2018年12月1日配信(予定)のメルマガ金原No.3348を転載します。
昨日(11月30日)、大阪弁護士会館において、近畿2府4県の弁護士会(大阪弁護士会、京都弁護士会、兵庫県弁護士会、奈良弁護士会、滋賀弁護士会、和歌山弁護士会)で構成する近畿弁護士会連合会の第30回人権擁護大会が開かれました。
近弁連では、近畿弁護士会連合会大会と人権擁護大会を隔年に開くことになっており、今年は人権擁護高いが開催される年に当たっていました。
大会・人権擁護大会では、時宜に適った決議案が提案・審議される例となっており、昨日も、以下の4本の決議案が採択されました。
第1決議「生活困窮者の生存権保障のため、さらなる機関連携と法的支援の拡充を求める決議」(賛成多数)
第2決議「取調べの適正を確保し、被疑者が弁護人の援助を受けて主体的に防御権を行使することを可能とするために、弁護人による取調べへの立会いを確立することを求める決議」(全会一致)
第4決議「旧優生保護法下における優生手術等に対する適切な補償等を求める決議」(全会一致)
私も、なぜか来賓席の末席でしたが参加しておりました。
今日は、このうち第3決議「市民の皆さんに、今こそ恒久平和主義と立憲主義の観点から憲法改正問題を考えることを呼びかける決議」をご紹介したいと考え、近畿弁護士会連合会ホームページを閲覧してみたのですが、過去(昨年まで)の決議は掲載されていたものの、昨日の決議はまだ掲載されていませんでした。
そこで、やむなく、大会資料集に掲載されていた決議案及び提案理由を書き写すことにしました(修正されずこのまま採択されています)。
おそらく、決議が採択された後でこんな物好きな作業を行う者など他に1人もいないはずですが、それをやることによって分かってきたこともない訳ではありません。
まず第一に、決議と提案理由の重複が著しい。比較的詳しい決議の場合には、提案理由は決議の内容を繰り返すことになりがちなのは分かるのですが、それにしてもね。
第二に、時間がなかったのかもしれませんが、ファクトチェックが甘い。提案理由の冒頭でいきなり「1945年8月15日、我が国が突き進んだアジア・太平洋戦争が終わりました。」とあるのにまず引っかかりました。
「戦争が終わりました」という表現自体、いかに市民向けに分かりやすくという趣旨の決議とはいえ、あいまい過ぎると思います。「日本が連合国に降伏した」ことを意味するのであれば、国内的な手続も連合国への通告も「8月14日」であり、法的に確定したのは「9月2日」です。
それに続く「同年5月の国内唯一の地上戦となった悲惨な沖縄戦」も思わず添削したくなりました。最大の激戦は5月中だったかもしれませんが、3月中には、既に沖縄本島への空襲や慶良間諸島への上陸が始まり、沖縄本島への上陸は4月1日から、その後各所で激戦が続き、6月23日の沖縄守備軍最高指揮官牛島満大将の自決によって組織的抵抗が終わったとされ、この日が沖縄慰霊の日となっています。もっとも、その後も掃討作戦を行う米軍と局地的に抵抗する残存日本軍との戦闘は続き、多くの将兵や住民がさらに死んでいったことを想起すれば、「5月の沖縄戦」はないでしょう。
第三に、さはさりながら、以上の点は瑕瑾であって、全体として、今回の決議は意義あるものだったと思います。
憲法についても、憲法改正問題についても、様々な意見があることを前提としながら、市民1人1人が主権者としての自覚を持って、自ら考え、判断することを願い、訴えるというスタイルの決議であり、敬体(ですます調)を採用していること自体、そのようなアピールを1人でも多くの人に届けたいという意欲の表れであると思います。
決議の中の、「「憲法9条の2」には、自衛隊の任務、権限、装備及び編成、さらに武力行使の開始、継続及び終了の事項など統制のための規定がなく、これらの事項が包括的に法律に委任されていて、立憲主義の観点から大きな疑義があると言えます。」という部分を読んだ人は、「それなら「9条の2」のない今の憲法も同じじゃないか?」という疑問を持つかもしれませんね(そこから立憲的改憲論までの距離は短い)。けれども、おそらく提案者はそういうことは百も承知でしょう。憲法と軍事的統制という非常に重要な問題について、自ら考える端緒となるのですから。
是非、多くの方にお読みいただければと思います。
(引用開始)
憲法改正問題を考えることを呼びかける決議
憲法9条改正の議論が進められつつあります。
この憲法9条は、武力による威嚇又は武力の行使の禁止(1項)と戦力不保持、交戦権否認(2項)を規定しています。これは、アジア全体で約1900万人、日本人約310万人と言われる人々を犠牲にしたアジア・太平洋戦争の悲惨な結果を教訓として、私たちが「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(憲法前文)て規定されました。したがって、憲法9条は、国民主権主義、基本的人権尊重主義とともに採用した恒久平和主義という憲法の基本原理の中核をなす重要な規定です。
