非この両作に対する評価をうかがいたいと思っています。
 
 伊藤宏さんは、この論文の「おわりに」において、「論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。」という問いを立てておられます。その答えをここに引用することはしませんが、読者の1人1人が、そのような問題意識を持ちながら、もう一度この論文の冒頭から読み直していただければと思います。
 
 なお、前編を紹介するに際して付した緒言の内の一部を再掲します。
 
〇この論文は、2005年8月に、伊藤さんも編者の1人となった論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録されました。


〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
 
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」を読み進むための手引きとして、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から、タイトル、制作年、監督名を抜き出しておきます(ハリウッド作品は除く)。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣庵野秀明(総監督)
 

  ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと
      映画に描かれた「原子力」を読み解く

                       伊 藤   宏
 
前編から続く)
 
「平和利用」にも踏み込んだ『新・ゴジラ
 ゴジラが再び姿を現わしたのは、一九八四年十二月公開の第十六作『ゴジラ』(第一作と同一タイトルであるため、以下『新・ゴジラ』と表記する)であった。前作から約十年のブランクを経ての復活だったが、その間に原子力をめぐる状況は大きく変化していた。特に「平和利用」に関してはおおよそ以下のようにまとめられる*43。
 一九七六年五月にスウェーデンで反原発国際会議が開かれるなど、この頃は世界的にも反原子力の気運が高まっていった。日本でも同年十二月、関西電力美浜原発一号炉にで燃料棒折損事故が起こっていたにも関わらず、四年間隠ぺいされていた事実が明らかになり、これが国内の反原発の動きをますます加速させていく。そして一九七九年三月、アメリカペンシルバニア州スリーマイル島原発(TMI)で、放射能を含んだ蒸気が噴出するという大事故が起こる。その後の調査で炉心の核燃料の半分近くが溶融し、残りの部分の大半が粉々に崩れていることが分かり、当時としては史上最悪の原発事故となった。原発の危険性が現実のものとなったわけで、TMI事故は日本はもちろん世界中を震撼させた。国内でも同年七月には関西電力大飯原発一号炉でECCS*44が商業用原発史上初の誤作動を起こし、十一月には関西電力・高浜原発一号炉で大量の冷却水漏れ事故が起き、原発の危険性は決してアメリカのみの問題ではないことが明らかとなる。さらに一九八一年四月、原子力政策が抱える問題点を一挙に噴出させるような出来事があった。日本原子力発電敦賀原発放射能漏れ事故を起こしたのだ。それまでに他の原発などで起こっていた放射能漏れのトラブルが全て施設内だったのに対して、敦賀原発の場合は付近の海草や土砂などから異常に高い放射能が検出されたため大問題となった。このように、『新・ゴジラ』公開に至るまでの期間は、事故によって原発の危険性が表面化すると共に、運転によって生み出される放射性廃棄物の処分問題、原発労働者の被ばく問題等々、それまでは見えなかった数々の問題点が次々と明らかになってきた時期であった。しかし、国の原子力政策が変更されることはなく、むしろ確実に進展していたのである。
 『新・ゴジラ』は、冒頭の嵐で遭難した船に乗り込んだ新聞記者・牧吾郎が巨大なフナムシに襲われる場面から始まる。フナムシの巨大化について、生物物理学者の林田信は政府関係者に「たかが数センチのフナムシがどうして巨大化したかといえば、ゴジラに寄生していたからです。ゴジラの体内から発する放射性物質を絶え間なく浴び続けることで巨大化したんでしょう」と説明する。また、牧の「ゴジラは動物なんですか。放射能が作り出した怪獣、化け物、ほとんどの人がそう思っていますが」という問いに対して、林田は「その化け物を作り出したのが人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ。ゴジラはいわば核兵器のようなもんだ。それも生きた核兵器だ。勝手気ままに動き回り、破壊を繰り返す。そのうえ、ゴジラの生命は不滅ときている」と応じた。
 ゴジラが最初に確認されたのは、ソ連のミサイル原潜が撃沈された際であった。これについて林田は牧に「ゴジラがその食性に従い、エネルギー源となる核分裂物質を求めてソ連原潜を襲ったのは明らかだ」と解説。さらに、牧が日本本土から一旦離れていることを指摘すると「しかし来るよ。必ず来る。ここにはゴジラの餌がある」と述べる。一方、ゴジラ出現を受けた政府の対策会議の席上では、統幕議長から新兵器「スーパーX」*45についての説明がされていた。「外装はチタン合金。集積回路にはプラチナを多量に使用して、かなりの高熱にも耐えることができるよう設計されている」「さらに現在、対ゴジラ作戦のためカドミウム砲の装備を急いでおります。カドミウムは原子炉の核反応を制御する働きがあり*46、ゴジラに対して有効と確信しております」というものだった。
 ゴジラの日本上陸地点は静岡県の井浜原発(仮名)*47であった。ゴジラは、原子炉建屋に至るとそこから炉心の容器を取り出す。それを見ていた林田は「あれは原子炉の炉心だ」と指摘。そして放射能測定器に走り寄ると中のオシログラフを見入る。何の異常も感知していない。さらに林田は「ゴジラが全部吸収してしまったんだ」と叫んだ。炉心容器を抱えたゴジラの背びれが青白く発光する*48。ところで、林田は原発襲撃の際のゴジラの行動から、その帰巣本能を利用して特殊な超音波で三原山に誘導する作戦を考案した。その一方で林田は、牧たちに「原発で君たちは感じなかったか。三十年前、大戸島に現われたゴジラは伝説の怪獣と同一視された。世の中が乱れる時、天変地異が起こり怪獣が現われる。これは世界各地の伝説にみられることだ。ゴジラはまさしく人類の滅びへの警告なんだ。私はせめてゴジラを故郷へ帰してやりたいと願っている」と語る。
 ゴジラ対策として米ソの駐日大使、特使が三田村清輝首相を訪ねる。両国とも「アメリカはゴジラに対する有効な武器として、戦術核兵器の使用を決定しました」「ソビエト核兵器ゴジラに対抗することを決定しました」と通告し、核兵器の使用についての了解を求めた。ソ連特使は「ゴジラ撃滅の方法は戦術核の使用以外にない。貴国の同意を求めます」「爆発はごく狭い地域に限られ、精密な慣性誘導装置により正確にゴジラを葬れるのです」と主張するが、三田村は黙って聞き入るのみであった。その後の閣議では、次のようなやり取りが行われる。
官房長官:米ソの言う戦術核兵器というのはどの程度の規模のものですか?
防衛庁長官:えー、核威力は双方とも十キロトン。広島型原爆の約半分と聞いてます。
官房長官ゴジラが東京へ上陸したと仮定した場合どの程度の被害が予想されますか?
国土庁長官:えー、予測は不可能です。
官房長官科学技術庁長官、戦術核の場合は?
科技庁長官:三平方キロの地域が完全破壊されます。しかし、住民等の避難誘導さえうまくいけば…。
大蔵大臣:つまり、戦術核を使用した方が被害が少なくてすむ。この際、やむを得ないんじゃないかな。
通産大臣:大蔵大臣、そう簡単に結論を出さんでほしい。核を使用した場合の放射能汚染の問題はどうなるのかね?それにゴジラに対して絶対に核が有効だという保障は?
大蔵大臣:万が一首都圏が壊滅すれば経済的にも日本は半身不随だ。通産大臣はそこのところがおわかりになっとらんらしい。
通産大臣:私が申し上げてるのは、戦術核が本当にゴジラに対して…。
自治大臣:それは誰にも分からんだろう、やってみなければ。
統幕議長:よろしいでしょうか。戦術核というものは、実戦の小規模な戦闘に使われてこそ初めて効果のある兵器です。ところが米ソは、これまで何度もチャンスがありながら、実戦では使いそびれてきました。つまり…。
官房長官:米ソは実験をしたがっていると。
統幕議長:そうです。
自治大臣:なるほど、それで足並み揃えたってわけか。
外務大臣:総理、米ソの申し入れを蹴った場合、日本が外交的に孤立するということも。
 
 最後に三田村は「皆さんのご意見は承りました」と述べて席を立つ。
 閣議後、再び米ソ大使らと会談した三田村は、「我が国には非核三原則というものがあります。核は作らず、持たず、持ち込ませず。今度の場合も、私はこれを順守したいと考えます」と述べる。するとソ連特使は「あなたの国のエゴイズムだ!」と怒り「現に我が国の原潜はゴジラに撃沈されている。我々には報復する権利がある」と主張。アメリカ特使も「今は原則論を語っている時ではない!」と抗議すると、三田村は「こういう状況だからこそ、私は敢えてこだわるのです。安全な核兵器などあり得ません。そして一度使われてしまえば、抑止力としての均衡が破れ、世界の破滅につながります。それが核というものです。非核三原則が我が国のエゴイズムだと言われるのなら、それは認めざるを得ません。しかし、核を使いたがるのもアメリカとソ連のエゴイズムではないでしょうか」と述べた。最終的に三田村は米ソ最高責任者と直接話し、核の使用は避けられる。「米ソ両首脳にはどのように話されましたか?」という官房長官の問いに、三田村は「もしあなた方の国、アメリカとソ連ゴジラが現われたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワで、ためらわずに核兵器を使える勇気がありますかと。両首脳は納得してくれたよ」と答えたのであった。
 ついにゴジラは東京に上陸した。その際に、東京湾に入港中のソ連工作船が大破し、核ミサイルが誤射されてしまう。一方、林田は自身の作戦の完成を急いでいた。スーパーXの出撃を受けて牧が「カドミウムの溶液をゴジラの体内に吸収させると言ってますが、効果ありますかね?」と問うと、林田は「私はゴジラが原子炉だとは思ってない。その方法に興味はないよ」と答える。ゴジラに対して、スーパーXが口中にカドミウム弾を打ち込んだ。液体を吸収したゴジラの動きが止まり、ビルにもたれかかるようにして倒れる。作戦が成功したことを喜んだのも束の間、誤射された核ミサイルが東京に迫っていた。米軍の嘉手納基地から発射された迎撃ミサイルが命中し、東京での核爆発は免れたが、直後にオーロラのようなもので空が夕焼けのように染まって全ての電源が止まる。それに対して科技庁長官が「先ほどの異常事態ですが、宇宙空間や成層圏で核爆発が起きた場合、電磁衝撃波というものが生じ、その結果あのような…」と説明した。核爆発の影響で発生した落雷によって、ゴジラは再び目覚め今度はスーパーXを撃破する。誰もがあきらめかけたその時、林田の作戦が発動しゴジラ三原山へ誘導されていった。そして、最後は火口に飲み込まれていくのであった。
 『新・ゴジラ』における原子力に関する描写は、以上のようなものであった。第一作を強く意識した作品ということもあり、ゴジラ核兵器放射能を改めて結びつける描写が目立っている。さらに、新たな視点としてゴジラ原発を結びつけたことは注目に値するであろう。そして、映像技術の進歩ゆえに、一つ一つの描写が非常にリアルであったことが強く印象に残る作品でもあった。だが、映画を観終えた後で筆者は大きな違和感を覚えたのである*49。それは、核兵器をめぐる描写では様々な問題提起がなされていたのに対して、原発をめぐる描写では何ら問題点の指摘がなかったことに起因している。ゴジラ原発襲撃後の林田の「人類の滅びへの警告」という台詞も、どのような「滅び」を意味するのか、少なくとも作品中では曖昧だった。その違和感から、二つの大きな疑問が導かれてくる。一つは、原子力に関心のない人々(大人も子どもも含めて)が、果たしてどこまで映画で描かれた世界と現実とを結びつけ得たのかということだ。そしてもう一つは、そもそもこの映画でゴジラが伝えようとしたメッセージは何だったのかということであった。
 
決して触れられない社会の状況
 さて、『新・ゴジラ』から第十七作『ゴジラVSビオランテ』(一九八九年十二月公開)までには五年間のブランクがあったが、その間に原子力の「平和利用」をめぐって歴史的な大事件が起こった。一九八六年四月にソ連で起こったチェルノブイリ原発の核暴走爆発事故である。環境中に大量の放射能が放出され、それが周辺各国はもとより数千キロ離れた日本にまで降り注いだのだった。この事故をきっかけに、世界各国(もちろん日本でも)で原子力の「平和利用」に対する不安が増大し、さらには反対運動が急速に広まっていったのである。事故後三年で公開された『ゴジラVSビオランテ』は前作の続編という設定で、ゴジラが襲撃した直後の新宿からのテレビ中継に始まる。CCNのスーザン・ハーンが「東京都内の非常警戒体制は解除されましたが、西新宿一帯は立入禁止のまま。スーパーXの回収作業。残留放射能、汚染物質の調査が続けられています」とリポート。自衛隊員らが放射能防護服やマスクに身を包んで作業する様子が描かれた。ゴジラの皮膚組織を採取している自衛隊員はガイガーカウンターを片手に調査を進めていたが、放射能の存在を示す音は常に鳴り続けている、というシーンでスタートするのであった。
 この作品に登場するビオランテは、遺伝子工学の権威である白神(博士)が、ゴジラ細胞と植物、人間の細胞を操作して作り出した怪獣ということになっている。さらに、ゴジラを倒すために開発された武器が、同様に遺伝子工学によって製造された「抗核エネルギーバクテリア(以下、抗核バクテリア)」であるというように、全体を通じて流れるテーマは遺伝子工学、遺伝子操作の是非であった。自衛隊の黒木(特佐)らに、遺伝子工学の若きエース・桐島(博士)は抗核バクテリアについて「アメリカでは既に、遺伝子操作により石油を食べるバクテリアを完成し、海の石油汚染に対して実用化しています。同じように、原発事故などの放射能汚染に対する有効な手段として考えられたのが、核物質を食べるバクテリア、抗核エネルギーバクテリアなんです」と説明する。そうした設定がなされた作品であるため、原子力関連の描写は随所に現われるが、特に原発に関する描写を抜き出してみると次のようになる。
①大河内財団の総帥が桐島に「原発事故のような核汚染で、国家の存亡に関わるような事態が起こらない限り、永遠にゴジラ細胞は封印されるはずだった」と語るシーン。
ゴジラが消耗した核エネルギーを補充するために原発に向かうと黒木が指摘し、ゴジラの進路から最も近い原発を示すと、官房長官らが「高浜四、大飯二、美浜三、動燃ふげん一、敦賀二。全部で十二基*50。日本の原発の三分の一だ。そんなところに行かれちゃ…」「一つでも原子炉を破壊されれば日本は…」という会話を交わすシーン。
③若狭に進んできたゴジラ自衛隊が応戦するが、その行く手を阻むことができずゴジラは高浜原発に迫る。「高浜原発、緊急態勢」「高浜原発、緊急態勢最終段階」などの連絡と共に警報が鳴り響くシーン*51。
 チェルノブイリ原発事故の影響からか、ゴジラ・シリーズの中で初めて「原発事故」という想定が描かれたことは注目に値するであろう。また、作品の最後で白神が「ゴジラでもビオランテでもない。本当の怪獣はそれを作った人間です」と述べていることなどから、「科学技術の暴走に対する警告」というメッセージは明確に描かれていた。しかし、作品中で「チェルノブイリ」という言葉が一度も登場しなかった*52ばかりか、当時の日本社会で原子力の「平和利用」の是非を問う議論が盛んに行われていたという状況には、一切触れられてはいないのだった。さらに、大河内の「原爆とゴジラにひどい目に遭わされた日本が、ゴジラ細胞から核を超える兵器を作っても、決して悪いとは思わんがね」という意味深長な台詞すらあったことを付け加えておく。
 『ゴジラVSビオランテ』以降の作品については、原発をはじめとした「平和利用」に関連した描写のみを、以下に抜き出してみた。
●第十八作『ゴジラVSキングギドラ』(一九九一年十二月公開)
①二十三世紀の世界からタイムワープしてきた地球連邦機関のウィルソンが、日本政府に対して「我々がこのたび二十世紀の日本に来たのは、二十三世紀の日本が死滅してるからです」と述べ、さらにグレンチコが「一言で言うと核汚染です。二十一世紀、日本は再び活動を始めたゴジラにより致命的な破壊を受けます。都市の破壊はもちろんですが、特に原子力発電所の破壊による核汚染は、長い間にわたって日本全土に広がり、ついに日本のほとんどは人が住めなくなってしまうのです」と説明するシーン。
②消滅させたはずのゴジラが再び出現した際に、グレンチコが「二十世紀は我々の時代と違って、地球上の至る所に核がある。考えてみれば、どこに恐竜をワープしようとゴジラの誕生は避けられなかったかも知れないな。我々がせっかく抹殺してやったのに、愚かな時代。救いようのない原始人どもだ」と述べるシーン。
●第十九作『ゴジラVSモスラ』(一九九二年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十作『ゴジラVSメカゴジラ』(一九九三年十二月公開)
①製造中のメカゴジラの現場で「核融合炉テスト開始30分前」のアナウンスがあり、さらに今井が「動力 はレーザー核融合炉。燃料は衛星軌道上に生成される重水素・ヘリウム3ペレット。外部装甲板は 超耐熱合金NT-1」と説明するシーン。
ベーリング海のアドノア島で発見されたプテラノドンの化石、及び卵の調査に来た大前(博士)らの前にラドンが出現した際に、大前と桂木が「プテラノドンが巨大化した。核の影響か何かで、ゴジラと同じ事がプテラノドンにも起こったんだ」「そういや、ここら辺は使用済み核燃料の墓場ですよ」というやり取りをするシーン。
●第二十一作『ゴジラVSスペースゴジラ』(一九九四年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十二作『ゴジラVSデストロイア』(1995年12月公開)
※この作品は、ゴジラの体内構造を原子炉に見立てた上で、その内部で核暴走反応が起き最後はゴジラの死に至るというストーリーであった。
原子力エネルギーの専門マービン教授が「ご存じの様に、ゴジラの動力源、つまり人間でいう心臓部は原子炉といわれている。その心臓部で、今、何かが起っている」と報告するシーン。
②「この海水温の高い数値は、ゴジラの中で正常な冷却機能をはるかに超える核分裂が起っていることを裏付けていると思います」という報告を受け、山根健吉が「ゴジラのエネルギーである核分裂は、体内の水分によって制御され、空気から吸い込む二酸化炭素で冷却されコントロールされていた。それが、バース島の異変によってバランスを崩し、核分裂が飛躍的に活性化した」と説明し、さらに「ゴジラは果てしなく暴走するか、あるいは核爆発を」「想像も出来ませんが、地球上のどんな核兵器よりも巨大な爆発エネルギーだと考えておいた方がいいでしょう」と説明するシーン。[ゴジラが国会 議事堂前で核爆発し、炎が燃え広がっていく想像場面]
豊後水道ゴジラが出現したことについて、健吉が「狙いは原子力発電所だ。核分裂が異常に高進しているのだから、核燃料を欲しがるのは当然です」と述べた際、麻生が「ゴジラ原発を襲うというのに、我々は何も手を出せんのか!」と言ったことに対し、国友が「ここで攻撃を加えてもし核爆発を誘発したら、原発一つの被害の何十倍、何百倍もの惨事です」と答えるシーン。
④スーパーXⅢについて麻生が「自衛隊が開発していた多目的の防衛攻撃能力を備えた新兵器で、原発事故や核兵器による攻撃を想定して、強力なカドミウム弾を装備しています」等と説明するシーン。
ゴジラに対するスーパーXⅢの攻撃を見て、健吉が「冷凍弾で冷却し、カドミウムで制御する。完璧な攻撃計画だ」と述べるシーン。
⑥健吉が「ゴジラ核分裂が制御され始めたようです。見て下さい。青いラインが正常、赤いラインが現在の状態。カドミウムが制御剤として効いているようです」と述べ、核爆発が避けられると安堵した瞬間、ゴジラの心臓部の温度が900度を超えているという報告が入る。健吉が「何だって?核分裂が制御されているのに炉心がそれだけの高温ということは、内部から溶け出している…」と青ざめ、「ゴジラはどうなる」という麻生の問いに、健吉は「メルトダウン」「ゴジラの原子炉である心臓部が溶け出し、放射能をまき散らしながら周りのものを溶かし…」「水素爆発を起こして地球に穴を開けてしまう」と答えた。それに対し、麻生が「チャイナシンドロームというやつか」と述べるシーン。[メルトダウンの様子がコンピュータグラフィックで示される]。
ゴジラが東京でメルトダウンした際の対策として伊集院が「万一、ゴジラメルトダウンした場合、被害を最小限にとどめるためには冷却するしか方法はありません。炉心融解の瞬間に、冷凍兵器の全てを集中させるんです」と助言するシーン。
メルトダウンが始まり、ゴジラが白っぽく発光しながら苦しみもだえる。計器のα、β、γ線を示す値が急上昇する様を見た黒木が「ものすごい放射能だ」とつぶやくシーン。
⑨伊集院が「ゴジラが東京を死の街にして溶けていく」と言ったのに対して、ゆかりが「これが私たちの償いなの?」「科学を、核を弄んだ私たち人類の…」と述べるシーン。
 こうして列記してみると、実に様々な描写がなされているようであるが(全く描写がなかった作品の存在については後述)、『ゴジラVSビオランテ』と同様「平和利用」の現実、つまり原発自体に関する社会的な状況はほとんど描かれていないのだ。『ゴジラVSデストロイア』では、ゴジラが原子炉そのものと直接的に結びつけられていたため、原発事故が起こった場合の恐怖が描かれていたとする見方が可能かも知れない。しかし、それを示唆するような描写はなく、最後に「核を弄んだ…」という台詞の「核」が何を指すのかが曖昧であった(一九九〇年代でも、「核」という言葉は「原子力」とは切り離されて用いられていた)。しかも、「原子力」に関する描写においては「現実」と「非現実」を、専門家でなければ見抜けないほど巧みに混在させているため、実際の状況を把握することをより一層困難にしているのであった。
 
