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長谷部恭男/石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)を読む

 2017年12月15日配信(予定)のメルマガ金原.No.3017を転載します。
 
長谷部恭男/石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)を読む
 
 「新書」というジャンルに限りませんが、良書もあれば、そうでないものもたくさんある訳で、限られた時間の中で、読むに値する本を選び出すのはなかなか容易なことではありません。
 ところで、「新書」では、(岩波新書などではあまりお目にかかりませんが)取り上げられたテーマに相応しい2人の論者による対談本で良い本が出ることがあります。
 最近読んだ本では、前川喜平氏寺脇研氏による『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)をブログでご紹介しています(前川喜平/寺脇研『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)を読む/2017年11月25日)。
 今日取り上げるのは、集英社新書なのですが、同新書での対談本として真っ先に思い出すのは、2016年3月に敢行された『「憲法改正」の真実』(樋口陽一氏、小林節氏)です。
 対談本は、実際の対談文字起こし原稿をどう刈り込んでいくか、話の配列をどうするかなど、編集者の腕の見せ所満載のジャンルであり、これがうまくいっていれば、難しい話を分かりやすくかみ砕いて説明してくれる、非常にレベルの高い入門書になるのです。
 『「憲法改正」の真実』は、そういう意味からも、内容的に非常に高度な内容を、のみ込みやすく読者に提示してくれた対談本であり、およそ「憲法改正」問題を考えるのであれば、逸することの出来ない良書だと思います。
 そして、今日ご紹介しようと思う、今年の8月に刊行された『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(長谷部恭男氏、石田勇治氏)も、この問題についての我が国における第一人者お2人による対談であり、実際読んでみても、深い内容をとても分かりやすく解説してくれており、これまた「緊急事態条項」を考える際の必読文献でしょう。
 
 今さらご紹介するまでもない碩学ですが、集英社新書サイトから、著者情報を引用しておきます。
 
長谷部恭男(はせべ やすお)
早稲田大学法学学術院教授。東京大学法学部教授等を経て、二〇一四年より現職。日本公法学会理事長。全国憲法研究会代表。主な著書に『憲法とは何か』(岩波新書)、『憲法の論理』(有斐閣)など。
 
石田勇治(いしだ ゆうじ)
東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はドイツ近現代史マールブルク大学Ph.D.取得。ベルリン工科大学客員研究員、ハレ大学客員教授を歴任。主な著書に『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)など。
 
 本書の構成を知っていただくために、目次の大項目を引用しておきます。
 
はじめに-「憲法問題」の本質を見抜くために  石田勇治
第一章 緊急事態条項は「ナチスの手口」-大統領緊急令と授権法を知る
第二章 なぜドイツ国民はナチスに惹き付けられたのか
第三章 いかに戦後ドイツは防波堤をつくったか-似て非なるボン基本法の「緊急事態条項」
第四章 日本の緊急事態条項はドイツよりなぜ危険か-「統治行為論」という落とし穴
第五章 「過去の克服」がドイツの憲法を強くした
おわりに-憲法の歴史に学ぶ意味  長谷部恭男 
 
 ところで、話題の本が出た場合、そのパブリシティも兼ねてということなのでしょうが、著者によるトークイベントが開催されることがあります。紀伊國屋書店新宿本店などでは、定期的に行われているようですね。
 本書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』についても、8月24日に新宿紀伊國屋トークイベントが行われ、その動画が集英社新書の公式YouTubeチャンネルで公開されていますのでご紹介しておきます。
 
ナチスの「手口」と緊急事態条項』刊行記念 長谷部恭男先生×石田勇治先生 トークイベント 前半(37分)
ナチスの「手口」と緊急事態条項』刊行記念 長谷部恭男先生×石田勇治先生 トークイベント 後半(33分)
 
 何しろ、新著の刊行記念のイベントなので、著者のトークを聴くだけで理解しようとしても難しく、あくまでも、新書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』を読んだ後で、あるいは読みながら、参考にするという視聴の仕方が良いと思います。
 
 最後に、対談の最後において、長谷部先生、石田先生が締めの言葉として述べられた部分を引用します。とても含蓄のある内容です。
 
(引用開始/『ナチスの「手口」と緊急事態条項』238頁~240頁)
長谷部 この本では、緊急事態条項とドイツの経験ということをテーマに議論を展開してきたわけですが、結局のところ日本で提案されている緊急事態条項は、一種の安全保障であると主張されています。
 しかし、国が「安全を保障する」と言ったとき、それはいったい何の安全を保障するということなのか。実は、突き詰めれば、これは「現在の憲法の基本原理を守る」ということであるはずなのです。
石田 安全保障で守るものというと、よく言われるのは国民の生命・財産、領土・領海などですよね。
長谷部 世間ではよくそう言いますが、読者にはもう一歩考えを進めてみてほしいのです。自分たちの命を守ることが、本当に何よりも大事だと思うのだったら、強い国の言いなりになっているほうが安全ではないのか。
 しかし、我々は「それはいやだ」と感じるはずです。そんな隷属的な生き方はしたくない。我々には、それとは違った生き方があったはずだと思っている。
 では、その生き方とは何なのか。これは、我々が思っている憲法の基本原理を反映した生き方であるはずです。多様な価値観をもった個人が、それぞれ公平に尊重される社会であるはずです。安全保障というのは、そのような憲法原理を守るための国の安全です。
 そうであるならば、憲法の基本原理に毀損を加えるような安全の保障というのは、議論の根本がねじれていることになります。
 憲法の基本理念を守らないで、国を守っていることになるのだろうか。
 具体的な時期はわかりませんが、私たちが実際に、緊急事態条項を憲法に導入しますかと問われる機会があるかもしれません。そのときにはぜひ、本当に守るべきものは何かを、読者には注意深く考えてみていただきたいと思います。
石田 ここで思い起こすのは、もうずいぶん前のことですが、「ポストモダン」という言葉が日本の言論界ではやったときのことです。「もう近代は終わりだ」と言って、その諸価値を相対化する風潮が出てきました。
 あのころ思ったことと、昨今の自民党主導の改憲論議を聞いて感じることには共通点があります。「まだ本当の意味で近代は達成されていないのではないか」という疑問です。
 日本国憲法の理念には実現していないものがたくさんあります。それを実現する途上なのになぜ捨ててしまわなければならないのか。それを実現する途上にあるということは、同時に日本が背負う近過去の、過ちを含む歴史について私たち自身がとらえ直し、反省すべき余地が残っているということではないでしょうか。
 長谷部先生がおっしゃったように、それは長く辛い道のりかもしれませんが、ほかの誰かではなく、自分自身が考えていかなければ、私たちが保守したいと願う、当たり前の日常生活もある日突然、失われてしまうかもしれません。
(引用終わり)
 
(参考動画)
日本記者クラブ 2016年12月9日
石田勇治 東京大学大学院教授 「ヒトラーとは何者だったのか」(1時間49分)