そして、我が国は、憲法が施行されて以来71年余りの間、憲法9条の下で、どの国とも戦火を交えず、戦争によって誰も殺さず、殺されることもありませんでした。また、憲法9条の下で、集団的自衛権の行使を禁止し、海外での武力行使を行うことができないものとしてきたことなど、自衛隊の任務や装備について政府を現実に規制する生きた憲法としての役割を果たしてきたということができます。
ところで、2018年3月、自由民主党は憲法9条改正を含む改憲4項目の「条文イメージ(たたき台素案)(以下「たたき台素案」と称します。)を発表しました。これは、憲法9条の改正については1項及び2項をそのまま残しながら、その次に、新たに「憲法9条の2」を設けようという案です。具体的には、「憲法9条の2」に、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と規定し、そのための実力組織として「自衛隊」を憲法上明記する案(自衛隊等明記案)です。自由民主党は、この「たたき台素案」に基づいて憲法改正の議論を進めつつあります。
(1) 「たたき台素案」については、憲法9条をそのまま残した上で自衛隊を明記するだけだから、平和主義に何の影響もなく、自衛隊が違憲であるという疑いを払拭するだけだという説明がなされています。しかし、実際は、「憲法9条の2」をもうけることにより、次のとおり憲法9条の憲法規範としての効力は大きく後退するおそれがあります。
① 「憲法9条の2」は、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と定めるのみで、自衛権や「自衛の措置」の内容について憲法で規制しようとしていません。
そのため、どのような事態が発生した場合に、どの程度の「自衛の措置」ができるのかなどについて、憲法9条の例外として政府が自由に解釈するおそれがあります。その結果、現在限定的に解されている自衛権の行使について、歯止めのない自衛権の行使を認めることにもなりかねません。
② 「憲法9条の2」で「必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として・・・自衛隊を保持する」と定めることにより、憲法9条2項で「戦力」の保持は禁じていても、「憲法9条の2」があるのだから自衛隊は「戦力」にはあたるものの例外として許されると解釈されるおそれがあります。
(2) 「たたき台素案」の「憲法9条の2」は、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」と定めるとして、自衛隊の行動に対する統制手段が「国会の承認」に限定されていません。また、国会の承認の対象となる事項や、その他の統制手段の内容について定めがありません。その結果、どのような統制を行うかは、専ら法律に委ねられることとなります。
しかし、武力を行使する軍事的組織である自衛隊については、憲法によって政府の行動を縛る立憲主義の統制が不可欠です。「憲法9条の2」には、自衛隊の任務、権限、装備及び編成、さらに武力行使の開始、継続及び終了の事項など統制のための規定がなく、これらの事項が包括的に法律に委任されていて、立憲主義の観点から大きな疑義があると言えます。
恒久平和主義は、我が国がかつてアジア・太平洋戦争に突き進み、その結果、前記のとおり余りに大きく痛ましい犠牲を生んだ悲惨な歴史の教訓を踏まえて、全ての人権保障の基礎として日本国憲法が採用した基本原理です。また、立憲主義は、たとえ民意を反映した国会や政府であったとしても、権力は誤ることがあるという歴史の教訓から、憲法によって縛りをかけようとする近代的憲法の基本理念です。
今回の憲法改正の議論の中には、憲法9条の規範としての機能を減退ないし喪失させる目的のためであると受け止められるものもあり、このような憲法改正の動きには憲法の恒久平和主義や立憲主義の内実に実質的な変化を生じさせるおそれが含まれます。
当連合会は、「たたき台素案」は、憲法の基本原理である恒久平和主義と基本理念である立憲主義を後退させるおそれが高いことを市民の皆さんに訴え、今後とも憲法改正問題について、一人でも多くの皆さんが関心を持って、憲法改正の是非を議論し、主権者として的確な判断をされるよう呼びかけます。
以上のとおり決議する。
2018年(平成30年)11月30日
近畿弁護士会連合会
提 案 理 由
1 1945年8月15日、我が国が突き進んだアジア・太平洋戦争が終わりました。同年5月の国内唯一の地上戦となった悲惨な沖縄戦、東京・大阪をはじめほとんどの主要都市が焦土と化した大規模空襲、そして同年8月の広島、長崎への原爆投下の末のことでした。アジア全体で1900万人、日本人約310万人と言われる人々が犠牲となる悲惨な歴史の教訓が、我が国のひとりひとりの胸に刻まれました。
この歴史の教訓により、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て、1946年11月3日、戦争を放棄し、戦力不保持を定めた日本国憲法は公布され、翌年5月3日、施行されました。それから71年余の間、この憲法9条の下で、我が国はどの国とも戦火を交えず、戦争によって誰も殺さず、殺されることもありませんでした。また、集団的自衛権の行使を禁止し、海外での武力行使を行うことができないものとしてきたことなど、憲法9条は、自衛隊の任務や装備について政府を現実に規制する生きた憲法としての役割を果たしてきたということができます。
