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江戸川乱歩と宮崎駿~『幽霊塔』をきっかけに昔の情熱が蘇る

 今晩(2015年7月26日)配信した「メルマガ金原No.2163」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
江戸川乱歩宮崎駿~『幽霊塔』をきっかけに昔の情熱が蘇る

 今日(7月26日)は、映画『祝福(いのり)の海』(東条雅之監督』の和歌山市上映会の日。10時からと14時からの2回上映に多くの方が足を運んでくださいました。その上、運営のための多額のカンパも頂戴することもできました。本当にありがとうございました。実行委員会を代表して(一応共同代表なのでこう言ってもあながち僭越ではないでしょう)お礼申し上げます。
午前の部・対談 また、3年の歳月をかけて期待以上の素晴らしい映画を作ってくれた東条さん。彼を支えた妻の亜希子さん、今日の上映会にも参加してくださった佐藤幸子さん、美菜さん親娘をはじめとする多くの出演者や協力者の皆さんに、心から敬意を表します。
 今日、映画をご覧いただいた観客の皆さんからも非常に高い評価をいただいています。第一、同種の上映会に比べて、上映後にアンケートを書いてくださる方の数と熱意がはんぱではありませんでした。
 また、2回目の上映会が終わり、私が帰られる参加者のお見送りをしていたところ、年配の男性が近付いて来られ、「素晴らしい作品で感動した。ありがとう」と言いながら私に握手を求められましたので、とっさに「ありがとうございます」と答えたところ、その男性は次に佐藤幸子さんに握手を求めた上で帰っていかれました。
 私と佐藤幸子さんの間に東条雅之監督が立っていたのですが、開会挨拶をした私を監督と勘違いされたのではないか?とその方の姿が見えなくなってから気がつきました。
 これから後、この映画が順次全国で上映され、さらに多くの人々を繋ぎ合わせる触媒となることを祈っています。
 
 さて、今日は1日中、『祝福(いのり)の海』の2回上映とその後の打ち上げに参加していたため(途中で2時間ばかり抜け出して放送大学の単位認定試験を1科目受験してきましたが)、帰宅が遅くなり、まとまった記事を書いている時間がありません(よくあることですが)。
 そこで、私の個人的な趣味を思い出させてくれるTV番組をご紹介したいと思います。
 個人的趣味と言っても、最も熱中していたのは大学生時代からせいぜい10年間くらいのことでしたので、もう30~40年前にもなりますが、当時、懐かしの探偵小説を発掘・復刻することを売り物にした探偵小説専門誌「幻影城」という雑誌が刊行され、数年間の生命ではありましたが、一部の熱狂的なマニアに支持されていました。私は、この雑誌の本誌、増刊、別冊、それには関連単行本等を全て発売と同時に購入して揃えたのですから、完全な「幻影城」マニア、探偵小説マニアであったと言うべきでしょう。
 そもそも、「幻影城」という誌名自体、江戸川乱歩の評論集のタイトルを、乱歩のご子息の了解を得て付けたのであったと記憶しますが、日本における近代探偵小説の確立者が江戸川乱歩であったことは誰しも認めるところでしょうし、当然、私もその主要作品、評論集などはあらかた当時読んだものでした。
 その江戸川乱歩ETV特集が取り上げると言うことを知り、昔の情熱が一瞬にして蘇ったという次第です。
 
NHK Eテレ
ETV特集「二十の顔を持つ男~没後50年・知られざる江戸川乱歩~」

本放送 2015年8月1日(土)午後11時00分~
再放送 2015年8月8日(土)午前0時00分~(金曜深夜)
(番組案内から引用開始)
日本ミステリーの巨人、江戸川乱歩(1894-1965)が今年、没後50年を迎えた。
1923(大正12)年、緻密な暗号解読を軸とした『二銭銅貨』でデビュー。「日本初の本格探偵小説」と絶賛された。その後も怪奇幻想小説などが人気を集め、1936(昭和11)年に執筆を始めた『怪人二十面相』シリーズは、子どもたちの間で大ブームとなった。戦後、新人ミステリー作家に贈る江戸川乱歩賞を創設するなど後進を支援し、「大乱歩」とたたえられた。しかし、そうした華やかな業績の陰で、乱歩の人生には常に秘められた苦悩と葛藤があった。
近年、乱歩が残した資料の整理分析と共に、新たな視点からの研究が進み、その知られざる姿が現れてきた。少年時代を過ごした名古屋は当時、急速な近代化が進み、孤独だった乱歩少年の心に複雑な陰影を刻み込んでいった。そして、今回初めて公開されたみずから撮影したフィルムには、乱歩の心情を映し出す映像が記録されていた。少年のころ『怪人二十面相』に出会い、ミステリー作家を志したという綾辻行人さんや、芥川賞大江健三郎賞などを受賞した作家の中村文則さんらが、乱歩の苦悩の生涯を見つめ、作品世界を読み解いていく。
出演:綾辻行人中村文則
語り:リリー・フランキー
朗読:福島泰樹(内容59分)
(引用終わり)
 
 実は、この番組に注意を惹かれたのは、未読ながら、最近刊行された以下の本のことが気になっていたからでもあります。
 
『幽霊塔』 江戸川乱歩 (著) 宮崎駿(カラー口絵) 岩波書店 2015年6月6日
幽霊塔
江戸川 乱歩
2015-06-06

岩波書店サイトの解説から引用開始)
 
