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憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「第13回憲法フェスタ(守ろう9条 紀の川 市民の会)」(2016年11月3日)で憲法漫談「これがアベさんの本音だ」を楽しもう!

 今晩(2016年9月7日)配信した「メルマガ金原No.2562」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「第13回憲法フェスタ(守ろう9条 紀の川 市民の会)」(2016年11月3日)で憲法漫談「これがアベさんの本音だ」を楽しもう!

 2015年の創立以来、私も運営委員に名前を連ねる「守ろう9条 紀の川 市民の会」(紀の川北岸に居住する和歌山市民で構成)は、おおむね毎年秋(最近では「文化の日」~日本国憲法公布記念日~前後)に「憲法フェスタ」(於:河北コミュニティセンター)を開催してきました。
 私のメルマガ(ブログ)でも、予告記事やレポートなどをその都度書いてきていますので、参加したことのない方にもお馴染み(?)ではないかと思います。
 「憲法フェスタ」でどんなことをやっているのか、最近5年間の、午後からのメイン会場(2F多目的ホール)での企画をご紹介しましょう。
 
2015年11月3日 第12回
第1部 「みんなで歌おう」 歌唱指導:増田美穂さん
第2部 「地域から声をあげる(映像を交えて)」
第3部 講演「「戦争法制」で日本はどんな国になるのか―私たちはどう対抗すべきか―」
      講師:高作正博さん(関西大学教授・憲法学)
 
2014年11月8日 第11回
第1部 祈りの歌の会「みかんこ」feat.歌舞 ミニコンサート
第2部 【実践報告】かぜのこ保育園より~保護者会活動での平和のとりくみ~
第3部 講演「ちょっと待った!集団的自衛権~日本を戦争する国にさせない~」
      講師:清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)
 
2013年11月3日 第10回
第1部 「折り鶴」の歌~楠見子連れ9条の会バージョン~
第2部 「一小学生の戦争体験~7・9和歌山大空襲を中心にして」
      お話:堀井雅文さん(市小路(いちしょうじ)在住、元小学校教諭)
第3部 講演「安倍政権は憲法をどう変えようとしているのか」
      講師:羽柴 修さん(弁護士・兵庫県弁護士9条の会代表呼びかけ人)
 
2012年11月3日 第9回
第1部 こどもたちの歌 紀の川スナメリ合唱団
第2部 講演「改憲派憲法を変えて日本をどんな国にしようとしているのか」
      講師:吉田栄司さん(関西大学教授・憲法学)
 
2011年11月3日 第8回
第1部 東北大震災・台風12号紀南大災害 被災地支援活動特別報告
      お話:酒井 豊さん(和歌山大学大学院生/経済学研究科)
第2部 なつおmeets南風 ミニコンサート
第3部 講演「原発依存から脱して自然エネルギーヘ」
      講師:岩本智之さん(元京都大学原子炉実験所教員)
 
 以上のとおり、音楽はほぼ必ずプログラムに入れるのが慣例となっており、今年は、「HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama」に3年連続出演を果たしている親子バンド「M&N」に出演を快諾いただいたのですが、その後、ユニット名が「M&N」から「Crowfield(クロウフィールド)」に変わりました。みなさんの姓が「烏野(からすの)」だからという、非常にシンプルな命名です。
 おそらく、必ず歌ってくれるだろうオリジナル曲『この島~憲法9条のうた~』は、和歌山城西の丸広
場での2014年(娘さんとのデュオ)、2015年(息子さんも加わった3人編成)の演奏がYouTube視聴できます。
 ここでは、2015年の演奏をご紹介しておきます。
 
この島~憲法9条のうた by m&n @Happy Birthday 憲法 in Wakayama 2015(3分49秒)
 

 「Crowfield(クロウフィールド)」の改名後最初の演奏だったと思われる7月30日(土)午後の「2016平和のための戦争展わかやま」ピースライブは、所用のため(放送大学単位認定試験!)残念ながら聴けなかったのですが、息子さんのれなん君が念願のボーカルをとれたのかどうか気になります。11月3日の河北コミセンでの演奏が楽しみです。
 
 そして、音楽の後は、講演を聴いて憲法を学ぼうというのがここ最近の例だったのですが、今年は新機軸を打ち出しました。なんと、憲法漫談「これがアベさんの本音だ」~演者はコバヤンこと小林康二さん(お笑い集団「笑工房」代表)~を上演します。
 いやあ、どんなステージになるのでしょうか?
 以下に、「小林康二」「憲法漫談」をキーワードにヒットしたサイトをご紹介しておきます。
 
 
神戸新聞NEXT 2015/11/6 17:44
憲法漫談 各地で引っ張りだこ 安保関連法きっかけに 平和の大切さ説く

(抜粋引用開始)
 幼いころ、大阪大空襲を経験。自宅は焼失し、川に飛び込んで猛火から逃れた。終戦翌年の1946年
に小学校入学、47年施行の日本国憲法を学んだ。
小林康二イラスト② 労働組合の専従職員を約30年勤め上げ、「人生後半を輝いて生きたい」と54歳で退職。興味があっ
たお笑いの世界に飛び込もうと、シナリオ学校で学んで落語作家に転身した。
 98年、落語家らとともにお笑い集団「笑工房」を設立。労組経験を生かし、過労死防止を訴える落語「エンマの怒り」、団結の大切さをテーマにした落語「政やんのリストラ」、税を扱った漫談「消費税で
暮らしアタフタ」といった作品を次々に創作した。
(略)
 笑工房の代表でもある小林さんが近年、力を入れるテーマは「憲法改正」。3年前、自民党自衛隊を「国防軍」に改めることなどを盛り込んだ憲法改正草案を発表したのをきっかけに、自ら漫談の舞台に立
ち始めた。
 「笑いを交え、分かりやすく憲法改正を伝えたい」。十数冊の憲法解説書を読み込み、台本を作成。黄
色いジャケットに黒の帽子という阪神タイガースカラーで登場し、観客を独自の世界に引き込む。
 漫談の中には必ず憲法前文の暗唱を盛り込み、理念を伝える。「子どものころは勉強が大嫌いでしたけ
ど、その気になれば、70歳すぎても覚えられるもんです」
 作品は、「高倉健のような男」と紹介される、小林さん扮(ふん)するコバヤンが遠い親戚の「アベさ
ん」を訪ね、憲法改正の狙いを聞くという内容。コバヤンとアベさんの掛け合いで、改正に伴う懸念を浮き彫りにしていく。(略)
(引用終わり)
 
毎日新聞(秋田) 2016年5月4日
憲法記念日 理解深まる憲法漫談 秋田で落語作家ユーモアたっぷり

(抜粋引用開始)
 憲法記念日の3日、「平和憲法をまもる県民集会」が秋田市文化会館(山王7)であった。護憲団体「憲法改悪反対県センター」が主催。落語作家の小林康二さんが「憲法漫談」を披露し、約600人が笑い
ながら、憲法への理解を深めた。
 小林さんは、労働や平和問題をテーマとした漫談や落語に取り組む「笑工房」(大阪市)の代表。「日本国憲法には終戦後の日本国民の平和への思いがこもっている」と真面目な口調で切り出すと、一人二役
形式で、安倍政権の憲法解釈を念頭に、ユーモアたっぷりの漫談を展開した。(略)
(引用終わり)
 
 今年の憲法記念日に秋田で600人、すごい!
 同じ年の憲法公布記念日(11月3日)がお客さんパラパラでは寂し過ぎるので、600人とは言わな
いけど(そんなに来られたら入りきらない)、せめて200人は来て欲しいなあ(河北コミセンの多目的ホール公式定員は280人)。
 
 以上の多目的ホールでの午後からのメイン企画の他にも、午前中から様々な企画を用意しています。会員でなくてもどなたでも参加できます。和歌山市内のコミセンの中では、駐車場はぐんと広い方です。南海紀ノ川駅のすぐ近くです。和歌山バスのバス停が目の前にあります。入場無料・予約不要です。どうです、行きたくなったでしょう?お待ちしています!
 
 以下に、チラシ記載情報を転記します。
 
チラシから引用開始)
[チラシ表面]
第13回 憲法フェスタ
9条をまんなかに~えがこう平和への道~
開催日:2016年11月3日(木・祝)
会場:河北コミュニティセンター

   (和歌山市市小路192-3
入場無料 予約不要 
会員でなくてもどなたでもご参加いただけます!
 
メイン会場(2F多目的ホール
【開始】14:00【終了】16:30頃

第1部 親子バンド「Crowfield」
「HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama」に「M&N」として出演していたバンドが改名し「Crowfield」になりました。「この島~憲法9条のうた~」など、吟味した平和の歌を届けます。
 
第2部 憲法漫談「これがアベさんの本音だ」
演者 コバヤン こと 小林康二氏 (お笑い集団「笑工房」代表)
2012年、自民党憲法9条2項に「国防軍保持」を明記した改憲草案を発表して以降、「秘密保護法」「集団的自衛権」「戦争法」と続き、安倍首相は明文改憲を「私の在任中に成し遂げたい」と言い放ちました。平和憲法が風雲急を告げ、改憲反対のたたかいも急を要しています。
私は、この憲法漫談「これがアベさんの本音だ」を、彼らが何を狙っているかをとことん調べ、バカバカしいセリフも真剣に、「ベタ」なギャグも大真面目に、3年の歳月を経て仕上げました。皆さんに笑っていただき、アベさんの「本音・本心・夢・願望」を阻むたたかいに、少しでもお役に立つことが出来れば、こんなに嬉しいことはございません。
「笑工房」 
http://show-kobo.co/
 
映像の部屋(2F活動室小) 上映時間:10:30~12:40
─── DVD上映 ───
「速報 辺野古のたたかい」
辺野古新基地は「戦争する国」を実現するために造られようとしているものです。映画『アメリカばんざ
い』の藤本幸久監督らが撮影した昨年6月から11月までのたたかいのドキュメンタリー映像です。昨年の憲法フェスタで上映したものの続編です。
 
展示の部屋(2F活動室大1) 10:00~13:45
地域のみなさんの文化作品、絵・書・写真・絵手紙・リフォーム・手芸・陶芸などの展示と、交流・おし
ゃべりの場です。喫茶コーナーもあります。
 
リサイクルひろば(2F活動室大2) 10:15~13:00
今年も「リサイクルひろば」やります。着なくなった服や雑貨などを、袋持参でもらいにきてください。(申し込み不要) 譲ってくださる方も募集しています。お子さん連れも大歓迎!
 
写真展示(2F多目的ホール) 10:00~14:00
ヒロシマナガサキ 原爆と人間」
被爆と被曝の実相を示す35枚の写真パネルです。原爆・原発と人間は共存できません。
 
主催:守ろう9条 紀の川 市民の会  
お問合せ先:073-462-0539 原
 
[チラシ裏面]
出演者ご紹介
☆親子バンド「Crowfield(クロウフィールド)」
お父さんの烏野政樹(からすの・まさき)さんと娘さんの「えなさん」に加え、昨年からは息子さんの「れなん君」も出演するようになりました。親子ならではのハーモニーを聞かせてくれます。
☆小林康二(こばやし・やすじ)さん
●1939年大阪生まれ。24歳から31年間労働組合専従職。
●1994年54歳で組合専従職を退任し第二の人生目標を実現すべく大阪シナリオ学校の演芸台本コースに入学。98年10月に庶民を励ます笑いを創造する笑集団・笑工房を設立。現在、笑工房代表取締役社長。関西演芸作家協会会員。落語作家。
●著書:『労働組合と中小企業問題』(旬報社)『活かそう労働組合法』(連合通信社)『地球のすみずみに元気の出る笑いを』『漫談で斬る!自民党改憲案=これが彼らの本音だ』(新日本出版社
)他
労働組合、労働者を対象に「笑いと今日の社会と組合と」、定年を数年後に控えた人を対象に「60歳は3度目の成人式」、さらに、憲法漫談「これがアベさんの本音だ」等の笑公演で東奔西走の日々。
 
<河北コミュニティセンターへのアクセス>
所在:和歌山市市小路192-3 TEL:073-480-3610 (駐車場あり)
●南海紀ノ川駅下車徒歩3分(改札を出て左折し120m、左折し踏切を越え180m、右側)
和歌山バス 六十谷線(川永団地⇔南海和歌山市駅)梶取東バス停下車すぐ
 
お知らせ
①11月3日当日、託児のご希望がある場合は10月20日(木)までにご相談ください。相談先:09
0-3709-7136(馬場)
②補聴器を使用されている方がよりクリアにお聞きいだけるように、会場に『磁気ループ』を設置します。使用できる補聴器は「Tモード」「MTモード」です。
 
            「第13回憲法フェスタ」へのご参加のお願い
                     守ろう9条 紀の川 市民の会 代表 原 通範
 私たちの「憲法フェスタ」も、回を重ねて13回目を迎えることとなりました。『9条をまんなかに~えがこう平和への道~』を合言葉に、広く平和の問題を考えるとともに、交流と親睦を深める恒例の行事として毎年実施してきました。
 今年の「第13回憲法フェスタ」は、例年のように「展示の部屋」「映像の部屋」「リサイクルひろば」の企画を実施するとともに、メイン会場では例年とは少し趣向を変えて、お笑い集団「笑工房」代表・小林康二さんに憲法漫談「これがアベさんの本音だ」を演じていただきます。楽しく笑って聞いていただく中で、安倍首相が狙う改憲の本音はどこにあるのかをしっかりとご理解いただけるものと思います。
 7月の参議院選挙の結果、自民・公明・おおさか維新などの改憲勢力は改憲発議に必要な3分の2の議席を衆参両院で占めることになりました。今、日本国憲法は戦後最大の危機となっています。憲法改悪を絶対にさせないために、多数のみなさまのご参加をお待ちしております。
(引用終わり) 
 

(付録)
If I Die Young by m&n @Happy Birthday 憲法 in Wakayama 2015
  

司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述

 今晩(2016年9月6日)配信した「メルマガ金原No.2561」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
 
 去る9月2日(金)午後2時から、東京地方裁判所で最も広い103号法廷において、安保法制違憲・国家賠償請求事件(原告457名)の第1回口頭弁論が開かれたことは、既に本メルマガ(ブログ)でお伝えしたとおりです(東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)/2016年9月3日)。
 そして、上記記事を書いた時点ではまだ「安保法制違憲訴訟の会」ホームページに掲載されていなかった、
 〇被告(国)「答弁書」
 〇訴訟代理人・原告陳述集(報告会資料)
が、その後アップされました。

 そこで、今日は、裁判後の報告集会で資料として配付された原告訴訟代理人(5名)・原告本人(5名)の各陳述のうち、訴訟代理人5名の陳述をご紹介しようと思います。
 陳述自体には、特にタイトルが付されている訳ではありませんが、まことに僭越ながら、私が勝手に拙いタイトルを考えてみると、以下のようになりました。
 
寺井一弘弁護士
 「この訴訟の意義~裁判所に訴える」
角田由紀子弁護士
 「原告らが受けた具体的な被害について」
福田 護弁護士
 「憲法9条に風穴を開け立憲主義・民主主義を蹂躙した安保法制法」
伊藤 真弁護士
 「安保法制法の制定は国会の立法行為に国家賠償請求が認められる例外的な場合にあたる」
中鋪美香弁護士
 「被爆地・長崎から~被爆者が願う「恒久の平和」を踏みにじる安保法制」
 
