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参議院東日本大震災復興特別委員会での森松明希子さん(東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表)の意見陳述と質疑(2018年7月11日)

 2018年7月30日配信(予定)のメルマガ金原No.3224を転載します。
 
参議院東日本大震災復興特別委員会での森松明希子さん(東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表)の意見陳述と質疑(2018年7月11日)
 
 去る7月11日、参議院東日本大震災復興特別委員会に4人の参考人が招かれ、まず、1人15分程度の意見陳述が行われ、その後、各委員(各会派から1人ずつ)からの質疑が行われました。
 私は、東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表の森松明希子さんも参考人として意見を述べられたということで注目していました。国会も閉幕し、そろそろ会議録がインターネットにアップされているのではないかと思い、参議院ホームページを調べてみたところ、掲載されていました。
 そこで、とりあえず、今回は、森松明希子さんによる意見陳述と、森松さんに対する各議員からの質疑の部分を抜きだしてご紹介しました。これだけでも相当な分量ですが、是非お読みいただければと思います。
 特に、山本太郎議員からの質問に答える中で、「避難の権利」を「被曝拒否権」、「選択的被曝回避権」、「被曝情報コントロール権」に3分類して説明する部分に注目してください。「避難の権利」について考え抜いてきた森松さんならではの意見として受け止め、私も考えてみたいと思います。
 
 ところで、今回は詳しくご紹介できませんでしたが、他の3人の参考人の皆さんの発言にも注目していただければと思います。3人の皆さんが冒頭で行った意見陳述のごく一部ですが引用しておきます。
 
大西 隆 氏
豊橋技術科学大学学長、福島12市町村の将来像に関する有識者検討会座長(付け加えると、東京大学名誉教授、日本学術会議前会長でもあります)
「こうした現状を踏まえるならば、私は、福島においては人の復興と場所の復興、これを区別して考える必要があるのではないかと思っています。
 人の復興とは、被災した人々あるいはそこに新たに加わった家族がそれぞれ望む生活を行うことを国と東京電力は支援する責任を有するということです。特に、被災を理由としたいじめへの防止対策、甲状腺検査を始めとする健康管理、生活のスタートアップ等の支援は重要だと思います。
 一方で、被災地の場所の復興も重要です。私がこれまで述べた福島12市町村の将来像に関する有識者検討会での議論は、この場所の復興に関わることが少なくありません。被災者の中で条件が整えばふるさとで生活したい人がいることは言うまでもありませんし、やがて人々が自由に生活できる地となってよみがえることは疑いがないのですから、そのための生活や産業の基盤を着実に整えていくことは重要だと思います。
 その意味で、福島の復興に当たっては、被災者の生活に寄り添った人の復興という視点と、被災地に着目した場所の復興という両方の視点が不可欠であると考えています。別な場所で生活を確立している人々の中にも、ふるさとを思う意識は強いと思います。」
 
佐藤大介 氏
東北大学災害科学国際研究所准教授、特定非営利活動法人宮城歴史資料保全ネットワーク事務局長
「本日は、東日本大震災で被災した古文書資料の救済の現状と課題及び今後の復興における可能性についてお話しさせていただきます。余りなじみのない分野ですので、日本列島に残る古文書の意味という前提のお話をしてから、震災後の活動についてお話しさせていただきたいと思います。」
「被災地では、今後、心の復興が求められる段階だと考えられます。被災者からは、建物の復興だけではなくて、歴史や文化の復興についても大事にしてもらいたいといった声も寄せられております。残って再建に取り組む人々、やむなくそこを去る人にとって、ふるさとの歴史は大きな歴史を果たすと考えております。もちろん、人命や社会基盤の整備といった優先順位というものがあると存じますが、こういう歴史、文化の再生、復興が軽んじられていいとは私は思いません。まさに人間が人間であるその根本がそういう歴史や文化であるというふうに考えております。」
 
熊本美彌子 氏
避難の協同センター世話人
「私たち避難の協同センターは、三月末から区域外避難者の方々にヒアリングを行っています。東京都内で二回、それから新潟県、昨日は福島県でやりました。
 昨日の川俣町山木屋の人は、千二百名の人がいたけれども、帰ったのは三百十人だと。みんな後期高齢者、七十五歳以上の人で、二十代や三十代の人は一人も帰っていない。自分も、家族が大家族で生活していたのに、今は四つに分かれている、放射能から逃れることができない生活だと。この苦労を何で自分たちがしなければならないのか、いつになったら平穏に暮らせるんだろうかと言いました。それから、一度避難して戻った母親も、安心した暮らしがしたいのにと涙ぐみました。
 新潟では、公的住宅になかなか入れない。民間賃貸住宅に入っているけれども、来年度から福島県の家賃補助がなくなってしまう。そうすると、収入が十万円減っているのでとても不安だと訴えました。そして、子供が障害を持っていて医療費が掛かるので、自分が体調が悪くても医者に行くのを我慢してしまうんだと言いました。
 東京では、国家公務員宿舎に福島県と契約して入居している人が、住まいと駐車場で一万円近い値上げを四月の二日になって通告されました。この契約をすると、来年三月で出なければならない、出ていかないと使用料の二倍が請求される。しかし、都営住宅に応募してもなかなか当選できない。一体どうしたらいいのかと言いました。」
 
 それでは、森松さんの意見陳述と質疑を読んでいただこうと思いますが、その前に、参議院インターネット審議中継で、この日の委員会の模様を視聴する方法をご紹介しておきます。
 
参議院インターネット審議中継
  ↓
「審議中継カレンダー」から「2018年7月11日」を選択してクリック
  ↓
「会議を検索」から「東日本大震災復興特別委員会」を選択してクリック
※森松明希子さんの意見陳述は、51分~1時間10分です(発言者一覧から「森松明希子(参考人 東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表)」をクリックすれば、意見陳述の冒頭部分に飛べます) 
 
