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司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述

 今晩(2017年1月5日)配信した「メルマガ金原No.2682」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述

 これまで、「司法に安保法制の違憲を訴える意義」と題し、「安保法制違憲訴訟の会」が昨年4月に東京地方裁判所に提訴した国家賠償請求訴訟と自衛隊出動差止訴訟における、口頭弁論での原告及び代理人弁護士による陳述の内容をご紹介してきました。
 いずれも、昨年9月に第1回、12月に第2回の口頭弁論が開かれており、この内、国賠訴訟の2回分及び差止訴訟の第1回での陳述をご紹介済みであり、差止訴訟の第2回口頭弁論における陳述も近く「安保法制違憲訴訟の会」のホームページにアップされるでしょうから、すぐに転載しようと思っています。
 
 本格的な原告団弁護団を結成しての安保法制違憲訴訟は、昨年4月26日の東京地裁(上記2件)及び福島地裁いわき支部での提訴を皮切りに、その後も、高知、大阪(国賠&差止の2件)、長崎、岡山、さいたま、長野、東京(女性訴訟)、横浜、広島、福岡、京都の各地裁への提訴が続き、最新は年末12月26日に提訴された山口です。今後も、1月10日に大分地裁、1月16日に札幌地裁への提訴が予定されており、他にも、安保法制法施行1年となる今年3月29日までの提訴を目指しているところもあるようです。
 
 各地とも、ホームページ等を開設しているところも多く、「安保法制違憲訴訟の会」のトップページに、各地のホームページにリンクするコーナーが設けられています。
 
 この内、既に第1回口頭弁論が開かれた長崎国賠訴訟(昨年11月8日)と岡山国賠訴訟(昨年11月24日)については、それぞれのホームページに、当日の意見陳述の原稿が全て掲載されており、訴訟にかける原告や代理人弁護士の意気込みをひしひしと感じることが出来ますので、是非お読みいただければと思います。
 
 
 
 それぞれ、多くの方が意見陳述されていますが、そのうち、長崎訴訟では寺井一弘さん、岡山訴訟では吉岡康祐さんという2人の弁護士の意見陳述を転載してご紹介したいと思います。
 寺井先生は、既に東京国賠訴訟の第1回口頭弁論での陳述をご紹介しており
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述/2016年9月6日)、「安保法制違憲訴訟の会」の共同代表を務めておられる重鎮ですが、幼い頃、両親に連れられて満州から長崎に引き揚げ、高校卒業まで長崎で育ったご自身のこの訴訟にかける思いが真率に語られており、東京国賠訴訟の際の陳述と基本的には同じものではありますが、是非何度でも多くの方にご紹介したく、取り上げました。
 また、岡山の吉岡康祐先生は、昨年3月まで岡山弁護士会の会長を務められた方ですが、なぜ原告訴訟代理人ではなくあえて「原告」となったのかを力強く語られており、一読、非常に勇気を与えてくれる(特に弁護士に)ものとして、是非ご紹介したいと思いました。
 それと、お2人なら、私のメルマガ(ブログ)への転載について、個別のご了解をいただかなくてもお許しいただけるだろうということもあって選んだということがあります。吉岡先生とは「Facebook友達」ですし、寺井先生からは、昨年の御用納めの日に「是非和歌山でも安保法制違憲訴訟を提起していただきたい」という要請というか叱咤激励の電話が直接私の事務所にかかってきましたので。
 

(長崎国賠訴訟 第1回口頭弁論にて)
                                         弁護士 寺井一弘
 
 私は、「安保法制を違憲とする国家賠償請求訴訟」の代理人の一人である寺井一弘であります。
 私は現在東京弁護士会に所属して弁護士の仕事に携わっている者でありますが、18歳まで爆心地にある高校で学んだ長崎出身であることから、長崎訴訟の代理人に加えさせていただきました。本件訴訟の第一回期日に私に意見陳述の機会を与えていただきましたことに深く感謝しております。
 
