「7/1閣議決定」は憲法違反か?
今晩(2014年7月28日)配信した「メルマガ金原No.1800」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
今日お届けする「メルマガ金原」は、記念すべき1800号ですので、少しは特別な工夫を、とも思ったのですが、これぞということも思いつきませんでした。
ただ、初期のころから私のメルマガを読んでくださっている知人の女性から、ちょうど以下のようなご質問のメールをいただいたところでしたので、この問題を考えてみることにしたいと思います。
なお、質問の文章は、適宜私の方で整理したものですから、原文通りではないことをお断りします。
【メルマガ金原の読者からのご質問】
7月1日に行われた閣議決定について、「解釈改憲」であるとか、「一内閣が憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認するのは違憲だ」という風に言われています。
他方で、たまたま見つけた下記サイトのように、今回の閣議決定は解釈改憲ではなく、政策に関する意見表明であり、違憲とはいえないという考え方もあるようです。
7月1日に行われた閣議決定について、「解釈改憲」であるとか、「一内閣が憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認するのは違憲だ」という風に言われています。
他方で、たまたま見つけた下記サイトのように、今回の閣議決定は解釈改憲ではなく、政策に関する意見表明であり、違憲とはいえないという考え方もあるようです。
三重県の松阪市長さんが閣議決定の違憲性を訴えて訴訟を起こそうとされていますが、このサイトに書かれているように、閣議決定の段階では違憲ではないとしたら、この訴訟自体が成り立たなくなってしまうのでは…、と思ったのですが、いかがでしょうか?
(抜粋引用開始)
集団的自衛権の行使を認めた閣議決定は違憲として、国を訴える意向の松阪市の山中光茂市長は十七日、運動母体となる市民団体「ピースウイング」を設立した。代表に就任し松阪市本町の市産業振興センターで会見した山中市長は「市民の当たり前の幸せが守れるか今が分水嶺(れい)。人生をかけて運動に取り組みたい」と決意を語った。
(略)
八月一日に松阪商工会議所で開く第一回集会では、山中市長が集団的自衛権の問題点を解説し、参加者と意見交換する。山中市長は「訴えの利益など、訴訟の内容は今後議論する。安倍内閣の暴挙に鉄ついを下す判例を引き出したい」と力を込めた。
(略)
山中市長は二日、閣議決定は平和的生存権を侵すとして、違憲確認と損害賠償を求める国家賠償訴訟を起こすと本紙に明かし、三日に会見で表明した。山中市長によると、これまでに約一万件の賛同メッセージが寄せられているという。
(引用終わり)
集団的自衛権の行使を認めた閣議決定は違憲として、国を訴える意向の松阪市の山中光茂市長は十七日、運動母体となる市民団体「ピースウイング」を設立した。代表に就任し松阪市本町の市産業振興センターで会見した山中市長は「市民の当たり前の幸せが守れるか今が分水嶺(れい)。人生をかけて運動に取り組みたい」と決意を語った。
(略)
八月一日に松阪商工会議所で開く第一回集会では、山中市長が集団的自衛権の問題点を解説し、参加者と意見交換する。山中市長は「訴えの利益など、訴訟の内容は今後議論する。安倍内閣の暴挙に鉄ついを下す判例を引き出したい」と力を込めた。
(略)
山中市長は二日、閣議決定は平和的生存権を侵すとして、違憲確認と損害賠償を求める国家賠償訴訟を起こすと本紙に明かし、三日に会見で表明した。山中市長によると、これまでに約一万件の賛同メッセージが寄せられているという。
(引用終わり)
第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
おそらく、上記の国家賠償法1条1項を根拠として、日本国憲法によって保障された平和的生存権が侵害されたとする原告が、国を被告として損害賠償請求(慰謝料請求)を提起するという構成をとることはほぼ間違いないでしょう。
また、却下されることを覚悟の上で、閣議決定が憲法に違反して無効であることの確認を求めるかもしれませんし、それ以外の請求を行う可能性もあるでしょうが、国家賠償法に基づく損害賠償請求は絶対に外さないと思います。