第196回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号 
平成三十年七月十一日(水曜日)
[森松明希子参考人意見陳述]
○委員長(徳永エリ君) ありがとうございました。
 次に、森松参考人にお願いいたします。森松参考人
参考人(森松明希子君) 森松明希子と申します。
 発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。同時に、これまで七年間、全国に散らばる被災者、避難者の御支援に心より感謝申し上げます。
 私の避難先の大阪では、先日、大阪府北部地震に見舞われまして、さらには、その一週間後には、西日本全域が大水害に遭い、多くの方々の大切な命が失われてしまいました。哀悼の意をささげますとともに、被災された皆様方におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。被災されている皆様方が平穏な日常の暮らしを取り戻されますよう心から願っています。
 私は、東京電力福島第一原発事故から二か月後の二〇一一年五月、ゴールデンウイークの大型連休をきっかけに福島県郡山市から大阪府大阪市に避難をすることになりました。現在、子供たちは二人いますが、大阪市に避難をしています。いわゆる母子避難です。夫は今も福島県郡山市原発事故前と同じ職場で働き、家族の避難生活を支えています。夫が福島県郡山市に残っているのは、国が指定した強制避難区域に該当しないからです。
 ゼロ歳で大阪に連れてきた私の娘は七歳になりました。ゼロ歳のときから父親と一緒に暮らすという生活を知りません。娘の年齢が避難生活の年数と重なります。三歳のときに避難した上の息子も同様に、七年間で随分の苦労を重ねたと思います。二人の子供たちは、福島県民でありながら大阪の小学校に入学をさせていただき、現在は小学二年と五年生になりました。子供たちの父親である私の夫は、そんな二人の子供の日々の成長をそばで見ることができないこの七年間を過ごしてまいりました。
 本日、この場で私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
 多くの人たちが、自分の身が危険に直面したら逃げることは当然で、逃げることは簡単にできると思い込み過ぎていると私は思います。でも、東日本大震災、その直後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を経験して、そんな当たり前のことができない社会的状況があることを私は身をもって知りました。そして、全ての国民が現在進行形でそれを目撃し続けていると思うのです。
 火事が起きれば、人は熱いから逃げ出します。地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に上って走って逃げます。津波てんでんこという教訓化された言葉によって、どれほどの尊い命が救われたでしょうか。
 他方、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、明らかに人災です。漏れ出てくるものは放射能です。放射能は色もありません、においもありません。低線量であれば痛くもかゆくもなく、人間の五感で感じることはできません。
 そのような原子力災害、放射能災害がもたらす核被害について、私たち市民社会は、被害の実態をきちんと把握し共有できた七年間だったのでしょうか。放射能てんでんこを教訓としてきたでしょうか。むしろ、逃げずに復興、オール福島、頑張ろう東北、きずなというきれいで美しい言葉に覆い隠され、放射能汚染、被曝という核災害と正面から向き合ってこなかったのではないでしょうか。
 原子力を国策として進めている国が、そして原子力産業により莫大な利益を得ている巨大企業である東京電力が、きちんと責任を持って放射線を管理し、管理できない状態になれば速やかにそれを人々に知らせ、状況をつぶさに隠蔽せず公表し、汚染状況を詳細に周知徹底し、環境汚染や人の健康についての危険については警鐘を鳴らし、適切な避難の指示や勧告を行い、そして制度と保障を行わなければ、一般の人々は自分の命の安全を確保することは困難です。ただ逃げるという選択すら容易ではないのです。
 福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人々というのは、国際社会が指摘するとおり、国内避難民に該当します。それは、県境や行政区画で線引きされた強制避難区域とそれ以外とを問いません。国連の国内強制移動に関する指導原則、GPIDと言ったり、国内避難民に関する指導原則とも呼ばれていますが、二〇一七年の国連人権理事会の普遍的定期的人権状況の審査において、原発事故関連について、日本は四か国からの勧告を受けました。そして、日本政府はそれを受け入れ、同意し、フォローアップすると返答をしています。同原則によれば、望まぬ帰還の強要は許されず、また、健康を享受する権利についても警鐘が鳴らされています。
 これら国際社会からの指摘に対し、個人の尊厳、基本的人権の尊重をベースに、国家の災害国内避難民に対する保護義務の履行として、国際的視野と視点を持って、どうか国会議員の先生方には真摯に想像力を持って被災者の声に耳を傾けていただきたいと思います。
 母子避難を決心するまでの私の二か月間というものは、地震直後の福島での混乱の中、パニックを起こさないように、ただひたすら、収束するから、復興、頑張ろう東北との言葉を信じて、とても違和感のある生活に耐えていました。健康に直ちに影響はございませんと繰り返すばかりの当時の報道とは裏腹に、子供たちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで、外出時はマスクを着用させていました。外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓を開けない、このようなことが当たり前になっていき、とても普通の暮らしを送ることができる状況ではありませんでした。週末が来れば、家族で車に乗り込み、隣の県の山形県新潟県まで高速道路をひたすら走り、普通の町中にあるようなブランコとか滑り台があるだけの公園を見付けて、小一時間ほどそこに三歳児の息子を降ろして遊ばせるのです。で、また何時間も掛けて福島に戻ってくる、そんなおかしな生活を続けていました。
 私の住んでいた郡山市は、福島第一原子力発電所からは六十キロメートルほど離れていますが、当時は同心円状に避難指示、屋内退避命令が広げられていき、徐々に放射能汚染地域が広がっていく恐怖におびえる毎日でした。それでも、国はより危険な地域から順次人を避難させてくれるものだと私は信じていました。
 私が一番衝撃を受けた出来事は、避難所で、福島の避難所です、原発事故から一か月近くたとうとする頃、テレビのニュースで、東京の金町浄水場の水道水から放射性物質が検出されたとの報道でした。福島第一原発から二百キロメートルも離れている東京で放射性物質が検出されて、六十キロメートルの郡山の水が汚染されていないはずはありません。実際、翌日には、福島市郡山市などの水も汚染されていると報じられました。
 しかし、報道がなされても、地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。この国の多くの人が、福島第一原子力発電所の事故により水道水が放射能により汚染されたという事実は知っています。しかし、私たち周辺地域の住民が、放射性物質が直ちに、たとえ直ちに影響はない程度であるとはいえ、放射性物質が検出された水を飲まざるを得ない状況に追い込まれ、それを飲むという苦渋の決断をしたということは知られていません。また、その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという過酷な決断を迫られたことも知られていません。
 あのとき、どれだけの放射線を浴びたのかも分からない上、私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、一生涯自分や子供たちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と向き合っていかなければならないという現実がここにあるのです。それは、不安とか心配とか、そのような軽微な形容で表現されるものではありません。私たちは、被曝という事実、それから被曝による健康影響という恐怖とあの日から向き合わされ続けているというのも一つの事実なのです。
 避難して初めの一年間は、いつ福島に戻れるか、いつになったら家族四人でまた再び一緒に暮らせるのか、そればかりを考えていました。これほど長期にわたり見通しの立たない避難生活を送り続けることになるとは、避難した当初は考えてもいませんでした。避難生活は、苦痛以外の何物でもありません。ですが、七年たち、次々と明らかになっていく客観的事実から考えれば、子供の健康被害のリスクを高めることになるという、戻る、帰還という選択は、少なくとも今の私には考えられません。
 当然のことながら、放射能汚染は強制避難区域や福島県境などの行政区域で止まるわけではありません。風向きや降雨、地形などによってホットスポットが避難元には至る所に点在することが分かっています。七年たった今でも、私の避難元には、自宅の目の前に除染で出た放射能の袋詰めのフレコンバッグが何百個も並んでいます。その環境に幼い我が子を戻そうとは私には考えられません。それと同時に、そのフレコンバッグを目の前にして、同じように、この国では、同じ母親が、子供が、人々が暮らしているという現実にどれだけの方々が思いをはせ、対策を講じた事実がこの七年間であったでしょうか。
 七年前、震災直後から、長崎から放射線の専門家という方が福島にやってきて、にこにこ笑っていれば大丈夫と触れて回りました。鼻血は放射能を心配し過ぎるお母さんの気のせいです、小児甲状腺がんは百万人に一人か二人とかしかならない希有な病気ですから、チェルノブイリの事故と福島の事故は違うのだ、避難をするなんて神経質過ぎる、ナーバスだという風潮が次々につくり上げられていきました。ですが、七年たって、百万人に一人か二人しかならないはずの小児甲状腺がんは、福島県内の十八歳未満の子供たち、子供たちは百万人もいません、三十七万人近くしかいませんが、を調べただけでも、年々増加し、現在二百人を超える人たちにがん又はがんの疑いと多発しています。
 日本国憲法の前文には、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると書かれています。私は、東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、放射線被曝の恐怖から免れ、平和のうちに生存していると思えたことは一日たりともありません。あの日、福島の空気を吸い、福島の水を飲んだ私たちにとって、被曝は現実の恐怖以外の何物でもなく、避難できたからそれで終わりではないのです。私たちはずっと、この被曝という事実とその恐怖を抱えたまま、健康被害が発症しないことを祈ることしかできないのです。それは具体的に言うと、健康調査を丁寧に追跡していき、いつでも医療機関にアクセスできるという、そういう制度が保障されているという意味です。
 子供たちに甲状腺の検査を受けさせるたび、胸が押し潰される思いがします。検査結果の通知を開封するたび、手は震えます。それは、避難しているお母さんも外に出たお母さんも同じだと私は思います。だからこそ、原子力災害による被曝という命や健康に関わる事実からは目をそらすことなく、経過をより慎重に、これ以上の無用な被曝をできる限り避けるという被曝防護の対策を実施し、健康被害のリスクを少しでも取り除く努力が必要なのではないでしょうか。
 私は、子供の命や健康、そして未来を守るために、ただ避難を続けたいだけなのです。それは、避難という選択が放射線被曝から最も直接的に身を守る行為だからです。たとえ圧倒的多数の人が避難するという選択肢を選ばなかったとしても、無用な被曝に対して絶対的に被曝を拒否する権利は一人一人にあるはずです。その選択をすることによって尊厳が踏みにじられることもあってはならないと私は考えます。
 放射能は目に見えません。でも、少なくとも、全国四十七都道府県に実在する避難者の存在、国際社会はこれを国内避難民と認識していますが、その存在は誰の目にも見えているはずです。たとえ正確な避難者の人数が調べられもせず、実態が把握もされていなかったとしても、避難をした人々の存在そのものが福島事故による放射能被害を見える形で映し出しているのです。
 何度でも繰り返します。避難の権利、すなわち、放射線被曝から免れ、健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。誰にでもひとしく認められなければいけない権利です。そして、これは避難した人たちだけの正当性を主張するものでもないのです。少しも被曝をしたくないと思うことは、人として当然であり、誰もが平等に認められるべきだと私は思います。また、これから先、将来のある子供たちに健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは親として当然の心理であり、子供の健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。そこに、一点の曇りもなく放射線被曝の恐怖があってはならないと思うのです。
 たまたま運よく条件が、様々な条件に恵まれた人たちだけが被曝から遠ざかることができたというようなことで本当によいのでしょうか。今、次々になされる施策、法律で定められている年間一ミリシーベルトを超える放射線量が確認されても、そして将来にわたる累積被曝量には目を向けることなく、強制避難区域をどんどんと解除し、人を戻す、帰還させるという政策にだけ心血を注いでいるように見えます。他方で、避難者にとっての命綱である支援住宅の打切りなど、これらの非道な施策により、幼い子供の被曝量を少しでも避け、避難を続けていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということは、極めて不均衡かつ不平等だと私は思います。
 そもそも、避難するという選択肢を選び、安心して避難を続けるという道筋が示される制度は、この七年間、七年以上経過しても何一つ確立されていません。原発事故当初から避難したくてもできない世帯もまた苦しんでいるという事実、その声はいずれの施策や制度に反映されているのでしょうか。放射線量の高い地域にとどまり、日々放射線と向き合う暮らしに対して、いつからでも被曝を回避し、被曝からの防護の手段を講じるような施策や制度は実施されたのでしょうか。例えば、保養の制度は、チェルノブイリ原発事故の場合は国策で実施されていますが、日本ではどうでしょうか。
 モニタリングポストというものは、目に見えない放射能を数値化して見える化し、被曝防護の視点からも自身が被曝量を知る権利というものに資するものですが、それを撤去するという動きは、人権擁護の観点からも逆行をしていると指摘できます。
 一方で、避難という選択をした人たちも、また国内避難民として、国家の人権に基づく保護の対象であることに変わりありません。原子力災害が一たび起きたときに、現実に存在する国内避難民が、存在するのになかったものとして扱われるということは、翻って言うならば、次また原子力発電所を持っているこの国で原子力災害が起きたときに、何の被曝防護の策も取られることなく保護も救済もなされないということとそれは同じであり、それはひいては国民の権利が将来にわたって侵害されることになると私は危惧しています。
 最後に、特に、人は、ひとしく自らの命を守り、健康を享受する権利があるはずです。そして、特に被曝に対して脆弱な子供たちにとっては、その子供たちの未来と健康を最優先に考えてほしいと私は思います。子供たちはこの国の未来です。国会議員の先生方、人の命や健康よりも大切にされなければならないものはほかにあるのでしょうか。私は、放射線被曝から免れ、命を守る行為が原則であると考えます。
 原発避難を続けながら、今回の大阪の地震そして災害で、地震、洪水のために更に避難をするという過酷な状況に置かれている原発国内避難民の方もおられます。この災害大国日本で、災害はいつ何度でも、誰の身の上にも起こり得ることです。国内避難民に関する指導原則に対応する立法は、原発事故被害者だけを対象にするものだけではなく、あらゆる自然災害の避難者を対象にするものです。国家の国民に対する人権に基づく保護措置としての国内避難民に関する指導原則に対応する国内立法化は、私は必須だと今回の災害を通してもまた思いました。自然災害時における人々の保護に関するIASCガイドラインや被災地におけるスフィア基準が整備、充足化されることも希望いたします。
 今後の災害時における人権が守られますよう、これからも被災、避難当事者としての経験に基づく気付きや教訓を提言し、参画の機会に是非主権者としてもその役割を果たさせていただきたいと私は希望しています。
 先生方には、本当に放射線被曝から免れ健康を享受する権利、それを指して避難の権利と私は呼んでおります。どうかそれを具体化する立法、きちんと手当てする立法をお願いしたいと思い、私からは発言を以上とさせていただきます。
 発言の機会、ありがとうございました。
 