 私からは、本件訴訟にかける私自身の思いとなにゆえに全国の多くの市民と弁護士がこの裁判を何故提訴したか、それについて率直な考えを述べさせていただきたいと思います。
 ご承知の通り、安倍政権は昨年9月19日にわが国の歴史上に大きな汚点を残す採決の強行により集団的自衛権の行使を容認する安保法制を国会で成立させ、3月29日にこれを施行いたしました。そして安倍首相は憲法改正に着手することを明言し、7月の参議院選挙では与党を中心とした改憲勢力が3分の2を占めるという結果となりましたが、今日の事態はわが国の平和憲法と民主主義を守り抜いていくにあたって、きわめて深刻な状況であると言わなければなりません。
 私は昨年9月19日の夜、集団的自衛権行使容認の閣議決定の具体化としての安保法制の採決が強行された時、国会周辺に集まった多くの市民の方々とともにわが国の平和憲法が危機に瀕していること、70年間以上にわたって「一人も殺されない、一人も殺さない」という崇高な国柄が一夜にして崩壊していくのではないかということを強く実感させられました。300万人もの尊い犠牲の上に制定された平和憲法の第9条がなし崩し的に「改正」させられていくことへの恐怖と国民主権と民主主義が最大の危機に陥っていることを憂える市民の方々、老人、女性、労働者、若者たちの表情の一つ一つは今も私の脳裏に焼きついております。そして、私はその場で戦前、戦中、戦後の時代を苦労だけを背負って生き抜いた亡き母のことを想い出しておりました。
 
 私ごとでまことに恐縮ですが、私の生い立ちと母のことについて若干お話しすることをお許しいただきたいと思います。私の生き方の原点につながり、今回の違憲訴訟の代理人になったことに深く関わっているからです。
 私は日本の傀儡国家であった中国満州の「満州鉄道」の鉄道員だった父と旅館の女中をしていた母との間に生まれ、3歳の時にその満州で終戦を迎えました。8月9日のソ連軍の参戦により、満州にいた日本人の生命の危険はきわめて厳しくなり、私の父も私を生かすため中国人に預ける行動に出たようです。しかし、私の母は父の反対を押し切り、残留孤児になる寸前の私を抱きしめて故郷の長崎に命がけで連れ帰ってくれました。
 引揚者として原爆の被災地である長崎に戻った私ども家族の生活は、筆舌に尽くせないほど貧しく、母は農家で使う縄や筵をなうため朝から晩まで寝る時間を削って働いていました。最後は結核になって病いに伏せてしまいましたが、母はいつも私に「こうして生きて日本に帰ってこれたのだからお前は戦争を憎み平和を守る国づくりのため全力を尽くしなさい」と教え続けてくれました。その母も今やこの世を去ってしまいましたが、若し9月19日の参加者の中に母がいたならば、涙を流しながら私の手を握りしめて悲しい表情をしていたのは間違いないだろうと考えていました。
 私はこうした母の教えを受けて弁護士となり、これまで憲法と人権を守るためささやかな活動をしてきましたが、今回の明らかな憲法違反である安保法制の強行は私の母と同じような生き方をしてこられた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものであると痛感して、残された人生を平和憲法と民主主義を踏みにじる蛮行に抵抗するための仕事に全てを捧げようと決意して代理人を引き受けることにいたしました。おそらくこうした思いは本日裁判所に出頭されている方々を含めて多くの原告や代理人が共通にされていると思います。
 
 ところで私どもは、昨年9月に「安保法制違憲訴訟の会」を結成してこれまで全国の憲法問題に強い関心を持つ弁護士仲間と平和を愛する市民の皆様に対して、共に違憲訴訟の戦いに立ち上がるよう呼びかけて参りました。その結果、本日までに全国すべての各地から1200名近くの弁護士が訴訟の代理人に就任し、訴訟の原告となられた方は現在までに全国で3500名となっております。この勢いは今後もさらに広がっていき、全国的に怒涛のような流れになっていくことは間違いありません。
 そして私どもはまず本年4月26日に「国賠訴訟」と「差止訴訟」を東京地方裁判所に提訴しましたが、その後福島、高知、大阪、長崎、岡山、埼玉、長野、女性グループ、横浜、広島からの提訴が相次ぎ、札幌、仙台、群馬、茨城、山梨、名古屋、京都、山口、愛媛、福岡、熊本、宮崎、大分、鹿児島などで提訴に向けた準備が進められています。
さらに安保法制に反対してその廃案を求める国民の署名は現在約1600万となって衆参の国会議員に提出されております。
 