これは、日本には抽象的な違憲審査を行う「憲法裁判所」が存在せず、具体的な権利の救済を求める訴訟について判断する前提として、司法裁判所に違憲立法審査権が認められているに過ぎないという構造から導かれる、やむを得ざる手段なのですが、山中市長としては、単なる「便法」ととらえることなく、個々の国民の「平和的生存権」がどのように侵害されたのかを主張の中心(の一つ)に据えたいと考えているようですね。
7月18日に開催された記者会見の模様を伝えるIWJの映像(35分~39分)に是非注目してください。
また、却下されることを覚悟の上で、閣議決定が憲法に違反して無効であることの確認を求めるかもしれませんし、それ以外の請求を行う可能性もあるでしょうが、国家賠償法に基づく損害賠償請求は絶対に外さないと思います。
これは、日本には抽象的な違憲審査を行う「憲法裁判所」が存在せず、具体的な権利の救済を求める訴訟について判断する前提として、司法裁判所に違憲立法審査権が認められているに過ぎないという構造から導かれる、やむを得ざる手段なのですが、山中市長としては、単なる「便法」ととらえることなく、個々の国民の「平和的生存権」がどのように侵害されたのかを主張の中心(の一つ)に据えたいと考えているようですね。
7月18日に開催された記者会見の模様を伝えるIWJの映像(35分~39分)に是非注目してください。
(抜粋引用開始)
ただ、集団的自衛権の行使を認める閣議決定が、直ちに国内法上違法であったり、日本国憲法上問題があったりと解するのは、難しいでしょう。
三権分立上、閣議決定は行政権を行使する内閣および行政機関を拘束するものであって、国会の議決や裁判所の判決を拘束するものではありません。(憲法41条、65条、76条参照)
集団的自衛権に基づき米国等と武器使用や武力行使で連携するには、閣議決定だけではなく、様々な関連法規の制定、改正が不可欠です。関連法案は、国会の議決が無ければ成立しません。関連法が憲法違反であれば、最高裁判所が違憲判決を下すことになるでしょう。
その意味では、解釈変更の閣議決定は、『解釈改憲』という大げさなものではなく、防衛政策に関する行政府の意見表明と解するのが、現行憲法の立場だと思います。
(引用終わり)
ただ、集団的自衛権の行使を認める閣議決定が、直ちに国内法上違法であったり、日本国憲法上問題があったりと解するのは、難しいでしょう。
三権分立上、閣議決定は行政権を行使する内閣および行政機関を拘束するものであって、国会の議決や裁判所の判決を拘束するものではありません。(憲法41条、65条、76条参照)
集団的自衛権に基づき米国等と武器使用や武力行使で連携するには、閣議決定だけではなく、様々な関連法規の制定、改正が不可欠です。関連法案は、国会の議決が無ければ成立しません。関連法が憲法違反であれば、最高裁判所が違憲判決を下すことになるでしょう。
その意味では、解釈変更の閣議決定は、『解釈改憲』という大げさなものではなく、防衛政策に関する行政府の意見表明と解するのが、現行憲法の立場だと思います。
(引用終わり)
まあ、こういう考え方もある、というか、弁護士の中にも、今のところ多数派とは言えないものの、そこそこいたりします(間違っても、こういう人たちは私たちと一緒にデモなどしません)。
もう一つ、この問題に関する政府自身の見解を見ておきましょう。これまで何度も引用している「『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』の一問一答」からです。
もう一つ、この問題に関する政府自身の見解を見ておきましょう。これまで何度も引用している「『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』の一問一答」からです。
(引用開始)
【問4】 解釈改憲は立憲主義の否定ではないのか?
【答】 今回の閣議決定は、合理的な解釈の限界をこえるいわゆる解釈改憲ではありません。これまでの政府見解の基本的な論理の枠内における合理的なあてはめの結果であり、立憲主義に反するものではありません。
(引用終わり)
【問4】 解釈改憲は立憲主義の否定ではないのか?