藤田幸久議員(国民民主党)から森松明希子参考人に対する質疑]
藤田幸久君 国民民主党藤田幸久でございます。
 私は、福島の隣の日立の出身でございまして、親戚が福島におりますので、今日、四名の皆さんのお話、本当に心に痛んで聞かせていただきました。議員になる前は元々人道援助の仕事をしておりましたので、そういう観点からも質問させていただきたいと思います。
 まず、森松参考人にお伺いしたいと思いますが、昨年の十一月のUPR勧告というのが四つ、資料としていただいております、ドイツ、オーストリア、メキシコ、ポルトガル。二つお聞きしたいと思いますが、メキシコに関しては、このメキシコ政府の勧告の意図を日本政府はフォローアップをすると言いながら恣意的に解釈していると、それから、ポルトガル政府の勧告に関しては、国内避難民に関する指導原則というのを周知させていないということが書かれておりますが、その具体的な、なぜそういう違った対応をしているのかについてお答えをいただければ有り難いと思います。
参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 私も被災をしていまして、国連の勧告がこの七年間の間に、実はこの前にも、今回、二〇一七年のUPRという定期的普遍的人権状況に関する審査なんですけれども、その前にもあって、これは第三回目となっております。
 それで、前のときには、実は日本政府の対応は、国連グローバー勧告というお名前で、国会議員の先生方も御承知おきかとは思われますが、国民の健康に関する権利について特別報告者の方々が報告をされていますが、それに関して言いましたらば、日本政府はその受入れを拒否するという対応をしておりました。
 ですので、今回もこの勧告が二〇一七年の十一月に四つ出たときに、私たちもどういう反応をしてくださるのかと思いましたらば、政府が受け入れてそれをフォローアップするという形の御返事をいただきまして、実際に、先にポルトガルの勧告でいいますと、先ほど来私がここで発言させていただきますのも、私たち避難民は、国境を越えずに国内で避難している者は国内避難民に該当すると申し上げましたが、それがまさに今回勧告でポルトガルが指摘してくださった国内避難民に関する指導原則、日本では、実はこの和訳がなくて、外務省の方に聞いても英語の訳しかなかったんですね。まさに、この七年間、国内避難民の状態で人々が避難をしている。そして災害は次々に起こりますから、今回の西日本の大水害でも、国内において居住地が大規模災害でありますと、県を越えて国内で避難をしているという人が存在するんですが、実は、そういう国際社会から見れば指導原則というものがあるのに、それに対応した立法というものがなかった、それが、特にそういうことがございまして、今回、外務省は早速日本語訳をしてくださるということになっております。
 もう一つ、メキシコの勧告についてですけれども、メキシコの勧告の日本語訳を言いますと、原発事故被害の何世紀もの核被害に対して、医療サービスへのアクセスを保障すると。ですが、今動きとして、例えば福島県でやっている県民健康調査が、国家がやっているのではなくて、例えば福島県がやっている、でも先ほど申し上げたとおり、原子力災害、放射能災害は福島県の県境では止まらないわけですから、これはきちんと精査する意味においても、議員の御出身のひたちなか市とか茨城からも放射線被曝を避けて避難をしている方がいらっしゃるわけで、そういう意味からも、国がきちんと責任を持って健康に関する権利に対しての制度をつくってほしいという意味でございます。
 
