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7月1日閣議決定についての木村草太氏の解釈には無理がある

 今晩(2014年10月28日)配信した「メルマガ金原No.1892」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
7月1日閣議決定についての木村草太氏の解釈には無理がある

 
7月1日閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」が一体何を決めたのかについて、様々な言説が飛び交っており、私自身いろいろと悩むところではあるのですが、これまでに接した解釈の中で、今のところ最も共感しているのは、国民安保法制懇が9月29日に公表した報告書
「集団的自衛権行使を容認する閣議決定の撤回を求める」です。
 
(抜粋引用開始)
集団的自衛権を否定すべき論拠によって、それを容認する正反対の結論を支えよう
とする無理な論法を押し通した結果、この閣議決定の内容は、その意図も帰結もきわめて曖昧模糊としており、見る者の視点によって姿の変わる鵺(ヌエ)とも言うべき奇怪なものと成り果てている。憲法解釈の変更であるのみならず、いかなる変更であるかも不明瞭な「変造」と言うべきものである。その論理および帰結の奇怪さは、次の3.2で述べる集団的自衛権
使要件の不明瞭さに示されている。
(引用終わり)
 
 これに対し、公明党内閣法制局は「よく頑張った」と評価する一群の論者がおり、その代表格が木村草太首都大学東京准教授(憲法学)です。
 木村准教授の主張については、ビデオニュース・ドットコム(ニュース・コメンタリー)での木
村氏の神保哲生氏、宮台真司氏との鼎談をご紹介したことがありました。
 
木村草太氏:国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
 

 ただ、鼎談の中での発言なので、いまひとつ趣旨が分かりにくい点などもあったのですが、
月刊「第三文明」10月号に掲載された同氏へのインタビュー
「延長戦に入った集団的自衛権議論」がようやくWEB第三文明に転載されましたので、ご紹介しようと思います。
 この記事は、木村氏自身が執筆したものではなく、インタビューを構成したものではありますが、事前に木村氏自身が内容を確認した上で掲載されたものと考えて良いと思います。
 
 木村氏は、今回の閣議決定の基礎となった「72年見解」が、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」であれば、自衛権を行使できるとしたものであり、わが国の存立が全うできなくなる事態とはどのようなものかといえば、「日本国の主権が侵害されている場合」であり、主権侵害とは何かとえば「武力攻撃のこと」であるとします。
 そこから、「今回の閣議決定は、〝外国への武力攻撃によって日本の国家主権が侵害
される明白な危険が発生した場合〟に、自衛の措置がとれるという基準を示すものと理解
でき」ると主張します。
 そして、「外国への武力攻撃によって、日本の主権が侵害されるとはどのような事態なの」
かというと、「これは簡単で、『同時に攻撃を受ける』という事態です。一例としては、在日米軍基地が攻撃を受けた場合が挙げられるでしょう」とし、さらに、「日本が紛争に巻き込まれていて、日本の防衛のために米軍に手伝ってもらっているときに、その米軍への攻撃があった
場合も当てはまると思います」と“明快に”説明します。
 すなわち、「これは従来、憲法国際法上で許容されてきた個別的自衛権で対処できる
事例です。私は、今回の閣議決定は、集団的自衛権と個別的自衛権とが重なり合っている部分を、新たに当てはめて、武力を行使できることを確認しただけだと考えて」おり、今回閣議決定に対する正しい理解としては、「個別的自衛権の範囲を集団的自衛権だと呼びたいのであればそれは問題ない。しかし個別的自衛権の範囲を超えた部分について、何か新しい権利が獲得されたように考えるのは、明らかに無理がある」というものであると木村氏は言うのです。
 
 もちろん、これは木村氏個人の意見であって、公明党内閣法制局長官がそのように明言している訳ではありません。そして、この問題の本質は、公明党の首脳も、横畠裕介内閣法制局長官も、決して木村准教授の言うような“明快な”説明をしていない(できない?)点にこそある、と私は考えています。
 
