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ETV特集「老いて一人 なお輝く~一人芝居 50年~」(12/23)~「土佐源氏」(宮本常一『忘れられた日本人』収録)を読み直してみよう

 2017年12月21日配信(予定)のメルマガ金原.No.3023を転載します。
 
ETV特集老いて一人 なお輝く~一人芝居 50年~」(12/23)~「土佐源氏」(宮本常一『忘れられた日本人』収録)を読み直してみよう
 
 時として、何十年も前に読んだ本が、思いもかけず世上を賑わすことになったのを機に、もう一度書棚の奥から引っ張り出して、ぱらぱらと頁をくることがあります。
 宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎氏の名著自体の映画化ではなく、「その本が主人公にとって大きな意味を持つという話です」(2017年10月28日付・朝日新聞デジタル宮崎駿監督、新作タイトルは「君たちはどう生きるか」)ということらしいのですが、それでも、思わず岩波文庫を探し出し、いつでも読めるように枕元に置いたりしています(まだ読み直していませんけど)。
 
 今日はまた、おそらく読んでから二十数年は経っている岩波文庫を引っ張り出すことになると思います。その本というのは、宮本常一(みやもと・つねいち/1907-1981)氏のあまりにも有名な著作『忘れられた日本人』です。
 岩波書店のホームページでは、「柳田国男渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作.(解説 網野善彦)」と紹介されています。
 思い起こせば、弁護士になってからまだ数年しか経っていない頃、ブログなどやっていなかったので(インターネット黎明期で誰もブログなどやっていなかった)読書に費やせる時間が十分にあったからか、宮本常一氏の民俗学関連の著作も数冊は読んだ記憶があります。その中の1冊として、おそらく同氏の著述の中で最も有名な『忘れられた日本人』(最初は1960年に未來社から刊行)も含まれていたのです。
 
 この稿は事務所で書いているため、帰宅しないと岩波文庫版を見ることができないのですが、同書収録の13編の中で、最も印象深く思い出すのは(多くの人がそうだと思いますが)、「土佐源氏」という一風変わった、タイトルだけでは中身の想像がつきにくい一編です。
 
 私の拙い文章で中身をご紹介するよりは、そんなに長いものではありませんので、原著自体を読んでいただくにしくはないと思います(税込864円で発売中です)。
 それでも概略を知りたいという方は、エッセイストの湯川豊さんが「本の中の旅」の一編として書かれた「宮本常一 歩かなければ見えないもの」が、文春サイトで読むことができ、その中で、『忘れられた日本人』が取り上げられており、特に「土佐源氏」については詳しく紹介されています。
 一部引用してみましょう。
 