長崎の片田舎に建つ古い西洋屋敷に、幽霊が出ると噂される時計塔がそびえていた。江戸末期の大富豪が巨万の富を隠すために建てたもので、ひどく複雑な構造だという。いわく付きの場所を買い取った退職判事の名代で屋敷を訪ねた青年北川光雄は、そこで神秘的な美女野末秋子と出逢い、虜になっていくが……。
 謎につぐ謎、手に汗握る波乱万丈の展開で、一度読みだしたら止まらない全42章。結末はみごとな大団円。
 中学時代に『幽霊塔』を耽読し、時計塔のからくりと、絶世の美女をめぐるロマンスに憧れた宮崎監督は、映画「ルパン三世 カリオストロの城」のモチーフにその要素を取り込んでいます。
 そして60年ぶりに再読し、今回はなんと、時計塔をつくると宣言!かくして、三鷹の森ジブリ美術館(予約制)では「幽霊塔へようこそ展」(2015年5月末から2016年5月予定)の開催が決まりました。そびえ立つ時計塔は和時計。子どもたちには幽霊塔の迷路が用意されています。
 本書は、その展示パネル用に宮崎監督が描き下ろしたコマ割り漫画風の解説を、カラー口絵(全16頁)として収める珠玉の1冊。監督のハンパでない情熱が、乱歩の怪奇大ロマンの世界へと読者を誘います。
(引用終わり)
 
 三鷹の森ジブリ美術館の公式サイトに掲載された案内も読んでみましょう。
 
2015年4月 3日 新企画展示のお知らせ  
幽霊塔へようこそ展ー通俗文化の王道ー

(引用開始)
 今回の展示では、江戸川乱歩の長編小説『幽霊塔』をとりあげます。
 この小説は、英国の作家A・M・ウィリアムスンが1898年に発表した小説『灰色の女』を翌年1899年に黒岩涙香が翻案し新聞連載小説『幽霊塔』として発表、その38年後の昭和12年(1937年)に、江戸川乱歩が乱歩流の変化を加え書き改めたものです。
 宮崎駿監督は中学生の時にこの小説を読み、主人公たちの織りなすロマンスや、お話の重要な舞台である時計塔の歯車やその機構に憧れ、深く記憶に刻まれたそうです。長じてアニメーション作品を作るようになり、劇場長編作品として初監督した映画「ルパン三世 カリオストロの城」('79)では、自分なりに考えた時計塔やロマンスを盛り込んで作品を作ったと話します。
 今展示の企画・構成は宮崎駿監督。あらためて『幽霊塔』を60年ぶりに読み直して、この小説は通俗文化の王道をゆくものであると思い至りました。展示では、その理由を自身の描き下ろし漫画にて解説します。さらに、館内中央ホールには、宮崎監督デザインによる大きな「時計塔」が出現します。その中の螺旋階段を昇り展示室へ向うと、宝物が隠された地下迷宮を思わせる迷路が子どもたちを待ち受けています。迷路を抜けると、映画「ルパン三世 カリオストロの城」のジオラマが登場し、その舞台の構造についても紹介します。
 物語の舞台としての"時計塔"を読み解きながら、怪奇大ロマンの世界をお楽しみください。
展示期間: 2015年5月30日(土)~2016年5月(予定)
主催:(公財)徳間記念アニメーション文化財団
特別協力:スタジオジブリ 
(引用終わり)
 
 先ほども書いたように、岩波書店版『幽霊塔』は未読なので、宮崎駿さんが何故「この小説は通俗文化の王道をゆくものであると思い至」ったのかは分かりません。
 しかし、その結論には私は大賛成なのです。
 実は、先にご紹介した雑誌「幻影城」は、新人賞を設けていたのですが、小説部門泡坂妻夫さんや連城三紀彦さんなどを輩出しました)の他に評論部門もあり、たしかその第1回で入賞であったか佳作であったかが、中島梓こと栗本薫さんでしたが、一時、本気で私もこの新人賞(評論部門)に応募しようかと考えたことがあったのです。
 そしてその私が書きたいと思ったテーマが、『幽霊塔』だったのです。とはいえ、『幽霊塔』そのものを論ずるというのではなく、『幽霊塔』に象徴される「わくわくするお話~恋と冒険のミステリー」の系譜を跡づけたいというい結構壮大なもので、作品としては『幽霊塔』(黒岩涙香)→『幽霊塔』または『孤島の鬼』(江戸川乱歩)→『八墓村』(横溝正史)を取り上げようと考えていました。
 当時、横溝正史ブームのただ中で、『八墓村』がマンガやTV、映画などに数多く映像化されていましたが、いずれも同作のオカルト的側面をもっぱら強調するものであることが私は大いに不満でした。
 私の理解する『八墓村』は、主人公の青年が、数々の謎に満ちた試練を経て(その中には、迷路のような胎内巡りを成功させるという挿話もクライマックスに設定されている)、ヒロインと結ばれ、財宝も手に入れて大団円を迎えるという大衆小説の王道中の王道を行く作品というものでした。そして、それは決して孤立して成立した訳ではなく、横溝自身が傾倒していた2人の先達、黒岩涙香江戸川乱歩の先行作品から大きな影響を受けていた、というのが私の仮説でした。
 どうですか?着想自身は、悪くはないでしょう?今となっては、そそれほど独創的とは言えないかもしれませんが。
 もっとも、構想は悪くなかったとは思いますが、これを論理的に説得力豊かな評論に仕上げる能力は当時の私にはとてもなく、結局、この評論はアイデアだけの幻に終わりました。
 
 それから、はるか後年、宮崎駿さんの60年ぶりの情熱を伝えるニュースに接し、私も昔の情熱を思い出したという次第です。
 何だか、黒岩涙香江戸川乱歩の『幽霊塔』を読み比べてみたくなりました。