繰り返された「お子様ランチ化」
 度重なる引用になるが、前出・佐藤は『ゴジラVSモスラ』までのゴジラ映画の分析後、「このような焼き直し路線が、シリーズのさらなる行き詰まりを反映していることは疑いえない。(中略)このままシリーズを継続しようとすれば、何らかの形におけるお子様ランチ化は不可避に違いない」*53と予言していた。この予言は、まさに的中したと言えよう。つまり、ゴジラの存在理由である「原子力」を、核兵器のみならず「平和利用」(=現実に存在する原発)に結びつけたまでは良かったのだが、その「脅威」あるいは「恐怖」を描くことが『新・ゴジラ』のスタート時点から出来なかった。かつての「怪獣プロレス」は、SFXやCGを駆使した映像自体のリアルさ、カッコよさに取って代わり、それが再び子どもたちの「ウケ」を狙うことになっていく。また、「正義の味方」「子どもたちの味方」というゴジラ像も、『ゴジラVSメカゴジラ』以降、三枝美希を軸に主張された「ゴジラを好きになる」という捉え方で復活しているのである。
 さらに、かつての「お子様ランチ化」にはない要素が加わる。「原子力」の描写が全くなかった二作品においては、ゴジラとは縁の遠いテーマが、しかも非常に一般的なテーマがメインに据えられていたのだった。『ゴジラVSモスラ』では、深沢の「二酸化炭素上昇による温暖化、オゾン層の破壊、ただでさえ地球が危ない方向だというのに、人間は平気で森林を伐採している。その上に隕石の激突です。大気の異常、海水面の上昇、海底プレートへの影響、このままじゃ地球は本当に危ないところへ行ってしまいますよ」という言葉に象徴されるように、環境問題全般をテーマとしていた。『ゴジラVSスペースゴジラ』では、「宇宙の汚染」については何一つ語られていないにも拘わらず、最後に権藤の「宇宙が汚され続けてゆくなら、いつ第二のスペースゴジラが現われるかも分からない。私たち人類への警告だわ」という台詞が唐突に出されたのだった。これはもはや、ゴジラの存在理由の隠蔽と言っても過言ではなかろう。こうして、子どもたちの目はますます、ゴジラの本質からそむけられていくのであった。
 一方、高橋敏夫は「ゴジラの存在感は映画のたびに確実に希薄化しつづけていた」と指摘している。「新しい映画の目玉はゴジラではなく、つぎつぎに登場する『VS怪獣』または『対ゴジラ兵器』であった。新しい怪獣ビオランテの美しさと哀しさ、超能力少女の連続登場、自衛隊の首都防衛戦闘機スーパーXの堂々の出撃、かつての人気怪獣キングギドラモスラの復活、ゴジラ細胞のおそるべき活用、最初のゴジラ東京湾の海底に葬ったオキシジェン・デストロイヤーにかかわる謎の怪獣の出現等々…話題はいつも豊富すぎるほど豊富だった。新しい映画のたびに、新しい話題満載の大量の図解本が書店にならんだ。しかし、それはゴジラそのものをめぐる話題ではなかった」*54というのだ。筆者も全く同感である。すなわち『新・ゴジラ』以降の作品においては、ゴジラ自身から「原子力」に関するメッセージが何ら伝わってこないのであった。これは、かつて「水爆怪獣・ゴジラ」のイメージが消えていった状況とほとんど同じであろう。
 こうした傾向は、『ゴジラVSデストロイア』から四年のブランクを経て復活した、第二十三作『ゴジラ2000』(一九九九年十二月公開)以降の五作品*55でも、基本的に変わることがなかった。一九九五年十二月に高速増殖炉もんじゅ」でナトリウム漏れによる火災事故が発生し、一九九六年八月には新潟県巻町で東北電力原発計画に対して国内初の住民投票が行われ、原発反対が過半数を占めた。そして一九九九年九月、茨城県東海村ウラン燃料加工施設JCOで死者二人を出し、日本の原子力産業史上で最悪となった臨界事故が発生するなど、原子力政策の上で重大な出来事が国内で相次いでいたにも拘わらず、それが作品にはほとんど反映されなかったのである。唯一、問題提起を含んでいると思われたものは、第二十四作『ゴジラ×メガギラス・G消滅作戦』(二〇〇〇年十二月公開)の冒頭部分である。まずテレビニュースに「一九六六年茨城」の字幕が出た。「ゴジラの東京襲撃から十二年後、操業を開始したばかりの我が国初の原発東海村原子力発電所が、ゴジラによって破壊された」というナレーションと共に、ゴジラ原発を破壊する様子が描かれる。場面が変わり、首相官邸前からの実況で走り出てきた記者が「たった今、総理が決断しました」と報告。スタジオと「原子力発電の永久放棄ですか?」「その通りです」というやり取りが行われた。そして、国会の審議場面が映され「ゴジラ上陸の原因が原子力発電所放射能であるとの研究結果を受け、日本政府は原子力発電の永久放棄を決定したのである。その後、増加する電力需要に対処すべく、政府は水力、火力、ソーラー、風力などの発電に力を入れたが、原子力発電を補うまでには至らなかった。そこで…」というナレーションが流れるというものだった。
 しかしこの描写の場合は、直前の映画ニュースの中で「(一九五四年のゴジラ東京襲撃後)首都は大阪に移され、新生日本は力強く歩み出したのであります」というナレーションと共に、大阪城に隣接して国会議事堂が建っているシーンが挿入されるという手法で、観客に対して「フィクション」であることが予め明確に示されていたのである。さらに、ゴジラの破壊を受けない、原子力に代わるクリーンなエネルギーとして「重水素を原料とするプラズマ発電を完成させた」というエピソードが、なぜクリーンなのかという説明もないまま続く。結局、そのプラズマエネルギーを開発した施設もゴジラによって破壊される…という長いイントロダクションの後で本編に入るのだが、二〇〇一年の東京には新幹線の代わりにリニアモーターカー*56が走行しているのであった。せっかく、新しい視点の問題提起をしていたにも拘わらず、文字通り「子どもだまし」の設定や描写によって台無しになっている。このような描写から浮かび上がってくる深刻な問題は、以前の「お子様ランチ化」は子どもたちでも見抜けるものであったが、新たに繰り返された「お子様ランチ化」は、子どもはもちろんであるが、大人たちでさえある程度の予備知識がなければ気付かないほど、巧妙になっているということだ。
 
おわりに
 筆者は冒頭で「ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは『核』と、それに連なる『原子力』に関するものだった」と述べた。しかし、これまで述べてきたように、大人たちの子どもたち対する一方的な思い込みによって(「平和利用」に関しては政治的配慮という別の思惑が働いていたのかも知れないが…)、そのメッセージがある時は歪められ、ある時は全く覆い隠されてしまい、主たる受け手だった子どもたちにはほとんど届かなかったというのが実態であろう。その結果、未だに「核の脅威」は去らず、原子力政策も見直されることがないまま日本は「原子力大国」への道を突き進んでいるのだ。それだけではない。それらの現実が存在することすら知らない大人たち(かつての子どもたち)が、時代と共に増え続けているのである。
 論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。一九五四年の初上陸の時点で役割を終えたとも言われ、時には本論で触れたように識者たちの酷評に遭い、時にはその存在理由さえ脅かされながらも、ゴジラは繰り返し日本にやって来た。それはなぜか。筆者は、ゴジラがどうしても子どもたちに自分の発するメッセージを伝えたいがためだったと思うのである。「核」というもの、「原子力」というものと、どのように向き合っていけば良いのか、子どもたちに考えるきっかけを与えたかったのではなかろうか。「人間は、勝手だと思います。特に大人は、かってだと思いました。原子力は、安全だといっておきながら爆発して、動物たちを殺して、安全だといって、汚染された食べ物があることをだまっといて、本当に勝手です。またそのもれた放射能を私たち子供たちに片づけてもらおうなんて…。(6年七組 江田かずみ)」*57。こうした感性を持った「子どもたち」なら、必ず理解してくれるものと信じて、ゴジラはメッセージを発し続けたのであろう。作品のエンディングでは、ゴジラが海に帰っていくシーンが最も多い。その後ろ姿が、どことなく寂しげで、時には悲しげに見えてしまうのは筆者だけであろうか。それは、メッセージを届け得なかったゴジラの無念を表しているのかも知れない。
 「核(核兵器)」の問題はもちろんだが、「原子力」の「平和利用」については解決せねばならない問題が山積している。原発事故の危険性は言うに及ばず、老朽化した原発廃炉問題、技術者の空洞化の問題、余剰プルトニウムの処理問題、高レベル放射性廃棄物*58処分の問題等々…。そしてこれらの問題は、次世代、次々世代、場合によっては遠い未来の世代まで影響を及ぼすばかりか、これから生まれてくる子どもたちにも、既に解決する責任が負わされているものなのだ。だが実際には、原子力施設などの当該地域周辺を一歩離れたところでは、人々の間に原子力政策に関する議論はおろか関心すら存在していない。そして、未来を担う子どもたちの多くは、重い責任を負わされているにも拘わらず、問題の所在を知る機会すら持っていない(持たされていない)のである。最後に、『ゴジラ2000』のエンディングで篠田が発した「ゴジラは俺たちの中にいるんだ」という言葉について、筆者なりの解釈を述べておく。それは、「日本には、少なくとも五十二頭のゴジラが生息しており、何かのきっかけで突然、私たちを襲ってくるかも知れない。しかし、ゴジラを日本に呼び寄せ、育てているのは私たち自身に他ならないのだ」というものだ。ゴジラは、今も私たちの身近に在るのである。

[文中敬称略・引用は原文のまま・映画の登場人物は配役名]
 
【参考文献】
小林豊昌『ゴジラの論理』、中経出版、1992
高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』、講談社、1998
佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』、読売新聞社、1993
ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』、現代書館、1999
田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』、集英社、1993
野村宏平編『ゴジラ大辞典』、笠倉出版社、2004
名取弘文『子どもと話そう原子力発電所』、農文協、1989
中村桂子『科学技術時代の子どもたち』、岩波書店、1997
武谷三男原子力発電』、岩波新書、1976
野真典和他『ゴジラ研究読本』、パラダイム、2000
サーフライダー21『ゴジラ研究序説』、PHP、1998
サーフライダー21『ゴジラ生物学序説』、ネスコ、1992
柳田理科雄ゴジラVS柳田理科雄』、メディアファクトリー、2004
川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』、学習研究社、1996
和泉正明『公理的ゴジラ論』、アートン、1998
未来防衛研究所ゴジラ自衛隊』、銀河出版、1998
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年6月8日
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
YouTubeへのリンクは無効となっています。
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
2017年1月27日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

 今晩(2017年1月27日)配信した「ルマガ金原No.2705」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

 来る2月4日(土)午後2時から、和歌山市のアバローム紀の国(2階「鳳凰の間」)で開催される「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」に、シンポジストの1人として登壇される伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)は、おそらくシンポの「欲張った」テーマのうち、「原発」問題を中心に発言されるのだろうと思います。勤務校ホームページの研究者情報にも、「研究内容・研究テーマ 原子力報道の検証、原子力政策および地域振興策等の検証」とありますし、伊藤さんが編集委員を務めておられる新聞うずみ火のホームページには、「共同通信青森支局時代、六ヶ所村核燃料サイクル基地問題の取材中、警備員ともみ合う反対派をフェンスの内側から見ている自分に気づき、「自分の居場所は違う」と直感。その日のうちに辞表を書いたという「熱い記者魂を持った男」である。」とまで書かれているのですから。
 
 ところで、私が伊藤さんのプロフィールを調べていて気になったことがありました。それは、新聞うずみ火ホームページに「好きな怪獣ゴジラをテーマにした論文も」と触れられていたこと、さらに伊藤さんにFacebookの「友達リクエスト」を送った際に気がついたのですが、自己紹介の欄に「大学教員の仕事をしながら、原子力問題に関わり続けています。原子力報道の検証、怪獣ゴジラウルトラマンの研究がライフワークです。」と書かれていたことです。

 そこで、「伊藤宏/ゴジラ」でGoogle検索をしてみたところ、昨年8月下旬から10月初旬にかけて、市民のための人権大学院・じんけんSCHOLA(すこら)というところで「原発と人権」と題した4回連続の講座を伊藤さんが担当されており、その第2回のテーマが「怪獣ゴジラ原発」であったことを発見したのです。

 というようなことで、伊藤宏さんとゴジラ、特に「怪獣ゴジラをテーマにした論文」というのがどうにも気になるということをブログに書いたりしたのを伊藤さんが読んでくださったのか、伊藤さんが、2005年に書かれた「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」という論文を、1年前(2016年1月26日)に、Facebookノートとして公開済みであることを教えてくださいました。
 一読、非常に読み応えがあり、感銘を受けましたので、「2月4日のシンポを聞きに来てくれる人に是非事前に読んで欲しいので」全文を私のメルマガ&ブログに転載させていただきたいと申し入れたところ、伊藤さんから、「シンポの内容とは全く関係ありませんが…それでもよろしかったら公開していただくことは歓迎です」(文字化けの恐れがあるので顔文字は省略)とご快諾いただき、ご紹介できることになりました。
 ただ、相当な大作なので、一気に読み通していただくのは難しいと考え、前後編の2回分載とすることにしました。まず本日は前編として、1954年の『ゴジラ』(第1作)から1975年の『メカゴジラの逆襲』(第15作)までの時代を論じた部分をご紹介します。
 なお、お読みいただく前にいくつか補足説明を。
 
