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司法に安保法制の違憲を訴える意義(12)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告(田島諦氏ほか)による意見陳述

 今晩(2017年3月16日)配信した「メルマガ金原No.2753」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(12)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告(田島諦氏ほか)による意見陳述

東京地方裁判所(民事第一部) 
平成28年(ワ)第13525号 安保法制違憲・国家賠償請求事件
原告 堀尾輝久、辻仁美、菱山南帆子ほか454名
被告 国
(第2次提訴)
平成28年(ワ)第39438号 安保法制違憲・国家賠償請求事件(第2次)
原告 池田香代子ほか860名
被告 国
※第3回口頭弁論期日において、第2次提訴事件が先行事件に併合されました。訴訟関係資料は「安保法制違憲訴訟の会」ホームページに集積されています。
 
 昨年4月26日、東京地方裁判所に提訴された2件の安保法制違憲訴訟のうち、国家賠償請求訴訟の第3回口頭弁論が、去る2017年3月3日(金)午前10時30分から、東京地裁103号法廷で開かれました。
 今日は、昨日ご紹介した3人の原告訴訟代理人弁護士による陳述(「準備書面」の説明)に続き、以下の3人の原告の方々による意見陳述をご紹介します。
 
  田島 諦(たじま・たい)さん(作家)
  飯田能生(いいだ・よしき)さん(元NHKチーフプロデューサー)
  岡本達思(おかもと・たつし)さん(パレスチナ難民里親支援)
 
 これまでご紹介してきた原告の方々と同様、当たり前のことですが、安保法制違憲訴訟の原告となった経緯は、お一人お一人みんな違います。そのような違いをしっかりと踏まえ、これを裁判所に伝える努力を通して、安保法制の違憲を司法の場で確認するという共通の目的を達成すべく努力されていることが、原告の皆さんの陳述に耳を傾けるたびに、ひしひしと伝わってきます。
 
 昨日に続き、三輪祐児さん(UPLAN)によって撮影された事前集会・記者会見・報告集会の動画をご紹介します。
 
20170303 UPLAN【前集会・記者会見・報告集会】安保法制違憲訴訟国賠第3回期日(2時間23分)

冒頭~ 入廷前集会(東京地裁正門前)
21分~ 裁判終了後の記者会見
50分~ 報告集会(司会 杉浦ひとみ弁護士)
 51分~ あいさつ 寺井一弘弁護士
 1時間03分~ 伊藤 真弁護士
 1時間25分~ 橋本佳子弁護士
 1時間35分~ 杉浦ひとみ弁護士
 1時間38分~ 原告・田島 諦(たじま・たい)さん(作家)
 1時間44分~ 原告・飯田能生(いいだ・よしき)さん(元NHKチーフプロデューサー)
 1時間51分~ 原告・岡本達思(おかもと・たつし)さん(パレスチナ難民里親支援)
1時間57分~ 全国弁護団交流会・国家賠償訴訟の現状について 福田 護弁護士
2時間14分~ 飯島滋明さん(名古屋学院大学教授)
2時間19分~ 杉浦ひとみ弁護士
 

原告陳述要旨  田 島   諦(たじま たい)
 
