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「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから

 今晩(2016年11月30日)配信した「メルマガ金原No.2646」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから

 原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)、原発被害者訴訟原告団国連絡会、避難住宅問題連絡会、「避難の権利」を求める全国避難者の会の4団体は、「自主避難者の住宅無償提供継続を求める/原発事故被害者を切り捨てるな!/4団体共同全国集会in福島」
を12月4日に開催します(会場:福島県教育会館)。
 連絡先となっている「ひだんれん」のホームページは、以下のようにアピールしています。
 
(引用開始)
 日本政府と福島県による、自主避難者の住宅無償提供打ち切りは、すでに社会的、経済的にダメージを受けている避難者を切り捨て、救済をせず無権利状態に陥れることになり、人道上も許せることではありません。また、このことは原発事故被害者全体の今後に大きな悪影響を及ぼすことになり、認めることはできません。
 私たちは12月6日からの福島県議会に、自主避難者の住宅無償提供の継続を求め、請願書を提出します。
 これに向けて、11月28日(月)から12月2日(金)までの1週間、県庁前アピールと内堀県知事に直訴する連続行動を行い、12月4日(日)は4団体共同の全国集会とデモを開催します。
 和製パンク「切腹ピストルズ」も全国から集結して一緒に福島の街を練り歩きます。参加する方の鳴り物、踊りの飛び入り大歓迎!
 原発事故被害者の切り捨てを許さないために、是非、ご参集ください!
(引用終わり)
チラシ(PDF)
 
 内堀雅雄福島県知事に対する「直訴状」の一部が「ひだんれん」ホームページに掲載されています(11月28日の知事への直訴状より抜粋)。
 
 避難先自治体が独自の支援策(公営住宅の1年間無償提供など)を決定したというニュースに接することはあるものの、国や福島県が来年3月で災害救助法に基づく住宅無償提供を打ち切るという方針を変えるという兆候も認められぬ中、避難者4団体が実施することとなった企画です。
 
 このような動きに呼応して(だろうと思いますが)、森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表、東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream 代表)が、安倍晋三内閣総理大臣と内堀雅雄福島県知事に対する手紙(2016年11月28日付)を公開しました。
 「住宅支援を受けておられる方が最も当事者性があり説得力もあるのも承知で、私も何か力になれないか、意見表明はできないかと考え、一福島県民、一国民、一避難民として渾身の思いで書いた」そうで(森松さん自身は住宅支援は受けていません)、「無断で転記・転載、大歓迎」ということなので、私のメルマガ&ブログに「無断転載」することにしました。
 ただ、文章自体は、サンドリのホームページに掲載されたものをそのまま転載したことはもちろんですが、どこで改行するか、どこで1行空白スペースを設けるか、などの文章の体裁については、私の判断で(つまり私の読み方に従って)大幅に改めていることをお断りします(これも「無断」ですが、森松さん、「金原編集ヴァージョン」もOKですよね?)。
 「「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙」というタイトルも、手紙を読んだ上で、私が考えたものです。住宅支援継続問題も、つまりは「避難の権利」を認めるかどうかというところが岐れ目なのだ、という主張だと私は読み取ったのですが、これはあくまで私個人の読み方です。
 

内閣総理大臣 安倍 晋三さま
福島県知事 内堀 雅雄さま
 
 前略
 
「復興庁 避難者消したら 復興か」
福島県 避難者無視して 復興か」
 
 福島県郡山市から大阪市に2児を連れて母子避難を5年8か月間敢行しつづけている森松明希子と申します。1年前にも内閣総理大臣および福島県知事にお手紙を差し上げました。

 何度でも繰り返します。
 放射線被曝から免れ健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。誰にでも、等しく認められなければいけないと、私は思うのです。
 なぜなら、少しも被ばくをしたくないと思うことは人として当然のことであり、誰もが平等に認められるべきことだと思うからです。
 また、これから先、将来のある子どもたちに、健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは、親として当然の心理であり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。
 そこには、一点の曇もなく、放射線被曝の恐怖、健康不安があってはならないと思うのです。
 たまたま県外に親戚・縁者・支援者のつながりがあった人だけが被ばくを免れることができる、とか、経済力はじめ運良く様々な条件に恵まれた人たちだけが被ばくから遠ざかることができた、というようなことで本当に良いのでしょうか?
 
 今、次々となされる施策、法律で定められている年間1ミリシーベルトを超える放射線量が確認されても帰還困難区域を解除する、避難者にとっての命綱である支援住宅の打ち切り(他方で帰還者にだけは手厚い保護)など、これらの非道な施策により、幼い子どもの被ばくを少しでも避け避難を続けていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということをご承知の上での措置なのでしょうか?
 そして、それが本当に平等でフェアな施策だと言えるのでしょうか?
 何よりも、それは本当に正しいことなのでしょうか?
 