〇この論文は、2005年8月に、伊藤さんも編者の1人となった論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録されました。

 ちなみに、この論文集に収録された論文は、国立国会図書館サーチによれば以下の7編でした。
「保育と実践 子どもの声に聴く保育の実践的検証」渡辺のゆり
「乳幼児の虫歯予防対策について」佐藤由美子
「「病後児保育」と小児保健」佐藤由美子
「子どもと文化 『エミール』の教育思想と宗教論」中村博武
「子供の想像力、大人の想像力」西尾宣明
ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」伊藤宏
「幼稚園実習における保育学科学生のピアノ伴奏(演奏)での問題点の傾向と対策」作野理恵

 こうしてみると、伊藤さんの論文は相当異彩を放っていたように思えます。
 
〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
 
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、論文冒頭の記載で明らかなとおり、2004年12月に公開された『ゴジラ FINAL WARS』(第28作)までの半世紀にわたるゴジラ史を振り返るというスタンスで書かれています。
 従って、『シン・ゴジラ』(2016年)や、海外作品ではありますが、2014年のギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ』をどう位置付けるのかについては、直接伊藤さんにお伺いするしかない訳です。
 
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」を読み進むための手引きとして、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から、タイトル、制作年、監督名を抜き出しておきます(ハリウッド作品は除く)。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣庵野秀明(総監督)
 

  ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと
      映画に描かれた「原子力」を読み解く
 
                       伊 藤   宏
 

はじめに
 二〇〇四年十二月、『ゴジラ FINAL WARS』が公開された。制作会社の東宝はこの映画のPRで「集大成にして最高峰。〝これが、最後だ〟」としており、一九五四年公開の第一作から半世紀にわたり作られ続け、一億人に迫る観客数を動員してきたゴジラ・シリーズは、二十八作目にして文字通りの「FINAL」を迎えたことになる。ゴジラは、「わが国ばかりでなく海外でも人気を博し*1、すでにゴジラは国境と世代を越えた永遠不滅のキャラクターになっているといっても過言ではない」*2存在で、一九六二年生まれの筆者にとっても、幼少時代から今日に至るまで常に身近にいて影響を受け続けた怪獣であった。そのゴジラが、ついに銀幕から姿を消すことになったのである。
 ゴジラがその存在を通じて我々に伝えてきたメッセージは、個々の作品が上映された当時の世相などを反映し、実に多種多様なものが考えられる。だが、その出生や生態、攻撃における武器*3等から明らかなように、ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは「核」と、それに連なる「原子力」に関するものだった。そして実は、ゴジラが歩んできた五十年間は、まさに日本の原子力政策が歩んできた五十年間でもあったのだ。周知の通り、日本はエネルギー政策において原子力開発・利用を「国策」と位置づけ、原子力発電を強力に推進してきた。その結果、現在五十二基の原子力発電所(以下、原発)が稼働中で、総発電量の三〇%余りを原子力が占めるまでになっている*4。さらに日本は、原子力開発・利用の要として核燃料サイクル*5の確立を目指しており、まさに「原子力大国」への道をひたすら突き進んでいると言えよう。そうした現実に至る過程において、ゴジラは果たして「原子力」についてどのようなメッセージを我々に送ってきたのであろうか。
 ところで、ゴジラ映画は「怪獣映画」であるが、それが「子ども向け映画」と言えるのかどうかについては、議論が分かれるところであろう。確かに第一作は、明らかに大人向けの「社会派映画」であったし、第十六作(一九八四年公開)以降は往年のゴジラファン(少なくとも「子ども」ではなくなっている)を強く意識した作品になっている。しかし、有川貞昌*6が『キングコング対ゴジラ』(第三作・一九六二年公開)について、「この映画の頃は、怪獣映画が子ども向けに定着していましたからね、子どもを意識して撮りましたね」*7と、また川北紘一*8も「怪獣映画を観るのは七歳から十三歳くらいの子どもたちがメインです」*9と述べているように、少なくとも制作者側は常に、その当時の子どもたちを観客として想定していたことが伺われる。つまり、ゴジラが発するメッセージの主たる受け手は、子どもたちだったのだ。ゴジラが発したメッセージを検証するに当たって、この視点を欠くことはできまい。中村桂子は「子どもと科学について考えるには、科学技術時代の持つ価値観の中で、大人と子どもの関係を考えることが重要」*10と述べている。制作者側(大人たち)は子どもたちに、原子力についてのメッセージをどのような内容で、そしてどのような方法でゴジラに託したのであろうか。さらに、そこから浮かび上がってくる問題点は何なのだろうか。映画における原子力の描かれ方の検証を通じて、それらを明らかにしていくことが本稿の目的である。
 
メッセージが凝縮されていた第一作
 第一作『ゴジラ』は一九五四年十一月に公開された。この年の三月一日、静岡県焼津港所属のマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が、アメリカのビキニ水爆実験による放射能を浴びるという大事件があり、これに触発されて第一作が制作されたという事実は有名である。また当時、各国の度重なる核実験の影響で、日本各地で放射能を含んだ雨が観測されたことも重なり、核実験および核兵器に反対する世論が、またたく間に拡がり日本全国を覆っていった。しかしその一方で、同じ年に日本の原子力政策にとって重要な出来事があったことを知る人は少ない。三月二日、改進党(当時)の中曽根康弘らが予算修正案として、原子炉構築予算二億三千五百万円*11を提出したのである。原子炉を構築する何ら具体的計画もないままの突然の予算提出について、中曽根は原子力開発・利用について慎重姿勢だった日本学術会議のメンバーに「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」と語ったという*12。そして四月に予算は可決成立し、日本の原子力開発・利用が事実上のスタートを切ったのである。原子力の「軍事利用」と「平和利用*13」それぞれに関わる大きな出来事を背景に、『ゴジラ』は公開されたのだった。
 『ゴジラ』では原子力に関わる描写が、ほぼ全体を通じて行われている。それは、ゴジラが大戸島に上陸した直後に行われた調査シーンから始まった。破壊された建物などの跡を、ガイガーカウンターで調査する田辺(博士)の姿があった。ガイガーカウンターの反応を確認した上で、田辺は「当分の間、この井戸水も使わないで下さい。危険ですから」と宣告する。同行した尾形秀人が「先生、放射能の雨だとしたら*14、向こう側の井戸だけが助かるなんてことはあり得ないはずですね」と尋ねると、田辺は「うーん、そうなんだよ。どうしてこの付近の井戸だけが放射能を感じるんだか。どうも腑に落ちないね」と答える。巨大生物の足跡とみられる大きな窪みを流れる水に対しても、ガイガーカウンターは反応した。古生物学者の山根恭平は田辺と顔を見合わせ「この足跡に放射能が…」と絶句する。見守る住民たちに対し田辺が「皆さん、危険ですから近寄らないでください」と言い、同行者が「立入禁止」の木札を立てた。ところで、この時の調査団の服装であるが、田辺と助手のみが雨合羽のような防護服(?)を身に付けゴム手袋をしており、他の関係者は全て背広などの普通の服装であった。足跡とみられる窪みで三葉虫を見つけた際、山根はそれを素手で取り上げ、田辺から「先生、直接手を触れない方がいいです」と注意されている。その後ゴジラが再び上陸し、人々の前に初めてその姿を現わしたのだった。
 大戸島から戻った山根らは、国会の委員会(と思われる)で目撃したゴジラについて「ジュラ紀から白亜紀にかけて、極めて稀に生息していた海生は虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物であったとみて差し支えないと思われる」とし、日本近海に出現した理由について「おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして、今日にまで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊され、もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります」と説明する。その際、出席者の間ではざわめきが起こり、中には笑い声を上げる者までいた。さらに、ゴジラと水爆実験との関連について根拠を問われた山根は「その粘土(足跡から発見されたもの:筆者注)のガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチウム90の発見。後ほど田辺博士から詳しくご説明がありますが。つまり、ゴジラに付着していたこの砂の中に、水爆の放射能を多量に発見することができたのであります」と説明した。そして「これらの物的根拠からして、ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びているとみることができます」と続ける。その後、事実を公表するか否かをめぐって議場は大混乱に陥るのだが、その様子を目の当たりにした山根たち科学者は、あきらめたような表情で肩を落とすのであった。結局、事実は公表される。電車内でそれを伝える新聞記事を読む人々の中で、一人の女性が連れの男性に「いやね、原子マグロだ放射能雨だって。その上今度はゴジラときたわ」「いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもん」と話していた。
 一方、災害対策本部でゴジラを倒すヒントを求められた山根は「それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを何をもって抹殺しようというのですか。そんなことよりも、まずあの不思議な生命力を研究することこそ第一の急務です」と述べる。山根はまた、ゴジラが東京に上陸した直後、尾形に「ゴジラを殺すことばかりを考えて、なぜ物理衛生学の立場から研究しようとしないんだ。このまたとない機会を…」と訴えた。尾形は「しかし先生、だからといってあの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ我々日本人の上に今も覆い被さっている水爆そのものではありませんか」と応じるが、山根は「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密をなぜ解こうとはしないんだ」と怒り出してしまう。
 ゴジラは東京に二度目の上陸をし、口から熱線を吐くなどして中心部を焼け野原に変えてしまう。国会議事堂も破壊された。その襲撃から一夜明けた救難所の様子が描かれるが、少女(外傷はほとんど見られない)に田辺がガイガーカウンターを当てると強い反応が起こり、居合わせた山根恵美子と顔を見合わせた後、田辺は難しい表情で首を振る。また、母親の遺体の前で泣き叫ぶ少女など、具体的な被害者治療の様子が比較的長い時間描写された。後に再び触れることになるが、全二十八作のゴジラ・シリーズにおいて被害者、特に放射能汚染を受けた(被ばくした)被害者が具体的に描かれたのは、この第一作のみである。他の作品中で描かれたのは、ほとんどが外傷を受けたと思われる被害者だけだった。
 ゴジラを倒す有効な手段が見つからない中、芹沢大介が秘密裡に研究開発していたオキシジェンデストロイヤーが注目される。当初、芹沢は山根恵美子だけにその存在を明かすのだが、その際に「もしも兵器として使用されたならば、それこそ水爆と同じように人類を破滅に導くかも知れません。しかし、僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを、社会のために役立つようにしてみせます。それまでは絶対に発表しません(中略)もしもこのまま、何らかの形で使用することを強制されたとしたら、僕は、僕の死と共にこの研究を消滅させてしまう決心なんです」と語る。だが、ゴジラによる被害を見かねた恵美子は、恋人の尾形にその存在を打ち明けてしまう。二人はオキシジェンデストロイヤーの使用を芹沢に依頼するが、その時の芹沢と尾形のやり取りは次のようなものだった。
芹沢:もしも一旦このオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろう?
尾形:では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。このまま放って置くよりしか仕方がないんですか。今この不幸を救えるのは芹沢さん、あなただけです。たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか。
芹沢:人間というのは弱いものだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんな事で再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる。ああっ、こんなものさえ作らなければ…。
 結局、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの使用を決断するが、研究書類を全て焼き捨てながら「これだけは絶対に悪魔の手には渡してならない設計図なんだ」と語った。
 ゴジラとの決戦の場となった東京湾上で、リポーターが「ただ今ガイガーカウンターは、はっきりゴジラの所在を突き止めました」と興奮気味に報告し、メーターの数値がどんどん上がっていく様子が描写される。最終的に、ゴジラオキシジェンデストロイヤーによって葬られたが、芹沢も自らの命を絶ったのであった。ラストは山根の次の言葉で締めくくられる。「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」。
 このように第一作は、核兵器に対する「怒り」が明確に主張された作品であった。同時に放射能被害(特に残留放射能の危険性)や、科学と政治との関わり、科学者の好奇心の問題、科学技術が軍事利用されることへの危惧、そして科学技術の発達に対する懸念など、二十一世紀に入った現在においても色あせない様々な問題提起が随所で、しかもはっきりと行われていた。また、ゴジラ自体に関して言うならば、その出自を明確な根拠に基づき説明したことに加え、口から吐く放射熱線のみならずゴジラの身体自体が放射能を帯び、通過した跡に放射能が残留するという特徴が描かれていたことは注目に値する。しかし一方、原子力の「平和利用」については、現実的に日本はもとより世界各国がその開発・利用に着手したばかりという事情からすれば当然であろうが、映画の中で描写されることは一切なく、特に問題提起もなされることがなかった*15。
 
「軍事利用」と「平和利用」の切り離し
 第一作の大ヒット(観客動員数は九百六十一万人)を受け、わずか半年後の一九五五年四月、第二作『ゴジラの逆襲』が公開された。だが、この作品における原子力に関する描写はほんのわずかしかない。ところで、『ゴジラの逆襲』公開後、一九六二年八月公開の第三作『キングコング対ゴジラ』まで、ゴジラ映画には七年余りの休止期間があった*16。この間、原子力の「軍事利用」に関しては、一九五五年七月のラッセル・アインシュタイン宣言*17、同年八月の第一回原水爆禁止世界大会広島市)の開催、一九五七年七月の第一回パグウォッシュ会議*18開催等々、核兵器廃絶や核実験禁止を求める動きが活発化する反面、アメリカ・ソ連(当時)・イギリスは核実験を繰り返しながら核兵器保有量を高めていく。さらに一九六〇年二月、フランスが初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをするなど、米ソの冷戦を背景に核戦争が起こる危険性はむしろ増大していった。一九六一年には、日本国内でソ連の核実験の影響と見られる放射能雨が観測され大問題となっている。
 一方、世界中で原子力の「平和利用」は急速に進展していた。日本についてのみ見ても、原子炉構築予算が可決されて以降、一九五五年十一月の日本原子力研究所(以下、原研)の設立、同年十二月の原子力三法*19の公布、一九五六年一月の原子力委員会総理府原子力局の発足、同年三月の原子力産業会議の発足、同年五月の科学技術庁の発足、一九五七年六月の原子炉等規制法・放射線障害防止法の公布*20と、実用化に向けた動きが矢継ぎ早に進められていた。そして一九五七年八月、茨城県東海村の原研で、アメリカから輸入した研究炉(JRRー1)が臨界に達する。日本で初めて「原子の火」が灯った瞬間だった。JRRー1臨界の後、原子力発電の実用化に向けた動きはさらに加速していく。一九五七年十一月に日本原子力発電が発足し、一九五八年九月には原研が念願の国産原子炉一号炉の建設を始める。そして一九五九年十二月、日本原子力発電の東海原発一号炉に設置許可が下りた。さらに、一九五八年八月には日本原子力船研究協会が発足し、原子力発電の開発に加え原子力船開発も着手されていた。このような現実の動きを経た上で、『キングコング対ゴジラ』は公開されたのであった。
 ところで、柴田鉄治は当時の「原子力」に対するイメージについて「『原子力』という言葉が、いかに明るく、力強いイメージを持っていたか、それは、五五年秋の新聞週間の標語に『新聞は世界平和の原子力』というのが選ばれたことでも明らかだろう。少しでもマイナス・イメージがあったり、国民の間に意見の対立があったりしたら、こんな標語が選ばれるはずはないからである」と述べている*21。もともと、「核」とは物理学の用語で原子核を意味し、原子核の分裂反応によって取り出されるのが「核エネルギー」、すなわち「原子力」である。しかし、一般的に「核」は「核兵器」の意味で用いられる場合の方が多い(例:核廃絶)。それは、一九五〇年代後半以降の日本で、「原子力」という用語が「平和利用」の象徴となり、「原子力」の軍事利用面での用語である「核」あるいは「核兵器」と完全に切り離されて捉えられていたからに他ならない。そして、「平和利用は善、軍事利用は悪」という構図が、何ら問題もなく人々に受け入れられていたのだった。
 こうした状況は、わずかな描写であったとはいえ、『キングコング対ゴジラ』にも反映されていたと言えよう。ゴジラが日本に上陸した後の対策会議の席上で、自衛隊の東部方面隊総監が「国連では、このままゴジラを放置しておくことは世界の破滅になる。よって世界平和のため水爆攻撃の計画を考慮してほしい、という声が起っているそうだ」と深刻な表情で報告するシーンがある一方で、藤田一雄が桜井修に自分が開発した新製品について「鋼よりも強く、絹糸よりもしなやか。原子力時代の繊維ですよ」と説明しているのである。なお、『キングコング対ゴジラ』はゴジラ・シリーズにおいて最高となる千二百五十五万人の観客動員数を記録する、空前の大ヒットとなった。
 『キングコング対ゴジラ』の公開直後の九月、原研の国産一号炉(JRR-3)が臨界する。その当時の日本では、「おそらく一九七〇年代、もっとひかえ目に考えても、増殖型原子炉の技術が確立する一九八〇年代には、こうした分野での商業利用が普及するであろうし、月や火星、金星に向う原子力エンジンのロケットも、完成の域に達しているだろう」」*22というように、原子力の「平和利用」についてバラ色の未来が描かれていた。しかし同年十月、米ソの冷戦が頂点に達し核戦争の危機がまさに現実となったキューバ危機が起こる。幸いに危機は回避されたが、核兵器および核実験に対する世界的な批判がますます強まったため、アメリカ・ソ連・イギリスの三国は一九六三年八月、大気中・水中・宇宙空間での実験を禁止した部分的核実験禁止条約*23を結んだ。一方、日本では同年十月、原研の動力試験炉(JPDR)が日本初の発電試験に成功*24し、石炭や石油に変わるエネルギー源として原子力発電への期待が急速に高まっていくのであった。
 そして一九六四年四月、第四作『モスラ対ゴジラ』が公開される。この作品で特徴的なことは、「放射能」についての具体的描写が表れたことであろう。冒頭で登場する台風被害の取材現場で、酒井市郎と中西純子は虹色に光る物体を拾う(酒井は素手でそれを取り上げた)のだが、しばらくしてから物体を調査していた三浦(博士)の研究所に呼ばれた二人は、まず「放射能・立入禁止(放射性物質のマーク付)」の表示がある小部屋に入れられ、蒸気のようなものを浴びせられた。出てきた酒井と三浦は次のような会話を交わす。
酒井:一体何のまねです、こりゃぁ?
三浦:放射能の洗浄だよ。
酒井:放射能
三浦:でも心配はないようだ。
酒井:冗談はよしてくださいよ。
三浦:冗談じゃないよ。君たちが持ってきたアレね…。
酒井:何か分かりました?
三浦:まだ分からん。すごい放射能を帯びているんだよ。
 そして、ガラスケースに入れられた物体に向かって三浦がガイガーカウンターを当てると、強い反応が出る。酒井たちは物体を拾った場所に行き、辺りの地面に向かってガイガーカウンターを向けるが反応は出なかった。その時、現場(工業地帯造成地)の地面が動き、地面から水蒸気のようなものが湧き上がる。三浦がそれに向かってガイガーカウンターを向けると強い反応が出て、その直後に地中からゴジラが姿を現わすのであった。この描写によって、ゴジラの身体そのものが強い放射能を帯びているということを、改めて再確認することができたと言えよう。
 一方で、過去に核実験が行われた島の描写が初めて登場した。モスラゴジラ撃退を依頼するために酒井、中西、三浦は、かつて原水爆実験のあったインファント島に赴く。上陸すると、海岸には白骨化した動物の遺体が至る所にころがっており、その様子を見た三人は次のような会話を交わす。
酒井:すごいなぁ。こんな所に人が住んでいるんですかね。
中西:原水爆実験のためなんですか?
三浦:分かりやすく言えば、後遺症とも言えるのかなぁ。昔は全島緑の美しい島だったろうにね。
中西:何だか私、責任感じちゃうわ。
三浦:人間なら当然ですよ。
酒井:しかし、原水爆禁止のかけ声も、近頃じゃ耳にタコっていう感じだが、こう目の前に見せつけられるとそうじゃないですなぁ。(島の内陸に入り、改めて周辺を見渡した後)しかし、本当に人が住んでいるんですかねぇ。
三浦:こんな所に住まなきゃならないなんて、残酷以上だなぁ。
 また、原住民の族長には「(ゴジラの被害は)悪魔の火、もて遊んだ報いだ*25。我々は知らん」「昔、この島いいとこだった。平和な緑の島だった。それを、悪魔の火焚いたのは誰だ。神も許さぬ火焚いたのは誰だ。その日から、この島は受難の島になった。我々はこの島の人間以外信じない。信じたばかりに、今まで背かれてばかりきた」と語らせる。
 しかし、これらの描写には以下に示す重大な問題点がある。
①酒井が「すごい放射能を帯びている」物体を素手で取り上げていたこと。さらに、映画の中では描かれていないが、それを三浦の元に届けるまである程度の時間は所持していたわけで、現実的に酒井はかなりの放射線被ばくをしているはずであること。
②二人は物体を拾ってから、かなりの時間を経て「放射能の洗浄」を受けており、しかも拾った当時とは明らかに違う服装をしていたにもかかわらず、「洗浄」され「心配はないようだ」と言われていること。
③つい最近まで核実験場だった島に、三人がマスクや手袋などをしないで上陸しているこ
と*26。そして何よりも、その島に「人が住んでいる」ということ。
 放射能放射線について、特にその人体への影響について一般的にはほとんど知られていなかった時代の作品に対し、そのような問題点を指摘することは酷かも知れない。だが、これらの描写によって、「平和利用」であっても原子力には常に危険がつきまとうという認識が、相当に薄められたことは間違いなかろう。
 