入廷前の寺井一弘弁護士 とりわけ、弁護団長とは名乗っておられませんが、寺井一弘弁護士(「安保法制違憲訴訟の会」共同代表)のこの訴訟にかけた決意を一読し、私自身、身の引き締まる思いがしました。寺井先生は、日本弁護士連合会事務総長、日本司法支援センター(法テラス)理事長などを歴任された方であり、本来、功成り名遂げた長老格の弁護士として、悠々自適の生活を送ることも可能であったはずですが、「今回の明らかな憲法違反である安保法制の強行は私の母と同じような生き方をしてこられた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものであると痛感して、残された人生を平和憲法と民主主義を踏みにじる蛮行に抵抗するための仕事に全てを捧げようと決意して代理人を引き受けることに」されたのでした。
 そして、「おそらくこうした思いは本日裁判所に出頭されている方々を含めて多くの原告や代理人が共通にされていると思います。」という言葉は、既に全国の安保法制違憲訴訟に立ち上がった原告や代理人の気持ちを代弁するだけではなく、あとに続くはずの多くの原告(となり得る者)や代理人(となり得る弁護士)に対する叱咤激励であると受け止めました。
 是非多くの方に熟読玩味していただきたいと思います。
 
※上に掲載した写真は、「安保法制違憲訴訟の会」公式Facebookに掲載された写真を借用したものです(9月2日、東京地裁前にて、入廷前の寺井一弘弁護士)。
 
 なお、第1回口頭弁論終結後の記者会見と報告会の動画(UPLAN)も再掲しておきます。
 
20160902 UPLAN【裁判所前広報・記者会見・報告集会】安保法制違憲・国家賠償請求訴訟第1回口頭弁論(2時間24分)

冒頭~ 裁判前の東京地裁前での集会
40分~ 記者会見
1時間10分~ 報告集会
司会 杉浦ひとみ弁護士
1時間10分~ 寺井一弘弁護士 あいさつ
1時間24分~ 黒岩哲彦弁護士 第1回口頭弁論の裁判の様子
1時間35分~ 伊藤真弁護士 裁判の法的な展開について
1時間43分~ 原告・堀尾輝久さん
1時間48分~ 原告・菱山南帆子さん
1時間51分~ 原告・辻仁美さん
1時間56分~ 原告・河合節子さん
2時間00分~ 原告・新倉裕史さん
2時間04分~ 福田護弁護士 訴訟の今後の展開  
2時間13分~ 質疑応答
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 寺 井  一 弘
 
 私は、「安保法制を違憲とする国家賠償請求訴訟」の代理人の一人である弁護士の寺井一弘であります。本件訴訟の第一回期日である本日に私ども代理人と原告の方々に意見陳述の機会を与えていただいた裁判所に心から感謝して敬意を表したいと思っております。  

 私からはまず、本件訴訟にかける私自身の思いとなにゆえに多くの市民と弁護士がこの裁判を提訴したか、それについて率直な考えを述べさせていただきたいと思います。ご承知の通り、安倍政権は昨年9月19日にわが国の歴史上に大きな汚点を残す採決の強行により集団的自衛権の行使を容認する安保法制を国会で成立させ、3月29日にこれを施行いたしました。そして安倍首相は憲法改正に着手することを明言し、7月の参議院選挙では与党を中心とした改憲勢力が3分の2を占めるという結果となりましたが、今日の事態はわが国の平和憲法と民主主義を守り抜いていくにあたって、きわめて深刻であると言わなければなりません。
 私は昨年9月19日の夜、集団的自衛権行使容認の閣議決定の具体化としての安保法制の採決が強行された時、国会周辺に集まった多くの市民の方々とともにわが国の平和憲法が危機に瀕していること、70年間以上にわたって「一人も殺されない、一人も殺さない」という崇高な国柄が一夜にして崩壊していくのではないかということを強く実感させられました。憲法9条がなし崩し的に「改正」させられていくことへの恐怖と国民主権と民主主義が最大の危機に陥っていることを憂える市民の方々、老人、女性、労働者、若者たち
の表情の一つ一つは今も私の脳裏に焼きついております。そして、私はその場で戦前、戦中、戦後の時代を苦労だけを背負って生き抜いた亡き母のことを想い出しておりました。
 
 私ごとでまことに恐縮ですが、私の生い立ちと母のことについて若干お話しすることをお許しいただきたいと思います。私の生き方の原点につながり、今回の違憲訴訟の代理人になったことに深く関わっているからです。 
 私は日本の傀儡国家であった中国満州の「満州鉄道」の鉄道員だった父と旅館の女中をしていた母との間に生まれ、3歳の時にその満州で終戦を迎えました。8月9日のソ連軍の参戦により、満州にいた日本人の生命の危険はきわめて厳しくなり、私の父も私を生かすため中国人に預ける行動に出たようです。しかし、私の母は父の反対を押し切り、残留孤児になる寸前の私を抱きしめて故郷の長崎に命がけで連れ帰ってくれました。
 引揚者として原爆の被災地である長崎に戻った私ども家族の生活は、筆舌に尽くせないほど貧しく、母は農家で使う縄や筵をなうため朝から晩まで寝る時間を削って働いていました。最後は結核になって病いに伏せてしまいましたが、母はいつも私に「こうして生きて日本に帰ってこれたのだからお前は戦争を憎み平和を守る国づくりのため全力を尽くしなさい」と教え続けてくれました。
 その母も今やこの世を去ってしまいましたが、若し9月19日の参加者の中に母がいたならば、涙を流しながら私の手を握りしめて悲しい表情をしていたのは間違いないだろうと考えていました。
 私はこうした母の教えを受けて弁護士となり、これまで憲法と人権を守るためささやかな活動をしてきましたが、今回の明らかな憲法違反である安保法制の強行は私の母と同じような生き方をしてこられた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものであると痛感して、残された人生を平和憲法と民主主義を踏みにじる蛮行に抵抗するための仕事に全てを捧げようと決意して代理人を引き受けることにいたしました。おそらくこうした
思いは本日裁判所に出頭されている方々を含めて多くの原告や代理人が共通にされていると思います。
 
 ところで私どもは、昨年9月に「安保法制違憲訴訟の会」を結成してこれまで全国の憲法問題に強い関心を持つ弁護士仲間と平和を愛する市民の皆様に対して、共に違憲訴訟の戦いに立ち上がるよう呼びかけて参りました。その結果、本日までに全国すべての各地から1000名近くの弁護士が訴訟の代理人に就任し、訴訟の原告となられた方は現在までに全国で2700名となっております。この勢いは今後もさらに広がっていき、全国的に怒涛のような流れになっていくことは間違いありません。
 そして私どもは本年4月26日に「国賠訴訟」と「差止訴訟」を東京地方裁判所に提訴しましたが、東京地裁以外においては、4月に原発事故発生地での福島地裁いわき支部、そして高知、大阪、長崎、岡山、埼玉、長野、女性グループからの提訴が相次ぎ、今後、札幌、仙台、横浜、群馬、名古屋、京都、広島、山口、愛媛、福岡、熊本、宮崎、鹿児島などでも提訴が準備されています。それとともに東京、大阪などでは第二次、第三次の提訴がなされますので、その動きは時を追って急速に全国に拡大されていくものと考えています。
 私どもは圧倒的多くの憲法学者最高裁長官や内閣法制局長官を歴任された有識者の方々が安保法制を憲法違反と断じている中で、行政権と立法権がこれらに背を向け、国会での十分な審議を尽くすことなく安保法制法の制定を強行したことは、憲法の基本原理である恒久平和主義に基づく憲法秩序を根底から覆すものだと考えております。このような危機に当たって、司法権こそが憲法81条の違憲審査権に基づき、損なわれた憲法秩序を回復し、法の支配を貫徹する役割を有しており、またその機能を発揮することが今ほど強く求められているときはないものと確信しています。私どもは、裁判所が憲法の平和主義原理に基づく法秩序の回復と基本的人権保障の機能を遺憾なく発揮されることを切に望むものです。
 
 最後に、現政権はこの安保法制問題について国民が「忘却」することをひたすら期待しているようですが、私どもは、こうした策動に屈することなく、これからのわが国の未来のために平和憲法を死守することを絶対に諦めてはならないと考えて今回安保法制の違憲訴訟を提起いたしました。
 裁判所におかれては多くの市民の方々の心からの願いと真摯に向かい合われることを切望して、私からの意見陳述とさせていただきます。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 角 田  由 紀 子
 
1 安保法制法の制定は、多くの市民・国民に具体的に大きな苦痛を与えたことについて
 多くの市民・国民は、現行憲法のもとで少なくとも戦争とは無縁に平和に生きることを保証されてきました。戦後71年、この国は戦争によって国民が人を殺したり、殺されたりすることはただの1度も経験することがありませんでした。これは、国際的に見れば極めて異例なことです。言うまでもなく、それを可能にしてきたのは、憲法9条の存在です。しかし、安保法制法の制定は、一挙にそれを覆したのです。多くの市民・国民が安保法制法の制定に反対して国会前に集まり、あるいは様々な場所で声を上げ続けたのは、憲法9条を葬りさるかのような法律の制定を認められなかったからです。国民が国内外で命の危険にさらされること、場合によっては戦争行為に加担させられるであろうことには、どうしても納得できないからです。
 
2 市民・国民が受けた具体的な被害について
 本件の原告らには様々な人が含まれています。年代も経験もさまざまです。実際に第2次世界大戦を経験した人々も含まれています。それらの人たちにとっては、安保法制が現にもたらしている苦痛は言葉にできないものがあります。それらの人々が実際に経験した地獄を、71 年後に再び目の当たりにさせられるものだからです。確かに戦争の姿は、第2次世界大戦のそれと現代のそれとは同じではないでしょう。しかし、人を殺すことが戦争の究極の目的であることは、今も同じです。本件原告である戦争体験者の語る恐怖や苦痛は、戦争によって被害を受けた者としてのそれです。今回の安保法制法の制定によって、これらの原告が感じる苦痛は、自分たちの過去の筆舌に尽くしがたい悲惨な体験に基づいたものです。今回の法制定は、過去のものであった苦痛を現実のものとして原告らに再体験をせまっています。空襲被害や原爆被害は、どのように表現しても語り尽くせないものであり、その心身の苦痛は、今も癒えることがありません。そのような原告たちにとっては、トラウマ体験を再来させる行為が今回の法制定です。被害は将来起きるかもしれないものではなく、現に起きているのです。
 次に注目しなければならないのは、現に戦争と隣合わせで暮らすことを余儀なくされている原告たちです。アメリカ軍や自衛隊の基地周辺で暮らしている人々です。沖縄はもとより、本土にも多くの米軍基地が置かれています。安保法制法制定以前からこれらの基地周辺に住んでいる人たちは、常に危険と恐怖と隣り合わせで生活することをいわば強制されてきております。しかし、安保法制制定によってその恐怖と危険はさらに強いものとなりました。例えば、原子力空母が配備されている横須賀基地では、戦争と原発被害との2 重苦が現実化することを考えざるを得ないのです。日本がアメリカとともに他国間で戦争になった場合、横須賀は真っ先に攻撃対象となることは、火を見るよりも明らかです。安保法制法は、その危険性をより確かなものにしました。
 基地周辺に暮らす人々の恐怖はすでに現実のものになっています。
 航空機関で働く労働者、船舶で働く労働者、鉄道で働く労働者らは、いったん事があれば、自分の意思に反しても、戦争行為に協力することが求められる立場にあります。これらの労働者は、すでに危険と背中合わせの現場にいます。
 安保法制法により、その危険がさらに増すことを実感しております。
 教育に携わる市民・国民は、安保法制法の制定により、自分の信念に反することを教えることを求められています。例えば、憲法について教える者は、今までの自分が正しいと信じてきたことと政府の立場との大きな違いに戸惑い、学生にどう教えればよいのか悩んでいます。教育者が自分の良心に反することを教えることはできません。しかし、安保法制法はそれを求めるのです。教育者がこのように自分の良心を封印することを求められることは、この上ない精神的苦痛です。それがすでに起きているのです。
 その他の市民・国民もそれぞれに苦痛を味わっております。ごく普通の市民・国民にとって安保法制法を持つ国であっても、ここで生きるしか選択肢はありません。そして平和主義を捨てたとみなされる国に属していることが、外国でのテロの対象になることは、本年7月のバングラデシュでのテロ事件が証明しました。1945年以降、この国に生きてきた人々は、戦争とは無縁でいられることが、何よりも嬉しく、誇らしく、生きる支えになっておりました。どんなに貧しくても、平和に安心して生きることができることが最大の喜びでした。多くの市民・国民には、憲法とともに生き、憲法に育てられてきたという確かな実感があります。憲法は、多くの市民・国民の文字通り人間としての骨格を形作ってきたのです。それを、昨年、多くの市民・国民が目にした理不尽な方法で奪われ、戦争に連なる恐怖や不安にさらされることで原告たちは深く傷つけられております。さらに、この痛みは、原告たちにとどまらず、未来に生きる子どもたちをも傷つけるものです。
 原告らは、司法が、この人権の危機において本来の任務を果たすことを切望しております。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 福  田    護 
 
1 憲法9条は、政府が戦争を起こさない防波堤
 憲法9条は、戦後70年間、この国が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」するための、大きな防波堤であった――私はそう考えています。
 憲法9条は、戦争の放棄からさらに進んで、戦力を持たない、交戦権を否認するという世界に比類のない規定をしています。これらの規定をどう理解するかはいろいろな立場がありますが、少なくとも9条は、自衛権を前提として自衛隊を保有するに至っても、他国の戦争に参加して戦争当事国になることはできないと、政府に歯止めをかけてきたのです。それが、自衛権発動の3要件であり、集団的自衛権の行使の禁止という政府の憲法解釈として、現実的な枠組を作ってきました。山口繁元最高裁長官は、この政府解釈を、「単なる解釈ではなく、規範として骨肉化したもの」と表現しました。
 自衛隊の海外派遣の禁止の原則も、自衛隊イラク派遣による支援活動のように危険なきわどい状況もありましたが、それでもその活動を「非戦闘地域」に限定し、武力を行使する他国への武器・弾薬等の提供を禁止し、他国の武力行使と一体化して戦争当事国とならないための枠組を制度的な担保として設定してきました。
 これらの政府の憲法9条解釈は、自衛隊創設以来、内閣法制局を中心に、60年にわたって積み上げられてきました。このようにして憲法9条は、政府と自衛隊の行動を制約し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように、その防波堤になってきたのです。
 
2 新安保法制法は、憲法9条の堤防に大きな穴を開けた
 新安保法制法は、こうして営々と積み上げてきた政府の憲法解釈の安全弁、制度的保障を、ことごとく突き崩そうとするものです。集団的自衛権の行使の容認はもちろん、後方支援活動も、「現に戦闘行為が行われている場所」以外なら戦争中の他国に弾薬の提供までもできるようにするなど、自衛隊が他国の武力の行使と一体となってしまい、敵国の攻撃にさらされかねない極めて危険なものに変貌しました。
 それを超えたら違憲だという一線を、新安保法制法は明らかに踏み超えました。憲法9条の堤防は、大きな穴を開けられてしまいました。
 国際情勢の水位が上がれば、堤防は決壊を免れません。南スーダンのPKOも心配です。そこにはもはや停戦合意などない状態なのに、自衛隊は、PKO5原則に基づいて撤退するどころか、新法に基づく新たな任務としての駆け付け警護や、その任務を遂行するための強力な武器使用まで準備されている状況にあります。戦後70年を超えて初めて、武力紛争による死者が出かねません。
 新安保法制法は、地理的な限定を取り払って、自衛隊が世界中に、随時派遣され、米軍等の戦争に参加し、あるいは戦争を支援できる体制を作り、日本が戦争当事国となったりテロ攻撃にさらされたりする機会と危険を大きく拡大したのです。
 