 そもそも、避難するという選択肢を選び、安心して避難を続けるという道筋が立てられる制度が5年以上経過しても何一つ確立されることもなく、避難したくてもできない世帯があることを国や福島県は分かった上でのこれまでのこの5年8か月間のご対応なのでしょうか。
 もしもご存知ないのでしたら、それは、「声なき声」、生活者の視点、ふつうの暮らしをしている人々の思いや声を聞き漏らしていることにほかならず、大変な無礼を承知の上で申し上げますが、為政者としては致命的であると言っても過言で無いと思うのです。
 
 原発事故子ども被災者支援法という法律はあるのにずっと棚晒しの現状・・・
 法律があっても、実際の被災者は何ら救済されないというこの現実。
 私は、福島にとどまり日々放射線と向き合う暮らしを余儀なくされていらっしゃる方々の選択をとやかく申し上げたことは一度もありません。むしろ、子どもを育てる同じ親としてのお立場の方々を思うにつけ、心中、心よりお察し申し上げる次第です。
 一方で、避難という選択をした私たちもまた、紛れも無く福島県民であることにかわりありません。遠く離れた土地に幼子と避難をしていたとしても、福島が、3.11前の何の健康被害のリスクも不安もない状態にもどりさえするのなら、すなわち、3.11前には現存しなかった放射線がなくなり3.11前の福島でありさえするのなら、今すぐにでも家族揃って福島での生活をまた再開したいと心から願っているのです。
 そう願い続けて5年8か月の歳月が流れました。
 
 避難をしている福島県民の「声」は届いているのでしょうか。
 それとも「意図的に無視」されているのでしょうか。
 県政を担われる内堀知事におかれましても、どうか、避難という選択をした者もまた県民の一人として捨て置くことなく、人の生命・健康にかかわる最も大切な基本的人権を尊重していただけますよう、避難民にもまた、温容な具体的施策の継続、実施をお願いしたく存じます。
 原子力災害がひとたび起きた時に、これまでのご対応が常套の手法とされてしまうことで計り知れない国民の権利が将来にわたり侵害されることになると私は危惧するのです。
 人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?
 国民は、等しく、自らの命を守り健康を享受する権利があるはずです。
 生命や健康を守る行為が原則であり、その原則的行為を選択した人に対して、どうか最低限度の制度を保障してください。
 そして、不幸にも原子力災害を経験してしまった県民(国民)として、次の世代に対して恥ずかしくないアクションを県政、県民として手を取り合って進めて頂きたいと思うのです。
 
 同様の事が、国政においても言えると思います。
 そのためには、一部の経済的利害関係の発生する人々の声だけでなく、人として当たり前の事を申し上げているだけにすぎない一母親、一生活者、一県民、一国民の真摯な声にどうか耳を傾けてくださいますよう、心からお願い申し上げます。
 
 避難者の存在そのものが社会的事実であり歴史的証拠なのです。「意図的な無視」により数にも数えようともしない、数に上げてしまったものは線引き・支援の打ち切りによって、全力で存在そのものを消そうとすることは、為政者としてあるまじき恥ずべき行為だと思うのです。
 私や私の子どもたちも含め、「避難している人々」は間違いなく存在しているのです。
3.11から今現在に至るまで、間断なく避難という選択をし続けています。汚染があるから帰らないという選択を尊厳をもって敢行しているのです。
 
 最後にこれだけはお伝えさせてください。
 トップが事実から目を背け、隠蔽体質を貫かれますと、国民・住民はさらなる苦痛と困難を強いられます。福島原発事故による国土の汚染は国のトップが世界に向けてアンダーコントロールと隠蔽しました。
 福島県からの避難者は北海道から沖縄まで全47都道府県全てに存在するというのに、
県のトップは物産売り込みには熱心で全国飛び回ったとしても、全国に散らばる避難者には会おうともせず無視しつづけています。
 私たち避難者の正確な数や実態、苦難の状況を把握しようともしないし、声も聞かない、
受け入れ先の自治体に「避難者をよろしく」とお願いもしてくれない。
 学校のいじめは学校長が無視、隠蔽したら苦しむのは子どもたちです。
 隠蔽されて再発防止策が講じられないと、被害の子も加害の子も、そして今は加害者にも被害者にもなっていないけれど、新たな犠牲者が出ることは必至です。
 そして再発防止は事実(何が起きていたかという被害の事実)と向き合わずしてはありえないと思うのです。
 いじめも原子力惨禍もそれは同じことです。
 なかったことにする、見ないことにする、臭いものに蓋が、どれだけ多くの子供たちの未来を奪っていることか・・・
 そのことに全ての人が気づくべきだと私は思うのです。
 避難児が恐喝いじめ事件に遭っていたという痛ましい事件がありましたが、全国に散らばる避難者の子どもたちは、国・県からの保護が皆無に等しく、同様の危険にさらされ続けているという現状があります。避難するという選択を尊重されないばかりか、さらなる危険にさらされながらの避難の継続を強いられることは、あってはならないことです。
 子どもたちの未来と健康を最優先に考えてください。
 子どもたちはこの国の未来であり、福島県にとっても大切な宝物です。
 避難を続ける人々の選択を尊重し、特に保護すべき避難の子どもたちをどうか全力で守ってください。
 内閣総理大臣福島県知事が全力でその姿勢を示してください。
 
 長文かつ乱文、大変失礼いたしました。
 
 福島の復興を切に願う一県民として、また、東日本大震災の真の復興を心から願う一国民として、筆を取らせていだだきました。
 最後までお読み下さいましてありがとうございます。
 
  2016年11月28日
 
                                       森松明希子


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