消えていった「水爆怪獣・ゴジラ」のイメージ
 『モスラ対ゴジラ』の公開から約半年後の十月、中国が初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをした。また同年8月、日本はアメリカの原潜の寄港を承認し、十一月には原子力潜水艦シードラゴンが初めて長崎の佐世保港に寄港している。この時期から日本は、原子力の「平和利用」のみならず「軍事利用」とも次第に関わりを深めていくのであった。これに対し一九六七年一月、国連総会において採択された宇宙条約がワシントン・モスクワ・ロンドンで同時調印されるなど、核兵器に対して歯止めをかけようとする動きも相次いだ。しかし、核兵器保有国は核実験を相変わらず続けていただけではなく、核爆弾を搭載するミサイルや航空機等の開発および配備を競っていたのであった。
 一方で、一九六五年五月に日本原子力発電の東海原発一号炉が臨界し、十一月に初めての営業用原子力発電に成功する。これを機に、日本国内では民間の各電力会社も原発建設に向けた動きを本格化させていった。一九七〇年三月に大阪で万国博覧会が開幕し、同時期に営業運転を開始した日本原子力発電敦賀原発から初の送電が行われ、話題を集めた。そして、東京電力福島原発関西電力美浜原発が相次いで営業運転を開始し、新規の原発計画および着工が次々と具体化されていったのである。
 しかし、この頃の日本は、一九六〇年代後半から顕在化してきた四日市公害をはじめとする公害・環境問題が深刻化し、巨大科学技術の開発について疑問や批判が強まってきた時期でもあった。また、三月に原研の国産一号炉で燃料棒破損事故が続発していたことが明るみに出るなどした影響で、国民の間ではそれまでの「原子力ブーム」に翳りが出始めていたのである。世界的に大型商業用原発の稼働が増えるにつれて、事故やトラブルが相次いでいたため、原子力施設に反対する動きも各地で活発化していった。「軍事利用」面でも、核保有国の核実験が続けられていただけではなく、一九七〇年九月には訪米中の中曽根康弘防衛庁長官が有事の際の核持ち込み容認を発言するなど、日本の「非核」意識に重大な変化が起こり始めていた。
 こうした時代背景の中でゴジラ・シリーズは、第五作『三大怪獣・地球最大の決戦』(一九六四年十二月公開)から第十五作『メカゴジラの逆襲』(一九七五年三月公開)まで、ほぼ毎年制作されているのだが、原子力に関連した描写は徐々に減少していくのであった。確かに、一九六六年十二月公開の第七作『ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘』は、物語の舞台であるレッチ島が陰謀団「赤い竹」の原爆秘密工場という設定だったし、翌年十二月公開の第八作『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』では、合成放射能を用いた気象コントロールで島を凍らせる「シャーベット計画」という実験が行われるという設定であったが、それでも原子力に関する具体的な描写は非常に少ない。なお、各作品中の原子力についての描写は、おおよそ次のようなパターンであった。
①核実験の実施を伝える、あるいはそれを批判するというパターン(一九七三年三月公開の第十三作『ゴジラ対メガロ』で、冒頭に「一九七X年、アリューシャン列島のはずれの小島で第二回地下核爆発実験が行われた。その結果…」というナレーションが入り、爆発し島全体が崩落していく場面が流れたこと等)。
ゴジラなどの怪獣や外敵に対して核兵器の使用が検討されるというパターン(『三大怪獣・地球最大の決戦』で怪獣撃滅の手段を問われた防衛大臣の「問題は日本一国の問題ではございません。全世界の問題でございます。諸君はゴジララドンに対し、核兵器 を使用せよという勇気がございますか? もうこれ以上ご説明申し上げる必要もございますまい」という台詞等)。
ゴジラの存在を放射能の有無で探知するというパターン(一九六五年十二月公開の第六作『怪獣大戦争』で、X星人の指摘に従い明神湖でゴジラの調査をするシーンで、ガイガーカウンターを使用する。湖底に近づくにつれて隊員が、「隊長、放射能がますます強くなっています」と報告。その結果を報じる新聞の見出しが「明神湖々底に放射能」「ゴジラ存在は確実」というものであったこと等)。
④危険地域などに入った際に放射能の有無を確認するというパターン(一九六八年八月公開の第九作『怪獣総進撃』で、怪獣ランドの調査に向かった宇宙ロケット「ムーンライトSY-3」が到着後、隊員が艇長の山辺克男に「放射能、亜硫酸ガス、全て異常なし」と報告するシーン等)。
 さらに、この時期の作品ではゴジラの存在そのものが大きく変化している。第四作までは、「人類を破滅に導く脅威」という存在であったゴジラが、第五作からは人類のために、時には人類と協力しながら外敵(他の怪獣、宇宙怪獣や宇宙人、あるいは人類の平和に敵対する組織等)と闘う存在となり、さらに第十作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』(一九六九年十二月公開)以降は「正義の味方」「子供たちの味方」という存在になっていくのだ。それに伴い、ゴジラの外観が次第に「お茶目で可愛い」と言っても良い程にデフォルメされていったばかりか、「シェーッ」*27(第六作)や「シアワセだなぁ」*28(第七作)のポーズを取るなど、本来の「水爆怪獣」としての脅威、あるいは恐怖というイメージが完全に払拭されていった。
 こうした変化について、佐藤健志は「お子様ランチ化」「シリアスな大人向け恐怖映画として出発したゴジラが、子供だましの怪獣プロレスへと凋落してゆく過程」*29とし、その原因として「観客の減少によって生じた予算的な制約や、観客対象を年少層に絞ることの必要性、あるいは副収入としてのマーチャンダイジング拡大(要するに怪獣のオモチャを売ること)の必要性などといった商業的要因が、ゴジラ映画の内容を幼児向けのものへと変えていった」*30という見解を紹介している。小林豊昌も「昭和二十九年から昭和三十九年四月までのおよそ一〇年間に作られたゴジラ映画は四本だったが、昭和三十九年十二月封切りの第五作目『三大怪獣 地球最大の決戦』から昭和五十年三月封切りの第一五作目『メカゴジラの逆襲』までの次の約一〇年間には、何と一一本のゴジラ映画が作られている。子供をターゲットとする商業戦略の中で、ゴジラ映画は粗悪品の大量生産・大量消費がなされてゆく時代へと入っていった」*31と分析しており、この時期のゴジラ映画に対する批評は概して厳しいものばかりであった。
 いずれにしても、核実験への批判や核戦争への懸念はそれぞれの作品(一部を除く)でメッセージとして伝えられていた(「触れられていた」という方が適切かも知れない)が、それがゴジラを通してのものではなくなってしまったのだ。それと同時に、原子力をめぐる新たな社会状況が作品に反映されることもなくなっていく。一九七四年は、五月にインドが初の核実験を行い六番目の核保有国になり、六月にはフランスが最後の大気圏内核実験を実施。その一方でアメリカとソ連が地下核実験制限条約に署名した。そして日本では九月、原子力船「むつ」が実験航海に出港した際に放射線漏れ事故を起こし、原子力政策に対する批判が一気に高まったという年であった。しかし、翌年三月に公開された第十五作『メカゴジラの逆襲』では、原子力関連の描写は全く出てこない。唯一のそれらしき描写は、ブラックホール第三惑星人がゴジラの所在を確認するために用いた機械が、「スーパーガイガー探知機」と呼ばれていたことぐらいである。敢えてゴジラが社会的なメッセージを発した作品を挙げるとするならば、一九七一年七月に公開された第十一作『ゴジラ対ヘドラ』(詳細については後述)ということになるのだが、それは原子力ではなく公害に関するものだった。
 
子どもにとっての『ゴジラ
 一九六二年生まれの筆者が、最初に観たゴジラ映画は『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』だったと思う。そして、前出・川北が怪獣映画を観る年齢としていた「七歳から十三歳くらい」が、ぴったりと「お子様ランチ化」したゴジラ・シリーズの上映と重なっていた。その時期、新作が公開される度に映画館に足を運んでいたのだが、なぜかスクリーンで観た記憶が鮮明に残っているのは第一作『ゴジラ』なのだ*32。確か小学校三年生前後であったと思うが、父親に連れられて観た『ゴジラ』から受けたインパクトは強烈であった。もちろん、観ている最中に「シリアスな大人向け恐怖映画」の内容をきちんと理解できたはずはなく、ただただゴジラの怖さだけを感じて映画館を出てきたはずだ。映画の中で交わされる「大人たちの会話」はほとんど意味不明なものであったし、既に見慣れていた「人類の味方」であるゴジラとはあまりにかけ離れたその存在を、すぐに受け入れることができなかったからである。確かに、第一作は子どもにとっては難解であった。
 しかし、映画館を出て家に帰り着く頃までに、おおまかな内容を理解することができていたようだ*33。それは、帰り道で筆者が内容を思い起こしながらした様々な質問に、父親が一つ一つ答えてくれたからに他ならない。原水爆に関すること、戦争に関することはもちろん*34、ゴジラ出現の報告がなされた委員会と思われる席上で、議員たちが混乱する最中に「馬鹿者、何を言うか」という発言が出たシーンについて、実際に「バカヤロー解散」*35というものがあったことまで説明してくれたのも覚えている。また、まだ放射能雨に対する関心が高かった頃、雨が降ってきた際に傘をささずにいると周囲の大人たちから「頭が禿げるよ」と注意された幼少時の体験が、映画の内容にリアリティーを感じさせる糸口となっていたと思う。そして確実に言えるのは、その時点でゴジラから核兵器に対する「怒り」というメッセージを受け取り、後に筆者が原子力問題に関わっていく際の強力なモチベーションの一つになったということである。
 前出・小林は、「お子様ランチ化」していくゴジラについて「造形もおちゃめになり、『子どもたちが親しみをもてるように』デフォルメしていくという、大人の愚考を実践していく。大人が、子供たちに媚びる時代の始まりであったかもしれない。子供は、自分たちに媚びる大人を軽蔑しているのに、大人たちはそれに気づかず独善を続けていた」*36と述べているが、非常に鋭い指摘ではなかろうか。中野昭慶*37の「映画は基本的に娯楽でしょ、それにゴジラ映画は子どもが観るものです。(中略)人を傷つけてはいけないとか、物を盗んじゃいけないとか、家族でふだん話し合っていることを逆なでする映画を作っちゃいけない、とね」*38「子どもにウケる映画って、コミカルなタッチであること、そして子どもが耐えられる一時間三〇分ほどに収めることが大切です」*39という主張の是非はさておき、少なくとも第一作を観た後の筆者にとっては、それ以前のように「正義の味方」であるゴジラを素直に受け入れることはできなかった。テレビの普及による映画産業自体の衰退等、様々な事情が考えられるであろうが、ゴジラの観客動員数は第四作が七百二十二万人であったのに対して、年々減少し(一時的に増加する時期はあった)第十五作では九十七万人にとどまっている*40。大人たちが提供した「お子様ランチ」が、子どもたちの口に合わなかったことは間違いあるまい。一方で、第一作は「大人向けの料理」ではあったが、決して「子どもに食べられない料理」ではなかったとも言えよう。
 ところで、減少を続けた観客動員数を一時的に増加させたのは『ゴジラ対ヘドラ』である(前作の百四十八万人に対して百七十四万人)。実は、筆者にとって第一作と同様、子ども時代に強く印象に残ったものだった。ゴジラ・シリーズの中で特に異彩を放つこの作品は、公開当時の評価が大きく分かれていた(マイナス評価の最たるものは、子どもに観せるには残酷なシーンがあった*41というもの)。制作者側も、前出・中野が「やはり、あの映画は残酷すぎました。当時は公害をアピールするんだなんて気概があって、エスカレートしちゃった。(中略)僕らは、子ども向け映画なのに大人の視点で撮っていた」*42と認めている。だが、この制作者側の「誤算」が幸いして、『ゴジラ対ヘドラ』は「大人が子どもたちに媚びる」映画ではなくなったばかりか、子どもたちにメッセージを分かりやすく伝えることにも成功したのではなかろうか。
 この作品に登場した怪獣ヘドラは、宇宙から飛来した地球外生物がヘドロと化合して生まれた「公害怪獣」という設定になっている。その名が示す通り、公害・環境破壊をテーマとしたものであり、原子力(主に核実験によって生じた放射能)はその一部として描かれていた。この作品の特徴を挙げるとすれば、以下の三点になるであろう。
①主役的登場人物の一人が、小学校二年生の子どもであったこと。ゴジラ・シリーズの中で、子どもが主役的役割をしている作品は、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』等、一部を除けばほとんどない。しかも、この作品では子どもを特別扱いすることなく、社会の構成員として大人と同様、もしくは対等に扱われていたのである。
②難解な部分についても、父子の会話という形で作品中で分かりやすい説明がなされていたこと。例えば、矢野研と父親の徹との間で、次のような会話が交わされる。
徹:(ヘドラが飛行できる理由について)研、核爆発って知ってるか?
研:原爆や水爆のこと?
徹:そう。物質の原子が核分裂を起こして別の原子に変わる時、膨大なエネルギーを放出するんだ。宇宙には原爆や水爆どころか太陽の何億倍もの大爆発が起こってる。
[説明の最中に、原子核などのイラストや、銀の原子核爆発の映像などが流される]
研:バーン。すごいなぁ。
徹:ヘドラは核爆発によるエネルギーで飛ぶようになったんだろう。金属で出来た宇宙生物だからね。放っておくと、どんな武器を備えるか分からない。
 研と徹とのこうした会話が、実写やイラストを伴ってしばしば登場している。
③怪獣同士の闘いなどによる「被害者」が具体的に描かれていたこと。ヘドラによって倒れる人々が描かれていただけではなく、テレビニュースでアナウンサーが「怪獣ヘドラゴジラによる被害は死者三十五名、負傷者八十一名、倒壊家屋三百二十に上っております」と述べるなどしている。ゴジラ・シリーズの中で、ここまで具体的に被害者が描かれた例は他に見当たらない。
 これらの特徴は、「子ども向け映画とは何か?」「子ども向け映画はどうあるべきか?」等という点について、多くを示唆していると考えられるが、その検証は別の機会に譲る。
 いずれにしても、第一作および『ゴジラ対ヘドラ』という「子ども向けとは言えない」二作のみが、子どもたちに明確なメッセージを伝え得たという事実は重要である。ただし、「原子力」について言うならば、その二作においてさえ「平和利用」に関する何ら具体的な描写は登場してきていない。第一作によって、子供たちが核兵器に対する怒りを強めることができても、「平和利用」に対する批判的視点は持ち得なかった。むしろ、「平和利用」については何の疑問も持たずに、夢や期待を馳せていたくらいであろう。そして「平和利用」について何も語らぬまま、ゴジラは一旦スクリーンから姿を消したのであった。
 