 例えば、公明党が7月4日の公明新聞に掲載した「Q&A 安全保障のここが聞きたい<上>」では、木村氏の「解説」に対応する部分は、以下のように記述されています。
 
(引用開始)
Q2与党の協議で何を議論し、何が閣議で決定されたのか?
A2憲法の枠内でできる自衛の措置(武力行使)の限界を確定。
 「日本への武力攻撃に至らない事態」「PKOなど国際平和協力活動」「憲法9条の下で許容される自衛の措置」について協議しました。
 特に「自衛の措置」(武力行使)の議論の中で、閣議決定の柱となっている自衛権発動
の「新3要件」を詰めました。「新3要件」は、(1)わが国に対する武力攻撃が発生した場合、又はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、(2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段が
ないときに、(3)必要最小限度の実力を行使する―という内容です。
 これによって、憲法上許される自衛権の発動は自国防衛に限られることが明確にされ、外
国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使はできないことも確認されました。
 
Q3集団的自衛権の行使を認めたのか?
A3外国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権は認めていない。
 個別的自衛権の行使は、自国が武力攻撃を受けたことが条件ですが、今回、その前であっても限定的に実力の行使が認められました。この場合、国際法上、集団的自衛権根拠となる場合があります。
 しかし、このような場合であっても、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守るための「自衛
の措置」でなければならず、外国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使は認め
ていません。
(引用終わり)
 
 どうでしょう。少しも“明快な”説明になっていませんね。しかも、Q3に対する答えでは、「個別的自衛権の行使は、自国が武力攻撃を受けたことが条件ですが、今回、その前であっても限定的に実力の行使が認められました」という説明は、明らかに木村氏の説明とは整合しません。
 木村説によれば、従来、個別的自衛権で説明できていた部分の内、集団的自衛権と重
なり合っている部分を明示しただけだというのですが、上記公明新聞は、明らかに、日本がまだ武力攻撃を受ける前であっても、自衛隊が実力行使できる場合があることを認めたと解釈しており、これは従来の個別的自衛権では説明がつきません(閣議決定を素直に読めば公明新聞の方が説得力があります)。
 
 ビデオニュース・ドットコムを視た時から感じていたことですが、木村草太氏の説はすっきりし過ぎています。
 あるいは、こう言い替えても良いかもしれません。公明党内閣法制局の当初の獲得目
標は木村氏の主張するような線であったかもしれないのだが、政府・自民党の巻き返しによ
り、力及ばず、目標は達成できなかったのだと。
 ただし、公明党内閣法制局が「頑張った」痕跡も残っているため、国民安保法制懇が
言うところの「見る者の視点によって姿の変わる鵺(ヌエ)とも言うべき奇怪なものと成り果て」
たのでしょう。
 とりあえず、私は、7月1日閣議決定については以上のように考えることにしています。
 
 ただ、それはそれとして、木村草太氏が、公明党に対して、以下のような期待を述べておられることに別段異論がある訳ではありません。ただ、残念ながら、木村氏と同じ程度の「期待値」は持ちたくても持てないというに過ぎません。
 
(抜粋引用開始)
 今回の閣議決定武力行使の新3要件を正しく理解し、使いこなせるのは、公明党
内閣法制局だと思います。政府・自民党に歯止めをかける意味で非常に重要な役割を
担っています。
 今後行われる国会論戦ではその役割をしっかり理解し、精密でクリアな議論を政権に突
きつけることが求められています。たとえば政府が自衛隊の派遣を伴う法案を提出してくるのであれば、「日本国憲法では自衛隊の出動を『防衛出動』に限定しています。前回の閣議決定もそれを踏まえたものとなっています。日本が攻撃を受けたわけでもないのに自衛隊を外国へ出動させることはおかしいですよね」と切り返していくのです。政府・自民党にとって、ことあるごとに主権の侵害やわが国の存立が全うできない状況を立証し続けることは相当な困
難が伴います。
 たとえどのように不利な状況であっても、細かい部分まで丁寧な議論を重ねることができれ
ば、政権の暴走を防ぎ、あるべき場所へと法律を戻していくことは可能なのです。今ほど冷
静な議論が求められるときはないと考えています。
(引用終わり)