川田龍平議員(立憲民主党)から森松明希子参考人に対する質疑]
川田龍平君 この自主避難者の人たちが生活をしているこのみなし仮設、特に今、高齢・障害・求職者雇用促進機構が明渡し裁判というのを山形地裁に起こしていますけれども、この問題においては、やっぱりこの所管が厚労省のこれ所管の機構でもあります。
 これ、先日、こういった避難者の人たちが、この住宅に住んでいるお子さんが階段から落ちてけがをしたということがこの資料にもありますけれども、本当に子供のことを考えて、健康を考えて避難をしたお母さんがそういった今状態に置かれているということについて、本当にそのお母さんのやっぱり子供を思う気持ちを思えば本当にやるせない気持ちだと思うんですが、それについて森松参考人から、子供を思う母親の気持ちとして、本当に子供を守るためにやっぱり避難を継続していることのつらさやそういった思い、何かありましたら是非言っていただければと思います。
参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 確かに実態調査は、今、熊本参考人がおっしゃっているとおり、私は、本来は災害時においては一義的な保護責任という、人権に基づく一義的な保護責任は国にあると思っています。福島原発事故の原因で、福島県原子力発電所があって、福島県から多くの人が出てきたという意味では福島県にも、それから避難元の自治体にも、それから全四十七都道府県に国内避難民という避難者の存在はあるわけですから、受入先の自治体にももちろん保護義務というのは生じるというふうに、国際的なガイドラインではそういうふうな考え方をしています。
 子供を守るために避難をしている人が、昨今で、去年のニュース、おととしのニュースでも大きく社会問題として取り上げられましたが、原発避難者いじめ問題、そして、横浜に自主避難、それこそ自主避難をしていた、母子避難ともお聞きしていますが、私と同じように避難をしていたお子さんが、たくさんいじめられて自ら命を絶とうと思った、でも、あの日たくさん、つまり、三・一一の東日本大震災で多くの人が津波、何かで命を落としたことを知っているので僕は生きると決めたというふうなメモ書きを残して、一生懸命生きて頑張って、避難者いじめに遭っているということも明るみに出ました。
 私は、子供の命や健康を守るために避難をしているのに、さらに避難先で、避難者いじめ問題に象徴されるように、避難をしている理由が明らかにもされず、その実態も把握されないことは、一番弱いところに、それは大人社会、大人の映し鏡が子供社会ですから、そこで子供がそういうふうにいじめられている、避難者であることを明かすことができない、それは自分のアイデンティティーや存在意義も否定されるということですから、子供の育ちにとっても良くないということで、そういうふうな観点からも、是非、今日、国会議員の先生方はこの実情を少しでも把握していただいて改善の、人権が守られる、特に子どもの権利条約というのは国際批准で、条約も批准していますので、そういう部分からの観点からも是非助けていただきたいというふうに私は考えます。
 