【答】 今回の閣議決定は、合理的な解釈の限界をこえるいわゆる解釈改憲ではありません。これまでの政府見解の基本的な論理の枠内における合理的なあてはめの結果であり、立憲主義に反するものではありません。
(引用終わり)
これがとりあえずの政府の立場でしょう。すなわち、「合理的な解釈の限界」内であれば、その閣議決定には何ら憲法上の問題は生じないということです。
これを反面から見れば、「合理的な解釈の限界」を超えた場合、例えば、安保法制懇の提言をまるごと採用するような閣議決定を行った場合には、「立憲主義に反する」、つまり「憲法に違反する閣議決定」となることがあり得ることまでは否定していないとも読めます。
これを反面から見れば、「合理的な解釈の限界」を超えた場合、例えば、安保法制懇の提言をまるごと採用するような閣議決定を行った場合には、「立憲主義に反する」、つまり「憲法に違反する閣議決定」となることがあり得ることまでは否定していないとも読めます。
そもそも、「閣議」というのは、単に閣僚が集まって開く会議というだけのものではなく、れっきとした法律上の位置付けがなされています。
第四条 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
3 各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。
2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
3 各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。
日本国憲法が認めた内閣の権限(73条)を行使するには、閣議によらなければならず、また、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)という中の「国務に関するその他の行為」の中に、内閣の権限行使が含まれていることは当然であり、その内容が「憲法に違反する閣議決定」というものは、十分に法的に想定可能だと思います。
というところまでが、とりあえず「メルマガ金原」読者からの質問に対する一応のお答えなのですが、山中松阪市長らが準備されているという訴訟、とりわけ、おそらくは訴訟の主戦場となるはずの「平和的生存権の侵害」の主張との関係で言えば、はたして閣議決定の段階で、平和的生存権が侵害されたと言えるのか?関係法令の改定などがなされなければ、実際に自衛隊が集団的自衛権の行使としての武力行使に及ぶことは法的に不可能なはずであるが、それでも閣議決定の段階で、個々の国民の平和的生存権が侵害されたと主張するのであれば、その根拠は何か?といったところが問題となるように思います。
集団的自衛権違憲訴訟については、現役自衛隊員であれば、国との契約上の地位に基づいて、閣議決定の方針に従って「改正」された自衛隊法等の規定に基づく出動命令に従う義務がないことの確認を求める訴訟が提起できるのではないか?というような提言があるようですね。
原告が見つかるのか、という問題はありますが、こういう訴訟は十分あり得るだろうと思います。
集団的自衛権違憲訴訟については、現役自衛隊員であれば、国との契約上の地位に基づいて、閣議決定の方針に従って「改正」された自衛隊法等の規定に基づく出動命令に従う義務がないことの確認を求める訴訟が提起できるのではないか?というような提言があるようですね。
原告が見つかるのか、という問題はありますが、こういう訴訟は十分あり得るだろうと思います。
ところで、日本には地方裁判所が50あります(北海道には札幌の他、函館、旭川、釧路にも地方裁判所があります)。この全ての地方裁判所で集団的自衛権違憲訴訟を起こしてはどうか?と提案する弁護士もいます(私ではありません)。
悪くないアイデアだとは思いますが、ろくな準備もなく、弁護団体制もあやふやな状態で見切り発車し、あえなく敗訴する位ならやらない方がましなので、それなりの覚悟が必要です。その前にまず、原告になろうという人がいるかどうかですが。
悪くないアイデアだとは思いますが、ろくな準備もなく、弁護団体制もあやふやな状態で見切り発車し、あえなく敗訴する位ならやらない方がましなので、それなりの覚悟が必要です。その前にまず、原告になろうという人がいるかどうかですが。
(付録)
『Hard times come again no more』 作:Stephen Collins Foster
日本語詞・演奏:長野たかし