3 新安保法制法の制定過程での立憲主義・民主主義の蹂躙
 新安保法制法の制定過程は、憲法9条の内容を変えただけではありません。安倍内閣は、集団的自衛権の禁止を堅持してきた内閣法制局の長官を更迭して容認論者に入れ替える異例の人事を強行しました。閣議決定と法律の制定という方法で解釈改憲をするいわば下克上により、憲法の根本理念である立憲主義を蹂躙しました。
 国会に法案を提出する前に、同様の内容をアメリカと約束する新ガイドラインを先行して締結し、安倍首相はアメリカの上下両院合同議会で「夏までには法案を成就させる」と表明しました。
 国会軽視も甚だしいものですが、その国会審議では、ホルムズ海峡の機雷掃海の必要性などの立法事実がないことが露呈してきたにもかかわらず、採決が強行されました。速記も残らない大混乱の中での参議院特別委員会の採決に象徴されるように、言論の府における代表制民主主義が蹂躙されました。
 内閣が暴走し、政府のご意見番としての内閣法制局の権威が失墜し、国会は機能不全に陥って民意を代表しない状況のもとで、新安保法制法が施行されました。その適用による国民・市民の権利の侵害に対し、司法による積極的な憲法解釈が、この国のためにどうしても必要であると考えます。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 伊  藤    真 
 
1 最高裁昭和60年判決と平成17年判決
 本件訴訟においては,原告は、国会の新安保法制法の制定行為が国家賠償法上の公権力の行使として違法であることを主張している。この点に関し、いわゆる在宅投票制度訴訟の上告審判決(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁。以下,「昭和60年判決」という。)において,「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けない」とされた。
 しかし、その後,最高裁は,いわゆる在外邦人選挙権制限違憲訴訟上告審判決(最高裁判所大法廷平成17年9月14日民集59巻7号2087頁。以下,「平成17年判決」という。)において,上記昭和60年判決を維持しつつも,国会議員の立法行為が国家賠償法1条1項の適用において違法となるとして,原告に対する国家賠償を認容している。
 そこでは、「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」にも例外的に,国会議員の立法行為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものとされた。
 この2つの判決の関係について、再婚禁止期間に関する最高裁大法廷平成27年12月16日判決の判例評釈を執筆された加本牧最高裁判所調査官は,「昭和60年判決は、違法になる場合をその例示のような事案以外につき一切否定したものとは解されないし、平成17年判決も、立法行為等の違法性が認められる場合が『例外的な場合』であるとする点で同旨」と述べている(「最高裁大法廷 時の判例」ジュリスト1490号94頁)。
 
2 ハンセン病訴訟熊本地裁判決の考慮要素について
 事例判断という点で、参考になるものが、いわゆるハンセン病訴訟熊本地裁判決(熊本地裁平成13年5月11日判決)である。そこでは、少数者の人権保障を脅かしかねない危険性、新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性等が検討されている。
 結局、「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」(平成17年判決)には、例外的に立法行為の違法性が肯定され、その判断にあたっては、少数者の人権保障を脅かしかねないか、人権被害が重大か、司法的救済の必要が高いかなどの考慮要素を検討するべきなのである。
 
3 本件は国家賠償が認められるべき例外的な場合である
 本件の新安保法制法の立法行為は,明白な違憲立法の制定行為であり,「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」にあたる。すなわち、新安保法制法の制定行為は,歴代の日本政府の見解が違憲であるとしてきた集団的自衛権の行使や非戦闘地域以外における後方支援を認めるものであり,戦争被害者、原爆被害者、基地周辺住民等として特に、平和的生存権、人格権の重大な侵害を受けている少数者の人権被害を招いている立法行為である。また、内閣法制局による事前の憲法統制がこれまでのように機能しなかったのであるから、司法的な救済の必要性は極めて高いといえる。多くの憲法学者、元内閣法制局長官、元最高裁長官までもが違憲と指摘する法律を採決の強行により制定してしまうことは、これまで前例がなく「極めて特殊で例外的な場合」にあたる。
 以上から、本件新安保法制法の国会議員による制定行為は、国家賠償法1条1項の適用上、優に違法と評価されるべきものである。
 
4 最後に
 この後の原告らによる意見陳述から明らかなように、原告らは一様に、今回の新安保法制による憲法破壊、憲法9条の平和主義の毀損によって、大きな精神的苦痛を被っている。この原告らの損害の重大性、人権侵害の重大性を判断するためには、どれほど無謀な憲法破壊が行われたのか、憲法9条がどのように破壊されたのかを明らかにする必要がある。つまり、新安保法制の違憲性を判断しなければ、原告らの被害の重大性も、立法行為の違法性も判断することができないのである。
 裁判所には今回の新安保法制の立法内容の違憲性に真正面から向き合って、原告の救済を図る責務があると考える。そしてその判断を通じて、この国の憲法秩序を回復する重大な職責があると考える。
 この裁判では、多岐にわたる論点を争うことになるが、憲法秩序を破壊する政治部門に対して司法がどうあるべきか、その姿勢と司法の存在意義が問われていることは間違いない。裁判を多くの国民が注視している中、国民の司法への期待と信頼を裏切ってはならないこと、そして憲法価値を実現する職責が裁判所にあることを、この裁判の冒頭に申し添えておきたい。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 中 鋪  美 香
 
 私は,本件訴訟の代理人の一人である弁護士です。また,現在,長崎で提起されている新安保法制違憲国賠訴訟の弁護団の一人でもあります。
 本訴訟の原告には,被爆者の方々がいらっしゃいます。また,長崎で提起した訴訟の原告は,その多くが被爆者です。
 これまで,被爆地長崎において被爆関連訴訟に携わり,原爆を体験した者たちの,戦争に対する思いを知る者として,この機会に意見を述べさせて頂きます。
 
 今から71年前の1945年8月9日,長崎へ投下された原子爆弾は,その強烈な熱線と爆風,強い放射線により,7万人もの命を一瞬で奪い去りました。
 熱線や爆風,初期の強い放射線を免れ,火の海を彷徨い,なんとか生き延びた者たちも,原子爆弾特有の残留放射能の影響により,その後,次々と命を奪われていきました。
 放射線は,人の細胞の遺伝子レベルにまで作用し,戦争が終わった後も,被爆者に,がんや白血病等,様々な病気をもたらしました。さらに,放射線の遺伝的な影響により,被爆者だけにとどまらず,その子や孫までもが,健康不安に脅かされています。原子爆弾放射線は,71年経った今でも,被爆者たちを苦しめ続けているのです。
 
 この原子爆弾による非人道的な被害について,政府は,昭和32年の原爆医療法制定以来、法令の改正を重ねながら、被爆者援護施策を実施してきました。
 現在,「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」,いわゆる「被爆者援護法」により,被爆者に対する医療や福祉等の援護が実施されています。
 
 その被爆者援護法の前文には,次のような言葉が宣明されています。
 「昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。…
…我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
 ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,…被爆者に対する…総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
 
 しかし,この崇高な決意とは裏腹に,政府は,再び戦争を可能にするような安保法制を推し進めています。
 政府の進める安保法制は,他国の戦争に巻き込まれるリスクや不安を伴うものであり,憲法および被爆者援護法がその前文で謳う,「恒久の平和」とは相容れないものです。
 
 長崎・広島で原爆を体験した被爆者たちは,原爆投下によって地獄のような光景を目の当たりにし,その後も,放射線の影響による健康被害や健康不安を抱え,戦後71年経った今でも,なお癒えぬ心身の苦痛とともに生活しています。
 今回,新安保法制法が制定されたことによって,被爆者たちは,かつての地獄を思い出し,再び原爆被害に遭うのではないか,子供や孫までもが自分と同じ目に遭うのではないかと,強い不安や恐怖を感じています。
 さらに,被爆者たちは,悲惨な戦争を体験したことで,憲法が定める平和主義を何よりも尊重し,その平和主義の実現を心から望んでいます。そのため,政府・与党が,自分たちの意に反し,憲法の掲げる平和主義に反する新安保法制法を強行的に制定したことにより,耐えがたい苦痛を感じています。
 新安保法制法の制定は,こうした,被爆者たちの人格権,平和的生存権憲法決定権といった人権を侵害する行為なのです。
 
 長崎原爆の被爆者をはじめ,全国で新安保法制違憲国賠訴訟の原告となっている者たちは,裁判所に対し,平和主義実現への一縷の望みを託しています。裁判所が,憲法に保障された人権を守る最後の砦となることを願って,私の意見陳述とさせていただきます。
                                        以上
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※この記事の末尾に、それまで私のブログで安保法制違憲訴訟を取り上げた記事にリンクしておりますので、ご参照願います。

古賀茂明さん、泥憲和さん、望月衣塑子さん~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(020~022)

 今晩(2016年9月5日)配信した「メルマガ金原No.2560」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
古賀茂明さん、泥憲和さん、望月衣塑子さん~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(020~022)

 「ラジオフォーラム」の実質的な後継番組として、今年の4月からスタートした
「自由なラジオ LIGHT UP!」アーカイブを一挙に19本も(1)まとめてご紹介してからほぼ3週間が経ちました(「市民のための 自由なラジオ LIGHT UP!」のご紹介~もう19回分もアーカイブがたまっていた/2016年8月16日)。
 ということは、それからまた3本のアーカイブが増えたということであり、しかもその3本のメインゲストが、1人1人実に時宜に適ったというか、興味深い顔ぶれであり、ご紹介しない訳にはいかないだろうということで、またまた取り上げることになりました。
 この際、3週間毎にアーカイブを紹介するのを恒例化すれば、私も「聞くべき番組」を聞き逃すことが
なくなるのでいいかも(?)・・・となるかどうかはさておき、最近のアーカイブ3本はお勧めです。
 以下、公式サイトに掲載された番組案内とともに、YouTubeにアップされた動画をご紹介しますので、ご自分の関心領域にフィットするものから、聞いていただければと思います。
 
020 2016.8.18
I am not ABE に込めた警告 ひとりひとりの挑戦こそが民主社会をつくる
PERSONALITY
おしどりマコ・ケン

GUEST
古賀茂明さん(元経産省職員 フォーラム4代表 

「今回のスタジオのお客様は、元経済産業官僚でジャーナリスト、エコノミストの古賀茂明さんです。テ
レビ朝日の「報道ステーション」降板から、1年と数ヶ月、あれから古賀さんはどうしてこられたのか、また大きく変わりつつある今の日本の社会をどう見つめておられるのか、民主主義と報道・ジャーナリズムについて伺いました。
 番組前半では、昨年3月27日の「報道ステーション」降板に伴う、「I am not ABE」発言の真相についてお話を伺いました。降板の年の1月23日、同番組でイスラム過激派組織「イスラム国」の日本人人質事件への政府の対応を批判して「I am not ABE」と、最初に発言した古賀さん。官邸からも激しくバッシング
されたこの短い、しかも英語のメッセージで、古賀さんが発した警告とは?
 それは、その後に発生しているチュニジアバングラデッシュの日本人を巻き込んだ凄惨なテロを見て、きっと誰もがのちに気がついたことではないでしょうか?日本人はもはや中東のテロリストたちのター
ゲットになってしまったということなのでしょう。そして古賀さんは、2015年3月27日、手作りの「I am not ABE」のフリップを忍ばせ、最終回のスタジオに臨むのです……。
 番組後半では、先の都知事選での野党共闘の舞台裏についてじっくりと伺いました。一時は候補者として推されていた古賀さん。鳥越さん擁立のまさにその前夜までの、市民連合、民進党、都議連などの調整
、駆け引きについて、そのドラマのような展開を振り返りました。
(この番組は、都知事選の投票日前に収録されたものです)
 そして、政策ではなく強大な勢力に勝つためだけのおろかな戦略で私たちが見誤ってしまったことにつ
いて、またこのようなことを続けることで逆に失ってしまう民主主義の精神について、おしどりマコ・ケンが古賀さんと語り合いました。この先の憲法改正や、原子力政策の行方は如何に?市民ひとりひとりの自由意志がよりよい世の中をつくっていく、そんな健全な社会が今一番求められているはずです。」
 
021 2016.8.23
中国・北朝鮮は本当に脅威なのか? 元自衛官が分析する『戦争法のその後』
PERSONALITY
西谷文和(ジャーナリスト)

GUEST
泥憲和さん(元自衛官

「8月5日から中国漁船に続いて、中国公船による尖閣諸島周辺の領海・接続水域への侵入が始まりました
。日本側が抗議するも、中国船はその後もなかなか退去に応じようとはしませんでした。この事態はどう
見るべきなのか?
 一方、北朝鮮は、今年に入って弾道ミサイルを相次いで発射しており、8月3日には、日本のほぼ全域を射程に収めるとされる中距離弾道ミサイル「ノドン」が、秋田県沖約250キロの日本の排他的経済水域に落
下した模様です。
 これらの事態は、日本にとって本当に差し迫った脅威と捉えるべきなのか? 日本および周辺国の軍事
に詳しい元自衛官の泥憲和さんにお聞きします。
■「南スーダンの今」
 政府は8月6日、11月に南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣する陸上自衛隊の部隊に「駆けつけ警護」と「宿営地の共同警護」の任務を付与する方針を固めました。現実、現地で陸上自衛隊が武装集団などに襲われた場合「駆けつけ警護」等が可能なのか? 番組の最後に泥さんに伺います。」
 
022 2016.8.30
日本はもう戦争に参加しているのか? 日本企業の武器輸出の実態に迫る!
PERSONALITY
いまにしのりゆき
GUEST
望月衣塑子さん(東京新聞社会部記者)

「なぜ人類は戦争をやめられないのか、そのひとつの答えがどうやら武器の生産や売買に伴う様々な利権
にあるらしいのです。各国は新しい技術開発にしのぎを削り、最新鋭の技術と情報を手に入れようと、莫
大な予算を動かしながら研究に精を出し、そして互いに兵器や武器を売買します。
 日本企業も例外ではありません。1976年、佐藤栄作首相が表明した「武器輸出三原則」は時代とともに変遷し、今や紛争当事国に近い国への武器輸出さえできてしまうのではないかと思えてなりません。その中で、日本企業はその高い技術力を世界に売り込み、防衛装備品という名の兵器を売り買いし、戦争やテ
ロに加担していく武器商人となってしまっているように見えはしないでしょうか?
 また、国家として推し進める「デュアルユース=軍民共用」の技術開発の考え方の下では、研究者や大学が研究開発した最新鋭の技術が、結果として人殺しの道具に転用されることになりかねません。第二次世界大戦の深い反省から日本の大学は、この道を忌諱して来たにもかかわらず、いつのまにか軍学共同が
加速しています。
 望月さんは取材を重ねるうちに、研究者や企業の下で働く人々、部品をつくる下請け工場の労働者などの心の葛藤に気がつきます。国を守るためにと、企業や大学は現状を受け入れようとしますが、現場の人々は、「いつか自分たちがつくった兵器で自分たちがやられるのではないのか?」と漏らします。日本企
業がテロの標的にならない保証はもうない時代なのかもしれません。
 この番組では、「武器輸出と日本企業」(角川新書)を出版なさった東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんに、時間をかけた丁寧な取材から見えてきた日本企業の武器輸出の実態をレポートしていただきなが
ら、日本がこれからも平和を維持していくために取るべき針路について考えていきます。」

開催予告10/22「参院選後の改憲の動きと私たちの課題」(講師:金原徹雄弁護士)@和歌山市中央コミセン

 今晩(2016年9月4日)配信した「メルマガ金原No.2559」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
開催予告10/22「参院選後の改憲の動きと私たちの課題」(講師:金原徹雄弁護士)@和歌山市中央コミセン

 私のメルマガ(ブログ)では、様々な行事(主に和歌山県内で開かれる)を案内してきていますが、時
として、私自身が講師を頼まれている学習会を紹介することも珍しいことではありません。
 けれども、来月(10月)22日の企画を取り上げるのにいささか面映ゆいものを感じるのは、主催者からお届けいただいたチラシが、結構な上質紙を使ったカラー印刷であることもその一因でしょう。
 だいたい、私が頼まれる学習会のためのチラシといえば、たいていモノクロで、コピー機もしくは輪転
機を使って印刷したもので、印刷業者に発注したカラー印刷のものなどめったにないですからね。