[岩渕友議員(日本共産党)から森松明希子参考人に対する質疑]
○岩渕友君 (略)
 次に、森松参考人にお聞きします。
 国連人権理事会の制度、今日もいろいろ御説明いただいていますけれども、この制度として、加盟国がほかの国に対して勧告を出す普遍的・定期的レビューで、日本は原発事故関連で四か国からの勧告を受けていると。さらには、日本政府はフォローアップに同意をしているんだということが先ほど紹介をされました。
 避難指示の解除と一体に、賠償であるとか例えば仮設住宅などの住宅の提供が打ち切られていますけれども、避難指示区域の方たちも将来的には自主的に避難をしているというような、そういう状況になっていくことも考えられます。区域外避難の方たちが今直面をしている課題、問題は、被害者全体の問題だというふうに思います。
 森松参考人は、国連の人権理事会でスピーチをされています。配られている資料の中にもスピーチの全文が紹介をされていますけれども、避難の実態と避難の権利、そして日本政府の対応について、海外でスピーチをされたりいろんなところでお話しされたと思うんですけれども、その海外の受け止めがどのようなものだったかというのを御紹介お願いします。
参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 まず、お手元の資料に、本日配付分の資料で、国連人権理事会におけるスピーチの内容を掲載したものをお配りしてあります。国連というところは英語でやらなければならなくて、私の母国語は日本語ですので、苦手な英語ですけれども、英語でスピーチをしてまいりました。
 どういった内容をスピーチしたかと申し上げますと、先ほど、今日の意見陳述で申し上げたとおり、直後は私たち住民は情報を知らされず、無用な被曝をすることになってしまった。それは、原子力災害は、世界が注目する福島原発事故でありますので、状況をお知らせいたしました。そして、原子力災害は、もう一つ、人災であると同時に、大規模な、史上まれに見る本当に大公害とも言えると思うんですね。空気、それから、降り注いだ放射能は地面に落ちてきますから土壌を汚染する、それから、先生方ももちろん御存じのとおり、海洋、太平洋にはもう間断なく、あの日事故を起こしてから、タンクがたくさん建っていますが、受け止め切れずに間断なく汚染水が太平洋に流されているという地球規模の大公害を引き起こしてしまっていると。そういうことに対して、そういう状況でありますけれども、世界の皆様方にその状況をお知らせいたしました。
 無用な被曝を重ねたこともそうですけれども、現在放射線量がまだ高い地域への帰還政策にばかり力を注ぐのではなくて、もっと国民の、特に基本的人権である命に関わる権利、生命に関わる権利、健康に関わる権利を保護してほしいということを世界の方々にも、その助けも求めて訴えてまいりました。特に、福島だけでなく、先ほど来申し上げておりますが、放射能は県境で止まらない、これは国土全体の問題として、福島、特に東日本の、それから被曝に対して脆弱な年齢の低い子供や妊婦、女性、更なる被曝から守ることに力を貸してほしいというお訴えをさせていただきました。
 それに対する世界の反応ですけれども、国連の人権理事会本会合では、政府の答弁と同時に、サイドイベントというところで、各国の特別報告者であったりとか、各国の政府の方々も聞きに来て、関心を持って聞きに来られておりました。
 その中での受け止めとしましては、やはり日本という国は、広島、長崎を経験していて、被曝ということに対してやはり意識がちゃんとあるのかというようなことを注目されていたように私自身は感じました。なぜなら、原子力災害というのは放射能汚染をばらまくもので、それは広島、長崎で私は被爆者という言葉を知っていたから、被曝を避けるために、被曝の健康影響を考えて子供の命を守るために避難を続けている、国内避難を続けているということが非常に受け止められて、理解もされて、こうしてポルトガルのように見られる勧告につながったのかなというふうに思いました。
 それからもう一つ、さらにヨーロッパを回って、市民団体の方々からお招きを受けまして、原発推進国であるフランスのグルノーブルという町でお話をさせていただく機会がありました。
 そこで驚いたことは、福島の現状をお話しし、先ほどの陳述で述べたようなお話もさせていただいたんですが、一人の金髪の女性の、私と同じぐらい、もう少し若いお母様、お子さんを連れていらっしゃったのでお母さんと分かったんですが、手を挙げて発言をされたときに、実は、三・一一当日、私は東京に住んでいたと。そして、フランスという国は、自国からチャーター機を出して、すぐにフランスに戻りなさいといって、私は、その幼いお子さん、ちょうど私の子供と同じぐらいの年齢だったと思います、十歳ぐらいのお子さんを連れていらっしゃったので、当時三歳かそれぐらいだったと思うんですが、その子供と共に自分の国のフランスに帰ったというお話をされて、そこからこの七年間、日本の状況をずっと同じ母親の目線で見ていたんだという、外国人の方からも、世界中の方からも私たちは非常に気遣っていただき、子供の将来や健康被害の影響が出ないだろうかということを世界の皆さんが注目していただいているということに非常に感銘を覚えました。
 だからこそ、こうやって国連勧告が出たり、健康に関する権利の勧告が出た場合には、国の国家的な保護としての責任を果たすという意味でも、市民団体も市民社会も理解を示しながら、この国内強制移動に関する指導原則というのの是非立法化を国会議員の先生方には本当に心からお願いしたいと、そのように思いました。
 以上です。
 