 私どもは圧倒的多くの憲法学者最高裁長官や内閣法制局長官を歴任された有識者の方々が安保法制を憲法違反と断じている中で、行政権と立法権がこれらに背を向け、国会での十分な審議を尽くすことなく安保法制法の制定を強行したことは、憲法の基本原理である恒久平和主義に基づく憲法秩序を根底から覆すものだと考えております。このような危機に当たって、司法権こそが憲法81条の違憲審査権に基づき、損なわれた憲法秩序を回復し、法の支配を貫徹する役割を有しており、またその機能を発揮することが今ほど強く求められているときはないものと確信しています。私どもは、裁判所が憲法の平和主義原理に基づく法秩序の回復と基本的人権保障の機能を遺憾なく発揮されることを切に望むものです。
 
 最後に、現政権はこの安保法制問題について国民が「忘却」することをひたすら期待しながら、4年後の東京オリンピックに向けて国威を発揚して「憲法改正」の道を前進しようとしていますが、私どもは、こうした策動に屈することなく、これからのわが国の未来のために平和憲法を死守することを絶対に諦めてはならないと考えて今回安保法制の違憲訴訟を提起いたしました。
 裁判所におかれては平和を切実に求める被爆者を中心とした長崎市民の方々の心からの願いと真摯に向かい合われることを切望して、私からの意見陳述とさせていただきます。
 

(岡山国賠訴訟 第1回口頭弁論にて)

平成28年11月24日

                 意 見 陳 述 書
               
                                 (原告番号 88) .
                                  原告 吉 岡 康 祐
 
1 序~自己紹介~
 私は岡山弁護士会に所属する弁護士の吉岡康祐と申します。弁護士なので原告本人になる必要はなかったかもしれませんが、私にとっては、単に、安保法制の違憲性を問うだけの裁判ではなく、法律家の精神的支柱ともいえる憲法を軽視あるいは無視というより憲法を蔑視する安倍政権に対する弾劾訴訟であると思っており、どうしても一国民として、国家権力に対する抵抗権行使をしたいと思い、原告になりました。
 
2 憲法会議
 私は、早稲田大学法学部に入学後、憲法改悪阻止各界連絡会議早稲田支部、通称「憲法会議早稲田支部」というサークルにはいり憲法の勉強をしました。当時の私に、憲法改正反対あるいは護憲という明確な思想があったわけではありませんが、憲法を勉強するにつれて、何となく9条についてはもやもやとした疑問を抱くようになりました。
 そのような折、たまたま、高石友也と言う歌手の曲を聴く機会がありました。「拝啓大統領殿」「腰まで泥まみれ」「ベトナムの空」等のいわゆる反戦歌を聞いた瞬間に、私は、大きなカルチャーショックを受け、頭の中で理屈として考えていた9条、平和主義が、瞬間的に、感覚的に自分の中にストンと落ちてきました。「戦争は嫌だ。平和が一番」。以降、私は、9条原理主義者になってしまいました。
 
3 弁護士の使命
 その後、32歳で弁護士になるわけですが、弁護士法1条には、弁護士の使命として「基本的人権の擁護と社会正義の実現」が明記されています。その中の「社会正義」とは、「憲法理念」あるいは「憲法価値」の実現と読むべきと私は考えています。そして、弁護士は、憲法で規定されている人権の擁護を中心に、立憲主義憲法のもとで、司法の一翼を担ってゆく職能集団であるべきと考えます。私は、そのような考えの下で、弁護士会の活動を一生懸命やってきました。
 