 過去振り返ってみても、2014年2月13日に、和歌山県平和フォーラム主催による「春季連続講演会」の第2回として、「日本国憲法について考えよう―自民党の「憲法改正案」を阻止しよう―」という演題で、プラザホープ4階ホールという、かなり広い会場で講演させていただいた際のチラシが、上質紙を使ったチラシを作ってもらった唯一の例だったように思いますが(他にもあったらご免なさい)、それも、連続講演会の第1回を担当されたのが、軍事ジャーナリストの前田哲男さんでしたから、その共通チラシのご相伴にあずかっただけというようなものでした。
※その春季連続講演会のチラシPDFファイル

 久しぶりに一昨年の平和フォーラムのチラシを見直してみて、その際使われたプロフィール写真が、来
月行われる講演会用チラシに掲載された私の写真と同じものであることに気がつきました。
 私は、チラシ製作のために写真データを提供するという親切心の持ち合わせがほとんどないため、やむなく主催者はネットを検索し、私がFacebookで使用しているプロフィール写真を流用することになるというのが、同じ写真が使い回しされる原因です。
 ちなみに、この写真は、2012年7月22日、奥野亮平さんの呼びかけで実施された「原発さよなら
行進@和歌山1」の出発前、和歌山城西の丸広場で、ソウル・フラワー・ユニオン中川敬さんを真ん中に、奥野さんと私を交えた3人で記念撮影した写真をトリミングしたものなのです(7/22「原発さよなら行進@和歌山1」大成功!)。
 
 さて、前置きが長くなりましたが、主催者が作ってくれた豪華チラシからその文字情報を転記して、10月22日の講演会の内容をご紹介します。
 
チラシから引用開始)
アベ政治の“壊憲”暴走を許さない!!
私たちは今から何をなすべきか、学び考えましょう
金原徹雄氏講演会
参院選後の改憲の動きと私たちの課題』
 
●とき:2016年10月22日(土)14時~16時(13時30分開場)
●ところ:和歌山市・中央コミュニティセンター多目的ホール(3F)
       和歌山市三沢町1丁目2番地 電話073-402-2678
●参加費:無料
 
 先の参院選改憲勢力が3分の2を超える議席を確保したことで衆参両院で改憲の発議が可能な状態となってしまいました。
 安倍首相はすでに臨時国会から憲法審査会で議論をはじめ、明文改憲への具体的な動きを始めることを明言しています。こうした事態のなか、私たちは何をすべきか共に考えましょう。
 
講師プロフィール
金原徹雄(きんばらてつお)さん(弁護士)
1989年から和歌山市で弁護士。2011年3月28日から原発問題を中心に情報を発信する「メルマガ金原」を“毎晩発信”をモットーに開始し、今も続く。12年からはブログも開始。「憲法を大事にし、音楽を愛し、原発をなくしたいと願う人たちと連帯したいと念願しています」の言葉通り、連日、憲法の改悪に反対し平和憲法を守る運動や脱原発の運動に精力的に活躍中。
 
主催:憲法を生かす会 和歌山
(連絡先 090-5465-3105 西郷章) 
共催:原発を止めよう和歌山市民の会

阪和自動車道からお越しの場合は和歌山インターを出て和歌山城方面をめざしてください。
(引用終わり)
 
 この講演会は、旧知の西郷章さん(憲法を生かす会 和歌山)からのご依頼でしたので、気安く引き受けたのですが、「誤算」が2つほどありました(しばらく前のメルマガ(ブログ)にも書きましたが)。
 1つは、演題は全て主催者に「お任せ」したのですが、決定した演題のうち、「改憲の動き」について
は、自民党改憲案を中心に据え、これに秋の臨時国会招集後の両院憲法審査会での動きなどに目配りしておくということ位で何とかなると思うのですが、「参院選後の」「私たちの課題」については、どう考えても、政治情勢の分析を踏まえた「運動論」を語らねばならない訳で、これはどちらかというと私にとって「不得意分野」なのですよね。
 そして、2つめの「誤算」は、今年の秋、和歌山市に相次いで憲法研究者が講演にやって来る時期に講演しなければならなくなったということです。ざっと書き出せば、
〇9月8日(木) 石埼学教授(龍谷大学法科大学院) 主催:治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部(近畿ブロックの集会におけるクローズの講演会)
〇9月30日(金) 長谷部恭男教授(早稲田大学大学院) 主催:和歌山弁護士会
〇10月29日(土) 木村草太教授(首都大学東京) 主催:和歌山県保険医協会
という状況です。偶然とはいえ、正直困ったものです。
 
 なお、チラシに「阪和自動車道からお越し」の方への説明文があるのは、この講演会が、「憲法を生かす会 和歌山」が関わる団体の近畿ブロックの企画を兼ねており、県外から参加する人もあるから、ということのようです。
 
 「誤算」のうち、木村草太さんの1週間前に講演しなければならい点は、「露払い」を務めるつもりと開き直れば良いのでどうということはありませんが(主催者としては参加者を集めにくくて困るでしょうけど)、問題は「誤算その1」の方です。いまさら演題を変える訳にはいきませんから、あと約1ヶ月半、せいぜい勉強しなければと思います。皆さんも、「私たちは今から何をなすべきか」、10月22日にご一緒に考えてみませんか?

金原徹雄チラシ 

東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)

 今晩(2016年9月3日)配信した「メルマガ金原No.2558」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)

 昨日、内田雅敏弁護士の表現を借りれば、日本が連合国に正式に降伏した日からちょうど71年目の9月2日、いよいよ東京地方裁判所において、去る4月26日に提訴された2件の安保法制違憲訴訟のうち、国家賠償請求事件の第1回口頭弁論が開かれ、審理が始まりました。
 私も、裁判の実働は無理ですが、一応、訴訟代理人目録(621名)に名前を連ねた者の1人として、訴訟の経過を多くの人に知っていただきたいと思い、早速昨日の弁論の結果をお伝えしようと考えました。
 ただし、昨日の弁論の内容を紹介するためには是非必要と思われる、
 〇被告(国)が陳述した「答弁書」(平成28年9月2日付)
 〇昨日の口頭弁論で意見陳述した訴訟代理人5人、原告5人の陳述用原稿(おそらくそのまま裁判所に提出されたのではないかと思いますが)
が、まだ「安保法制違憲訴訟の会」の公式サイトにアップされていません。
 昨日、裁判が終わった後の報告集会では、10人の陳述用原稿は印刷されて配布されていましたし、少なくともメディアには被告「答弁書」も配布されていたようなので、いずれ公式サイトにアップされるだろうと思いますから、アップされ次第、ブログ版で追加掲載するようにします。
 
 それでは、以下に、昨日の弁論期日で行われた手続の概略をご紹介します。出廷もしていないのに何故分かるかと言えば、裁判終了後の記者会見及び報告集会で、代理人の寺井一弘弁護士らから説明があったからですが、まあ、だいたい弁護士なら想像はつきますので。
 
(事件の表示)
事件番号 東京地方裁判所 平成28年(ワ)第13525号
安保法制違憲・国家賠償請求事件
原告 堀尾輝久ほか456名

※訴状では、堀尾さんの他に辻仁美さん及び菱山南帆子さんの氏名も表示されていましたが、訴訟の実務では答弁書にあるとおり、「堀尾輝久ほか456名」(全部で457名ということです)と記載されることになります。
被告 国
 
(系属部)
東京地方裁判所 民事第一部(後藤健裁判長)
※当然ながら、3人の裁判官による合議で審理されます。後藤裁判長は司法修習41期、私の同期です。
 
(法廷)
東京地方裁判所 103号法廷

東京地裁で一番広い法廷らしいです。MLに届いた報告によれば、「バーの中には代理人弁護士が20名、原告代表の方々が30名入廷しました。傍聴席はマスコミ席を除いて90席でしたが、抽選手続を経て原告及び市民の方々が席を埋め尽くしました。」ということでした。
 
(弁論で行われた手続)
原告、「訴状」のとおり陳述。
被告、「答弁書」のとおり陳述。
※おそらく、原告、被告双方から提出された書証の取調べもあったのでしょうね。
原告訴訟代理人5名(寺井一弘、角田由紀子、福田護、伊藤真、中鋪美香)が意見陳述を行った。
※代理人5名の陳述は、訴状の主要部分を要約して弁論するものという扱いだったかもしれません。また、中鋪美香弁護士は、長崎国賠訴訟の代理人でもあり、被爆地から違憲訴訟を提起することの意味について陳述されました。
原告5名(堀尾輝久、菱山南帆子、辻仁美、ほか2名)が意見陳述を行った。
※「ほか2名」の方も、記者会見や報告集会にも参加されていますし、実名公表OKだとは思うのですが、「安保法制違憲訴訟の会」公式サイトで氏名が公表されるのを待ちたいと思います。
次回期日を、平成28年12月2日(金)午前10時30分と指定して閉廷。
※なお、国は、次回第2回弁論期日に提出予定の準備書面なく、原告側から、答弁書に対する反論を中心とした準備書面を提出するとのことでした。
 
 以上のように書いても、何が行われたかを理解していただくのは難しいでしょうね。
 昨日審理が始まった国家賠償請求訴訟の「請求の趣旨」と「請求の原因」目次については、このメルマガ(ブログ)でご紹介していますが(安保法制違憲訴訟(4/26東京地裁に提訴)の訴状を読んでみませんか?/2016年4月27日)、以下に再掲します。
 訴状全体は、公式サイトに掲載されたPDFファイルでお読みください。
 
請求の趣旨
1 被告は、原告らそれぞれに対し、各金10万円及びこれに対する平成27年9月19日から支払済み
まで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに第1項につき仮執行の宣言を求める。
請求の原因
目次
第1 国の公権力の行使に当たる公務員による、その職務を行うについての加害行為と原告らの権利侵害
の概要
1 新安保法制法の制定
2 新安保法制法案に向けての閣議決定・国会提出
3 新安保法制法の中心的内容
4 新安保法制法の制定行為の違憲
5 新安保法制法の制定過程の反民主主義性
6 原告らの権利侵害
7 まとめ
第2 集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為
は違法であること
1 新安保法制法制定の経緯
2 集団的自衛権の行使が違憲であること
(1) 集団的自衛権の行使容認
(2) 憲法9条の解釈における集団的自衛権行使の禁止
(3) 閣議決定と新安保法制法による集団的自衛権行使の容認
(4) 集団的自衛権行使容認の違憲
(5) 立憲主義の否定
3 後方支援活動等の実施はいずれも違憲であること
(1) 後方支援活動等の軍事色強化
(2) 後方支援活動等の武力行使
(3) 後方支援活動等の他国軍隊の武力の行使と一体化
(4) 後方支援活動等の違憲
4 砂川事件判決について
5 新安保法制法の違憲性とその制定に係る内閣及び国会の行為の違法性
第3 新安保法制法の制定に係る行為による原告らの権利侵害
1 集団的自衛権の行使等によってもたらされる状況
2 各事態においてとられる措置と国民の権利制限・義務等
3 集団的自衛権の行使等による自衛隊の海外出動と戦争参加による国民・市民の権利侵害の危険性・切
迫性
4 原告らの権利、利益の侵害(概論)
(1) 平和的生存権の侵害
(2) 人格権侵害
(3) 憲法改正・決定権侵害
5 原告らの権利、利益の侵害(詳論)
(1) 多様な原告らの権利侵害
(2) 平和を望む国民・市民
(3) 先の太平洋戦争で被害を受けた者とその家族
ア 原爆を投下された広島・長崎で被爆した者とその家族
唯一の地上戦により被害を受けた沖縄県
ウ 空襲被害者
シベリア抑留者その他戦争により被害を受けた者とその家族
(4) 原子力発電所関係者
(5) ジャーナリスト
(6) 地方公共団体・指定公共機関の労働者、医療従事者、交通・運輸労働者
(7) 憲法研究者
(8) 宗教者
(9) 教育関係者
(10) 女性や子供を持つ親たち
(11) 若者
(12) その他の被害者
第4 原告らの損害
第5 公務員の故意・過失及び因果関係
1 公務員の故意・過失
2 加害行為と損害との因果関係
第6 結論
第7 さいごに
 
 答弁書が、まだ公式サイトにアップされておらず、その全体をご紹介することができませんので、とりあえず、「請求の趣旨に対する答弁」と「結語」を引用します。
 
第1 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行の宣言は相当でないが、仮に仮執行宣言を付する場合は、
(1)担保を条件とする仮執行免脱宣言
(2)その執行開始時期を判決が被告に送達された後14日経過した時とすることを求める。
第5 結語
 以上のとおり、原告らの主張は、いずれもそれ自体失当であり、理由がないから、速やかに弁論終結の上、原告らの請求はいずれも棄却されるべきである。
 
 それから、原告が訴状(請求の原因)で憲法違反を主張した部分についての被告による認否が、記者会見や報告集会でも話題になっていたようなので、何カ所か、訴状答弁書を対比してご紹介しましょう。
 
【訴状】
第1 国の公権力の行使に当たる公務員による、その職務を行うについての加害行為と原告らの権利侵害の概要
4 新安保法制法の制定行為の違憲
「しかし、このような新安保法制法案によって容認される実力の行使は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止し、交戦権を否認した憲法9条に明らかに違反するものであり、憲法9条の改正なくしてできることではありません。成立したとされる新安保法制法は、憲法9条の平和主義条項に違反して無効です。また、このように内閣及び国会が、憲法改正の手続をとることなく、恣意的な憲法解釈の変更を行い、閣議決定をし、法律を制定して、憲法の条項を否定することは、憲法尊重擁護義務に違反し、憲法改正手続をも潜脱するものとして、立憲主義の根本理念を踏みにじるものであり、同時に国民主権の基本原理にも背くも
ので、違憲・違法です。」
→【答弁書
憲法9条が戦争の放棄、戦力の保持の禁止及び交戦権の否認を規定していること、憲法99条が憲法重擁護義務を定めていることは認め、その余は、事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。」
 