石井苗子議員(日本維新の会)から森松明希子参考人に対する質疑]
石井苗子君 (略)
 森松参考人の方にお伺いします。
 逃げる権利、これ私、痛いほどよく分かるんですけれども、医療の分野からいきますと、現実的に放射線の影響、人体に受ける影響ということで、子供の甲状腺がんの検査ということに関しましては、全く経験したことのないことでございますので、小児甲状腺がんと診断するまでの過程において、いろいろ、それが原発のあの事故のせいであったのか、それとも、御存じだと思いますが、小児甲状腺がんというのは消えることがあるわけですね。だから、この十年間の間でどこでそれを判断するかというのは非常に難しい。だけれども、やっていかなければいけないことだと思うんです。
 それで、お伺いするんですが、何があったら戻ろうかというお気持ちになっていただけますか。
参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 何があったら戻ろうかという御質問自体が、戻ることが前提とした御質問だというふうに私は受け止めてしまう。もし間違っていたらごめんなさい。そうではないのかという、常にそういうことなんですが。
 強いて言うならば、私たちも、夫は福島県郡山市にいますので、居所を二つに分けて、苦肉の策で福島と大阪という離れた土地で今生活をしています。何があったらとおっしゃいまして、要するに、被曝防護で、特に私は、震災当時、三・一一当日は子供がゼロ歳と三歳でした。まさに外遊びをさせなくちゃいけない年齢、これからよちよち歩きを始めて、福島は原発事故がなければ本当に大自然に恵まれた子育ての環境の良いところです。それを目指していたのですが、事故になってしまった。
 何がとおっしゃいますが、まず最低でも、そこからまず放射能災害というものが起きたときに、被曝とかいう問題、それから放射能汚染という言葉さえ今はタブー視のように、タブー化されてお話ができないというような環境ですよね。でも、被曝から子供を守りたい、できるだけ被曝量を下げたいというのは先ほど陳述で申し上げたとおり。出荷停止になりましたよね、例えばホウレンソウであったり葉物野菜が出荷停止になり、酪農家の方は泣きながら牛のお乳を搾ってそれを畑に捨てたという映像を皆さん御覧になっている。でも、同じ哺乳類の私たち母親は、その汚染された水、たとえ少量であっても、水を飲んで、凝縮された母乳からセシウムが発見された、検出されたというニュースも流れてきました。どんな手だてを打って被曝から全力でこの国は子供を、被曝防護の対策が確立できるんだろうと思って見ていたこの七年間でした。
 それが先生の御質問は、何があったら帰ってくれるのかではなくて、どんな被曝防護を考えましょうかという御質問だったらうれしいかなというふうな思いから、例えば県民健康調査は福島県に任せています。でも、私はそうではなくて、国家としてきちんと予算を組んで、国が主導して、福島県はもとより、その周辺地域もきちんといつでも医療アクセスができるような、それから、県民健康調査にもうちょっと丁寧な、例えば二年に一回という、今は十八歳未満は二年に一回ですけれども、それが毎年、半年に一回でも、年齢に応じてとか、もっときめ細やかな制度や施策はないものだろうかというふうな感覚はあります。それから、二十歳を超える、十八歳を超えると五年に一回でいいとかというのも、それも私の考えからいうと逆行しているなというふうな形であって、前提が、どうしたら戻ってくれるではなくて、どうすれば将来、影響も分からない、チェルノブイリの事故とはまた福島は違う、そうであるとするならば、本当に分からない中で、専門家の意見も真っ二つな場合、どちらを取るかというと、子供に、それこそ予防原則と言いまして、より安全な、生命、身体に対してはよりケアが必要だというふうに私は考えております。
 