(後編に続く)
 

高橋和夫教授(放送大学)の「パレスチナ問題('16)」全15回を是非視聴して欲しい

 今晩(2017年1月26日)配信した「メルマガ金原No.2704」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
高橋和夫教授(放送大学)の「パレスチナ問題('16)」全15回を是非視聴して欲しい

 日本を代表する中東ウォッチャーの1人である高橋和夫放送大学教授(国際政治・中東研究)の存在は、私が放送大学教養学部)に在学して勉強を続けている理由の1つ、それも小さくない理由の1つです。
 と言いながら、これまで高橋教授が単独で主任講師を務めておられる科目は2科目しか履修していませんでした。というのも、同教授が出題する単位認定試験は全て記述式であり(しかもテキスト持込不可)、付け焼き刃の試験勉強では歯が立たないからなのです(そこが択一式と違う)。
 けれども、高橋先生の講義を聴くこと自体は非常にためになりますので、新規開設科目が開講されると、すぐに録画(テレビ科目)・録音(ラジオ科目)してきました。
 
 高橋和夫教授が全講義を担当される科目として私が履修登録した3科目目が「パレスチナ問題('16)」であり(平成28年度第2学期)、実はこの前の日曜日(1月22日)に単位認定試験を受けてきたばかりなのです。
 試験問題は持ち帰れませんでしたが(後日、学生専用ホームページで公開されます)、非常に簡単なので、記憶に基づいて再現します。
 
【設問】以下のうちから1問を選び750字以上800字以内で答えなさい。
問1 ラビンについて論じなさい。
問2 エルサレム公開大学について論じなさい。
 
 
 このうちのどちらかを選び、印刷教材(テキスト)もノートもなく、800字詰解答用紙に750字分以上の分量で答案を(50分以内で)書かなければならないのですから大変です。特に、問1はテキストをしっかり読み込んでいれば何とかなりますが、問2は放送教材(テレビ授業)を真剣に視聴していなければ(出来れば繰り返し)お手上げです。
 私がどちらを選択して解答したかを書くのを控えましょう。
 けれども、「パレスチナ問題('16)」を履修し、放送教材を繰り返し視聴し、印刷教材も熟読したおかげで、以下のようなニュースに接した際の理解度が格段に深まったことは間違いないでしょう。
 
NHK NEWS WEB 2017年1月23日 10時55分
トランプ大統領 来月イスラエル首相と首脳会談へ

(抜粋引用開始)
 アメリカのトランプ大統領は22日、イスラエルのネタニヤフ首相と電話で会談し、イスラエルが最大の脅威と位置づけるイランへの対応などで緊密に連携することで一致し、来月上旬、ホワイトハウスで首脳
会談を行うことを明らかにしました。
(略)
 トランプ大統領は、オバマ前大統領と比べてイスラエル寄りの姿勢が鮮明で、国際社会が首都と認めていないエルサレムにアメリカ大使館を移転すると公言しているほか、次のイスラエル大使にはイスラエルの入植活動を支持する人物を指名しています。イランに対しても核合意の破棄を示唆するなど、アメリカ
のこれまでの中東政策を大きく変える可能性もあり、ネタニヤフ首相との直接会談が注目されます。
(略)
 エルサレムには、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地があり、イスラエルは首都だと主張していますが、パレスチナ暫定自治政府も将来の国家の首都だとしていて、帰属をめぐる対立が続いています。このため、国際社会はエルサレムイスラエルの首都とは認めず、各国ともエルサレムに大使館を置いて
いません。
 一方、トランプ大統領は、オバマ前大統領と比べてイスラエル寄りの姿勢を鮮明にしていて、「アメリ
カ大使館をエルサレムに移転する」と選挙期間中に公言しました。また、トランプ大統領が次のイスラエル大使に起用したフリードマン氏も「イスラエルの永遠の首都エルサレムで任務につくことを楽しみにしている」とコメントするなど、強硬姿勢で知られています。
 アメリカでは1995年に議会が、エルサレムイスラエルの首都と定め、大使館を移転することを盛
り込んだ法案を可決しています。しかし、当時のクリントン大統領以降、歴代の政権はアメリカの安全保障上の利益を守るためとして、大統領の権限で半年ごとにこれを先送りしていて、オバマ前大統領も先月1日、先送りを指示しました。
 アメリカ大使館の移転は中東和平を根底から覆す懸念があり、現実的ではないという見方が強い中、今
度の半年の期限を迎えることし5月までにトランプ大統領がどう判断するか注目されます。
(引用終わり)
 
 このニュースを読むだけでも、ネタニヤフという指導者、オバマ大統領とネタニヤフ首相との冷え切った関係、エルサレム帰属問題、占領地へのイスラエルによる入植、イランと「P5+1」(国連常任理事国+ドイツ)による2015年の核合意など、「パレスチナ問題('16)」で学んだ様々なことが頭の中を駆け巡ります。
 是非1人でも多くの方に「パレスチナ問題('16)」を受講していただきたいのですが、それが無理でも、BSを視聴できる環境があれば放送教材(45分授業×15回)を誰でも視聴できますし、印刷教材も市販されています。
 おりしも、放送大学では、3月末までの集中放送授業期間に入ったばかりであり、幸い、「パレスチナ問題('16)」全15回も放送されます。
テレビ年間番組表(平成28年度(2016)第2学期 集中放送授業期間)
 
テレビ科目(BS 231ch)
パレスチナ問題('16)」
 第1回~第14回
  2017年2月28日(火)~3月6日(月)10:30~12:00
 第15回
2017年3月7日(火)10:30~11:15


 昨年、履修前の段階で「高橋和夫教授の「パレスチナ問題('16)」(放送大学)受講のすすめ」(2016年8月6日)という記事を書き、シラバスなどもご紹介していますが、ここでもう一度、シラバスを引用したいと思います。
 
(引用開始)
パレスチナ問題('16)
主任講師 高橋 和夫(放送大学教授)

放送メディア テレビ
放送時間(平成29年度)
 第1学期:(金曜)22時15分~23時00分(2017年4月~)
講義概要
パレスチナ問題の起源から説き起こし現状を解説し、この問題の展開を跡付ける。そして、その将来を展
望する。パレスチナ地域の情勢の記述を縦糸に、周辺諸国や地域外の大国の動きを横糸にして、陰影の深
パレスチナ問題のタペストリーを編み上げる。
「現代の国際政治('13)」や「国際理解のために('13)」などの関連科目にも目配りしつつ勉強してい
ただきたい。
 
シラバス
第1回 パレスチナ問題以前のパレスチナ

パレスチナ問題はイスラムとユダヤの二千年の対立として語られる例が多いが、それは事実に反している。なぜならばイスラムには1400年ほどの歴史しかないからだ。そのイスラムが二千年も争っているはずがない。またパレスチナ人にはキリスト教徒も多い。こうした基礎的な事実を踏まえながら、パレスチナ
題が起こる以前のパレスチナの歴史を概観する。
【キーワード】バビロン捕囚、十字軍、オスマン帝国キリスト教イスラム教、アラブ人、パレスチナ
 
第2回 ポグロムシオニズム
ヨーロッパにおける民族主義の高揚がポグロムの背景にあった。そして、それがシオニズムを生みだすこ
とになった。シオニズムの背景にあった帝国主義的な発想や社会主義の思潮にも言及しつつ、パレスチナをめぐる国際情勢を紹介する。
【キーワード】民族主義ポグロム、ヘルツル、ユダヤ人国家、シオニズムフセイン・マクマホン書簡
バルフォア宣言委任統治
 
第3回 夢と悪夢
イスラエルの成立時に発生したパレスチナ難民の問題をめぐる議論を振り返る。また大国の関与について
語る。
【キーワード】イスラエルの成立、ナクバ、豊穣なる記憶、元兵士たちの証言、11分後の承認、トルーマ
ン大統領
 
第4回 スエズのかなたへ
スエズ運河をめぐる国際政治を振り返る。1956年戦争とアラブ民族主義の高まり、そして1967年戦争のア
ラブ統一運動の挫折が、そのテーマとなる。
【キーワード】スエズ運河ムスリム同胞団スエズ動乱ハンガリー動乱アイゼンハワーの決断、6
日戦争
 
第5回 アラブ世界の反撃
1967年の戦争での敗北が、パレスチナ解放闘争の指導者アラファトの台頭を準備した。そしてエジプトと
シリアは1973年10月イスラエルを奇襲して、中東情勢に新しい局面を開いた。
【キーワード】カラメの戦い、ファタハ、サダト、ミサイルの森、石油危機、キャンプ・デービッド合意
 
第6回 変わるイスラエル
イスラエルは、中東系の人々の流入により、ヨーロッパ的な国家から中東的な雰囲気の国家へと変貌しつつある。また経済的に豊かになったイスラエルは、世界各地からの「ユダヤ教徒」の流入に直面している
。変化するイスラエルの姿を描く。
【キーワード】アシュケナジムセファルディムイスラエル市民権を持つアラブ人、三階建ての家、ユ
ダヤ人の定義問題
 
第7回 レバノン戦争
平和条約によってエジプトからの圧力から解放されたイスラエルは、その軍事力をレバノンに拠点を置い
ていたPLOへの攻撃に向けた。イスラエル史上初の「選択による戦争」であった。
【キーワード】生きた宗教の博物館、レバノン内戦、選択による戦争、チュニスへ、サブラとシャティー
 
第8回 ペレストロイカと冷戦の終結
1985年3月にゴルバチョフソ連の最高権力者になると冷戦が終わり始めた。それは国際政治における地殻変動を意味していた。対米関係の改善を目指したゴルバチョフはユダヤ人のソ連からの出国を認めた。
洪水のように移民がソ連からイスラエルに押し寄せ中東情勢に大きな影響を与えた。
【キーワード】ゴルバチョフペレストロイカ、新思考、ユダヤ人出国問題
 
第9回 インティファーダ
1987年パレスチナヨルダン川西岸とガザ地区で民衆のインティファーダ(一斉蜂起)が開始された。武
器を使わずに石を投げたりタイヤを燃やしたりの抗議行動がイスラエルの占領政策を揺さぶった。
【キーワード】石の戦い、「腕を折れ」、折れないパレスチナ人、ハマスの登場
 
第10回 オスロ合意
冷戦の終結と湾岸戦争でのイラクの敗北が、PLOを決定的に不利な状況に追い込んだ。その状況下でノルウェーイスラエルPLOの間のオスロ合意で大きな役割を果たしたのは、中立的であったからではない。そ
れは親イスラエル的であったからだ。30年以上の時の流れの後に、この合意の意味を考える。
【キーワード】湾岸危機、湾岸戦争アラファト金脈の構図、ノルウェーという国、ガザ・エリコ先行自
治、アラファトの足元と手の内、ノルウェーの森
 
第11回 ラビン/その栄光と暗殺
オスロ合意以降の情勢を動かした中心人物はラビンであった。その栄光に満ちた経歴を振り返る。また、
その暗殺が中東和平プロセスに与えた意味を考える。
【キーワード】ネクタイを締められなかった男、1967年戦争の勝利、イスラエルの「ドゴール」、中東和
平プロセス、暗殺
 
第12回 ネタニヤフとバラク
ラビンの死亡以降の情勢をネタニヤフとバラクというイスラエルの二人のライバル政治家に焦点をあてな
がら跡付ける。そして2期8年を務めたアメリカのビル・クリントン大統領の中東和平を仲介への努力を歴史的な文脈に位置付ける。
【キーワード】エンテベの軌跡、恐怖と希望、「ピアノを弾くゴルゴ13」、クリントンの中東和平
 
第13回 揺らぐシリアのアサド体制
イスラエルと一貫して対立してきたシリアでは、1970年代より二代にわたるアサド家の支配が続いている。両国間の懸案はイスラエル占領下にあるシリア領土のゴラン高原である。しかし、アサド体制が揺らいでいる現在、交渉は期待できない。アサド家の支配を揺るがしているのは、シリア内戦である。内戦の混乱はイラク情勢と連動して「イスラム国」という異物を生み出した。混迷するシリア情勢の地域政治への
意味を考える。
【キーワード】ダマスカスのスフィンクス、眼科医、ゴラン高原アラブの春とシリア内戦、アラウィー
派、「イスラム国」、シリアという地名
 
第14回 アメリカの中東政策
アメリカの中東政策を特徴づけているのは、イスラエルへの強い支持である。なぜアメリカはイスラエル
を支持するのだろうか。その背景を考えたい。
【キーワード】AIPAC、キリスト教原理主義、Jストリート、変わるアメリカのユダヤ社会
 
第15回 残された課題
クリントンの和平努力の挫折後の情勢を概観する。その特徴はアラファトの逝去とハマースの台頭である
。そして最後に和平実現のために越えなければならない残された課題を語る。
【キーワード】キャンプ・デービッド、ハマース、国境、入植地、エルサレム、帰還権 
(引用終わり)
 
 印刷教材(テキスト)も市販されています。高橋教授が全15回を担当される科目では、放送教材(テレビまたはラジオ)で語られていることがそのまま印刷教材(テキスト)で文字になっているということはなく、基本的に同じテーマを取り上げていても、その内容は相当に独自性があります。多くの人へのインタビューは基本的に放送教材でしか聴けませんし、逆に印刷教材にしか書いていないこともあります。
 ですから、単にテレビを視聴しただけでは高橋教授の伝えたいことを十分に受け止めたことになりませ
んので、是非放送教材もお読みいただければと思います(少し高いですけどね)。
 


 現在、放送大学で開講されている高橋和夫教授が単独で主任講師を務めておられる科目は、テレビ3科目、ラジオ1科目あるのですが、このうち、ラジオ科目の「国際理解のために('13)」が、やはり今の集中放
送授業期間内に全15回分が放送されます。
ラジオ年間番組表(平成28年度(2016)第2学期 集中放送授業期間)
 
ラジオ科目(BS 531ch)
「国際理解のために('13)」
 第1回~第15回
  2017年3月9日(木)~3月23日(木)6:45~7:30
 
 シラバスはリンク先で確認していただくとして、講義概要を引用します。
 
(引用開始)
国際理解のために('13)
主任講師 高橋 和夫 (放送大学教授)

放送メディア ラジオ
放送時間(平成29年度)
第1学期:(水曜)16時00分~16時45分

講義概要
高校までに世界史を勉強しなかった層を対象とする。国際理解のための基本知識を内容としている。二部
構成で第一部は世界の宗教を語る。具体的にはユダヤ教キリスト教イスラム教、そしてゾロアスター教を紹介する。こうした宗教のつながりを強調する。さらに、それぞれが、どのような世界観を教え、どのような生活規範を求めているかを論じる。その宗教の信徒に敬意と理解をもって接触できるようにするためである。第二部では、東アジアの国際情勢を紹介する。そして領土問題とは、何なのか、なぜ発生するのか。そうした、領土問題理解の前提となる知識を提供した後に、日本の抱える領土問題について論じる。ここでも、対立する議論の優劣ではなく、どのような主張が展開されているのかを、淡々と述べる。
第二部が、全体として世界の中で日本の置かれた地位を理解する背景知識となれば幸いである。
(引用終わり)
 
 高橋教授のあと2科目は、以下のリンク先でご確認ください。
 

 私は、過去2回、高橋先生の開講科目の最終回における学生・視聴者への最後の言葉を文字起こししてご紹介したことがあります。
 ここに、その文字起こしを再掲したいと思います。
 私が、なぜ高橋先生の科目の受講・視聴を推奨しているのか、その一端をご理解いただけるのではないかと思うからです。
 