【訴状】
第2 集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為は違法であること
2 集団的自衛権の行使が違憲であること
(4) 集団的自衛権行使容認の違憲
「ア しかし、この集団的自衛権の行使の容認は、いかに「自衛のための措置」と説明されようとも、政府憲法解釈として定着し、現実的規範となってきた憲法9条の解釈の核心部分、すなわち、自衛権の発動は日本に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ、これを日本の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許されるとの解釈を真っ向から否定するものです。それは、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めることであり、その場合に自衛隊
は「戦力」であることを否定し得ず、交戦権の否認にも抵触します。
イ 新3要件に即してみると、そのことはより明確です。
 まず、「他国に対する武力攻撃」に対して日本が武力をもって反撃するということは、法理上、これま
で基本的に日本周辺に限られていた武力の行使の地理的限定がなくなり、外国の領域における武力の行使、すなわち海外派兵を否定する根拠もなくなることを意味します。
 そして第1要件についていえば、「我が国に対する武力攻撃」があったかなかったかは事実として明確
あるのに対し、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を覆す」かどうかは、評価の問題であるから、極めてあいまいであり、客観的限定性を欠きます。「密接な関係」「根底から覆す」「明白な危険」なども全て評価概念であり、その該当性は判断する者の評価によって左右されます。そして法案審議における政府の国会答弁によれば、この事態に該当するかどうかは、結局のところ、政府が「総合的に判断」するというのです。
 第2要件(他に適当な手段がないこと)及び第3要件(必要最小限度の実力の行使)は、表現はこれまでの自衛権発動の3要件と類似していますが、前提となる第1要件があいまいになれば、第2要件、第3
要件も必然的にあいまいなものになります。
 例えば、国会審議を含めて政府から繰り返し強調されたホルムズ海峡に敷設された機雷掃海についてみれば、第1要件のいう「我が国の存立が脅かされ、国民の生命等が根底から脅かされる」のは、経済的影響でも足りるのか、日本が有する半年分の石油の備蓄が何か月分減少したら該当するのか、そのときの国際情勢や他国の動きをどう評価・予測するのかなどの判断のしかたに左右され、第2要件の「他の適当な手段」として、これらに関する外交交渉による打開の可能性、他の輸入ルートや代替エネルギーの確保の可能性などの判断も客観的基準は考えにくく、さらに第3要件の「必要最小限度」も第1要件・第2要件の判断に左右されて、派遣する自衛隊の規模、派遣期間、他国との活動分担などの限度にも客観的基準を
見出すことは困難です。
 以上に加えて、平成25年12月に制定された特定秘密保護法により、防衛、外交、スパイ、テロリズム等の安全保障に関する情報が、政府の判断によって国民に対して秘匿される場合、「外国に対する武力攻撃」の有無・内容、その日本及び国民への影響、その切迫性等を判断する偏りのない十分な資料を得る
ことすらできず、政府の「総合的判断」の是非をチェックすることができないのです。
ウ こうして、新安保法制法に基づく集団的自衛権の行使容認は、これまで政府自らが確立してきた憲法9条の規範内容を否定するものであるとともに、その行使の3要件が客観的限定性をもたず、きわめてあいまいであるため、時の政府の判断によって、日本が、他国のために、他国とともに、地理的な限定なく世
界中で武力を行使することを可能にするものとして、憲法9条の規定に真っ向から違反するものです。」
→【答弁書
「事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。」
 
3 後方支援活動等の実施はいずれも違憲であること
(4) 後方支援活動等の違憲
「以上のように後方支援活動等の実施も憲法9条に違反するものであり、そのような内容の閣議決定を行い、また法律を制定して憲法9条の規範内容を改変しようとすることが、立憲主義を踏みにじるものであり、また、憲法96条の改正手続を潜脱して国民の憲法改正に関する決定権を侵害するものであることに
ついては、前記(第2の2(5))で述べたことがそのまま当てはまります。」
→【答弁書
「事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。」
 
 以上の他にも、訴状で憲法9条違反という主張が出てくれば、「事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。」で一貫しています。
 これまで、多くは当事者訴訟で闘われてきた違憲訴訟でも、同じような認否をしていたのだろうか?一度、三重の珍道世直さんに尋ねてみようかな。
 とにかく、国は、合憲・違憲の土俵には乗らないということなのでしょうから、原告側としては、これに対してどう攻め込むか、次回の原告「準備書面」が重要ですね。
 
 最後に、昨日の
 〇東京地裁前での事前集会(ではなく、偶然一緒になった人々なのかもしれませんが) 
 〇裁判後の記者会見
 〇午後5時から参議院議員会館(B107)で開かれた報告集会
の模様がUPLAN(三輪祐児さん)にアップされていましたのでご紹介します。動画の末尾に、資料として、原告訴訟代理人と原告による意見陳述原稿、それから国の答弁書が掲載されています。字が小さくて読みにくいですが、何とか判読できそうです。公式サイトにアップされるまでは、これで代用していただければと思います。
 今後とも、安保法制違憲訴訟に是非注目してください。
 
 ところで、寺井一弘先生は、記者会見でも報告集会でも、「全国全ての裁判所に安保法制違憲訴訟を提起して、全国の裁判官に問うていきたい」という意気込みを語っておられました。和歌山、どうしよう。
 
20160902 UPLAN【裁判所前広報・記者会見・報告集会】安保法制違憲・国家賠償請求訴訟第1回口頭弁論(2時間24分)

冒頭~ 裁判前の東京地裁前での集会
※何人もの方がハンドマイクで発言されていますが、聞き物は何と言っても18分~の内田雅敏弁護士でしょう。是非お聴きください。
40分~ 記者会見
1時間10分~ 報告集会
司会 杉浦ひとみ弁護士
1時間10分~ 寺井一弘弁護士 あいさつ
1時間24分~ 黒岩哲彦弁護士 第1回口頭弁論の裁判の様子
1時間35分~ 伊藤真弁護士 裁判の法的な展開について
1時間43分~ 原告・堀尾輝久さん
東京大学名誉教授。憲法9条幣原喜重郎発案説を裏付けるマッカーサーの書簡を発掘したことで最近話題になりましたね(“憲法9条 幣原喜重郎 発案説”を補強するマッカーサー書簡の発見~部分再録『内閣総理大臣の孤独な闘い』/2016年8月13日)。
1時間48分~ 原告・菱山南帆子さん
1時間51分~ 原告・辻仁美さん(安保関連法に反対するママの会)
1時間56分~ 原告・東京大空襲の被害者(女性)
2時間00分~ 原告・米軍横須賀基地の近隣住民(男性)
2時間04分~ 福田護弁護士 訴訟の今後の展開  
2時間13分~ 質疑応答
※会場から「国の答弁書をホームページで見られるようにして欲しい」という要望が寄せられたのに対し
、杉浦ひとみ弁護士から、2~3日中に安保法制違憲訴訟の会ホームページにアップする旨回答がありました。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年9月27日
安保法制違憲訴訟を考える(1)~小林節タスクフォースへの期待と2008年名古屋高裁判決
2015年9月30日
安保法制違憲訴訟を考える(番外編)~法律の公布ということ
2015年10月3日
安保法制違憲訴訟を考える(2)~『今、改めて「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』を弁護士にこそ推奨したい
2015年10月27日
安保法制違憲訴訟を考える(3)~「5党合意」は違憲論にどんな影響があるのか?(検討用メモ)
2015年11月25日
珍道世直さんの新たな闘い~「閣議決定・安保法制違憲訴訟」を津地裁に提起
2015年12月2日
安保法制違憲訴訟を考える(4)~伊藤真弁護士(安保法制違憲訴訟の会)による決意表明(11/19@国会前)と小林節氏の現時点(11/21@和歌山県田辺市)での見解
2015年12月23日
「安保法制違憲訴訟の会」による記者会見(12/21)と原告募集のご紹介
2016年3月29日
安保法制施行の日に「安保法制違憲訴訟」を思う
2016年4月21日
いよいよ4月26日「安保法制違憲訴訟」を東京地裁に提起~4/20決起集会から
2016年4月27日
安保法制違憲訴訟(4/26東京地裁に提訴)の訴状を読んでみませんか?
2016年6月4日
安保法制違憲訴訟を地方から起こす~「安保法制違憲訴訟おかやま」の動き

2016年6月18日
「安保法制違憲訴訟おかやま」提訴(6/17)~これで全国6地裁に(付・動画4本雑感) 

6.4憲法審査会での意見表明を振り返り 9.30長谷部恭男氏講演会(和歌山弁護士会)に期待する

 今晩(2016年9月2日)配信した「メルマガ金原No.2557」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
6.4憲法審査会での意見表明を振り返り 9.30長谷部恭男氏講演会(和歌山弁護士会)に期待する

 今月(2016年9月)30日(金)午後6時30分から、和歌山ビッグ愛1F大ホールにおいて、長谷部恭男(はせべ・やすお)教授(早稲田大学大学院法務研究科・憲法学)を講師にお招きした講演会が開催されますので、主催団体(和歌山弁護士会)の一員として、是非多くの方にご参加いただきたいとお願いするのがこの記事の趣旨なのですが、昨日書いた木村草太教授(首都大学東京憲法学)と同様、長谷部教授についても、過去私のメルマガ(ブログ)に何度も取り上げさせていただいていますので、少しは蘊蓄(うんちく)を傾けることもお許しいただきたいと思います。
 
 もっとも、蘊蓄の前に、9月30日の講演会情報をご紹介します。蘊蓄の方を先にすると、なかなか講演会にたどり着かないことが予想されますので、蘊蓄はあと回しにします。
 チラシの文字データを引用します。
 
チラシから引用開始)
憲法講演会
立憲主義と民主主義を回復するために」
 
講師 長谷部恭男教授早稲田大学大学院法務研究科 教授)
講師プロフィール
1995年4月 東京大学大学院法学政治学研究科教授を経て
2014年4月 早稲田大学大学院法務研究科教授、現在に至る
 
2015年6月の衆議院憲法審査会において、与党推薦の長谷部教授が集団的自衛権の行使について、「違憲」との見解を示されたことから、その違憲性について、多くの市民にも関心がもたれるようになりました。
これまでの経過をふまえ、立憲主義とは何か?立憲主義と民主主義を取り戻すために何が必要かなどについて憲法学者としてお話をしていただきます。
 
とき 2016年(平成28年)9月30日(金)
    開場:午後6時10分
    開演:午後6時30分
ところ 和歌山ビッグ愛 大ホール
入場無料
予約不要
 
主催 和歌山弁護士会
共催 日本弁護士連合会
お問い合わせ
〒640-8144 和歌山県和歌山市四番丁5番地(和歌山弁護士会
TEL:073-422-4580
FAX:073-436-5322
(引用終わり)
 
 実にシンプルなチラシですね。書き写すのが楽でいい(?)。
 
 さて、ここからは蘊蓄です。とはいえ、あれもこれもと取り上げている余裕はありませんので、詳しくは末尾にまとめておいた私のブログをご参照いただくとして、ここでは、講演会チラシでも特筆されている、昨年(2015年)6月4日の衆議院憲法審査会に、小林節慶応義塾大学名誉教授、笹田栄司早稲田大学政治経済学術院教授とともに参考人として招かれた長谷部教授(自民党推薦であったことはご本人も知らなかったようです)が、他の2人の参考人とともに、当時審議中であった安保法案を違憲と断じたことを振り返っておきましょう(詳しくは私のブログ「憲法学者の矜恃~衆議院憲法審査会(6/4)における参考人質疑をじっくりと味わいたい」をお読みください)。
 
 もともと、この日の憲法審査会での審議テーマは、憲法保障をめぐる諸問題(「立憲主義、改正の限界及び制定経緯」並びに「違憲立法審査の在り方」)というものであり、3人の参考人も、そういうテーマに沿いながら、各党からの推薦に基づいて決定されたのでしょう。「立憲主義」は、長谷部恭男教授の主要研究テーマでしたから、どの政党が推薦するにせよ、「立憲主義」を議論するための参考人として長谷部教授が招かれるということ自体、ごく自然なことでした。
 以上のとおり、6月4日の憲法審査会では、「わが国の安全保障政策と憲法9条」「安全保障関連法案の合憲性」が討議テーマとなっていた訳ではありません。ありませんが、その前年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」に対して、「立憲主義を踏みにじるもの」という批判が国民各層や全国の弁護士会、法学者などの間から澎湃と沸き起こっていたのですから、「立憲主義」をテーマとして憲法学界の碩学3人を参考人として招いておきながら、誰も安保法案に触れた質問をしないなどということは考えられないでしょう。実際、この日2人目の質問者となった民主党中川正春議員から、「率直にここでお話を聞きたいんですけれども、先生方は、今の安保法制、憲法違反だと思われますか。それとも、その中に入っていると思われますか。先生方が裁判官となるんだったら、どのように判断されますか。全員。三人とも。」という質問がなされ、全員から「違憲」との見解を引き出したのでした。
 
 以下に、当日の動画をご紹介するとともに、長谷部教授の発言を会議録から引用してご紹介します。
 長谷部教授は、この日、安保法案について違憲という見解を述べたのですが、同教授がそういう意見をお持ちであることなど、憲法学界内部だけではなく、相当に広く知られたことでした。もちろん、そもそも「長谷部恭男」も「小林節」も、名前を聞いたことすらないという普通の国民にとっては「知られていなかった」でしょうが、少なくとも、安全保障関連法案が違憲だと考え、反対運動に深く関わっているほどの人の多くは知っていたはずです。「知っていたはず」の根拠をいくつか列挙しておきます。
 
〇2014年3月28日、長谷部教授は、日本記者クラブの研究会に招かれて講演し、集団的自衛権行使容認を、立憲主義の観点から鋭く批判しました。

〇2014年4月18日、「今必要なことは、個別の政策に関する賛否以前に、憲法に基づく政治を取り戻すことである。たまさか国会で多数を占める勢力が、手を付けてはならないルール、侵入してはならない領域を明確にすること、その意味での立憲政治の回復である。」と宣言して設立記者会見を開いた「立憲デモクラシーの会」の、長谷部教授は当初からの呼びかけ人でした。
〇2014年5月3日、朝日新聞紙上での杉田敦法政大学教授との対談で、長谷部教授は、集団的自衛権の行使を容認するためには憲法改正が必要との見解を明瞭に述べていました。朝日新聞での杉田教授との対談はその後も行われており、インターネットなどに無縁な人であっても、長谷部教授の見解を知ることはできたと思われます(朝日の読者であれば)。
〇2014年5月18日、長谷部教授を含む12名の識者が結集し、「政府の恣意的な「解釈変更」によって、これまで憲法が禁止してきた集団的自衛権行使を可能にすることは、憲法が統治権力に課している縛りを政府自らが取り外すことに他ならず、立憲主義の破壊に等しい歴史的暴挙と言わざるを得ない。」として国民安保法制懇を結成しました。 
 国民安保法制懇はいくつかの声明を発表しましたが、特に7.1閣議決定を徹底的に批判した2014年9月29日の報告書「集団的自衛権行使を容認する閣議決定の撤回を求める」は重要です。もちろん、11人(この時点では1人退会)が衆智を集めたものでしょうが、憲法学の視点からの指摘については、長谷部教授の見解がかなり反映しているのではないかと推測しています。
 
 昨年6月4日の発言は、安保法案を違憲とした部分のみ注目されましたが、本来、「立憲主義」について話すために国会に赴いたのですし、それなりに原稿も準備して意見陳述されたのですから、長谷部教授の「立憲主義」研究のエッセンスが短い時間で語られており、その部分にこそ注目していただければと思い、会議録をご紹介することとしたのです。
 
衆議院憲法審査会 2015-6-4 フルバージョン(2時間26分)

2分30秒~14分10秒
 「立憲主義」についての長谷部恭男教授による意見陳述
1時間05分~ 中川正春議員による質問
1時間15分~1時間21分 
 中川議員による安保法案についての質問と3人の参考人による「違憲」発言
1時間37分~
 北側一雄議員による質問と長谷部恭男教授による答弁
 