山本太郎議員(自由党)から森松明希子参考人に対する質疑]
山本太郎君 (略)
 先ほど森松さん、避難の権利という部分についてお話ししましたけれども、避難の権利というものが認められるならば、今まで暮らし続けた場所にも居続ける権利というものも当然存在すると思います。でも、この国でなかったのは、その避難する人たちに対してしっかりとバックアップをするという部分だったと思うんですね。この部分が圧倒的に足りなかったと思うんですけれども、これ、残った人にも戻った人にもそれぞれのケアが必要だというふうに思うんですけれども、どういうことが考えられますか。
参考人(森松明希子君) 山本議員、御質問ありがとうございます。
 そうなんです、避難の権利と私が言っているのは、先ほど来申し上げているとおり、避難をした人たちだけの正当性を言っているわけではないのですね。避難の権利は、今回の原発事故に対しては、放射線被曝から免れ健康を享受する権利、自らの健康を享受する権利であります。
 避難の権利とは、具体的に言いますと、三つ考えられると思います。被曝拒否権、一つ目が被曝拒否権、そして二つ目が選択的被曝回避権、先生方にお配りしているレジュメにも書いていますが、選択的被曝回避権、それから三つ目が被曝情報コントロール権というふうな形で、これは、名称はともかくとして、私は、この七年間そういうふうに分類できるのではなかろうかと考えました。
 それは、もちろん憲法や、それから国際人権法に基づいて編み出したといいますか、被曝拒否権というのは、大多数の人が被曝を受忍しているとしても、個々人には無用な被曝を絶対的に避ける権利がある、これは誰も否定しないと思います。健康に関する権利で、必要な被曝は、医療被曝とかは必要だから被曝するわけですよね。だけれども、無用な被曝を絶対的に拒否する権利はまず個々人誰にでもある権利だと、人権だと。
 そして、選択的被曝権とは、私はよくこういうふうに表現しているんですが、知って被曝することと何も知らされずに被曝をさせられることは全く意味が違うんだと。要するに、原発事故に象徴されますように、ある日突然、原発の事故で、それは大災害が原因でもヒューマンエラーが原因でも老朽化が原因でも、原因は関係ないんです、この場合は。何か、ある日突然、福島県を中心とする汚染地に放射能災害が来たときに、何も知らされずにそれは被曝をさせられたということです。知らされずに水が汚染されて、分からないまま飲んでしまった水。それに対して、知ってしまった以上、知って被曝することはやはり避ける。知ったときには、人はいつでも自由に、いつからでも被曝を拒否する、回避するという選択肢を選べることができるんじゃないか、そういうふうに考えています。
 被曝そのものが、さっきも申し上げたとおり、被曝拒否権があるけれども、被曝を避けることのほかにも守るべき権利があるのであれば、それはその個々人が選択できる。これが憲法に保障されている個人の尊厳であり、憲法十三条基本的人権の中でも、個人が尊重されるという条文のまさにその理解なのでは、この事故の場合における理解なのではないかと私は考えています。
 個々人の選択は誰からも押し付けられるものではなく、被曝回避権を行使しない、つまり、逃げない、避難をしないとか、元々避難していたけれども、戻ったからといって、最初に申し上げた一つ目の被曝拒否権が何もなくなるわけではないのです。例えば、幼児とか未成年者はどうでしょうか。親が被曝回避の選択をしなければ逃げることはできませんよね。でも、大きくなって、やっぱり自分は離れたいと思ったり、そういうことと、翻って考えると、先ほど大西参考人が言ったとおり、復興のためとか廃炉作業に行くためとか、それからその地域の医療をするためであったりとかですね。
 まさに、私の夫は福島で医師をしています。住んでいる人がいる以上、医師の倫理といいますか、地域住民の医療を守りたくて福島県民をやっておりまして、今も私たち夫婦、家族は福島県が大好きです。汚染さえなければ、そして私たちの子供は幼いわけですから、帰れるものなら帰りたい。でも、家族の中でも、家長制度とか、明治時代とか昔ではないわけですから、今は家族の中でも一人一人の尊厳が守られる。子供は未成年ですから今判断はできないけれども、そういうことがあって、被曝回避権。
 それから最後に、被曝情報コントロール権というのは、自己が被曝をするとき若しくはさせられるとき、その量や期間の情報を自分で知ってコントロールする権利というのは当然出てくると思います。プライバシー権とかが、自己に関する情報を自分でコントロールする権利という人権として新しく認められましたが、似たような、私は法律家ではないので分かりませんが、被曝情報を自分でコントロールするためには、例えば先ほど陳述もしたとおり、モニタリングポストの設置があって、放射線は低線量では浴びているかどうかさえ分からないのです。
 空間線量だけでなく、土壌の汚染があるわけですから、地面の汚染も測らなければ、ちゃんとした公的機関がきっちりと示さなければ、情報は私たちには知らされないということをこの七年間経験してきたわけです。そうすると、空間線量一辺倒だけでやるのではなくて、土壌も測ってほしいというのが、市民の、そして避難した人たちの、そして、今は残っている人たちもやはり被曝量を自分でコントロールしたいという権利があると思います。その三つの権利が少なくともきちんと確立されるべきだというのが私の主張でございます。
 そうすると、例えば避難者の実態が把握されていないとか、中にとどまっている人は定期的に、先ほど申し上げたとおりチェルノブイリでは保養という制度があって、保養庁という省庁までできているんですね、国家的にそういうふうに子供たちを守ろうということで。そうであるとするならば、私はよく言っているのは、避難というのは、長期、すごい長い保養と同じじゃないかと。避難保養庁とかあってもいいのになというか、できている七年後を想像していたんですが、法律もなければ、そういう省庁もないけれども、それができるかできないかは別にして、このような考え方ができるのではないかというふうに私は考えています。
 つまり、残った人や、とどまっている人や、もちろん避難した人も、それぞれに対して被曝拒否権とそれから選択的被曝回避権、それから自己に関する情報で被曝情報のコントロール権というものは、少なくともこの原子力災害を経験したこの国はきちんと確立しておかなければ、いつ何どき身近の原子力発電所が事故を起こしたときに、一つもその被曝防護の対策が取られないということに等しいということだと思います。
 