「現代の国際政治('13)」第15回での高橋和夫教授からのメッセージ
「さてこの15回のシリーズ、見ていただきましたけれど、いかがだったでしょうか?『うん、高橋、国際政治がよく分かったぞ』とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私にとっては、分かっていただくだけでは十分ではありません。問題は、これから皆さんが、世界を良くするためにどのように行動するかということにかかっていると私は思うわけです。ですから、知識を持っているということだけでは十分ではないわけです。これから皆さんは、人生という大きな答案用紙に、生涯という時間をかけて、世界を良くするための行動という答案を書いていただきたいというのが、担当講師である高橋の切なる皆さんへのお願いです。
 知識だけでは十分ではありません。その知識をいかに行動に変えるのか、そして、この行動によって、1人1人の行動によって、世界をいかに良くしていくのかということが、今問われていると思います。知識を持つということは、責任を持つということで、最後に皆さんにとんでもなく大きな宿題を出してしまったような気がしております。15回ご静聴ありがとうございました」
 
パレスチナ問題('16)」第15回での高橋和夫教授からのメッセージ
「最後に、皆さんに一言だけお願いしたいことがあって、このお願いは、是非この風景の中でしたいと思
って、この映像を撮ってまいりました。
~スタジオからエルサレムに転換~
 このシリーズの冒頭でエルサレムをご覧いただきました。その時はひどいサンドストームに覆われたエ
ルサレムでした。今日このシリーズを締めくくるにあたって、再び同じエルサレムをご覧いただきたいと思います。しかし、今日のエルサレムは、朝日を浴びたエルサレムです。鮮明に見えていると思います。エルサレムが鮮明に見えるように、皆さまの中東理解も、より鮮明になったものと期待いたしております。
 このシリーズを終わるにあたり、私は、1つだけ皆さまにお願いしたいと思います。シリーズは終わるんですけど、これをもって皆さまのパレスチナ問題との関わりを終わりにしていただきたくないのです。これをきっかけに、パレスチナ問題を考え続けていただきたいと思います。関心を持
ち続けていただきたいと思います。そして、この問題の解決のために、国際政治は何を出来るのか、そして、日本が何を出来るのか、そし
て、1人1人が何をできるのかを考えていただきたいと思います。
 さらに、この問題を見つめるにあたっては、国際政治という大きな枠組から見ていただきたいんですけれ
ど、同時に、国際政治の動きが、現地の難民キャンプのパレスチナ人、占領地のパレスチナ人、あるいは、1人のイスラエルの母親に、父親にどういうインパクトを与えるのかという、下からの視点を大切に
していただきたいと思います。
 私も皆さまとともに、この問題を見つめる新しい旅に今出発したいと思います。」
 
 
 

映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い

 今晩(2017年1月25日)配信した「メルマガ金原No.2703」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い

沖縄タイムス+プラス ニュース 2016年12月23日 08:50
【記者の視点】命の問題 譲れない

(引用開始)
 北部訓練場の部分返還を祝う式典が名護市の西海岸で開かれた22日、東海岸の安部では米軍が墜落しオスプレイの回収作業を終えた。機体は米軍の「財産」。結局、海上保安庁は指一本触れられないまま
だった。
 昼間、9日ぶりに立ち入り規制が解除された浜辺に入ってみた。アダンの木に実がなっていると思った
ら、違った。米軍が張った立ち入り禁止の黄色いテープがぐるぐる巻きになり、残されていた。
 米軍は「神聖不可侵」。このテープにすら触れられないのだろうか。自生するアダンの木が沖縄に、巻
き付けられたテープの塊が米軍基地に重なる。
 夕方、返還式典の後、菅義偉官房長官は「苦労に苦労、努力に努力を重ねた」と強調した。そうまでして実現したのは、米軍報告書が「使用不可能」と呼ぶ土地を返してもらい、新たなヘリパッドを提供する
程度のことだった。
 返還式典では、ケネディ駐日米大使らが返還地を示す写真パネルを贈り、政府や地元2村の代表がありがたく受け取る演出まであった。地元の騒音被害を顧みず、反対運動は力で排除する一方で、米国には徹
底的に従属する。脱力感すら覚える光景だった。
 夜、やはり名護市内で開かれたオスプレイ墜落への抗議集会で、参加者は口々に命の危険を語った。政府の姿勢がどうあれ、命の問題で譲るわけにはいかない。そのことを再確認する1日になった。(北部報
道部・阿部岳)
(引用終わり)
 
 和歌山県平和委員会事務局の里﨑正さんから、ドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』上映会のご案内をいただきました。2月26日(日)午後2時から、和歌山市勤労者総合センター6F文化ホールでの上映です。
 以下に、チラシ記載情報を転記します。
 
チラシから引用開始)
ドキュメンタリー映画 いのちの森 高江
監督/謝名元慶福 語り/佐々木 愛
 
和歌山市上映会のご案内
 沖縄県東村高江のやんばるの森で、何百人という機動隊を動員し、暴力的に反対住民を排除し、大量の大型工事車両を搬入し、何万本という森の木を切り倒し、ヘリパッド建設が強行されました。返還と引き渡しの調印式が行われ、ますますオスプレイの飛行訓練は増えるものと予想されます。しかし沖縄の人た
ちは、「オスプレイは認めない」「オスプレイパッドの存在は認めない」の姿勢を貫いています。
 高江で起こった権力による無法行為を私たちは決して忘れてはなりません。事実を知り、広めることが私たちにできることです。ドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」上映会を開催します。ぜひお運びください。
 
2017年26日(日)
午後1時30分開場 2時開演
会場/和歌山市勤労者総合センター 6階文化ホール(アクセス
上映協力券/200円(中高生・障がい者無料)
 
「いのちの森 高江」上映実行委員会
 和歌山市湊通丁南1-1-3 名城ビル2F 和歌山県平和委員会気付
 TEL:073-488-7355(里﨑)
(引用終わり)
 
 映画『いのちの森 高江』については、昨年10月31日(月)に京都市で開かれた「マスコミが伝えない現実!! 沖縄・高江で今何が起こっているか」の中で暫定短縮ヴァージョンが上映された模様を伝えたIWJ京都の動画をメルマガ(ブログ)でご紹介したことがありました。この時点で、60分余りのフルヴァージョンが完成間近と伊佐真次さんが仰っていましたね。
 
 この映画を取り上げたブログや上映会用のFacebookイベントページも色々ありますが、一番情報量が多いと思えた以下のサイトをご紹介しておきます。
 
アイデアニュース 筆者:松中みどり 更新日:2016年12月5日
沖縄の生命を撮影した映画「いのちの森 高江」 上映権つきDVD、1500円で発売

(抜粋引用開始)
 今回発表されたドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」は、次のような特色があります。 
 まず、絶滅危惧種、天然記念物、やんばる固有種などのいのちを育む豊かな森について、ドローン撮影
を含む美しい映像で記録しています。
 何よりも、この映画ではやんばるのチョウのことを誰よりも知っているチョウ類研究者アキノ隊員の言
葉を、たっぷりと聞くことが出来ます。
 「木っていうのは、芽生えてから死ぬまでにすごいたくさんの役割があって、数えきれないほどの生き物たちに棲み処とエサを与えてるんですね。木の種類によって寄ってくる虫が違うんですよ。だから木の種類が多いっていうことは、森の多様性を豊かにすることにつながるんですね。」 アキノ隊員は一本の
木の大切さと、それを切り倒すことの恐ろしさを語ります。
 ヘリパッド建設では、そういう木を何本、何種類切り倒すのか、木を切ることは、その木を頼って生き
るはずだった昆虫たちや未来に生存するはずだった生き物たちのいのちを奪うことになるのだと
アキノ隊は言葉を続けました。
 また、「いのちの森 高江」には、自然といのちを守るために闘った人々の歴史が紹介されています。
1970年、米軍が北部訓練場の国頭村伊部岳で強行しようとした実弾射撃訓練を、国頭村民が命をかけて阻止した闘争。東村・福地ダム上空での軍事演習中止を求める闘い。国頭村安波でのハリアーパッド建設阻止集会。やんばるの人たちの闘いは歴史あるもので、これまでも住民の方たちは力を合わせ、いのちと自
然を守ってきたのだということがわかります。
 そして、この豊かな自然の中で子どもを育てたい、家族の仕事を継ぎたい、高江で仲良く暮らしていき
たいという高江の住民のみなさんに焦点があたっていることも、大きな特色です。
(略)
<ドキュメンタリー映画 「いのちの森 高江」>
(65分 1500円 上映権つき)
DVD申し込み先:新基地建設反対名護共同センター
電話 0980-54-8555  FAX 0980-54-8556
Eメール nago.kyodoc☆bird.ocn.ne.jp ☆を@に変えて下さい
 監督は、人間国宝平良敏子さんをおった映画「芭蕉布平良敏子のわざ」で、2015年映文連アワード
(映像文化製作者連盟主催)グランプリをとった謝名元慶福(じゃなもとけいふく)さん。
 DVDは上映権つき1枚1500円です。どんどん上映してたくさんの人に見てもらいたいということで、破格のお値段になっているのです。高江に行くことは出来なくても、この映画を仲間や家族と一緒に見て理解
と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になると思います。
(引用終わり)
 
 上の松中みどりさんの記事の中でも紹介されていましたが、昨年12月2日、「慶文化工房」というYouTubeチャンネルが、この映画のプロモーションビデオを公開しています。
 
いのちの森 高江(ドキュメンタリー映画 プロモーションビデオ)(10分42秒)
 

 松中みどりさんも書かれているとおり、「この映画を仲間や家族と一緒に見て理解と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になる」と信じ、ご紹介することとしました。
 
 なお、実行委員会からチラシと共に届いた「和歌山上映会へのご協力のお願い」によると、「上映終了後に、沖縄に連帯し、ともにたたかう宣伝行動をJR和歌山駅で行いますので、できれば参加をよろしくお願いします。」とありました。宣伝行動は上映会当日(2月26日)の午後4時から、JR和歌山駅西口前で行われます。こちらも多くの方にご参加いただきたいと思います。
 

「リスペクトの政治に向けたシンポジウム」(1/22関西市民連合)動画のご紹介

 今晩(2017年1月24日)配信した「メルマガ金原No.2702」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「リスペクトの政治に向けたシンポジウム」(1/22関西市民連合)動画のご紹介

 “SEALDs KANSAI”は昨年8月15日をもって解散しましたが、「関西市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める関西市民連合)」は、現在も活発に活動を続けています(公式サイトFacebookTwitter)。
 その関西市民連合が、一昨日(1月22日)、京都大学吉田キャンパス(本部構内法経済学部本館法経第5教室)で、「リスペクトの政治に向けたシンポジウム」を開催しました。
 「リスペクトの政治って何?」と思われますよね。シンポジウムのためのFacebookイベントページから、少し長くなりますが、〈趣旨〉を引用します。

(引用開始)
 次期衆院選に向けた野党の共闘は一進一退の状況ですが、立憲野党の間でも、市民の間でも、違いを認め合いながらも、再びお互いの目を見て真摯に話し、立憲主義の回復や、個人の尊厳を擁護する政治の実
現といった一致点を前に進めるための、「リスペクトの政治」の実践が求められています。
 「リスペクトの政治」の実践にあたり、立憲野党と市民の一致点となり、重大かつ喫緊の課題として、女性を中心として個人が生きづらさを感じる社会、というものがあります。この問題意識から、本シンポジウムでは、ジェンダー論がご専門の大阪大学の牟田和恵先生に「政治をわたしのものにする」と題して講演していただきます。また、この間の新たな市民運動に参加してきた主婦や学者、学生により「いま、
市民が政治に求めること」と題してパネルディスカッションを行います。
 2016年、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が大きな反響を呼びました。
 仕事と子育てや介護を両立させたい。組織のなかで働きに見合った評価をされたい。結婚しても慣れ親しんだ従来の名字を使用したい。女性に対する様々なハラスメントを受けることなく、安心して暮らした
い。これらの願いは、個人のわがままなのでしょうか?
 「すべて国民は、個人として尊重される」と日本国憲法第13条にもうたわれているように、元来「個人的なものは政治的なもの」であり、「個人の生きづらさ」に関する課題は、政治的な課題として解決に向けて取り組まれなければならないはずです。しかし、自民党改憲草案の第24条にみられるような、男尊女卑的な家族観に基づく自民党を中心とした政権のもとでは、「選択的夫婦別姓」や「政治分野における男女共同参画推進」など基本的人権にかかわるような分野の取り組みですら、実現することが極めて厳しい
状況です。
 本シンポジウムを通じて、私たち市民1人1人が、日常の体験のなかから、政治に求めることを掬い上げ形にする術を身につけることで、主体的に争点を設定し、これらの課題の解決に資する政治を盛り上げ
ていきたいと考えています。
(引用終わり)
 
 関西市民連合が主催するシンポジウムの基調講演がジェンダー論の専門家を招いてのものであるという意外性(?)が、実は意外でも何でもなく、より広い層の市民が政治に関与していくための重要な切り口なのだということに肯く人も多いでしょう(私はそうでした)。
 幸い、IWJ京都による中継アーカイブが全編無料で視聴できます。正直、私もまだあちこちつまみ食
い的に覗いただけなのですが、是非、時間を作って全編視聴したいと思います。私が関わっている「市民連合わかやま」の今後の活動の方向性を考える上でも、大いに参考となるに違いありませんから。
 ちなみに、シンポの最後で挨拶された塩田潤さんのお話は、単なる主催者による閉会挨拶というにとどまらない、この日の企画全体の「まとめ」を兼ねたものでした。
 
関西市民連合 リスペクトの政治に向けたシンポジウム 2017.1.22(2時間22分)
冒頭~ 開会・趣旨説明
6分~ 挨拶 西牟田祐二氏(京都大学大学院経済学研究科教授)
8分~ 挨拶 穀田恵二衆院議員(日本共産党国会対策委員長
12分~ 挨拶 福山哲郎参院議員(民進党
18分~ メッセージ代読(服部良一社民党衆院議員、豊田潤多郎自由党衆院議員)
23分~ 講演「政治をわたしのものにする」 講師 牟田和恵氏(大阪大学大学院人間科学研究科教授
ジェンダー論・歴史社会学
1時間27分~ パネルディスカッション「いま、市民が政治に求めること」
進行 元橋利恵氏(大阪大学大学院生)
パネリスト
小川郁氏(民主主義と生活を守る有志〔SADL〕)
西郷南海子氏(安保関連法に反対するママとみんなの会@京都)
中野里佳氏(子どもの未来を考えるママの会@大阪)
新ヶ江章友氏(違憲安全保障法に反対にする大阪市立大学有志の会、大阪市立大学准教授)
2時間16分~ 挨拶 塩田潤氏(関西市民連合)

南相馬市が全戸配布した憲法冊子(全条文収録)を市民はどう読んだか?~予告・ハートネットTV「シリーズ 暮らしと憲法 第三回 被災地(2/7)」「第四回 障害者(2/15)」

 今晩(2017年1月23日)配信した「メルマガ金原No.2701」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
南相馬市が全戸配布した憲法冊子(全条文収録)を市民はどう読んだか?~予告・ハートネットTV「シリーズ 暮らしと憲法 第三回 被災地(2/7)」「第四回 障害者(2/15)」

 NHK・Eテレの「ハートネットTV」(毎週月曜~木曜午後8時00分~8時29分、再放送翌週月
曜~木曜午後1時05分~1時34分)で始まった「シリーズ 暮らしと憲法」の「第一回 女性」と「第二回 外国人」の再放送を紹介してから2週間が過ぎました。
 その時、「憲法施行70周年の5月3日まであと4ヶ月近くあるのですから、まさかこの2本で終わりということはないでしょう。」と書いたとおり、第三回と第四回の放送が予告されていました。テーマは「被災地」と「障害者」です。いずれも重要なテーマですが、わずか30分の放送枠の中で、どういう切り口から取り上げようとしているのか、とても興味があります。
 まず。番組案内を見てみましょう。
 
NHK・Eテレ 
本放送 2017年2月7日(火)午後8時00分~8時29分
再放送 2017年2月14日(火)午後1時05分~1時34分
ハートネットTV「シリーズ 暮らしと憲法 第三回 被災地」

(番組案内から引用開始)
放送内容
今年は、日本国憲法が施行されてから70年の節目の年。戦後日本は、憲法を道しるべに社会を築いてきま
した。しかし、憲法のことを普段は、あまり意識しないのではないでしょうか?ハートネットTVでは、シ
リーズで暮らしの現場から憲法を見つめていきます。
第三回 被災地
福島県南相馬市。昨年、全国で初めて全2万5000世帯に憲法の冊子が配布されました。そこは、憲法
の間接的な起草者と言われる鈴木安蔵氏の故郷です。第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」・・・終戦後、GHQや政府案にもなかったこの草案を作ったのが、安蔵氏を中心とした民間の憲法研究会でした。そんな安蔵の故郷に起きた、原発事故。そこに、憲法の理念は生
きているのでしょうか?
今回番組では、昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高区にカメラを据えました。1万人以上いた住民のうち、戻ってきたのは1000人程度。町の居酒屋やパーマ屋、酪農家の元に、突然、1冊の憲法が届けられたのです。原発事故という未曾有の試練を経験した人々は、憲法を手に何を想うのか。憲法
は何か?70年の時を経て、その問いに向き合う町で考えます。
(引用終わり)
 
NHK・Eテレ 
本放送 2017年2月8日(水)午後8時00分~8時29分
再放送 2017年2月15日(水)午後1時05分~1時34分
ハートネットTV「シリーズ 暮らしと憲法 第四回 障害者」