2 ところで、政府は、2014年7月1日、これまでの憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い、2015年9月19日、いわゆる安全保障関連法制を成立させました。そして、自由民主党は、憲法を明文で改正するための作業を推し進め、2018年3月25日、「必要な自衛の措置」をとるための実力組織として「自衛隊を保持する」ことを定めた「憲法9条の2」を新設する憲法改正の「条文イメージ(たたき台素案)」を公表しました(以下「たたき台素案」と称します。)。
「第九条の二 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
② 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
4 憲法を含む「法」は、その定め方が抽象的であればあるほど、その意味内容に幅が生じ、いくつもの「解釈」が可能となります。
「たたき台素案」が憲法9条の次に定めようとする「憲法9条の2」においては、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と抽象的に定めるのみで、「自衛権」や「自衛の措置」の内容については触れていません。憲法に明記しようという「自衛隊」が武力を行使する軍事的組織である以上、その「自衛隊」が行う「必要な自衛の措置」とは何を指すのかが明確にされていることが重要であることは言うまでもありません。ところが、その内容には全く触れられていないため、どのような事態が発生した場合にどの程度の「自衛の措置」ができるのかなどについて、憲法9条の例外として制約されることなく解釈される可能性があります。その結果、この「憲法9条の2」が定められることにより、現在限定的に解されている自衛権の行使について、憲法9条の規定に優先して歯止めのないフルスペックの自衛権の行使が認められるものと解釈されるおそれがあります。
また、このように「自衛の措置」の内容には触れないまま「必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として自衛隊を保持する」と定め、自衛隊の組織などが法律に委ねられることは、憲法9条2項が「戦力の保持」を禁じていても、「憲法9条の2」によって自衛隊は「戦力」であっても憲法9条2項の例外として許されると解釈されるおそれがあります。その結果、憲法9条2項の規定がそのまま残されたとしても、「自衛隊」を「国防軍」などの名称に変更するにはさらに憲法改正が必要になるという以上には意味がないことになって、憲法9条2項にはほとんど意味がないことになるおそれがあります。
また「憲法9条の2」では、兵器を有する実力組織である「自衛隊を保持する」と定めるだけで、自衛隊の任務、権限、装備及び編成、さらに武力行使の開始、継続及び終了の事項など、自衛隊を統制するための具体的な規定を憲法に置くものとされておらず、包括的に法律に委任するものとされています。その統制の方法や内容についても「国会の承認その他の統制に服する」と定めるのみで、統制が国会の承認に限られないことを示しているばかりか、どのような方法、内容で統制しようとするのか全く明らかではなく、政府の行動を憲法で縛るという立憲主義の観点から大きな問題があります。
自由民主党は、「現行の自衛隊をそのまま憲法上記載・明記するだけであり、自衛隊の組織・権限には何らの変更もない」と説明していますが、この説明によって上記の問題点が解消されるとは言えません。自衛隊という組織が憲法上明記されることの持つ意味を、十分に考えなければならないものと思います。
5 仮に、国会に憲法9条の改正を含む憲法改正案が上程されたならば、国会では、上記の憲法改正という重要な問題については、事実をもとに道理を尽くし切った上での真摯な議論が展開されることが求められることは言うまでもありません。憲法改正案の審議という、まさに我が国の行く末を左右する重要案件に関しては、各界・各層の意見を踏まえた重層的な議論が必要不可欠となります。それを実現するためには、私達自身が自らの問題として憲法改正案を考え、国会での審議を注視し、見据えることが極めて重要になるものと思われます。
憲法改正の是非を決めるのは、主権者である一人ひとりの投票行動です。私達は、今まさに検討されようとしている憲法9条の改正を含む「たたき台素案」に関し、「それによって何が変わり、この国がどのように変化するのか」を考え、主体的に判断し、そして判断した結果に対しては、主権者として責任を負う覚悟が求められています。
6 以上に述べた2つの意味、すなわち、
以 上
(引用終わり) ・
(参考決議)
日本弁護士連合会 総会決議(2018年5月25日)