行田邦子議員(希望の党)から森松明希子参考人に対する質疑]
行田邦子君 ありがとうございます。
 先ほどの陳述の中で、大西参考人が二重の地位ということをおっしゃられていました、問題提起をされていました。この点につきまして、熊本参考人と森松参考人、それぞれに伺いたいと思います。
 二重の地位、避難先で住民登録をするだけではなくて避難元でも登録をできるということで、そのことによって、今区域外に住んでいる被災者の方がふるさととの関わりを持っていくということだと思いますが、この二重の地位ということにつきましての御意見をそれぞれに伺わせていただきたいと思います。
参考人(熊本美彌子君) (略)
参考人(森松明希子君) ありがとうございます。
 名称はともかくとして、二重住民票という御議論は震災直後からあったと思います。特に、そのでも議論に参画する人たちが、主に、かなりふるさと喪失に対して物すごく思い入れがあるので二重の住民票が欲しいと、今先生方の御理解もそのような感じかもしれませんが、今、熊本参考人がおっしゃったように、様々なケースがございます。
 例えば、私はゼロ歳と三歳の子供を連れて避難をしていますから、小学校の入学とか、そういう住民サービスの手続は余りその直後は関係なかったんですね。それもあってすぐに住民票を移さなかったというのもありますし、もちろん、福島県民として、県民健康調査の該当者、今は避難をしていてもできるらしいんですが、その通知が来なかったりと、住民票を移動するためにいろいろな不利益があって、それも整備されていないからそういうことになってしまうんですね。
 ですが、もう少し大きいお子さん、例えば、小学校、中学校はまだ義務教育だからいいんですが、高校受験をするときに、最初の頃は、住民票がなければ例えば大阪府に避難をしていても大阪の公立の高校が受けれませんよとかいうような様々なことがあって、そこに臨機応変に対応はしてもらえなかった事実もあります。
 そういうわけで、今度は住民票を移しました。そうすると何があるかといいますと、いろんなケースで、元々福島県民で、もう先祖伝来、福島県民の、土地を持っていて何代にもわたって福島に住んでいた人もいれば、でも、住民というのはそういうわけでもないわけですよね。特に私なんかは郡山というところに住んでいまして、いろんなところから住んでいるわけですから、私も出身は元々関西だった、だから今関西に避難できているだけで、いろんなケースがあるわけです。
 そういうこともございまして、名称はともかくとして、でも、最も必要な人のところに二重の住民の地位とか住民サービスが受けれる形というのは必要だと思います。
 なぜなら、私はこれまで選挙権の行使を福島県民としてやろうと思いましたが、国政選挙は期間が二週間あるので、いろんな速達で選挙管理委員会と、郡山市とやるんですけれども、地方選挙の場合は一週間でそれをやらなくちゃいけなくて、子供を抱えてパートに働きに出ていて、そのやり取りをやっている間に選挙の行使、しかも期日前投票をやらなければいけないということになっています。そうすると選挙期間が過ぎてしまって、福島県政に最も私は興味と関心があって政治参画したいと思っているのに、その参政権がちゃんと行使できていないというようなことも、この七年間何度も、選挙起こるたびに思ってまいりました。
 ですので、もちろん二重の住民の地位という、それから二重住民票にするかどうかというのは是非御議論いただいて、それから、それが町を残したいとか町が消滅するのを防ぎたいとかではなくて、先ほども、それは人の復興か場所の復興かとかいう議論にも関わると思います。具体的に必要なところに住民サービスが受けれるような形になれば、住民票をわざわざ制度まで思い切り変えなくてもできることではないのかなというふうにも私なんかは思うのですが、そういうところにも是非、全国四十七都道府県に散らばっている避難者のニーズをきちんと酌み取って、人数もちゃんと把握されていない現状がございますので、そういうことからも、そういうことを酌み取りながら、参画する機会を与えていただいたらまた是非御提言をさせていただきたいと、そういう場所に呼んでいただきたいなというふうにも思いますけれども、私の希望としては、名称はともかくとして、二重の住民サービスは受けれるような制度はつくってほしいというふうには希望いたしております。
 
(付記・8月26日に森松明希子さんが和歌山で講演されます)
原発事故による被ばくからの自由・避難の権利とは
講師:森松明希子さん
●日時 2018年8月26日(日)14:00~16:30
●会場 県民交流プラザ 和歌山ビッグ愛 9階会議室A
     (和歌山市手平2丁目1-2 ℡:073-435-5200)
●参加費 無料
主催:子どもたちの未来と被ばくを考える会
連絡先:和歌山市三番丁6番地関西電電ビル4階 金原法律事務所内
℡:073-451-5960(松浦) ブログ http://kodomomiraikibou2012.seesaa.net/
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/森松明希子さん関連)
2013年9月1日
8/31シンポ「区域外避難者は今 放射能汚染に安全の境はありますか」(大阪弁護士会)に参加して
2013年12月21日
森松明希子さんが語る原発避難者の思い(12/19大阪市立大学にて)
2014年2月8日
母子避難者の思いを通して考える「いのち」(「母と女性教職員の会」に参加して)
2014年9月12日
原発賠償関西訴訟と森松明希子さん『母子避難、福島から大阪へ』
2014年9月16日
9/18原発賠償関西訴訟第1回口頭弁論に注目を!~原告団代表・森松明希子さん語る
2014年11月29日
東日本大震災避難者の会「Thanks & Dream」(略称「サンドリ」)の活動に期待します
2015年4月11日
原発賠償関西訴訟(第1回、第2回)を模擬法廷・報告会の動画で振り返る(付・森松明希子原告団代表が陳述した意見)
2015年10月30日
「避難の権利」を求める全国避難者の会が設立されました
2015年12月1日
11/23世界核被害者フォーラム「広島宣言」&「世界核被害者の権利憲章要綱草案」(付・森松明希子さんの会場発言「避難の権利と平和的生存権」)
2015年12月14日
避難者の声を届けたい~森松明希子さんのお話@12/13東京都文京区(放射線被ばくを学習する会)
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「避難者あるある五七五」東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ))の挑戦~五七五だから語れる避難者の思い
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UPLAN【原発事故避難者インタビュー】に注目しよう~まずは松本徳子さんと森松明希子さん
2016年11月30日
「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから
2017年3月5日
『3.11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~』(東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ))を是非お読みください
2017年9月19日
「ともに生きる未来を!さようなら原発さようなら戦争全国集会」(2017年9月18日@代々木公園)の動画を視聴する
2017年9月20日
平和のうちに生きる権利を求めて~森松明希子さんの「ともに生きる未来を!さようなら原発さようなら戦争全国集会」(2017年9月18日@代々木公園)での訴え
2018年3月9日
院内勉強会「国連人権理事会、福島原発事故関連の勧告の意義とは?」を視聴し、3/16国連人権理事会での森松明希子さんのスピーチに声援を送る
2018年3月21日
国連人権理事会での森松明希子さんのスピーチ紹介~付・4か国からのUPR福島勧告と日本政府による返答
2018年5月29日
森松明希子さんらによる「国連人権理事会発言者による報告会~東電福島原発事故と私たちの人権~」(2018年5月27日@スペースたんぽぽ)を視聴する
2018年7月5日
院内勉強会「国連人権理事会に福島原発事故被災者が参加~国連国内避難民に関する指導原則を政策に生かす~」(2018年7月4日)を視聴する
2018年7月12日
森松明希子さん「原発事故による被ばくからの自由・避難の権利とは」(2018年8月26日@和歌山ビッグ愛)へのお誘い