衆議院 憲法審査会 第189回国会 第3号(平成27年6月4日(木曜日))会議録
(抜粋引用開始)
○保岡(興治)会長 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 本日の議事の順序について申し上げます。
 まず、長谷部参考人、小林参考人、笹田参考人の順に、それぞれ二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、まず長谷部参考人、お願いいたします。
○長谷部(恭男)参考人 本日は、このような形で発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
 本日は、主に立憲主義についてお話を申し上げようと思います。
 立憲主義という言葉は、いろいろな意味で用いられますが、大きく広い意味と狭い意味を区別することができます。
 広い意味の立憲主義、これは、政治権力を何らかの形で制限する考え方、これを広く指して用います。例えば、中世のヨーロッパにも立憲主義があった、そう言われるときには、この意味で立憲主義という言葉が使われております。
 中世のヨーロッパでは、当時の支配的な宗教であり世界観であるキリスト教に基づきまして、何が正しい生き方かがあらゆる人にとって決まっておりました。為政者についても当然、政治権力の正しい行使の仕方が決まっています。そして、それに違反をすれば、教会を破門され、臣下の服従義務は解かれる、そうしたリスクにさらされておりました。
 また、ローマ教皇についても、彼が異端の思想に染まったときは、全クリスチャンの代表から成る公会議によって、あるいはさらに公会議を代表する枢機卿会議によって教皇がその地位を追われる、それもあり得ると考えられておりましたし、実際、コンスタンツの公会議におきましては、教会を分裂させた三人の教皇廃位いたしまして、新たな教皇を選出しております。
 キリスト教という一元的な思想そして世界観に基づいて、政治権力も制限されていたわけです。
 他方、現在、日本を含めた先進諸国で共通に立憲主義として理解されておりますのは、狭い意味の立憲主義です。これは近代立憲主義とも言われ、近代初めのヨーロッパで確立した考え方です。
 当時のヨーロッパは、一方では、宗教改革後の激烈な宗派間の対立を経験し、他方では、大航海時代でもありましたために世界各地で多様な暮らしぶりや考え方に出会った経験から、人にとっての生き方や世界の意味づけ方、これはただ一つには決まっていない、多様な、相互に両立し得ない価値観、世界観があるのだ、そのことを事実として認めざるを得ない状況に置かれておりました。
 宗派間の対立をとってみますと、プロテスタントにしろ、カトリックにしろ、それを信仰する人にとっては、自分にとっての正しい生き方、世界の正しい意味づけ方を教えてくれる大事な、かけがえのないものであります。そうである以上、自分だけではなく、ほかの人も全て信じてしかるべきだと考えるのが人としての自然の傾向でありますが、ただ、その自然の傾向のままに、各自にとっての正しい信仰をほかの人に押しつけよう、押しつけようとしますと、そうすると、ここに深刻な対立が起こります。現在でも、世界の各地におきまして、何が正しい信仰であるか、それがもとになって大変に激しい紛争が起こっていることは、御承知のとおりであります。
 これに対しまして、近代立憲主義は、価値観や世界観は人によってさまざまである、これを正面から認めるべきだ、そういう認識から出発をいたします。多様な価値観、世界観について、いずれがより正しいかを議論しても意味がありません。客観的に比較する物差しがそもそもそこにはないからであります。むしろ、どのような世界観、人生観を持つ人であろうと人間らしい平和な社会生活を送ることができるようにするためには、どのような社会のあり方を基本とすべきか、それをまず考えるべきだということになります。ホッブズ、ロック、ルソー、カントといった近代立憲主義の基礎を築いた政治思想家たちは、いずれも、この問題に回答しようとした人たちであります。
 近代立憲主義は、そうした社会生活の基本的な枠組みといたしまして、公と私とを区分することを提案します。
 私の領域におきましては、各自がそれぞれ、自分が正しいと思う世界観に従って生きる自由が保障されます。志を同じくする仲間や家族と生きる自由も保障されます。
 他方で、社会全体の共通の利益にかかわる公の領域におきましては、各人が抱いている世界観はひとまず脇に置いて、どのような世界観を抱いている人であっても人間らしい社会生活の便宜を享受するためには何が必要なのか、各自がどのようにコストを負担すれば公平な負担と言えるのか、それを落ちついて理性的に話し合い、決定をしていく必要がございます。
 日本国憲法もそうですが、近代立憲主義に立脚する国々の憲法、これは、基本権、憲法上の権利を保障する条項を定めていることが普通です。それらは、一方では、私の領域におきまして、それぞれの人がみずからの信ずる宗教を奉じ、各自が正しいと考えることを表現し、プライバシーの守られる空間でみずからの財産を使いながら生きる自由を保障します。自由な私の領域を確保するためのさまざまな権利が保障されております。
 他方で、報道の自由、取材の自由、結社の自由、参政権等、主に公の領域におきまして、社会全体の利益を効果的に実現するために何が必要か、それを理性的に審議し、決定するために保障されているさまざまな権利もあります。そうした権利に支えられた民主政治の具体のプロセスについて定める統治機構に関する規定ももちろん備えられております。
 こうした近代立憲主義に立脚する憲法、これは、通常の法律に比べますと変更することが難しくなっていること、つまり硬性憲法であることがこれまた通常でございます。今述べました基本的人権を保障する諸条項、民主政治の根幹にかかわる規定、これは、政治の世界におきまして、選挙のたびに起こり得る多数派、少数派の変転や、たまたま政府のトップである政治家の方がどのような考え方をするか、そういったものとは切り離されるべきだから、つまり、その社会の全てのメンバーが中長期的に守っていくべき基本原則だからというのがその理由であります。
 また、憲法の改正が難しくなっている背景には、人間の判断力に関するある種悲観的な見方があると言ってもよろしいでありましょう。人間というのは、とかく感情や短期的な利害にとらわれがちで、そのために、中長期的に見たときには合理的とは言いがたい、自分たちの利益に反する判断を下すことが間々あります。ですから、国の根本原理を変えようというときは、本当にそれが、将来生まれてくる世代も含めまして、我々の利益に本当につながるのか、国民全体を巻き込んで改めて議論し、考えるべきだということになります。それを可能とするために、憲法の改正は難しくなっております。さらに、改正を難しくするだけではなく、国政の実際においても憲法の内容が遵守され具体化されていくよう、多くの国々では違憲審査制度が定められております。
 近代立憲主義の内容とされる基本的人権の保障、そして民主的な政治運営は、時に普遍的な理念、普遍的な価値だと言われることがあります。
 ここで、普遍的というのが、世界の全ての国が大昔から現在に至るまで、全てこの近代立憲主義の理念に沿って運営されてきた、そういう意味であれば、これは正しい言い方ではございません。実際には、現在でさえ、こうした理念にのっとって国政が運営されているとは言いがたい国は少なからずございます。また、日本も、第二次世界大戦の終結に至るまでは、この近代立憲主義に基づく国家とは言いがたい国でありました。
 さらに、民主主義について申しますと、十九世紀に至るまでは、民主主義はマイナスのシンボルではあっても、プラスのイメージで捉えられることはまずなかったと言ってよろしいでありましょう。それでも、現在では、基本的人権の保障や民主的な政治運営は普遍的に受け入れられるべきものとされております。
 ただ、問題は、憲法典の中に基本的人権を保障する条項、民主的な政治制度を定める条項が含まれているか否か、それには限られておりません。これらの条項の前提となる認識、つまり、この世には、人としての正しい生き方、あるいは世界の意味や宇宙の意味について、相互に両立し得ない多様な立場があるということを認め、異なる立場に立つ人々を公平に扱う用意があるか、それこそが、実は普遍的な理念に忠実であるか否かを決していると言うことができます。
 そして、近代立憲主義の理念に忠実であろうとする限り、たとえ憲法改正の手続を経たとしても、この理念に反する憲法の改正を行うことは許されない、つまり改正には限界があるということになります。
 ただ、近代立憲主義の理念に立脚する国々も、各国固有の理念や制度を憲法によって保障していることがあります。日本の場合でいえば、天皇制や徹底した平和主義がこれに当たるでありましょう。こうしたそれぞれの国の固有の理念や制度も、その時々の政治的多数派、少数派の移り変わりによっては動かすべきではないからこそ、憲法に書き込まれているということになります。
 もっとも、これら国によって異なる理念や制度は、普遍的な近代立憲主義の理念と両立し得る範囲内にとどまっている必要があります。つまり、特定の人生観や宇宙観を押しつけるようなことは、近代立憲主義のもとでは、憲法に基づいても認められないということになります。
 憲法を保障するという言葉もいろいろな意味で使われることがございますが、現在の日本で申しますと、価値観や世界観、これは人によってさまざまである、しかし、そうした違いにもかかわらず、お互いの立場に寛容な、人間らしい暮らしのできる公平な社会生活を営もうとする、そうした近代立憲主義の理念を守るということ、そして憲法に書き込まれた日本固有の理念や制度を守り続ける、それが憲法を保障することのまずは出発点だということになるでありましょう。
 まことに雑駁な話でございますが、以上で、立憲主義に関する私の説明を終わらせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
(略) 
 
○中川(正春)委員 率直にここでお話を聞きたいんですけれども、先生方は、今の安保法制、憲法違反だと思われますか。それとも、その中に入っていると思われますか。先生方が裁判官となるんだったら、どのように判断されますか。全員。三人とも。
○長谷部(恭男)参考人 安保法制というのは多岐にわたっておりますので、その全てという話にはなかなかならないんですが、まずは、集団的自衛権の行使が許されるというその点について、私は憲法違反であるというふうに考えております。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきませんし、法的な安定性を大きく揺るがすものであるというふうに考えております。
 それからもう一つ、外国の軍隊の武力行使との一体化に自衛隊の活動がなるのではないのか、私は、その点については、一体化するおそれが極めて強いというふうに考えております。
 従前の戦闘地域、非戦闘地域の枠組みを用いた、いわばバッファーを置いた、余裕を持ったところで明確な線を引く、その範囲内での自衛隊の活動にとどめておくべきものであるというふうに考えております。
○小林(節)参考人 私も違憲と考えます。憲法九条に違反します。
 九条の一項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、これはパリ不戦条約以来の国際法の読み方としては侵略戦争の放棄。ですから、我々は自衛のための何らかの武力行使ができると、ここに留保されています。
 ただし、二項で、軍隊と交戦権が与えられておりませんから、海の外で軍事活動する道具と法的資格が与えられておりません。ですから、自民党政府のもとで一貫して、警察予備隊という第二警察としての自衛隊をつくって、だからこそ、軍隊と違って、腕力について比例原則、軍隊に比例原則なんかありません、軍隊は勝つために何をやってもいいんですから、本来。世界の常識。だから、比例原則で縛られて、警察のごとき振る舞い。だから、攻めてこられたら、我が国のテリトリーと周辺の公海と公空を使って反撃することが許される。例外的に、もとから断たなきゃいけない場合は、理論上、敵基地まで行けるというこの枠組みは、ずっと自民党がつくって守ってきたもので、私はこれは正しいと思っています。
 この九条をそのままにして、海外派兵。集団的自衛権というのは、いろいろな定義がありますが、国際法というのは、まだ法自体が戦国乱世の状態で中心的有権機関なんかないわけですから、世界政府がないわけですから。ですから、それぞれがいろいろ言っているおおよそのところからいけば、少なくとも、仲間の国を助けるために海外に戦争に行く、これが集団的自衛権でないと言う人はいないはずです。これをやろうということですから、これは憲法九条、とりわけ二項違反。
 それから、先ほど長谷部先生がおっしゃった、後方支援という日本の特殊概念で、要するに、戦場に後ろから参戦するだけの話でありまして、前から参戦しないよというだけの話でありまして、そんなふざけたことで言葉の遊びをやらないでほしいと本当に思います。これも恥ずかしいところです。ですから、露骨に、憲法……。
 ただ、今、公明党と法制局が押し返していますよね。でも、あのとおりになったら、何も集団的自衛権という言葉は要らないじゃないですか。個別的自衛権に押し戻したんですかという疑問もあります。
 以上です。
○笹田(栄司)参考人 ちょっと違った角度から申し上げますと、例えば日本の内閣法制局は、自民党政権とともに安保法制をずっとつくってきていたわけです。そして、そのやり方は、非常にガラス細工と言えなくもないですけれども、本当にぎりぎりのところで保ってきているんだなということを考えておりました。
 一方、例えばヨーロッパのコンセイユ・デタのような、日本の法制局の原型となりますが、あそこは、憲法違反だと言っても、時の大統領府なんかが押し切って、ではやるんだということで、極めてクールな対応をとってきて、そこが大きな違いだったと思うんですね。
 ところが、今回、私なんかは、従来の法制局と自民党政権のつくったものがここまでだよなと本当に強く思っておりましたので、お二方の先生がおっしゃいましたように、今の言葉では、定義では踏み越えてしまったということで、やはり違憲の考え方に立っているところでございます。
(略)
○北側(一雄)委員 公明党北側一雄でございます。
 きょうは、先生方、大変貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。
 先ほどから安保法制に関する御議論が続いておりまして、きょうは私は別の質問をしようと思っておったんですけれども、あそこまで議論されましたので、少し私からもお聞きをさせていただきたいと思うんです。
 先生方にお話しするようなことではないのかもしれませんが、憲法九条には、自衛の措置の限界ということについては明確に書いておりません。憲法九条そのものが極めて世界的には特別な憲法条項になっているわけですが、その憲法九条のもとでどこまで自衛の措置が認められるのかという議論、これは、残念ながら、先生方御承知のとおり、最高裁判所では明確に述べていない中で、これまで政府とそして国会との間の論議の中で形成されてきた、こういう歴史にあるわけです。
(略)
 これについても恐らく先生方はいろいろな御意見、御批判があるかと思いますけれども、そういう中で、あの閣議決定があったということでございます。それを今回、法案に明文化したということでございまして、改めて先生方の御意見を賜れればと思います。三人の先生方からお願いいたします。
○長谷部(恭男)参考人 どうもありがとうございます。
 先生御指摘のとおり、憲法九条を見ただけでは、自衛の限界というのははっきりとわからないわけです。ただ、文言を見た限りでは、たとえ自衛が認められるとしても、極めて極めて限られているに違いないことは、それは大体わかります。
 その上で、内閣法制局を中心として紡ぎ上げてきた解釈があるわけです。解釈というのは何のために存在するかというと、先生御指摘のように、文言を見ただけで、条文を見ただけではわからない、わからない場合に、解釈を通じて意味を確定していくということになります。
 従来の政府の見解というのは、我が国に対する直接の武力攻撃があった場合に、かつ、他にそれに代替する手段がない、必要性があるという場合に、必要な最小限度において武力を行使する、それが自衛のための実力の行使だということを言っていたわけでございまして、これはまことに意味は明確であるというふうに私は考えます。
 ただ、昨年七月一日の閣議決定において示されていた、限定的ながら集団的自衛権行使ができる場合があるのであるという、そういう変更がなされているわけなんですけれども、その結果、一体どこまでの武力の行使が新たに許容されることになったのか、この意味内容が、少なくとも、従来のいろいろな先生方の御議論を伺っている限りでははっきりしていない。
 文言を見ただけではわからないから、それを意味を明確にするために解釈をしているはずなんですが、解釈を変えたために意味はかえって不明確化したのではないかというふうに私は考えております。
 また、先ほどの繰り返しになりますけれども、従来の政府の見解、御指摘の憲法十三条に言及された、その基本的な論理の枠内におさまっているかといえば、私は、おさまっていないと思います。他国への攻撃に対して武力を行使するというのは、これは自衛というよりはむしろ他衛でございまして、そこまでのことを憲法が認めているのか、そういう議論を支えることは、私は、なかなか難しいのではないかというふうに考えているということでございます。
(引用終わり)
 
(参考書籍)
 多くの著書を執筆されている長谷部先生の本の中から1冊だけ、それも10年前に出た新書をご紹介するというのも気が引けるのですが、「立憲主義」とは何か?ということを考えて訳が分からなくなるたびに、私はこの本を読み返すことにしています。

『憲法とは何か』 長谷部恭男 著(岩波新書 新赤版1002)

著者からのメッセージ
憲法はどちらかといえば、なじみのある、好ましいものでしょうか。憲法を通じて人々の暮らしを良くしていきたい、世の中を明るく変えていきたいとお考えの方は、そう感じておられるでしょう。憲法典を改正して、いろいろな権利や責務を書き込むべきだとお考えの方もそう感じておられるのでしょう。
 本書は、憲法というものの危なっかしさ、多くの人々の生活やさらに生命そのものをも引きずり込むその正体について説明しています。長期にわたる深刻な戦争が実は憲法をめぐって行われること、人々の暮らしや命を守るためには、ときにはそれまでの憲法を根底的に変えざるをえないことを説明しています(日本は六〇年前に、東欧諸国も一九八〇年代終わりにそれを経験しました)。憲法がつねにありがたい、明るい未来を与えるものだという夢が、幻想にすぎないかも知れないことを解きあかすのが、本書のねらいです。憲法は危険物です。取扱いには注意が必要です。」
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年4月18日
立憲デモクラシーの会が設立されました!
2014年5月16日
(増補版)日本記者クラブ・研究会の映像で考える“集団的自衛権”(北岡伸一氏、阪田雅裕氏、柳澤協二氏、長谷部恭男氏)
2014年5月30日
12人の怒れる識者(国民安保法制懇)に期待する
2014年10月1日
国民安保法制懇「集団的自衛権行使を容認する閣議決定の撤回を求める」(9/29)を熟読しよう