(番組案内から引用開始)
第四回 障害者
憲法に具体的な文言として明記されていない障害者。しかし今日では様々な法が整備され、社会生活支援
も提供されるようになってきています。その実現に大きな役割を果たしてきたのは他でも無い当事者の声。それはまさしく憲法12条が謳う「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という理念そのものでした。現在もなお「不断の努力」を続ける障害者、そして憲法が制定された戦後からの障害者運動の歩みを振り返りながら、私たちはどう憲法と付
き合うべきなのかを考えます。
(引用終わり)
 
 「第四回 障害者」を憲法13条(個人の尊重、幸福追求権)や14条(法の下の平等)からではなく、12条から考えるという視点がユニークですね。日本国憲法12条の条文を、それと一体として読むべき11条、及び前記13条、14条とともに引用します。
 
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用す
る責任を負ふ。
十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について
は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治
的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
 
 そして、「第三回 被災地」です。
 福島県南相馬市で、昨年、「全2万5000世帯に憲法の冊子が配布され」たというのを初めて知りました。「南相馬市憲法冊子」でGoogle検索をすると、トップで毎日新聞の記事がヒットしました。
 
毎日新聞 2016年4月26日 15時00分
南相馬市 全戸に憲法冊子 原発事故で軽視された人権守る

(抜粋引用開始)
 福島第1原発事故の被害を受けた福島県南相馬市は、県内外の避難住民を含む全世帯約2万5000世帯に、憲法の小冊子を配布することを決めた。原発事故で今も約1万人が市外に避難しており、憲法が保障する国民の権利を見つめ直してもらう狙い。5月1日発行の市広報紙とともに全戸配布する。憲法は5
月3日、施行から69年を迎える。
 南相馬市では、旧原町市が憲法公布25年を記念し、1971年に小冊子を全戸配布したのに続く試み。市内に四つある市民団体「九条の会」が昨年2月、原発事故で軽んじられた基本的人権生存権を取り戻そうと、南相馬市議会に復刻を陳情した。同6月には、自民党に近い保守系会派の市議を含む全会一致
で、陳情を趣旨採択していた。
 小冊子はA6判で約60ページ。前文と全103条が記され、「震災と原発事故で憲法が保障する健康で文化的な生活がかなえられない市民がいる。憲法とは何かを考えていただきたい」という桜井勝延市長のあいさつが入る。約70万円かけて3万部を作成し、残部が出た場合も来年以降の成人式で配り、市外
の避難者には郵送する。
(略)
(引用終わり)
 
 そして、「南相馬市憲法冊子」Google検索で2番目にヒットするのが、南相馬市ホームページに掲載された桜井勝延市長による挨拶と全64ページに日本国憲法全文を印刷した冊子のPDFファイルです。
 以下に、桜井市長のあいさつをご紹介しましょう。
 
(引用開始)
市長あいさつ
 私たち南相馬市民は、東日本大震災東京電力福島第一原発の事故によって、大きな苦難に直面しまし
た。五年経った今でも、憲法で保障された健康で文化的な生活がかなえられていない市民が数多くいます

 このような中、政治を担う人たちから憲法改正を積極的に呼びかける動きが出てきました。
 しかしながら、東日本大震災によって人権の大切さを改めて痛感させられました。加えて、恒久平和
必要性を考えさせられています。
 子どもたちの未来のため、幸せのために私たちはどのような憲法を伝えていくべきなのでしょうか。私
たちの生活再建と安心して暮らせる環境を取り戻すため、日本の憲法とは何かを考えていただきたいと思い、本冊子を発行いたしました。
                           南相馬市長 桜井勝延
(引用終わり)
 
 桜井市長が「憲法で保障された健康で文化的な生活」と言及されたのは、南相馬市民が置かれた窮状を訴えるという他に、1945年12月26日に「憲法草案要綱」を発表し、その後のGHQ草案に大きな影響を与えた憲法研究会の中心メンバーであった鈴木安蔵氏が、相馬郡小高町(現南相馬市)出身であるということも当然念頭にあったことでしょう。
 
 制憲議会となった第90回帝国議会枢密院の議を経た帝国憲法改正案が勅書をもって提出されたのは、1946年6月20日のことでした。その帝国憲法改正案では、「健康で文化的な生活」はどのように規定されていたかというと、日本国憲法25条に連なる条文は23条でした。
 
帝国憲法改正
第二十三条 法律は、すべての生活部面について、社会の福祉、生活の保障及び公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。
 
 これが、制憲議会での審議を経てどのように修正されたかを見ておきましょう。
 
日本国憲法
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 
 国の努力義務を定めていた原案を第2項に回し、その前に国民の基本的権利として第1項を規定することにしたもので、制憲議会における修正の中でも、最も重要なものの1つと言われています。
 そして、その基になったのが、憲法研究会「憲法草案要綱」の以下の条項でした。
 
憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日
国民権利義務
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
 
 鈴木安蔵氏は、憲法研究会の事務局を担っていましたが、一民間人に過ぎず、制憲議会に修正案を提案するようなことはできません。現行憲法25条1項の生存権規定を憲法に盛り込むように強く主張したのは、憲法研究会のメンバーの1人であり、「憲法草案要綱」の発表後に行われた戦後第1回目の選挙で衆議院議員に当選していた森戸辰男氏(日本社会党、政界引退後は広島大学学長等)であったと言われています。
 
 日本国憲法との所縁も深い南相馬市を襲った東京電力福島第一原発事故憲法はどのように生かされなければならないのか、全戸配布された憲法全文を、南相馬市民はどのような思いで読んだのでしょうか。この回のハートネットTVは是非とも視聴したいですね。
 
 ところで、行政が日本国憲法の全条文を冊子化して全戸配布したという例が、南相馬市(及び旧原町市)以外にもあるのか、残念ながら私は知らないのですが、ここでは、憲法施行(1947年5月3日)にあたり、GHQの指導もあり、貴族院衆議院の両院と政府が、帝国議会内に設置した「憲法普及会」が様々な(今から思えばその規模の大きさに驚きますが)普及啓発活動を行ったことが想起すべきでしょう。
 中でも、『新しい憲法 明るい生活』という30ページの小冊子が「直接国民への普及を図るために刊行され、全国の各家庭に配布され」ました。その発行部数は2,000万部にも及んだそうです。
※『新しい憲法 明るい生活』は、上記記のとおり、ネットでも読めますが、岩波現代文庫にも収録されています。


放送予告2/19『“夢の原子炉”は夢だった どうするか核燃料サイクル(仮)』(NNNドキュメント)

 今晩(2017年1月22日)配信した「メルマガ金原No.2700」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送予告2/19『“夢の原子炉”は夢だった どうするか核燃料サイクル(仮)』(NNNドキュメント)

 「弁護士・金原徹雄のブログ」と「wakaben6888のブログ」は、「毎日配信」を続けている「メルマガ金原」を、その日のうちに転載することとしており、つまり、自動的に「毎日更新」するブログとなっているのです。
 例外は、昨年7月の参院選期間中、市民連合わかやまが推薦したゆら登信候補を応援する記事を書いた時に、公職選挙法の規定に配慮して、ブログにはアップしたものの、メルマガ配信は休止したことくらいでしょうか。
 
 3.11直後にメルマガ金原を創刊した当初は、1日に3回も4回も配信することも珍しくありませんでしたが、さすがに2012年に入って以降、ほぼ「1日1便」となりました。
 ということでいけば、今日は「メルマガ金原No.2699」を配信する日であり、実際、昨日のうちに下書きを済ませてストックしておいた「(再配信)伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)」を、午後7時半にいったん配信したのです。ところが、これをブログに転載すべく作業を始めてすぐ、「これはブログにアップできない」と断念しました。
 その理由は、メルマガ金原の読者宛に配信したお詫び(メルマガ金原No.2699の2)をお読みいただくのが早いでしょう。
 
(引用開始)
 先ほど配信したメルマガ金原No.2699は、昨年10月25日に配信した「伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)」のYouTubeが視聴できなくなっていたため、新たなアカウントで再アップされた動画にリンクし直して再配信したものでした。そして、配信自体は今日になりましたが、リンクのはり直しの作業は昨日(1月21日)のうちに終えており、昨日の時点では、YouTubeで問題なく聴取できていました。
 ところが、本日のメルマガ配信後、これをブログに転載する作業を始めたところ、新アカウントでいったんアップされていたアーカイブが、またしても視聴不能になっていました。今のところ、「自由なラジオ LIGHT UP!」ホームページを見ても、この問題についての告知はなく、原因は一切不明です。
 今年になってから放送された回については、暫定的にMP3による聴取ができるようになっていますが、昨年放送されたアーカイブについては、今のところPODCASTで聴くしかないようです。
 ということで、「自由なラジオ LIGHT UP!」を紹介したメルマガ(ブログ)の再配信はしばらく中断せざるを得ません。
 また、本日配信したメルマガ金原No.2699のブログへの転載はとりやめ、急遽、No.2700を書いて配信することとします。
(引用終わり)
 
 ということで今書いているのが「メルマガ金原No.2700」という次第です。それにしても、「自由なラジオ LIGHT UP!」が見舞われたこのトラブルの原因は一体何なのでしょうね?原因が公表され次第、お知らせしたいと思います。
 
 さて、そういう訳で、急遽「メルマガ金原No.2700」を考えなければならなくなったのですが、こういう時はTVドキュメンタリーのお知らせでしのぐしかないかなということで、先日、2月5日(日)深夜に放送される『原発事故に“ツッコミ” お笑い芸人マコは原発ジャーナリスト(仮)』をご紹介したばかりのNNNドキュメントで、さらにその2週間後に放送される(今日から見れば4週間後)番組をご紹介します。
 
2017年2月19日(日)24時55分~(20日・0時55分~)
“夢の原子炉”は夢だった どうするか核燃料サイクル(仮)

高速増殖炉もんじゅ」の廃炉が決まった。
22年間で1兆円かけて稼働したのはわずか250日。
使った以上の核燃料が取り出せるはずの「夢の原子炉」はなぜ夢に終わったのか?
政治家、官僚らの生々しい取材メモ。一方で夢を信じて振り回されてきた福井・敦賀市の地元。そして大きな岐路に立たされた核燃料サイクルはこのまま進むのか...ちょっと待て、このままでいいのか?
【制作:日本テレビ
再放送
2月26日(日)11:00~ BS日テレ
2月26日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24
 
 高速増殖炉もんじゅ廃炉と聞いて、「もんじゅ君のコメントはないの?」と思ったのは私だけでしょうか。
 「もんじゅ君」公式サイトを見ると、どうやら「もんじゅ君」の活動は、2013年いっぱいをもって終了したもののようです。
 「もんじゅ」が廃炉になっても考えるべきことは山のようにありますが、それは私たち自身で考えるべきということなのでしょうね。
 
 

(付録)
もんじゅ君音頭』 作詞・
作曲:もんじゅ
 

 

緊急シンポジウム「辺野古最高裁判決の問題点と今後の展望」(1/20辺野古訴訟支援研究会)を試聴する

 今晩(2017年1月21日)配信した「メルマガ金原No.2698」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
緊急シンポジウム「辺野古最高裁判決の問題点と今後の展望」(1/20辺野古訴訟支援研究会)を試聴する

 先月20日、最高裁判所第二小法廷が、名護市辺野古沿岸域の公有水面の埋立てについての仲井眞弘多前知事による承認を取り消した翁長雄志知事の決定を違法とし、同知事による上告を棄却してから、早くも1ヶ月が経過しました。
 そして、辺野古が今どうなっているのか、これからどうなっていくのかについて、沖縄地元紙の今日(1月21日)の報道を引用してみましょう。
 
沖縄タイムス+プラス 2017年1月21日 09:28
翁長知事、辺野古埋め立て承認の3月撤回検討 権限効力見極め

(抜粋引用開始)
 名護市辺野古の新基地建設を阻止するため、翁長雄志知事が早ければ今年3月にも埋め立て承認の撤回を検討していることが20日分かった。複数の県関係者が明らかにした。県は、弁護団や翁長県政に近い市民団体などと協議を重ねており、岩礁破砕許可など知事権限の効力を見極めながら、最終的な撤回時期を絞り込む。
 翁長知事は新基地建設の阻止に向け、今年3月に期限を迎える岩礁破砕許可やサンゴを移植する際の特別採捕許可、埋め立て本体工事の設計変更申請の不許可など知事権限を行使する考えだ。
 一方、国は知事権限に対し法的措置や特別措置法の制定などで対抗する構えで、権限行使は工事を一時的に止める「対症療法」にすぎないとの見方が強い。このため、県政内では護岸工事や土砂投入を阻止するため、3月中の撤回が必要との声が強まっている。
 ただ、知事の権限行使でどれだけの期間工事を止められるかは不透明で、仮に長期間、工事を中断できれば、撤回時期はずれ込む可能性もある。
 また、2013年の埋め立て承認時に付した留意事項に関し、県が国の留意事項違反を精査した結果、10項目程度の違反が見つかっているという。県はこれらの違反を根拠として承認の撤回に踏み切る考えだ。
(略)
(引用終わり)
 
琉球新報電子版 2017年1月21日 11:58
機動隊、市民らを強制排除 辺野古新基地建設 工事用車両3台が基地内に入る

(引用開始)
 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設が進む米軍キャンプ・シュワブの工事車両用ゲート前で21日午前8時40分ごろ、座り込む市民ら約50人を機動隊員約50人が強制的に排除した。8時45分ごろ、工事用車両3台がゲートの中に入った。
 その後市民らの数は増え、午前11時には約100人となった。
 市民らはうるま市与那城伊計で20日夜に発生した米軍ヘリの不時着に触れ「いつどこでヘリが落ちるか分からない。民主主義を守るため新基地建設を止めよう」などと声を上げた。
(引用終わり)
 
 その沖縄で、昨日(1月20日)、緊急シンポジウム「辺野古最高裁判決の問題点と今後の展望」(主催:辺野古訴訟支援研究会 共催:辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)が開かれました。翁長知事も挨拶されたその緊急シンポの模様が、IWJ沖縄によって中継され、動画アーカイブを試聴することができます。
 Twitcasting録画なので、画質はあまり期待できませんが、発言を聴き取ること自体はまずまず不自由はありません。
 
シンポジウム「辺野古裁判の検証と今後の展望」 2017.1.20(139分)
2分~ 開会挨拶 人見剛氏(早稲田大学教授)
11分~ 翁長雄志沖縄県知事挨拶
20分~ 基調講演 紙野健二氏(名古屋大学教授)
76分~ パネルディスカッション
司会 本多滝夫氏(龍谷大学教授)
パネリスト
竹下勇夫氏(沖縄県弁護団団長、弁護士)
岡田正則氏(早稲田大学教授)
白藤博行氏(専修大学教授)
128分~ 総括・閉会挨拶 武田真一郎氏(成蹊大学教授)
 
 何しろ、司法試験に合格して30年近く弁護士をしてきた私でも、公有水面埋立法が問題となった訴訟の経験は1件しかなく、行政訴訟も数えるほどしか経験していませんから、正直、シンポジウムに登壇された行政法学者や弁護団長のお話についていくのは大変です。まして、一般の市民の皆さんにとってはなおのことかとも思いますが、それでもやはりこれは耳を傾けなければならない議論であると思い、ご紹介することとしました。
 併せて、批判の対象である昨年12月20日の最高裁第二小法廷の判決全文を以下に引用しておきます。まずざっとでもこの判決文に目を通した上でシンポを視聴していただければ、理解が深まるのではないかと思います。
 また、辺野古訴訟に関する沖縄県の主張については、沖縄県ホームページの中の「知事公室辺野古新基地建設問題対策課」というコーナーに裁判所提出書面等が掲載されていますので、適宜参照願います。
 
 それから、昨日のシンポの様子を伝えた琉球新報の記事もご紹介しておきます。
 
琉球新報 2017年1月21日 10:46
承認撤回は可能 県民投票も提言 辺野古訴訟シンポジウム

(抜粋引用開始)
 
名護市辺野古への新基地建設を巡る不作為の違法確認訴訟で県敗訴が確定したことを受け、緊急シンポジウム「辺野古最高裁判決の問題点と今後の展望」(辺野古訴訟支援研究会主催、オール沖縄会議共催)が20日、那覇市の県市町村自治会館ホールで開かれた。約350人が参加した。登壇者らは敗訴判決に縛られることなく辺野古埋め立て承認の撤回などの手段を行使できると強調した。撤回のため、辺野古新基地建設の是非を問う県民投票実施を呼び掛ける提言もあった。
 パネルディスカッションに登壇した研究会の岡田正則早稲田大教授は「(最高裁判決は)埋め立てについての知事の判断権限は広いとしている」と指摘して、承認取り消しを違法とする確定判決が承認の撤回判断を拘束しないとの認識を示した。
 翁長雄志知事もあいさつで登壇し「撤回も視野に入れながら、絶対に新基地を造らせないとの意思を持ち、多くの県民の思いを胸に頑張りたい」と述べた。新基地建設阻止のため、今後の首長選で勝利を重ねる重要性にも言及した。
 閉会あいさつで武田真一郎成蹊大教授が承認撤回のために新基地建設の是非を問う県民投票実施の必要性を訴えると、来場者からは大きな拍手が起こった。
 基調講演では研究会代表の紙野健二名古屋大教授が一連の辺野古訴訟の経緯を説明。福岡高裁那覇支部判決について「結論から理由付けを埋めた。あからさまな司法史に残る判決だ」と強く批判。最高裁判決も「高裁判決の問題点を引き継ぎ、真剣に吟味したふうにも見えない」とした。
(略)
(引用終わり)
 
