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公明党は何を慎重に議論しようというのか?(井上義久幹事長の講演から)

 今晩(2014年2月20日)配信した「メルマガ金原No.1643」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 

 

公明党は何を慎重に議論しようというのか?(井上義久幹事長の講演から)
 
 安倍晋三首相が憲法解釈の変更に突き進む「集団的自衛権の行使容認」問題について、連立与党の公明党がいかなる対応をとるつもりかに注目が集まらざるを得ない昨今、必然的に、山口那津男代表とともに、幹事長である井上義久氏の発言が報道される機会も増えてきました。
 ただ、同じ発言であっても、どの部分をどう切り取るかによって、報道を読む(視聴する)側の受け取る印象は相当に違ったものになるものです。
 その一例として、一昨日(2月18日)、井上幹事長が都内で行った講演での発言を報じた朝日新聞日本経済新聞の記事を読み比べてみましょう。
 
朝日新聞デジタル 2014年2月18日22時37分
(引用終わり)
井上義久公明党幹事長
 公明党が結党された当時は自衛隊憲法違反であり、日米安保は破棄すべきだという政策であった。だが、その後の社会状況の変化に対応して3年ぐらいかけて「自衛隊を容認する」、「日米安保を容認する」と安全保障政策を変えてきた。安倍晋三首相が言うように安全保障環境が大きく変わっていることは我々も認識している。
 今、本当に何が必要かということを真っ正面から向き合って、しっかりと(集団的自衛権について)議論をしていきたい。安全保障については、国民的なコンセンサス(合意)をつくることが最も重要だと思っているので、そういう役割を公明党としてしっかり果たしたい。(東京都内の講演で)
(引用終わり)
 
日本経済新聞WEB版 2014年2月18日19時51分
 公明党井上義久幹事長は18日、都内で講演し集団的自衛権の行使容認を巡る議論に関して「真正面から否定しているわけではない」と述べ、政府・自民党の協議に柔軟に対応する考えを示した。「慎重に議論して国民的なコンセンサスをしっかりつくる。ある日起きたら国のあり方が変わっていたということがあってはならない」とも語った。
 山口那津男代表は同日の記者会見で、井上氏の発言について「(集団的自衛権の行使を)容認するということではない」と説明。「(政府の有識者会議から)4月以降に報告書が出てきて、今国会でなんらかの結論を出すというのは簡単なことではない」と強調した。
(引用終わり)
 
 この講演は、帝国ホテルで行われた日本アカデメイア主催の「井上義久公明党幹事長との交流会」というものであり、冒頭スピーチ約32分が YouTube で視聴できます。
 
井上義久公明党幹事長 in 日本アカデメイア(2月18日)
 
 このうち、20分~25分の部分で集団的自衛権についての公明党の考え方を述べており、さらに最後の29分~32分の部分で、より広く安全保障全般についてのスタンスを語っています。やや長くなりますが、以下に2箇所の発言部分を文字起こししておきますので、両新聞記事に加工される前と後を比較していただければと思います(発言の完全再現ではなく、読み辛い部分は適宜省略しています)。
 
2/18井上義久公明党幹事長講演(20分~25分)
集団的自衛権の問題について、党の考え方について、若干お話をさせていただければと思っております。集団的自衛権の行使は、憲法上認められないというのがこれまでの政府の見解でございます。それは皆さんご承知のとおりでございます。
 それに対して、安倍総理、安全保障環境が大きく変わっているということから、この集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で認めるべきではないかという問題提起をされている訳でございまして、そのために、安保法制懇を作ってですね、そこで今議論が行われている訳でございます。安倍総理はですね、この安保法制懇の議論、4月くらいにも報告書が出ると、こう言われておりますけれども、それが直ちに政府の方針ではないと、こう仰っておりますから、総理の私的な諮問機関であるという風に我々としては認識しております。その上で、報告が出ればですね、与党で議論をし、そして最終的には政府与党でコンセンサスを作ると、こういう風に仰っておりますので、我々は基本的には、今は、その安保法制懇の議論を見守るという立場にある訳でございます。
 この自衛権をめぐる問題っていうのは、これまで戦後ずっと議論されてきたことでございまして、我々がこれまでの憲法上、集団的自衛権の行使は認められないよいう政府見解というものを「是」としてですね、まあ、今の政府も実はそういう基本的立場に立っている訳でございます。これをもし変えるということであればですね、私どもの山口代表がいつも申し上げていますけれども、何故これを変えるのか?またどのように変えるのか?しかもまた、その変えた結果がですね、国民生活とかあるいは同盟国や近隣諸国や国際社会にどのような影響を与えるのか、そういうことを深く慎重に議論し
なければいけないと。で、最終的にはやっぱり安全保障の話ですから、やっぱり国民1人1人の命をどう守るか、財産をどう守るか、この国をどう守るかというですね、これはやっぱり国民の覚悟っていうものが必要な、最も重要な課題でございますから、やっぱり国民の理解をしっかり得なければいけないということもありますし、また、諸外国についてもですね、理解を得る努力っていういものを積み重ねる必要があると。そういう意味で、私どもはこの問題については、やはり慎重に議論をして、国民的なコンセンサスをしっかり作ると。ある朝起きてみたら、突然この国のあり様が変わっていたというこ
とになっては、決してあってはならないと、こういう立場に立っておりまして、それが色んな形で報道されてですね、何となく自民党公明党の間に隙間があるんじゃないかとか、隙間はあるけれども、隙間風は吹いていないと言ったら、やはり隙間があるんだなあという風に言われたりですね。なかなかそういうところばかり強調されておりまして、また、隙間を出来るだけ広げてその間に入り込もうという人たちもおるもんですから、なかなか難しい立場なんですけれども。私どもは、真正面からこれを否定している訳ではなくてですね。やっぱりそういう慎重な議論が必要だという前提に立って、しっかり議論しましょうと、こういうことを申し上げている訳でございます。このことについて、是非またご理解いただければと思います」
 