4 岡山弁護士会会長として
 その一環として、私は、昨年度(2015年度)、岡山弁護士会の会長をさせていただきました。2012年に、自民党がとんでもない憲法改正草案を出したこと、安倍政権の下で、2014年7月に集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされたこと等から、2015年は、いよいよ憲法にとって極めて厳しい年になることは予想できました。憲法上問題点の多い安保法制案が国会で審理されようとしている2015年度に、弁護士会の会長に就任したということは、全身全霊をかけて憲法を、9条を守るために戦ってくれと、「憲法」から言われたような気持ちでした。
 また、昨年の6月、高校時代の後輩である政治学者の山口二郎氏と東京で会い、意見交換をしました。その際、彼から、「自分はこれまで学生に政治学を教えてきたが、何をしていたのかわからなくなった。このまま、安倍首相のやりたい放題を見逃し、安保法制案が成立し、さらには憲法が変えられてしまったら、後世の人に申し訳がたたない。僕は学者生命をかけて憲法を守るために闘う。吉岡さん一緒に闘いましょう。」と言われました。彼の誠実な学者魂がひしひしと伝わり、私も弁護士生命をかけるつもりで憲法理念・憲法価値の実現を図るべく全力を尽くすことを、彼に約束しました。その一環が、本件訴訟です。
 
5 安倍政権の憲法軽視行為
 ところで、昔の自民党の首相経験者の中には、現憲法に対して、特に9条に対して敬意を払って政治を行っていた方もおられ、自民党政権が長く続いていても、9条が改正されることなく、日本も戦争に巻き込まれることなく、平和な状態で繁栄することができました。この点については、私は自民党の支持者でありませんが、それなりに、自民党の歴代首相の功績には一定の評価をします。
 しかし、安倍首相をはじめとし、現在の自民党の政治家には、憲法及び9条に対する畏敬の念が全く感じられません。第一次安倍政権誕生以降、安倍政権下の自民党等がやってきたことを見ると明らかです。防衛庁から防衛省への昇格、教育基本法改悪、国民投票法の制定、私的諮問機関である安保法制懇に集団的自衛権を研究・報告させたこと、内閣法制局長官に集団的自衛権容認派の外務省出身の小松氏を就任させたこと、特定秘密保護法を制定させたこと、度重なる報道機関に対する干渉、武器輸出禁止の緩和、国立大学に対する国歌斉唱・国旗掲揚の要請、自民党改正憲法草案の底流に流れている前近代的思想、そして何よりも、現憲法はアメリカに押し付けられたみっともない憲法なので改正すべきとする安倍首相の憲法蔑視、憲法99条違反発言等、挙げればきりがありません。このままゆくと、安倍首相をはじめとする一部の支配者層の極めて不当な憲法観の下で、日本は確実に危険な方向に向かってゆきます。いや、もう向かっています。私の憲法観の破壊どころではすみません。
 
6 平和的生存権・後方支援活動は武力行使そのもの
(1)平和的生存権の権利性
 さて、平和的生存権の権利性については、あとで山崎弁護士が述べますが、一言だけ言わせてもらいます。安倍首相は、集団的自衛権憲法違反でないことの根拠の一つに、「憲法前文の趣旨と憲法13条」をよく引き合いに出します。つまり、国民の平和的生存権と幸福追求権を守るためには、自国の平和を維持し存立を全うする必要があり、そのための必要な措置を憲法は禁じておらず、個別的自衛権はもとより集団的自衛権も否定されないと説明するのです。
 しかし、集団的自衛権や安保法制が合憲であることの説明の中で、国民の平和的生存権や幸福追求権を持ち出しながら、他方で、この訴訟においては、平和的生存権の権利性を否定するのは、明らかに矛盾しており、ご都合主義としか言いようがありません。テロの危険性が高まる現代社会においては、平和的生存権の権利性を否定するのは時代遅れも甚だしいと思います。
(2)後方支援活動の違憲
 さて、裁判官。戦争で重要な任務は何かわかりますか。前線で戦う戦闘員の確保、作戦、情報、いろいろあると思いますが、私は、地味ではありますが、前線の戦闘員に武器弾薬食料等を供給するいわゆる兵站行為、すなわち後方支援活動も極めて重要な任務の一つに挙げられると思います。その違憲性については、あとで藤川弁護士が述べますが、一言だけ。豊臣秀吉小田原城を長期間にわたって包囲し落城に成功したのは、小田原城への補給路を断ち、かつ、20万ともいわれる豊臣方の兵士の兵糧を確保したからです。秀吉が天下統一を果たせた裏には、何よりも石田三成と言う兵站行為のエキスパートがいたからです。また、太平洋戦争で、アメリカが効果的に行ったことは、前線にいる日本兵のため武器弾薬食料等を輸送する船団を攻撃し、補給路を断ったことです。それによって、日本兵は、無残な闘いを強いられたのです。武器弾薬のみならず食料医薬品等、前線に必要な物資を運ぶ行為は、まさしく戦争行為そのもので、相手からすれば、補給を手伝っている者も敵と同じです。攻撃対象になることは子供でも分かります。したがって、政府がどのように説明しようが、後方支援活動は、武力行使そのもので、憲法9条に反します。
 