 それでは、最高裁判所第二小法廷判決の全文を引用します。

(引用開始)
平成28年(行ヒ)第394号 地方自治法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件
平成28年12月20日 第二小法廷判決
  
      主   文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。  
 
      理   由
第1 本件の事実関係等の概要
1 本件は,我が国とアメリカ合衆国(以下「米国」という。)との間で返還の合意がされた沖縄県宜野湾市所在の普天間飛行場の代替施設を同県名護市辺野古沿岸域に建設するための公有水面の埋立て(以下「本件埋立事業」という。)につき,沖縄防衛局が,仲井眞弘多前沖縄県知事(以下「前知事」という。)から公有水面の埋立ての承認(以下「本件埋立承認」という。)を受けていたところ,上告人が本件埋立承認は違法であるとしてこれを取り消したため(以下「本件埋立承認取消し」という。),被上告人が,沖縄県に対し,本件埋立承認取消しは違法であるとして,地方自治法245条の7第1項に基づき,本件埋立承認取消しの取消しを求める是正の指示(以下「本件指示」という。)をしたものの,上告人が,本件埋立承認取消しを取り消さず,法定の期間内に同法251条の5第1項に定める是正の指示の取消しを求める訴えの提起もしないことから,同法251条の7第1項に基づき,上告人が本件指示に従って本件埋立承認取消しを取り消さないことが違法であることの確認を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 普天間飛行場は,宜野湾市の中央部にあり,昭和20年からアメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)による使用が開始され,現在,米軍海兵隊の航空部隊の基地として用いられている。同飛行場周辺は,学校や住宅,医療施設等が密集している状況にある。
(2) キャンプ・シュワブは,名護市辺野古周辺に所在し,昭和31年から米軍海兵隊により使用が開始され,現在はキャンプ地区及び訓練場地区として,米軍海兵隊陸上部隊により用いられている施設及び区域であり,一般人の立入り等が制限されている。
(3)ア 平成8年4月に行われた内閣総理大臣と駐日米国大使との会談において,普天間飛行場につき,一定の措置を講じた後に返還される旨の合意がされ,更に同年12月,日米安全保障協議委員会(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約4条を根拠として設置された協議機関)に出席した関係閣僚等により,同飛行場の代替施設を設置し,運用が可能となった後に同飛行場を返還する旨が承認された。その後,国は,同飛行場の代替施設及びその関連施設としての飛行場(以下「本件新施設等」という。)を名護市辺野古沿岸域に設置するため,本件埋立事業を実施することとし,沖縄防衛局がその手続を進めた。
イ 沖縄防衛局は,キャンプ・シュワブ施設敷地内から辺野古崎とこれに隣接する大浦湾,辺野古湾の水域を結ぶ形で埋立地を造成し,本件新施設等を設置するため,平成25年3月22日,前知事に対し,原判決別紙4記載の公有水面の埋立て(本件埋立事業)の承認を求めて,公有水面埋立承認願書を提出した(以下,この出願を「本件埋立出願」という。)。
ウ 沖縄防衛局長は,本件埋立出願に先立ち,環境影響評価法及び沖縄県環境影響評価条例(平成12年沖縄県条例第77号)に基づいて環境影響評価書を作成し,平成23年12月及び同24年1月,これを前知事に送付するとともに,同年12月,補正後の環境影響評価書を前知事に送付した。
(4)ア 前知事は,本件埋立出願を受けて,関係市町村長である名護市長及び関係機関である沖縄県環境生活部長等に対し意見照会をし,それぞれ回答を受けた。また,沖縄県は,平成25年10月から同年12月までの間,4回にわたり,沖縄防衛局に対し,本件埋立事業が公有水面埋立法4条1項1号の要件(以下「第1号要件」という。)及び同項2号の要件(以下「第2号要件」という。)に適合するか否かに関する質問をし,その回答を受けた。
イ 前知事は,沖縄県が行政手続法5条1項に基づいて定めた公有水面埋立免許の審査基準により本件埋立出願に係る審査を行い,本件埋立事業が第1号要件及び第2号要件を含む公有水面埋立法4条1項各号の要件に適合すると判断して,平成25年12月27日,本件埋立承認をした。
 上記審査のうち本件埋立事業が第1号要件に適合するか否かの審査においては,普天間飛行場の周辺に学校や住宅,医療施設等が密集しており,騒音被害等により住民生活に深刻な影響が生じていることや,過去に同飛行場周辺で航空機の墜落事故が発生しており,同飛行場の危険性の除去が喫緊の課題であることを前提に,①同飛行場の施設面積が約4.8㎢であるのに対し,本件新施設等の面積が約2㎢であり,そのうち埋立面積が約1.6㎢であることなどから埋立ての規模が適正かつ合理的である,②沿岸域を埋め立てて滑走路延長線上を海域とすることにより航空機が住宅地の上空を飛行することが回避されることや,本件新施設等が既に米軍に提供されているキャンプ・シュワブの一部を利用して設置されることなどから,埋立ての位置が適正かつ合理的であるなどとされた上で,本件埋立事業が第1号要件に適合すると判断されている。
 また,上記審査のうち本件埋立事業が第2号要件に適合するか否かの審査においては,前記(3)ウの環境影響評価書の内容が検討の対象とされた上で,①護岸その他の工作物の施工,②埋立てに用いる土砂等の性質への対応,③埋立土砂等の採取,運搬及び投入,④埋立てによる水面の陸地化において,現段階で採り得ると考えられる工法,環境保全措置及び対策が講じられており,更に災害防止にも十分配慮されているとして,本件埋立事業が第2号要件に適合すると判断されている。
(5) 上告人は,平成27年10月13日,本件埋立承認には本件埋立事業が第1号要件及び第2号要件に適合しないにもかかわらずこれらに適合するとした瑕疵があったとして,本件埋立承認取消しをした。
(6) 公有水面埋立法に基づく都道府県知事による埋立ての承認は法定受託事務であるところ(地方自治法2条9項1号,公有水面埋立法51条1号),被上告人は,本件埋立承認取消しが違法であるとして,平成27年11月17日,地方自治法245条の8第3項に基づき,本件埋立承認取消しの取消しを行うべきことを命ずる旨の裁判を求める訴え(以下「前件訴訟」という。)を提起した。
 前件訴訟は,平成28年3月4日の和解期日において訴えが取り下げられたことにより終了した。
(7) 被上告人は,本件埋立承認取消しが違法であるとして,平成28年3月16日,地方自治法245条の7第1項に基づき,沖縄県に対し,本件埋立承認取消しの取消しを求める本件指示をした。本件指示に係る書面には,同書面が到達した日の翌日から起算して1週間以内に本件埋立承認取消しを取り消すべき旨の記載がされていた。
(8) 上告人は,本件指示に不服があるとして,平成28年3月23日,地方自治法250条の13第1項に基づき,国地方係争処理委員会に対し,審査の申出をした。
(9) 国地方係争処理委員会は,平成28年6月21日,上告人及び被上告人に対し,国と沖縄県普天間飛行場の返還という共通の目標の実現に向けて真摯に協議し,双方がそれぞれ納得できる結果を導き出す努力をすることが,問題の解決に向けての最善の道であるとの見解をもって審査の結論とする旨の決定(以下「本件委員会決定」という。)を通知した。
(10) 上告人は,本件委員会決定の通知があった日から30日以内に本件指示の取消しを求める地方自治法251条の5所定の訴えを提起せず,かつ,本件埋立承認取消しを取り消さなかった。そこで,被上告人は,平成28年7月22日,同法251条の7第1項に基づき,本件訴えを提起した。
第2 上告代理人竹下勇夫ほかの上告受理申立て理由第3の1,第6及び第7について
1 本件においては,上告人が本件指示に係る措置として本件埋立承認取消しを取り消さないことが違法であることの確認が求められているところ,本件埋立承認取消しは,前知事がした本件埋立承認に瑕疵があるとして上告人が職権でこれを取り消したというものである。
 一般に,その取消しにより名宛人の権利又は法律上の利益が害される行政庁の処分につき,当該処分がされた時点において瑕疵があることを理由に当該行政庁が職権でこれを取り消した場合において,当該処分を職権で取り消すに足りる瑕疵があるか否かが争われたときは,この点に関する裁判所の審理判断は,当該処分がされた時点における事情に照らし,当該処分に違法又は不当(以下「違法等」という。)があると認められるか否かとの観点から行われるべきものであり,そのような違法等があると認められないときには,行政庁が当該処分に違法等があることを理由としてこれを職権により取り消すことは許されず,その取消しは違法となるというべきである。
 したがって,本件埋立承認取消しの適否を判断するに当たっては,本件埋立承認取消しに係る上告人の判断に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用が認められるか否かではなく,本件埋立承認がされた時点における事情に照らし,前知事がした本件埋立承認に違法等が認められるか否かを審理判断すべきであり,本件埋立承認に違法等が認められない場合には,上告人による本件埋立承認取消しは違法となる。
2(1) 公有水面埋立法は,42条1項において,国が行う埋立てにつき,当該事業を施行する官庁が都道府県知事から承認を受けるべきことを定め,その承認の要件が同条3項において準用する同法4条1項により定められているところ,同項が,同項各号の要件に適合すると認められる場合を除いては埋立ての承認又は免許(以下「承認等」という。)をすることができない旨を定めていることなどに照らすと,同項各号は,上記承認等が都道府県知事の裁量的な判断であることを前提に,上記承認等をするための最小限の要件を定めたものと解されるのであって,同項各号の規定はこのことを踏まえて解釈されるべきである。
(2) 公有水面埋立法4条1項1号の「国土利用上適正且合理的ナルコト」という要件(第1号要件)は,承認等の対象とされた公有水面の埋立てや埋立地の用途が国土利用上の観点から適正かつ合理的なものであることを承認等の要件とするものと解されるところ,その審査に当たっては,埋立ての目的及び埋立地の用途に係る必要性及び公共性の有無や程度に加え,埋立てを実施することにより得られる国土利用上の効用,埋立てを実施することにより失われる国土利用上の効用等の諸般の事情を総合的に考慮することが不可欠であり,また,前記(1)で述べたところに照らせば,第1号要件においては当該埋立てや埋立地の用途が当該公有水面の利用方法として最も適正かつ合理的なものであることまでが求められるものではないと解される。そうすると,上記のような総合的な考慮をした上での判断が事実の基礎を欠いたり社会通念に照らし明らかに妥当性を欠いたりするものでない限り,公有水面の埋立てが第1号要件に適合するとの判断に瑕疵があるとはいい難いというべきである。
 これを本件についてみるに,本件埋立事業は普天間飛行場の代替施設(本件新施設等)を設置するために実施されるものであり,前知事は,同飛行場の使用状況や,同飛行場の返還及び代替施設の設置に関する我が国と米国との間の交渉経過等を踏まえた上で,前記第1の2(4)イのとおり,騒音被害等により同飛行場の周辺住民の生活に深刻な影響が生じていることや,同飛行場の危険性の除去が喫緊の課題であることを前提に,①本件新施設等の面積や埋立面積が同飛行場の施設面積と比較して相当程度縮小されること,②沿岸域を埋め立てて滑走路延長線上を海域とすることにより航空機が住宅地の上空を飛行することが回避されること及び本件新施設等が既に米軍に提供されているキャンプ・シュワブの一部を利用して設置されるものであること等に照らし,埋立ての規模及び位置が適正かつ合理的であるなどとして,本件埋立事業が第1号要件に適合すると判断しているところ,このような前知事の判断が事実の基礎を欠くものであることや,その内容が社会通念に照らし明らかに妥当性を欠くものであるという事情は認められない。
 したがって,本件埋立事業が第1号要件に適合するとした前知事の判断に違法等があるということはできない。
(3) また,公有水面埋立法4条1項2号の「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」という要件(第2号要件)は,公有水面の埋立て自体により生じ得る環境保全及び災害防止上の問題を的確に把握するとともに,これに対する措置が適正に講じられていることを承認等の要件とするものと解されるところ,その審査に当たっては,埋立ての実施が環境に及ぼす影響について適切に情報が収集され,これに基づいて適切な予測がされているか否かや,事業の実施により生じ得る環境への影響を回避又は軽減するために採り得る措置の有無や内容が的確に検討され,かつ,そのような措置を講じた場合の効果が適切に評価されているか否か等について,専門技術的な知見に基づいて検討することが求められるということができる。そうすると,裁判所が,公有水面の埋立てが第2号要件に適合するとした都道府県知事の判断に違法等があるか否かを審査するに当たっては,専門技術的な知見に基づいてされた上記都道府県知事の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであると解される。
 これを本件についてみるに,前記第1の2(4)イのとおり,本件埋立事業が第2号要件に適合するか否かは沖縄県が定めた審査基準に基づいて検討されているところ,この審査基準に特段不合理な点があることはうかがわれない。また,前記第1の2(4)ア及びイのとおり,前知事は,関係市町村長及び関係機関からの回答内容や沖縄防衛局からの回答内容を踏まえた上で,本件埋立事業が第2号要件に適合するか否かを専門技術的な知見に基づいて審査し,①護岸その他の工作物の施工,②埋立てに用いる土砂等の性質への対応,③埋立土砂等の採取,運搬及び投入,④埋立てによる水面の陸地化において,現段階で採り得ると考えられる工法,環境保全措置及び対策が講じられており,更に災害防止にも十分配慮されているとして,第2号要件に適合すると判断しているところ,その判断過程及び判断内容に特段不合理な点があることはうかがわれない。
 したがって,本件埋立事業が第2号要件に適合するとした前知事の判断に違法等があるということはできない。
3 以上のとおり,本件埋立事業が第1号要件及び第2号要件に適合するとした前知事の判断に違法等があるということはできず,他に本件埋立承認につき違法等があることをうかがわせる事情は見当たらない。そうすると,本件埋立承認取消しは,本件埋立承認に違法等がないにもかかわらず,これが違法であるとして取り消したものであるから,公有水面埋立法42条1項及び同条3項において準用する4条1項の適用を誤るものであって,違法であるといわざるを得ず,これは地方自治法245条の7第1項にいう都道府県の法定受託事務の処理が法令の規定に違反している場合に当たる。
第3 上告代理人竹下勇夫ほかの上告受理申立て理由第8について
1 地方自治法245条の7第1項は,各大臣(内閣府設置法4条3項に規定する事務を分担管理する大臣たる内閣総理大臣又は国家行政組織法5条1項に規定する各省大臣)は,所管する法律又はこれに基づく政令に係る都道府県の法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認める場合に是正の指示をすることができる旨を定めるところ,その趣旨は当該法定受託事務の適正な処理を確保することにあると解される。このことに加えて,当該法定受託事務の処理が法令の規定に違反しているにもかかわらず各大臣において是正の指示をすることが制限される場合がある旨の法令の定めはないことを考慮すると,各大臣は,その所管する法律又はこれに基づく政令に係る都道府県の法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認める場合には,当然に地方自治法245条の7第1項に基づいて是正の指示をすることができる。
2 これを本件についてみるに,被上告人は公有水面埋立法を所管する大臣であり(国土交通省設置法4条57号。平成27年法律第66号による改正後は同条1項57号),公有水面埋立法に基づく都道府県知事による埋立ての承認は法定受託事務であるところ,前記第2の3のとおり,本件埋立承認取消しが法令の規定に違反しているのであるから,被上告人は,沖縄県に対し,これを是正するために講ずべき措置に関し必要な指示をすることができる。
 したがって,本件指示は適法であり,上告人は本件指示に係る措置として本件埋立承認取消しを取り消す義務を負う。
第4 上告代理人竹下勇夫ほかの上告受理申立て理由第9について
1 地方自治法251条の7第1項は,同項に定める違法の確認の対象となる不作為につき,是正の指示を受けた普通地方公共団体の行政庁が,相当の期間内に是正の指示に係る措置を講じなければならないにもかかわらず,これを講じないことをいう旨を定めている。そして,本件指示の対象とされた法定受託事務の処理は,上告人が本件埋立承認を職権で取り消したことであり,また,本件指示に係る措置の内容は本件埋立承認取消しを取り消すという上告人の意思表示を求めるものである。これに加え,被上告人が平成27年11月に提起した前件訴訟においても本件埋立承認取消しの適否が問題とされていたことなど本件の事実経過を勘案すると,本件指示がされた日の1週間後である同28年3月23日の経過により,同項にいう相当の期間が経過したものと認められる。
 また,本件において,上記の期間が経過したにもかかわらず上告人が本件指示に係る措置を講じないことが許容される根拠は見いだし難いから,上告人が本件埋立承認取消しを取り消さないことは違法であるといわざるを得ない。
 したがって,上告人が本件指示に係る措置として本件埋立承認取消しを取り消さないことは,地方自治法251条の7第1項にいう不作為の違法に当たる。
2 なお,所論は,上告人が本件委員会決定を受けて被上告人に協議の申入れをしたことなどを指摘して,上告人に地方自治法251条の7第1項にいう不作為の違法はない旨をいう。しかしながら,上告人は,本件指示に係る措置として本件埋立承認取消しを取り消していないのであるから,上告人に同項にいう不作為の違法があることは明らかであり,上告人が本件委員会決定を受けて被上告人に協議の申入れをしたことは,上記の結論を左右しない。所論は採用することができない。
第5 結論
 以上によれば,上告人が本件指示に係る措置として本件埋立承認取消しを取り消さないことは違法であるとして,被上告人の請求を認容した原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は,いずれも採用することができない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鬼丸かおる 裁判官 小貫芳信 裁判官 山本庸幸 裁判官 菅野博之)
(引用終わり)