 1945 年の夏、わたしの生涯は終ってしまいました。たかだか中学1年にすぎない 12 歳の少年にそんなことがあるものかと言われるかもしれません。しかし、このわたしにとってそれはまぎれもない真実だったのです。なぜか?
 それ以前のわたしには明確な生きる目的がありました。「大東亜戦争」に勝利することです。「大日本帝国」という名を自称し、「東洋平和」のためという大義名分のもとにあの大戦争をはじめたその国家の目的が、そっくりそのまま、このわたしの生きる目的であり生きる支えになっていたのでした。それが一挙に失われてしまったのです。
 そればかりではありません。「大東亜戦争」の目的そのものが正義に反するものであり、その不正な目的のために、この国家は、三千万人ものアジアのひとびとを殺し、三百万人もの自国民をも殺したのだという事実を、認めざるをえなくなってしまったのでした。
 この「大日本帝国」の植民地で敗戦を迎えたわたしは、この国家の保護を一挙に失っただけでなく、この帝国に抑圧されてきた民族からの報復をも受けなければなりませんでした。なぜ、このわたしまでがこんな目にあわなければならないのか?まったくわからなかった。けれど、やがて、すこしずつ、その理由も理解していきます。
 戦後のわたしの生涯は、このわたしが、なぜ、あのような愛国少年につくりあげられてしまったのか、その原因を探り、わたし自身のそのようなありようを克服して、人間としてまっとうなありかたを取りもどしていく、といういとなみに捧げられてきました。
 戦前戦中のわたしには、自分の頭で考え自分で判断して自発的・自主的に行動するなどおもいもよらないことでした。いえ、あの当時は、大人たちも含めて、だれもが、国家が望むように考えることを、いえ、国家が望むように感じることをさえ、直接にであれ間接にであれ、強制されていました。
 和の尊重。一億一心。これに同調できない者は異分子すなわち非国民として、国家が排除する。みんながおなじようなことを、みんなとおなじように、みんなといっしょにやらなければならなかった。そのような「期待される人間像」へと、わたしは、この国家によって純粋培養されたのでした。
 そこから、全生涯をかけて脱却し、自己変革をとげてきた、いまのこのわたしにとっては、ですから、自分の頭で考え、自分で判断し、自発的・自主的に行動できるということ、言いかえれば、みんなとおなじようなことを、みんなとおなじように、みんなといっしょにやりなさいと言われたとき、いやです、と拒否できること、これが、このわたしが生きていくうえで欠くこのできない条件になっているのです。
 この条件を、これまでは、日本国憲法がわたしに保障してくれていました。それが、いま、安保法制の施行によって脅かされようとしています。日本国民はかくあるべしと、日本国という名の国家が、具体的には安倍政権が、規定し、この規定に従えない、あるいは同調できない者を、異分子すなわち非国民として、国家が、実質的には安倍政権が、排除する、といった状況が、安保法制の施行によって、杞憂ではなくなっているのです。
 このわたしがわたしとして生きることを、この日本国という国家の独裁的支配権力を握った安倍政権が、いまや、不可能にしてしまった。
 すくなくとも、きわめて困難にしてしまったのです。安保法制は日本国憲法に違反している、とりわけその根本理念である基本的人権を侵害している、と、わたしが考えるのは、以上の理由によってです。
 

原告意見陳述 飯 田 能 生(いいだ よしき)
 