7 司法権の役割~憲法の番人たれ~
 ところで、政府が政策決定をする場合や法案を提出しようとする場合、過去の法令や判例に齟齬がないか、憲法に違反しないか等について、内閣法制局で厳格に検討し、問題がないとなって初めて、その政策や法案の合法性や合憲性が担保されます。しかし、この集団的自衛権行使容認を認めた閣議決定等については、政府の憲法解釈の番人と呼ばれている内閣法制局で、厳格に審査・検討された形跡がありません。したがって、本閣議決定で行った憲法9条の解釈変更には合憲性の推定は及ばないと私は考えます。しかも、日本国中のほとんど全ての憲法学者、元内閣法制局長官、元最高裁長官、日弁連、全ての単位弁護士会等の法律専門家が憲法違反であると言っていることから、集団的自衛権行使容認の閣議決定およびそれを前提とした新安保法制は、いずれも「一見極めて明白に違憲」です。これだけの多数の法律専門家が、公に、国民に向かって「憲法違反だ」というのは前代未聞です。それだけ違憲性が明白なのです。
 これまで裁判所は、自衛隊の問題については、百里基地一審判決以外、憲法判断をしていません。自衛隊について積極的に合憲とも違憲とも何も判断していません。しかし、自衛隊が合憲か否かについての憲法判断を回避することと、現行9条のもとで集団的自衛権行使が認められるか否かについての憲法判断を回避することは、次元が違います。罪の重さが違います。なぜなら、自衛隊のこれまでの政府の公式解釈すなわち「規範」であった「専守防衛・個別的自衛権」を堅持する限り、自衛隊員は海外での戦闘行為で戦死者が出ることは法理論上はないと言えますが、集団的自衛権行使を前提とする新安保法制の下では、近い将来、自衛隊員が国外での戦闘行為によって殺されたり、あるいは自衛隊員が外国の軍人や民間人を殺してしまう事態の発生の確率が格段に上がるからです。先日、南スーダンでの駆け付け警護に自衛官が派兵されましたが、この裁判中にも戦死者が出るかもしれません。
 裁判所が憲法判断を回避して、何らの司法的判断をしない場合、裁判所は、内閣や国会の行為を追認することとなり、国民から見れば、他の二権に加担したとみられます。司法権を担う裁判所としては、集団的自衛権を認めた閣議決定及び新安保法制は違憲無効であるという判決を出し、他の二権と共犯関係にならないことを、そして、三権分立のシステムが機能していることを、国民に示して下さい。
 最後に、同じ司法試験を合格してきた者として一言。まがりなりにも司法試験の受験で、憲法を真剣に勉強してきた仲間として、私は個々の裁判官の健全な憲法感覚を信じたい気持ちで一杯です。裁判官におかれましては、権利性の有無や権利侵害性の有無と言った間口の問題で訴訟を終わらせることなく、憲法判断に踏み切り、違憲判決を出されることを切に願います。
 学校の社会科の授業で、裁判所は憲法の番人であると教わりますが、もしここで裁判所が違憲判断をしない場合は、裁判所は、「憲法の番人」ではなくなってしまいます。教科書の内容を変更しなければなりません。裁判所が、名実ともに「憲法の番人」であることを、国民に対し気概をもって示して下さい。
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述

2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述
2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述