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野田内閣は原子力規制委員会の正当性を得る最後の機会を放棄した

 本日(11月4日)配信した「メルマガ金原No.1158」を転載します。ただし、タイトルは変更しました。
 
野田内閣は原子力規制委員会の正当性を得る最後の機会を放棄した
 
 去る11月2日(金)、内閣は、閣議決定に基づき、衆参両院議長に対し、原子力害対策特別措置法15条2項の規定に基づく「原子力緊急事態宣言」がされている旨の通知を行いました。
 その記者発表を行う藤村修官房長官の記者会見(11月2日)の映像です。
 (当該発表は7分45秒ころから)
 
 ※原子力災害対策特別措置法
 
 もっとも、そう聞いたところで、それが何を意味するのかピンと来る人は少ないと思いまが、是非、9月11日に配信したメルマガ金原No.1101「【拡散希望】9/11原子力規制委員会委員長及び委員候補からのメッセージ」をご参照いただきたいと思います。
 これは、直ちにブログにも転載しました。
 
 要点を以下におさらいしておきます。
 
1 原子力規制委員会の委員長及び委員は、両議院の同意を得て、内閣総理大が任命することになっている(原子力規制委員会設置法7条1項)。
2 しかし、最初に任命される委員長及び委員については、国会閉会中であれば、議院の同意を得ることなく内閣総理大臣が任命できる(同法附則2条5項)。
3 附則に基づき、国会閉会中に任命した委員長及び委員の選任については、任後最初の国会において、両議院の事後の承認を得なければならない(同法附則2条6項本文)。
4 しかし、上記両議院の事後承認については、「原子力災害対策特別措置法第五条第二項の規定による原子力緊急事態宣言がされている場合であって、その旨の通知が両議院になされたときにあっては、同条第四項の規定による原子力緊急事態解除宣言がされた後速やかに」承認を求めればよいことになっている(同法附則2条6項括弧書き/読替後)。
 
 つまり、野田内閣は、3.11以降、福島第一原子力発電所について発令されてる「原子力緊急事態宣言」(当然、まだ「解除宣言」などされていません)が「発令されている旨の通知」を両議院に対して行うことにより(「行わない」という選択肢もあり得たのに)、国会による「事後承認」を求めるという、かろうじて「正当性」を得ることができたかもしれない最後の機会を放棄したという訳です。
 
 もともと、任命された委員の内、少なくとも中村佳代子、更田豊志の両氏については、明白に欠格要件に該当しており、もともと任命される資格を有しないという指摘が有力であったことはご存知かと思います。
 
※2012年8月3日付 日本弁護士連合会「原子力規制委員会委員の人事案の直しを求める会長声明」
 
 野田内閣の今回の両議院への通知により、そもそもの人選からして違法ではないという大問題を抱えていた原子力規制委員会の委員人事は、国会同意という、この組織を成り立たせるための最も基本的な要件を具備せぬまま、当面、このまま推移していかざるを得なくなりました。
 このため、委員長については5年(原子力規制員会設置法8条以降)、委員については2年または3年(同法附則2条1項)の間、原子力緊急事態解除宣言がなされない限り、国会の承認を得る機会もなく、そのまま任にとどまることにならざるを得ません。
 
 この問題を、「正当性」の観点から徹底的に論じた神保哲生さんと宮台真司んの対談(ニュース・コメンタリー)が「ビデオニュース・ドットコム」にアップされていますので、是非視聴されるようにお薦めします。
 
 「なぜ日本では政府が正当性のないまま、形だけ規制委員会を起ち上げるようなことができてしまうか」という問いかけは重いものがあります。
 ただ単に「野田内閣自体に正当性(正統性)がないから」と答えるだけでは「解」にならないことは明らかでしょう。
 
ビデオニュース・ドットコム
ニュース・コメンタリー (2012年11月03日)
なぜ原子力規制委の正当性を踏みにじるようなことができるのか
 http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002575.php
 (42分29秒)
 