 私は去年5月まで NHK で報道記者として働いていました。「チーフプロデューサー」という肩書きでニュース制作の現場の管理職を務めていました。番組としては「ニュース7」、「おはよう日本」といったニュース番組の制作、「BSニュース」では編集責任者も務め、最後は「首都圏放送センター」のニュース制作に関わりました。一昨年、安倍内閣集団的自衛権容認し、安保法制の成立を強行させたことが、私の運命を変えました。
 私の父母はともに昭和9年生まれです。父は東京で東京大空襲に遭い家を失い、母は戦時中は山形市内に疎開するなど、戦争の被害を受けました。異なる地で敗戦を迎えた両親ですが、2人が共通して体験したのは教科書の墨塗りでした。きのうまで「天皇陛下は神様だ」「最後は日本軍に神風が吹く」と教えていた教師が、何の謝罪も釈明もせず「昨日まで教えていたことは誤りだった」と言って教科書の記述を次々と墨で潰させたといいます。軍国主義に染められた子どもたちは、それまでの価値観を全面的に否定され、天皇以下、教師に至るまでの大人たちに対する不信感を抱かざるを得ない衝撃的な体験だったと何度も聞かされました。そんな両親にとって「民主主義」は新鮮で理想的な価値観であり、日本国憲法の「平和主義」の理念は戦争体験者としてとても腑に落ちるものだったのでしょう。親からは「民主主義」や「平和主義」の大切さを教えられ、かけがえのない価値観として吸収し成長しました。大学の法学部に学ぶ中で、自分自身でこの価値観を見直す機会がありましたが、この理念はますます私の揺るぎない確信となりました。やがて87年4月にNHKに記者として就職しました。「憲法の精神が行政、立法、司法の場でどのように実現されているのか、何より国民が憲法の恩恵を享受しているのか、すべてこの目で見てやろう!」というのが大きな動機でした。また、おかしいと感じた事を指摘するのがジャーナリストの使命であり、権力には屈しないというのが仕事上での信条でした。しかし、私の人生に予期せぬ事態をもたらしたのが安保関連法案でした。
 そもそも公共放送たる NHK の報道は、不偏不党・公正中立の立場を守り、情報の送り手の主観的な判断を交えず客観報道に徹することが原則です。余計な論評を一切しないのは“行政府も立法府も民主主義が貫かれている”からであり、ありのままを客観的に報道することこそ、重要だと考えるからです。しかしながら安保関連法の成立は、あれほど憲法違反だという指摘を受けながら、審議も尽くされず、数の横暴による「多数決」により成立させられたのです。他方、ジャーナリズムに対して政府・与党からのあからさまな圧力が相次ぎました。テレビ朝日のコメンテーターへの批判、TBSの放送内容に対する非難、沖縄の地方紙に対する暴言、さらには電波管理法に基づくテレビ局の免許更新をちらつかせ政府批判の報道の自粛を迫るかのような総務大臣発言。NHK 前会長が就任記者会見で「政府が右というものを左とは言えない」という発言も、その流れを象徴するものでした。
 徹頭徹尾、民主主義と平和主義を生かしたいと選んだ仕事が、この安保法制法の成立という決定的な出来事でその存在基盤を失いました。私はこれ以上今の報道体制に従事していくことはできなくなったのです。私がぼんやりと想像していた穏やかな人生の流れは、安保法制という大きな波によって流れを変えられました。民主主義の危機を目の当たりにして、家庭にいても職場にいてもまるで大波に飲み込まれて息が詰まるような毎日が始まりました。そして、昨年5月に依願退職を余儀なくされたのです。最早「政府を信じ、国会を信じ、この国の民主主義を信じよう」と無責任に口にすることができなくなったからです。戦後日本に構築された民主主義が目の前で破壊されているときに、この破壊行為に疑問を呈することすら「不偏不党」の大義名分の下では慎重に検討せざるを得ない職場で、できることは限られています。
 私は、残り数年の安泰なサラリーマン人生と、自分の信念を曲げてまで仕事を続けることとの苦しい選択でしたが答えは明瞭でした。この社会の中で私自身はとても小さな存在に過ぎませんが、この濁流から孤独でも一人で抜け出さなければ自分の信念を貫き通すことはできないと思いました。民主主義社会に落とされた影が漆黒の闇に変わる前に、NHK という寄らば大樹を失おうとも職場の仲間との連帯をかなぐり捨てようとも妻子を背負って一人で立ち上がらなければならないと決意しました。それは、私の50余年培ってきた自らの価値観と、これからの子どもたちの未来のために、傷つけられたままではいられないからです。民主主義の時計の針を後戻りさせるのではなく、前に進める司法判断を切に希望いたします。
 

原告意見陳述 岡 本 達 思(おかもと たつし)
 