(引用開始)
 旅の話とは直接関係はないが、『忘れられた日本人』のなかで最もよく知られている「土佐源氏」一篇も、つまるところは旅の途上の聞き書である。ついでながら、この文章にふれておこう。
 高知県の山中にある檮原(ゆすはら)という村は、愛媛との県境に近い。四万十(しまんと)川の最上流部にあたる四万(しま)川が流れている。その四万川のさらに上流の支流が茶ヤ谷という場所で、宮本は昭和十六年の二月、流れの橋の下に小屋掛けしていた「土佐源氏」をたずねて話を聞いたのである。
 自ら「乞食」の身になったという男は、元馬喰(宮本はばくろうと平仮名で書いている)。みなし子同然の境涯で、少年時代に馬喰の親方のところへ奉公に出た。男がいうには、「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、女(おなご)をかまう事ですぎてしまうた」。
 そして男の「色ざんげ」が始まるのだが、色ざんげという言葉がもつ湿り気がない。じめじめしていない。愁いの色はあるのだけれど、情事のあったときから十分に時間が経ったせいか、すでにゆるぎのない「物語」になっている趣きがある。
 馬喰という身分では寄りつきようのない、当時の田舎では上流とされる家庭の人妻と体の関係をもった話が二つ語られる。一つは楮(こうぞ)買いの商売をしていたときに出入りした営林署の役人の妻が相手。もう一つは、旦那が県会議員をしている、庄屋のおかた(奥さん)に手をつける話。
(略)
 宮本常一がこの男の聞き書に「土佐源氏」というタイトルをつけたのは、まさに絶妙というべきであろう。被差別民のひとつであった馬喰が、女たちの「悲しみ」への「思いやり」によって、身分高いとされる女性たちの相手になることができた。これが「土佐の源氏」であるという発想には、ユーモアとおだやかな皮肉もただよっている。
 じつは「土佐源氏」は山本槌造(つちぞう)という人物で、「乞食」ではなかった。水車小屋をもち、そこで村人のために米を搗くのが仕事だった。佐野眞一氏が『旅する巨人―宮本常一渋沢敬三』のなかで、山本槌造の孫に取材した話を明らかにしている。「土佐源氏」がすごい話芸の持ち主で、宮本常一にした話も巧みに虚実とりまぜたものに違いないというふうに孫は語っている。
 私は十分それはあり得ると思う。営林署の役人の妻との話は、「秋じゃったのう。/わしはどうしてもその嫁さんとねてみとうなって……」という語りからその場面が始まる。語り手である「土佐源氏」が、自分の体験を「物語化=虚構化」しているようすが、この思い入れたっぷりの語り口から伝わってくる。
 これはフィクションで話の真実性を補強し、強化するやり方といってもいいだろう。現代最高の旅行文学の書き手だったイギリスのブルース・チャトウィン(一九八九年、四十八歳で死去)は、自分の作品をフィクションで補強することをあえて避けなかったし、それを行なう名手でもあった。チャトウィンについてはくわしく語る機会が後にあるだろうが、「土佐源氏」の場合、語り手自身が虚実をとりまぜて語り、宮本はそれを承知しながら採録しているのかもしれない。それでも「土佐源氏」の輝きは少しも減じない。これは民俗学の成果ではなく、旅をしつづけた人の一個の作品なのである。
(引用終わり)
 
 さて、最後に、私がなぜ『忘れられた日本人』や「土佐源氏」を思い出したのかを書いておきましょう。
 私は、定期的に、録画すべきTVドキュメンタリー番組はないかとネット検索するのですが、今日たまたまNHK・EテレのETV特集のホームページを確認したところ、以下のような番組案内にぶつかったのです。
 
NHK・Eテレ
本放送 2017年12月23日(土)午後11時00分~午前0時00分
再放送 2017年12月28日(木)午前0時00分~1時00分(水曜深夜)
ETV特集老いて一人 なお輝く~一人芝居 50年~」
「88歳で現役の役者、坂本長利さんがライフワークとしているのが一人芝居「土佐源氏」。今年で公演50周年、演じた回数は1190回に。記念公演の旅に密着し魅力に迫る。
今年米寿の坂本長利さんは、現在もテレビドラマや映画で活躍する。昭和16年民俗学者宮本常一高知県聞き書きした「土佐源氏」に感銘を受け独自に脚本化した。目の不自由な80代の男性が語る若い頃の女性遍歴。そこには今失われつつある思いやり深い日本人の姿も描かれている。6年前にがんを患い一人暮らしの坂本さんは「忘れてはいけないものがあるから演じ続ける」と語る。旅公演からその情熱の根源を見つめる。」
 
 「和の心を伝える企画プロデュース 響和堂」ホームページを閲覧してみると、「土佐源氏 公演スケジュール」が掲載されており、2017年12月15日(金)さいたま市「ギャラリーカフェ楽風」での公演が1190回目だそうです。
 不勉強にも、坂本長利さんによる一人芝居「土佐源氏」は全く知りませんでしたが、ETV特集で取り上げられたのをきっかけとして、また『忘れられた日本人』を手にとってみようという気になったのですから、1冊の本との「縁」はどこでどう繋がっているか分からず、不思議なものですね。