(番組案内・引用開始)
 遂に橋を渡ってしまった。
 政府は原子力規制委員会の人事について、臨時国会でも同意を求めず、代わ
りに原子力緊急事態宣言の発令中は同意を先延ばしができるとする原子力規制委員会設置法の例外規定を適用することで、国会の同意のないまま委員会の運営を続けることを決定した。そう、昨年12月の冷温停止状態宣言や収束宣言にもかかわらず、実は昨年の3月11日以来、日本は常に原子力非常事態宣言下にあったのだ。
 藤村官房長官は2日の記者会見で、国会で「不承認となるリスク」を回避するた
めに、そのような方法をとったと説明している。
 しかし、この説明は二重の意味で罪深い。
 まず、そもそも政府が今回の規制委員会の人事を国会に諮らない本当の理由は、
承認となる恐れがあるからではない。もともと政府が今回のような資格に疑問符のつく人事を出すことになったのは、多数による同意を優先して事前に自民・公明に根回しをしたためだった。ところが、政治的根回しの産物だったこの人事に対して、民主党内から異論が出た。政府はこの人事を国会に諮れば、仮に自公の賛成で可決はできても、民主党からの造反が出て、さらなる離党者を出す恐れがあることを嫌がった。
 つまり、いたって私的な理由で、規制委員会が国会同意という最も基本的な条
件をクリアしないまま、日本の原子力政策上の重要な決定を行っている状態が、既に2ヶ月以上も続いているのだ。
 しかし、今回の官房長官のコメントにはもう一つ重大な罪がある。それは官房長
官が当たり前のように「不承認となるリスク」があるから国会には諮りませんと堂々と言ってのけていることだ。もとより原子力規制委員会の委員は政府からの独立性を担保するために、国会の承認が要求されている。政府の影響下から外すことが、規制委員会を設置するそもそもの狙いでもあった。委員会の政府からの独立性の肝となる国会承認を回避しておいて、その理由が「諮ると否決されるから」とは一体どういうつもりだろうか。
 また、「諮ると否定されるから諮りません」と政府のスポークスマンが記者会見で
堂々と述べ、それが報道もされている。しかし、それが大きな問題にならない。一体全体、野党は何をやっているのか。メディアは何をやっているのか。この国はどうなってしまったのか。
 一番残念なことは、そもそもこの委員会は福島第一原発の事故を受けて、原
子力政策の規制や監督が経産省内にある原子力安全・保安院によって形骸化、無力化していたことに事故の重大な一因があったとの反省の上に、原子力行政をゼロから出直しさせるために設けられた、いわば日本の原子力行政が生まれ変わったことを示す象徴的な機関だった。われわれがあの事故からどの程度の教訓を得たかを示す最大の試金石が、この体たらくである。
 最低限の条件である国会の承認も得られないままでは、この委員会の決定が
正当性を持たないことは誰の目にも明らかだ。既に委員会は大飯原発の活断層調査など重要な決定を行っているが、原発を止める決定も、逆に再稼働を認める決定も、その機関の正当性が認められていればこそ意味のあるものだ。このままでは、委員会が下すいかなる決定に対しても、われわれはそれを認めることができなくなってしまう。
 問題の解決は簡単だ。どうしても今の人事を変えたくないのであれば、そのま
ま国会に諮ればいい。もしそれが不同意となるのなら、また別の人事を出せばいいだけである。もとより今回暫定的に委員となっている5人しか原子力規制委員会の委員に相応しい人物がいないとは到底思えない。
 繰り返すが、決定自体がどんなに妥当なものであったとしても、正当性のな
い機関が下した決定には正当性がない。動いている原発を止めたり、止まっている原発を再稼働するなど、規制委員会が下さなければならない決定は、正当な民主的プロセスを踏まないまま行うには余りにも重すぎる。
 なぜ日本では政府が正当性のないまま、形だけ規制委員会を起ち上げる
ようなことができてしまうか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)
 
(付記)
 本日(11月4日)付の毎日新聞が、社説でこの問題を批判的に取り上げていました。