 1950年に東京に生まれ、66歳に至る私の人生に、大きな影響を与えたのは中学2年の時に読んだ島崎藤村の『破戒』でした。「被差別部落」という存在を初めて知り、それが社会の構造の中で、権力の側が作った制度による差別であると知り、激しい怒りを覚えたのです。
 さらに、それが権力の手による差別にとどまらず、同じ庶民の間での差別として根付く時、人の尊厳はあっけなく失われることを知り、強者が弱者を抑圧する構図に対して反発する気持ちが強くなり、やがてはそうした正義感が私の最も重要な価値観となり、その後の生き方の根幹に据えられたように思います。
 1980年代後半から、私はレバノンパレスチナ難民キャンプの子どもたちを支援する里親運動に参加しました。欧米列強国がそれぞれの思惑から、パレスチナの地にイスラエルを建国させ、一方的に祖国を分割させられたパレスチナ人は、その後もイスラエルの圧倒的な軍事力により、家族や親族を虐殺され祖国から追い出され今に至る悲惨な歴史は、私の正義感に火をつけたのでした。
 そして、いたいけな子どもたちが空爆や虐殺などの暴力に怯え、本来享受しなければならない教育や遊びから置き去りにされた現状に、じっとしていられなかったのです。私たちの里親運動は、現地の子どもに対して 16 歳までの生活や学資の援助をしています。そのほか、幼稚園や図書館の建設援助や教材支援、歯科検診、シリアからの避難民に対する緊急支援、等も行っています。
 パレスチナの人びとは総じて日本人や日本という国に特別の親しみを寄せ、信頼を抱いています。
 欧米諸国も同様の支援をしていますが、特に彼らの日本人に対して寄せる親愛の度は明らかに強いのです。
 その理由は、日本が唯一の被爆国として悲惨な形で敗戦を経験しながらも、見事に立ち直り発展したことに対する尊敬と、なによりもその敗戦から今日まで「非戦」を誓い、平和外交を貫いているからです。
 他の大国が、中東諸国に軍事介入する中で、憲法9条のもと武器を持たず平和外交や NGO による人道支援を続けてきた日本に対しては、パレスチナに限らず中東諸国の多くの人々は絶大な信頼を寄せてくれました。これは中東諸国で人道支援や取材活動を続けてきた日本人なら、誰もが感じているはずです。
 ところが、自公政権による安倍内閣が誕生して以来、彼らの日本に対して抱く信頼は徐々に薄れてきました。如実に変わったのは、2015年1月に安倍首相が中東諸国を歴訪して以降です。なかでも1月18日にイスラエルを訪問し、サイバーテロや軍用無人機などの安全保障関連分野での提携を深める演説は、中東諸国に対して挑発的な言動となり、私はそのニュースを見て全身に戦慄が走ったのを今でも忘れることができません。
 昨年7月1日にバングラデシュの首都ダッカで、武装集団によるレストラン襲撃事件がありました。この事件で私が最もショックを受けたのは、人質の一人の日本人が銃を突きつけた犯人に向かって「I am Japanese.」と言い殺されたことでした。かつては私たちの身を守る言葉だった「I am Japanese.」が、今や何の力もないこと、むしろ日本人が攻撃の対象として変わってしまったことに、私は深い悲しみを感じました。
 安倍政権が成立させた安全保障関連法は、中東諸国の人々の日本に対する不信感をさらに決定付けました。日本国憲法を蹂躙し強行採決によって成立されたこの法律は、彼らにかつてない衝撃を与え、これまでの日本のイメージを大きく塗り替えさせてしまったのです。
 この法律が成立するや、私は中東の多くの友人から「安倍は正気なのか?」「日本は戦争をするのか?」「いつから日本は好戦国になったんだ?」といったメールを受け取りました。安倍政権による安全保障関連法の制定は、“非戦”を誓った日本への世界の信頼を壊したのです。
 私や私の仲間がこれまで積み上げてきた中東の人々との信頼に基づいた取り組みを、中東の子どもたちへの支援を大きく侵害されたことを、この場で強く訴えたく思います。
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述

2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述
2017年1月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述
2017年1月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(8)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年1月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(9)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告(田中煕巳さんと小倉志郎さん)による意見陳述

2017年2月14日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(10)~東京「女の会」訴訟(第1回口頭弁論)における原告・原告代理人による意見陳述