2/18井上義久公明党幹事長講演(29分~32分)
「そういう中で、特に社会保障については先ほど申し上げたとおりでございますけれども、安全保障という観点もですね、結党当初は、例えば自衛隊憲法違反であり、違憲の存在であり、日米安保は破棄すべきだというのが、最初の結党した時の政策でございましたけれども、その後の社会の変化に対応して、それを掲げなければ野党として立っていられないという状況だったと思いますけれども、その後の社会状況の変化に対応してですね、相当な時間、約3年位かけてですね、自衛隊を容認する、あるいは日米安保を容認するという風に、安全保障政策というものを変えてきた訳でございます。これを変えるには相当な労力と時間がかかってそれを変えてきた訳でございますし、またその後の東西冷戦の後の湾岸戦争を契機にしてですね、世界の平和とどう向き合うかという観点で、野党の時代、与党の時代ありましたけれども、湾岸戦争に対する100億ドルの支援の問題とかですね、あるいはその後のPKO法の成立とかですね、さらには、イラク特措法とか、あるいは周辺事態法とかですね。党内で徹底的な議論を積み重ねながらですね、安全保障政策についても、きちっと向き合って、特にPKO法についてはですね、公明党の力といいますか、公明党の存在なくしてはなかなか成立し得なかったんじゃないかという高い評価をいただいておる訳でございますし、安全保障政策についても、きちっと向き合ってこれま議論を積み重ねて一定の方向を出してきたと。今総理が仰るように、安全保障環境が大きく変わっているということは、我々も認識している訳でございまして、そういう中で、今回日本版の安全保障会議が設置をされて、外交安全保障戦略、また、防衛大綱、中期防、昨年来ずっとその作業をしてまいって、一定の方向を出した訳でございますけれども、今ほんとに何が必要なのかということと真正面から向き合ってですね、しっかり議論をしていきたいと、そして、やはり国民的コンセンサス、特に安全保障についてはですね、国民的なコンセンサスを作るということが最も重要だという風に思っておりますので、そういう役割を公明党として、しっかり果たしたいという風に思っております」
 
 朝日と日経のどちらが井上幹事長の話の趣旨を正しく伝えていたかという比較は、皆さまにお任せしたいと思います。
 それよりも私が気になっているのは、公明党は一体「何を」議論しようとしているのか?ということです。井上幹事長の短い講演の中で「議論」という単語が何回登場したかまで数えていませんが、ここぞというところ、本来であれば、公明党としての基本的見解の表明が期待される箇所において、必ず「結論」に代えて使われるのが「議論」という言葉です。要するに、「議論」という言葉は、結論先送りのための「マジックワード」として使われているとしか思えないのです。
 さらに言えば、井上幹事長の「これ(金原注:集団的自衛権の行使は憲法上認められないとの従来の政府の解釈)をもし変えるということであればですね、私どもの山口代表がいつも申し上げていますけれども、何故これを変えるのか?またどのように変えるのか?しかもまた、その変えた結果がですね、国民生活とかあるいは同盟国や近隣諸国や国際社会にどのような影響を与えるのか、そういうことを深く慎重に議論しなければいけない」という表現も気になります。何が気になるかと言えば、議論すべき対象に、「憲法解釈を変更することが可能ということを論理的に説明できるのか?」ということが含まれていないことです。井上幹事長が議論の対象として掲げる問題も重要かもしれませんが、それは、法的論理として、集団的自衛権の行使が憲法上認められないという説と認められるという説の両者がともに成り立ち得ることを前提として、どちらの解釈をとるのがより妥当かを検討する際に考慮すべき事柄であって、最も肝心な
前提問題をスルーして(「議論」せず)、一体何のために「議論」しようというのだろうか?というのが根本的な疑問です。
 阪田雅裕氏をはじめとする多くの歴代内閣法制局長官が、集団的自衛権に関す憲法解釈を変更しようとする動きを批判しているのは、前提問題としての法的論理を無視して、「国際安全保障環境の変化」なるものを持ち出してくる態度を、「法治主義の否定」ととらえているからです。
 従って、私が公明党に尋ねたいことは、煎じ詰めれば、「御党は、法治主義は守らなければならないということを認めますか?認めるのであれば、それを行動で示す覚悟がありますか?」ということなのです。
 なお、ここで言う「法治主義」が、この文脈においては、ほぼ「立憲主義」と同じような意味で使っていることはご理解いただけるかと思います。
 
(おまけ)
 もしも私が公明党の代表か幹事長であれば、「安倍晋三のような極右・歴史修正主義者に付き合うのはうんざりだ。米国や中国とも普通の関係を維持できるもっとまともな自民党総裁を選び直してもらい、みんなの党維新の会などお呼びでない、しっかりとした自公政権を作り直したい。その時が来るまでは、集団的自衛権については『慎重に議論』を重ねて時間稼ぎをするしかない」と腹をくくるかもしれません。―これはほんのヨタ話です。