2015年6月7日
憲法学者の矜恃~衆議院憲法審査会(6/4)における参考人質疑をじっくりと味わいたい

2015年6月11日
その後の長谷部恭男教授(早稲田大学)~TBSラジオと高知新聞インタビューから
2015年6月16日
憲法学者の矜恃~長谷部恭男氏と小林節氏の記者会見を視聴して(6/15)
2015年12月19日
大隈記念大講堂で開かれた「立憲主義・民主主義と平和を考える早稲田大学の集い」(12/17)を視聴する
2016年2月6日
立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「緊急事態条項は必要か」を視聴する

長谷部恭男チラシ 

7.1閣議決定についての木村草太説を振り返り 10.29木村草太氏講演会(和歌山県保険医協会)に期待する

 今晩(2016年9月1日)配信した「メルマガ金原No.2556」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
7.1閣議決定についての木村草太説を振り返り 10.29木村草太氏講演会(和歌山県保険医協会)に期待する

 1980年生まれの若き憲法研究者・木村草太(きむら・そうた)氏の名前を初めて私が意識したのは、それほど以前のことではありません。何しろ、基本的にテレビは見ない、ラジオは聞かない、新聞も熱心には読まないという習慣が身についてかなりになりますので(3.11以降はその傾向が顕著になりました)、若手ながら、様々なメディアに登場する機会の多い憲法学者という声望に接したのは、あることをきかっけに、「木村草太」という名前を憶えた後のことでした。

 巻末に、私のブログで木村草太さんを取り上げた記事を抜き出しておきましたが、その冒頭の記事で書いたとおり、2014年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」に対して、変わった解釈を示している憲法学者がいるということを、ビデオニュース・ドットコムで知ったのがその「きっかけ」でした。
 
 何が驚いたと言って、2014年7月時点での木村説というのは、7月1日閣議決定で容認した「集団的自衛権」というのは、これまで政府が個別的自衛権として容認してきたものの内、集団的自衛権としても説明できる、すなわち、個別的自衛権と集団的自衛権が重なった部分を取り出して「集団的自衛権」と呼称しているに過ぎず、これまでの個別的自衛権の範囲を超えるものではない、というものだったのですから、それは驚きますよね。
 ビデオニュース・ドットコムでの鼎談で、神保哲生さんや宮台真司さんも、ややあっけにとられているように私には思われました。
 
 

 おそらく、憲法学界でこの木村説を支持した人はあまりいなかったのではないかと想像するのですが(学界の内情など知りませんが)、その後、この木村説がどうなったかということについては、2015年6月13日に書いた「あらためて「存立危機事態」の解釈を問う~木村草太説と公明党(北側一雄氏)の認識」が一応の到達点を確認した記事なので、私の意見をまとめた部分を、煩をいとわず引用したいと思います。
 
(抜粋引用開始)
 さて、木村准教授の解釈は、文理解釈を基本としており、それなりに筋が通っているような気もする一方、7月1日閣議決定についての解釈の時と同様、どうもそのままには受け取れないなあ、という違和感があります。
 それは、ホルムズ海峡の機雷掃海にあくまでこだわる安倍晋三首相や、自分が何を言っているのか本当に理解しているのか時として疑わしい中谷元防衛相の答弁から推測される政治家の思惑からは一応離れた法律解釈論として、存立危機事態とは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」することによって、同時に我が国に対する武力攻撃の着手があったという事態を意味するという木村説にはやはり無理があると思うのです。
 たしかに、武力攻撃事態法(改定案)の第2条4号の定義規定だけを読んで木村説に耳を傾けると、正しい解釈のような気がするのですが、仮にその解釈に立つとすると、「存立危機事態=武力攻撃事態」、より正確に言えば「存立危機事態<武力攻撃事態」ということになるのであって、そうであれば、なぜ武力攻撃事態とは別に存立危機事態という新たな類型を設け、武力攻撃事態と存立危機事態とを並立させ、各事態発生の認定、それに対する対処等を別々に規定しなければならないのかということについて、合理的な説明をつけかねるのではないか、ということが根本的な疑問です。
 さらに、自衛隊法改定案によれば、武力攻撃事態と存立危機事態のいずれにも共通して適用される規定が多いものの、武力攻撃事態には適用されるが、存立危機事態は明文で適用除外となっている以下のような諸規定があります。
  第77条の2(防護施設構築の措置)
  第80条(海上保安庁の統制)
  第92条(防衛出動時の公共の秩序の維持のための権限)
  第92条の2(防衛出動時の緊急通行)
  第103条(防衛出動時における物資の収容等)
自由法曹団「逐条検討・戦争法制 安全保障一括法案を斬る!」(2015年6月3日)7頁参照
 これらは、いずれも日本の領域(領土、領海等)内における防衛出動を前提とした規定であることからすれば、改定自衛隊法は、存立危機事態において、我が国の領域内に自衛隊を防衛出動させることなど想定しておらず、もっぱら海外派兵を念頭に置いていることは明らかでしょう。
 もちろん、存立危機事態でありかつ武力攻撃事態でもあるということがあり得ることは、政府・与党協議でも明示されていたところですが、とにかく今般の法制の建て付けとしては、木村草太説のように、存立危機事態が全て武力攻撃事態に包摂される(存立危機事態<武力攻撃事態)というのではなく、重なる部分はあるものの、それぞれ別個の適用範囲を持つ2つの円というのが正しい解釈であろうと思います。
 つまり、
 ①存立危機事態ではあるが武力攻撃事態ではない事態
 ②存立危機事態であるとともに武力攻撃事態でもある事態
 ③存立危機事態ではないが武力攻撃事態である事態
という3つの事態があることを前提に、今次の戦争法案における存立危機事態の解釈としては、②だけであるという木村説はとりがたく、①+②だろうというのが私の理解です。
(引用終わり)
 
 これに引き続き、「そして、公明党北側一雄氏(副代表、与党協議における公明党の責任者)自身が、①+②説に立つことが6月4日の衆議院憲法審査会で明らかになったということを、6月9日のTBSラジオ「荻上チキ Session-22」に長谷部恭男早大教授とともにゲスト出演した木村草太氏が語っておられましたので(その後の長谷部恭男教授(早稲田大学)~TBSラジオと高知新聞インタビューから/2015年6月11日)、その動画を再視聴してみました。」と書いたとおり、木村草太氏自身、安保法案を提出した政府・与党の解釈は、自説と合致するものでなく、そうである以上、安保法案は憲法に違反するという意見に固まったのだろうというのが私の理解なのです。
 
 さて、長々と2年前の7.1閣議決定から昨年の安保法案に至る木村草太説を振り返ったのは、来月(10月29日)、木村さんが和歌山市で初めて講演されることになり、そのご案内をしようと思うにつけても、私が木村草太氏講演会の紹介記事を書く以上、単なるマスメディアによく登場する有名な若手憲法研究者の講演会がありますよ、というだけでは私自身が物足りない。2年前からフォローしてきた木村草太説について触れない訳にはいかないだろうと思ったからです。もっとも、こんな細かな学説やそれに対する批判など、誰も興味ないかもしれませんけどね。
 
 ただし、以下に引用する10月22日の講演会チラシの講師紹介にあるとおり、木村草太さんは、集団的自衛権や安保法案についての見解を論考として発表されており(『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社、2015年)、『検証・安保法案 どこが憲法違反か』(長谷部恭男編著、有斐閣、2015年)など)、その学説を批判しようというのであれば、本来それらの著作に目を通すことが最低限の礼儀でしょうが、とてもそんな時間もなければ意欲もなく、これらの著作を読めていないことをお断りしておきます。

 
 
 そもそも、憲法研究者でも何でもない私が、ある意味非常に刺激的な木村草太説をめぐってあれこれ考え続けたのは、木村説を触媒として、7.1閣議決定や安保法案の理解を少しでも進めたいという意識に促されてのことであったと、振り返ってみればそう思われます。
 結果として、木村説を支持することはできませんでしたが、私の安保法案理解が自分なりに相当進んだことは間違いありません。そういう意味から、木村草太さんには心から感謝しているのです。
 
 さて、その木村草太さん(首都大学東京教授~今年の4月から教授です~)の初の(のはずです)和歌山市での講演会です。主催者である和歌山県保険医協会事務局からチラシのデータをお送りいただきましたので、その内容をご紹介します。
 チラシに書かれた「立憲主義諸国の憲法との比較、今の憲法ができた沿革などをお話いただきます。」が、どの程度当日の講演で実現するかは「行ってみないと分からない」のですが(講演会というのはそういうものです)、そのとおりの内容が講演の柱となっていれば、大いに期待したいですね。
 速報的に私のFacebookタイムラインにこの講演会開催のニュースを伝えたところ、非常に反響がありましたので、プラザホープ4階ホールが溢れるのではないか?と本気で心配しています。
 
チラシ文字情報から引用開始)
和歌山県保険医協会 第39回定期総会 記念講演
「テレビが伝えない憲法のはなし」
~今起きていることを、憲法学者はどのように捉えるか~
 
とき 2016年10月29日(土)午後4時~6時
ところ プラザホープ4Fホール
       和歌山ビッグホエール北隣
        和歌山市北出島1丁目5番47号 【TEL】073-425-3335
参加費 無料
 
講師 木村草太先生首都大学東京 都市教養学部法学系教授)
1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒、同大大学院法学政治学研究科助手、首都大学東京 都市教養学部法学系准教授を経て、今年4月から教授に。専攻は憲法学。
著書に『憲法の急所――権利論を組み立てる』(羽鳥書店、2011年)『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書、2012年)『憲法の創造力』(NHK 出版、2013年)『テレビが伝えない憲法の話』(PHP 新書、2014年)。
共著には、『憲法学の現代的論点(第2版)』(有斐閣、2009年)、『憲法学再入門』(有斐閣、2014年)、『未完の憲法』(奥平康弘共著、潮出版社、2014年)、『「学問」はこんなにおもしろい!――憲法・経済・商い・ウナギ』(講談社、2014年)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸共著、NHK 出版新書、2015年)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(國分功一郎共著、晶文社、2015年)、『検証・安保法案 どこが憲法違反か』(有斐閣、2015年)、『ぼくらは未来にどうこたえるか』(大澤真幸小野善康中島岳志共著、左右社、2016年)がある。
 
 「改憲に積極的な国会議員が、衆参両院で3分の2を占めるに至った」という報道もあり、憲法について注目が集まっています。
 もっとも、それぞれの政党で、どこをどう改正するか主張は異なっており、また、改憲反対とされる政党にも、憲法改正に前向きな議員がいます。
 今なされている憲法論議を追うには、「改憲勢力」や「護憲派」といった大ざっぱなくくりではなく、それぞれの論者の主張を丁寧に分析することが必要でしょう。
 そのためには、憲法立憲主義について、明快な理解が必要です。
 今回、報道ステーションに出演されておられた若き憲法学者の木村草太先生(首都大学東京教授)をお招きして、立憲主義諸国の憲法との比較、今の憲法ができた沿革などをお話いただきます。
 この機会に憲法について理解を深め、今起きていることをどう捉えたら良いのかを一緒に考えてみませんか。
 
主催 和歌山県保険医協会
     〒640-8157 和歌山市八番丁11番地 日本生命和歌山八番丁ビル8F
       電話:073-436-3766 FAX:073-436-4827
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年7月22日
「閣議決定」についての木村草太氏の見解に耳を傾ける(ビデオニュース・ドットコム)
2014年10月28日
7月1日閣議決定についての木村草太氏の解釈には無理がある
2015年4月1日
木村草太氏の那覇市での講演動画の視聴をお勧めします(3/31)
2015年5月25日
「哲学と憲法学で読み解く民主主義と立憲主義」(國分功一郎氏&木村草太氏)を読む

2015年6月13日
あらためて「存立危機事態」の解釈を問う~木村草太説と公明党(北側一雄氏)の認識

2016年3月31日
開催予告5/14「憲法という希望~対談:木村草太×国谷裕子」(大阪弁護士会)
 
 

(付録)
『灰色の街』 作詞・作曲:長野たかし 演奏:長野たかし&森川あやこ
 

木村草太チラシ 

予告10/20北村肇氏講演会「安倍政権の暴走を止める「平和な武器」~すべてのメディアに求められるもの~」(日本機関紙協会和歌山県本部)

 今晩(2016年8月31日)配信した「メルマガ金原No.2555」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
予告10/20北村肇氏講演会「安倍政権の暴走を止める「平和な武器」~すべてのメディアに求められるもの~」(日本機関紙協会和歌山県本部)

 昨日は大阪での講演会(岸井成格さんと藤原節男さん)のご紹介でしたが、今日は、10月に和歌山市で行われる講演会のご案内です。
 日本機関紙協会和歌山県本部の中北幸次さんから、同本部第40回総会記念講演の講師として、「週刊金曜日」発行人である北村肇(きたむらはじめ)さんをお招きすることになったということで、チラシのデータをお送りいただきました。
 昨日ご紹介した岸井成格(きしいしげただ)さん講演会を企画した皆さんも、そして北村肇さんに講演していただこうと企画した日本機関紙協会和歌山県本部の皆さんも、「報道の自由とメディアの役割」について、非常に強い危機感を抱き、それぞれの講演会を開催しようと考えられたのだと推測します。
 10月20日、是非多くの方に北村さんのお話に耳を傾けていただければと思います。・・・と書いてから言うのも何ですが、会場の和歌山県教育会館4階大会議室って、どれだけの人を収容できますかね?
私もこの会場で憲法学習会の講師を頼まれたことがありますけど、あの時は参加者、少なかったしなあ。まあ、テーブルを入れず、椅子だけ並べればかなり収容できるかもしれませんが。
 それでは、チラシ記載情報を転記します(一部、私が補充した部分もあります)。
 
チラシ文字情報から引用開始)
日本機関紙協会和歌山県本部第40回総会記念講演
安倍政権の暴走を止める「平和な武器」
~すべてのメディアに求められるもの~
講師/北村 肇
氏(「週刊金曜日」発行人)
 
北村肇(きたむらはじめ)氏プロフィール
1952年東京生まれ。
74年『毎日新聞社』入社、社会部デスク、『サンデー毎日』編集長、社長室委員などを歴任。その間、95年8月から2年間、新聞労連委員長を務める。04年1月退職、同2月『週刊金曜日』編集長就任、
10年9月より同誌発行人。
著書は『新聞新生』(現代人文社)、『これでいいのか!日本のメディア』(共著、あけび書房)、『新聞記事が「わかる」技術』(講談社現代新書)、『腐敗したメディア』(現代人文社)、『新聞記者をやめたくなったときの本』(同)など
 
露骨に憲法「改正」を狙う安倍暴走政権に対峙する今、スポンサーを持たない『週刊金曜日』発行人の北村肇氏を招き、ジャーナリストは、メディアは何をなすべきなのか、存分に語っていただきます。
 
日時 2016年10月20日(木)午後7時から
会場 和歌山県教育会館(和教組)4階大会議室
      和歌山市松原通3-20 
 
●参加費は無料です。
●どなたでもご参加していただけます。
●午後6時から上記会場で日本機関紙協会和歌山県本部の総会を開催しますので、会員以外の方は10分前にご入場ください。
 
主催/日本機関紙協会和歌山県本部
      和歌山市九番丁5 和歌山市教育会館1階
お問合せ/090-8826-5664(中北)
(引用終わり)
 
 中北幸次さんから私宛のメールによると、「『週刊金曜日』の発行人北村肇氏は、1996年当時、新聞労連の委員長をしておられ、同時に機関紙協会の理事長でもありました。ちょうど20年前、機関紙協会和歌山県本部第20回総会の記念講演に来ていただきましたが、今回20年ぶり、第40回総会の記念講演の講師としてきていただくことになりました。」とのことです。
 20年ぶりですか。私は、弁護士になってまだ8年目。その間、色々なことがありましたね。皆さんもそう
でしょうけど。そして、日本というこの国にも。
 
 実は、申し訳ないことながら、私自身、北村さんがお話される姿は、チャンネル桜にゲスト出演された映像を動画サイトで視聴したことがあるだけなので、10月の機関紙協会での講演会(今のところ、多分参加できると思います)が楽しみなのですが、その予習の意味もかねて、今年の3月6日、さいたま市木公民館で行われた北村肇さん講演会の冒頭20分の動画がYouTubeにアップされていましたので、これをご紹介しようと思います。少し早口で、けれど一定のリズム感をもって話をされる方のようです。このリズムに慣れていれば、実際の講演の内容も、より明瞭に頭に入りやすいと思いますよ。
 
2016.3.6 北村肇講演会 at 大宮(週刊金曜日 友の会 大宮)(19分59秒)
 

YouTube週刊金曜日ちゃんねる」より)
 「週刊金曜日」の公式YouTubeチャンネルでは、現編集長・平井康嗣さんが、出たばかりの「週刊金曜日」の内容を紹介し、販売促進につなげよう(?)ということだったかもしれないのですが、6月24日発売号の特集「創価学会共産党」がアップされて以降、更新が途絶えています。忙しくてYouTubeどころではないのかもしれません。
 ただ、過去にアップされた動画リストを眺めてみると、なかなか興味深そうなものもあったりします。
 一例として、5月27日発売号「日本会議」特集を取り上げた回での、ゲスト・鈴木邦夫さんと平井編集長との対談(前後編となっています)をご紹介します。これは、9月29日(木)にプラザホープで開かれる俵義文さん講演会「日本会議のすべて~安倍政権を支える草の根「改憲」のうごき~」の予習になるかもしれません。
特集「日本会議鈴木邦男さんにきく日本会議(前編)(14分33秒

特集「日本会議鈴木邦男さんにきく日本会議(後編)(11分36秒)
 

北村肇チラシ 

報道の自由とは何か(9/13)岸井成格氏講演会@大阪大学会館のご紹介(付/6・9「安倍政権と報道の自由」集会アピール)

 今晩(2016年8月30日)配信した「メルマガ金原No.2554」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
報道の自由とは何か(9/13)岸井成格氏講演会@大阪大学会館のご紹介(付/6・9「安倍政権と報道の自由」集会アピール)

 昨日は、久々に「国分寺まつり出店拒否事件に対する東京弁護士会の「人権救済申立事件について(要望)」(8/17)を読む」という大作(?)を仕上げ(と言っても大半が引用ですが)、いささか疲れが残っている上に、今夜は、和歌山弁護士会高齢者・障害者支援センターの研修会に出席していたりしましたので、通常ペースの「行事案内」をお送りすることにします。
 今日の夕方、Facebookには先行してチラシ情報をお知らせした大阪府豊中市大阪大学会館を会場とした講演会のご案内です。
 
 昨年の春から夏にかけて、全国の様々な大学で安保法案の廃止を訴える有志の会の結成が相次ぎ、中には、学部に在籍、大学院に在籍、現在勤務中という3つの大学の有志の会の呼びかけ人や賛同者を兼ねた人もいたりして(私の周りにもいましたね)、そういう私自身、自分が卒業した大阪市立大学有志の会(安保法制成立後の名称は「違憲安全保障法に反対する大阪市立大学有志の会(略称:反安市大)」)の賛同者となった上に、単に附属中学校の卒業生であるというだけの縁にもかかわらず、和歌山大学有志の会(現在は「安全保障関連法制の廃止を求める和歌山大学有志の会(WAASA)」)の賛同者に名前を連ねてもいました。
 
 その「違憲安全保障法に反対する大阪市立大学有志の会(反安市大)」からは、定期的に企画のご案内などをメールで送っていただいているのですが、本日(8月30日)の昼間に届いたメールには、非常に魅力的な企画が案内されていました。
 間もなく、憲法違反の安保法制が成立した「あの日」(2015年9月19日)から1年が経過しようとしています。おそらく全国各地では、「あの日」を忘れないための様々な企画が実施されるものと思いますが、この講演会も、「関西各大学の安保法反対有志の会共催による」(今日届いたメールによる)「あの日」のための企画でしょう。
 もっとも、実質的には「関西各大学の安保法反対有志の会共催」なのでしょうが、形式的には「岸井成格講演会実行委員会」となっていますし、チラシ裏面に記載された協賛団体一覧を眺めてみると、「関西」というより「京阪神」と言った方が適切な気がしますけどね(「天理大学教員有志」も含まれていますが)。
 それはさておき、そう、今回の企画のメインゲストは岸井成格(きしい・しげただ)さんなのです。さらに、和歌山県みなべ町の出身で、原子力安全基盤機構(JNES)在職中に公益通報を行いながら無視されて3.11を迎えたという藤原節男さんの講演もあるということで、非常に興味深い盛り沢山な企画です。
 もっとも、最大の問題は、開催が9月13日(火)という平日の午後ということで、平日に仕事をしている者は参加できない(実は私もそうです)ということです。ただ、資料代1,000円ながら、学生・大学院院生は無料ということであり、この時期ならまだ夏期休暇中の学生も多いでしょうから、是非多くの学生の皆さんに参加して欲しいですね。
 
 それでは、以下に、チラシ及び今回の講演会の案内が掲載されたホームページの情報を適当に混ぜ合わせて(?)開催概要をご紹介します。
 チラシ 
※講演会参加申込みはこのホームページからお願いします。
 
(開催概要)
報道の自由とは何か
民主主義の危機に対し今私たち市民は何ができるのか
 
日時 2016年9月13日(火曜日)
   13:30~17:00(開場13:00)
会場:大阪大学会館講堂

    大阪府豊中市待兼山町1-13
     阪急宝塚線石橋駅」より徒歩約15分
     大阪モノレール柴原駅」から徒歩約20分(大阪大学正門経由)

総合司会:木戸衛一氏(大阪大学
 開会の辞 13:30~13:40
第一部講演 「原発報道の虚偽と真実」
 講師:藤原節男氏 13:45~14:25
第二部講演 「安倍政権と報道の自由
 講師:岸井成格氏 14:35~15:45
第三部 岸井さんと市民とのトークセッション 16:00~17:00
 
主催:岸井成格講演会実行委員会
共催:大阪大学大学院国際公共政策研究科
お問い合わせ:木戸衛一(大阪大学
  メールアドレス〈
ekido@osipp.osaka-u.ac.jp
  TEL〈 06-6850-5628 〉   
資料代:1.000円(学生・大学院生は無料)
講演会お申込み受付はこちら
 
http://houdo-jiyu.jimdo.com/
 
<岸井 成格(きしい しげただ)氏略歴>
 1944年、東京都出身。毎日新聞社特別編集委員、TBS特別コメンテーター。
1967慶應義塾大学法学部法律学科卒業。同年4月、毎日新聞社に記者として入社。西部本社熊本支局を経て、1970年、東京本社政治部に異動。首相官邸、文部省、防衛庁自民党、野党各記者クラブを担当する。1980年、東京本社外信部に異動。1981年からワシントン特派員となり、1984年に帰国。東京本社出版局のサンデー毎日編集部へ異動。1985年、再び政治部へ異動し、首相官邸自民党・野党各記者クラブのキャップを担当。1986年、政治部副部長。1991年、編集委員論説委員を兼任。1993年、社長室委員、政治部長を歴任。その後、編集局次長、1998年に論説委員長、1999年 東京本社編集局編集委員(役員待遇)。2004年4月、特別編集委員。2010年6月、主筆。2013年4月、再び特別編集委員
 論説委員就任以降、主に同じメディアグループで放送されている朝の情報番組やニュース番組のコメンテーターとして番組出演していたが、特別編集委員への再就任に連動して、『NEWS23』(TBSテレビ)のキャスターに就任が発表される。
 
<藤原 節男(ふじわら せつお)氏略歴>
 1949年、和歌山県みなべ町出身。1972年、大阪大学工学部原子力工学科を卒業し、三菱原子力工業㈱入社。以後2000年まで、玄海、大飯、伊方、川内、敦賀などのプロジェクトに参加。2000年~2005年、日本原子力研究所東海研究所エネルギーシステム研究部将来型炉研究グループで、低減速軽水炉(低減速スペクトル炉)技術実証炉研究開発プロジェクト担当。2005年~2010年、独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)検査業務部に在籍、加圧水型原子力発電所(PWR)、沸騰水型原子力発電所(BWR)の定期検査、定期安全管理審査、溶接安全管理審査等に検査員、審査員として従事。
 2009年3月、原子力安全基盤機構(JNES)での「泊3号機使用前検査での記録改ざん命令」に対し、隠蔽に加担できないとして2010年8月に公益通報を行った。
 
<木戸 衛一(きど えいいち)氏略歴>
 大阪大学大学院国際公共政策研究科教員。専攻はドイツ現代政治・平和研究。1957年千葉県柏市生まれ。1981年東京外国語大学ドイツ語学科卒業。1988年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。ベルリン自由大学で学位取得。2000年~01年ライプツィヒ大学客員教授。主な著作に『平和研究入門』(編著、大阪大学出版会、2014年)、『変容するドイツ政治社会と左翼党』(耕文社、2015年)。
(開催概要終わり)
 
 岸井成格さんによる講演「安倍政権と報道の自由」といえば、今年の6月9日、参議院議員会館講堂において、改憲問題対策法律家6団体連絡会が主催した同タイトルの講演会を思い出しますので、9月13日の講演は、その「関西版」という位置付けなのかもしれません。ということもあり、最後に、6月9日の集会で採択されたアピールをご紹介しておきます。
 
6・9「安倍政権と報道の自由」集会アピール
(引用開始)
 今、日本のメディアをめぐる状況は、深刻な危機に陥っています。
 2014年11月のTBS「NEWS23」街頭インタビューに対する安倍首相発言、同年12月の衆議院選挙を前に行われた自民党によるNHK民法各局に対する「公正中立」報道の要請書送付、2015年5月の自民党によるNHKテレビ朝日経営幹部聴取問題、同年6月の沖縄2紙への自民党議員らによる暴言、そして今年2月の高市総務大臣の電波停止発言など、与党・政権によるメディアへの直接・間接の介入攻撃事例は後を絶ちません。国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)が今年5月暫定の調査結果を発表し、日本のメディアの独立が深刻な脅威に直面していると警告していますし、「国境なき記者団」は、2016年の「報道の自由度ランキング」で日本は前年より順位が11下がって72位だと発表しています。
 とりわけ、政府が、放送内容に関する倫理的規定である「政治的に公平であること」(放送法4条1項2号)を持ち出し、あたかもこれが法的拘束力を持つかのように喧伝し、しかもこれに違反した場合には電波停止を発動する権限があることを正面から主張したことは看過できない問題です。「政治的に公平」か否かを政治権力が判断することがあってはなりません。こうした動きは放送局に対する威嚇や恫喝にほかならず、政権を批判する放送の制作・編集に対して強い萎縮効果を狙ったものと言わざるを得ません。
 これら一連の報道の自由の危機は、憲法違反の秘密保護法や安保法制の制定、自民党などのもくろむ明文改憲の動き、「戦争する国づくり」と切り離して見ることはできません。報道の自由と国民の知る権利の保障(憲法21条)は、政治的言論を活性化させ民主主義の基盤であると同時に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ための不可欠な前提であるからです。
 本日の集会では、これまでTBS「NEWS23」のアンカーを務めてこられた岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員)の講演により、与党・安倍政権によるメディアへの介入・攻撃がいかに組織的でかつ巧妙であるかを知るとともに、こうした権力の腐敗や濫用を監視し、暴走を食い止めることこそがジャーナリズムの本来の使命であり、戦前の言論抑圧の教訓であることをあらためて確認することができました。
 そして、権力からの介入・攻撃に対して、すべてのメディアが連帯してこれを跳ね返すことが大切であり、そしてなによりも、メディアと主権者たる市民とが共同して反対の声を挙げる運動が重要であることも学ぶことができました。私たちは報道内容に対してより敏感に応答する必要があります。「各報道番組への市民からの激励のことばが、どれだけ報道現場に生きる制作者たちを勇気づけることになるか」—――メディアを真に信頼に足るものとするためには、市民の側からのメディアへの積極的な関わり、共に歩む姿勢が求められていることを忘れてはなりません。報道機関の自律性を保障するためには、市民からの信頼と期待が不可欠です。
 改憲が争点となる参議院選挙を1か月後に控え、安倍政権によるメディアへの介入とメディア側の一層の「自粛」がとりわけ懸念される中、私たち市民は今後とも、権力を監視し権力の暴走をくいとめるメディアを応援し、メディアに携わる人々と連帯して憲法の保障する報道の自由を守り抜いていくことをあらためて誓います。
 
2016年6月9日
 
「6.9安倍政権と報道の自由」集会参加者一同
 
主催団体 改憲問題対策法律家6団体連絡会
構成団体
 社会文化法律センター
 自由法曹団
 青年法律家協会弁護士学者合同部会
 日本国際法律家協会
 日本反核法律家協会
 日本民主法律家協会
(引用終わり) 
 

(付録)
『勇気をだして』 演奏:長野たかし&森川あやこ
  

岸井成格チラシ表岸井成格チラシ裏

国分寺まつり出店拒否事件に対する東京弁護士会の「人権救済申立事件について(要望)」(8/17)を読む

 今晩(2016年8月29日)配信した「メルマガ金原No.2553」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
国分寺まつり出店拒否事件に対する東京弁護士会の「人権救済申立事件について(要望)」(8/17)を読む

 日本には、全部で52の弁護士会があります(全国組織の日本弁護士連合会は除く)。47でないのは、北海道に地方裁判所が4つある(札幌、函館、旭川、釧路)ことに対応して弁護士会も4つあり、歴史的経緯から東京に3会(東京、第一東京、第二東京)あるからです。
 そして、全ての弁護士会及び日弁連には人権擁護委員会が設置され、人権救済の申立てを受け付けており、調査の結果、人権侵害の事実を認定した場合には、要望、勧告、警告等の措置を執ることになります。
 人権擁護委員会による措置は、法的な強制力は持ちませんが、司法の一翼を担う弁護士会の法的な判断として一定の影響力を持ち得ます。
 
 今日は、東京弁護士会に対して人権救済が申し立てられていた、いわゆる「国分寺まつり出店拒否事件」について、同会が本年8月17日付で執行した「国分寺市」及び「第33回国分寺まつり実行委員会」宛の各「要望」についてご紹介しようと思います。
 私自身、まだ2通の要望書にざっと目を通しただけであり、詳細な検討をするだけの余裕は持てていま
せん。
 従って、今日のところは、皆さんに「国分寺まつり出店拒否事件」の存在を知っていただくこと、これに対する東京弁護士会人権擁護委員会)による「人権侵害にあたる」との判断に出来れば目を通し、問題の所在に思いを巡らしていただきたいとお願いするにとどめたいと思います。
 とはいうものの、末尾に若干の感想は書かせていただこうと思いますが。
 
 まず、本件をめぐる東京弁護士会への人権救済申立て、及び今回の同弁護士会による措置(要望)とその後の状況を伝えた報道を引用します。
 
東京新聞 2015年12月25日 朝刊
国分寺まつり出店拒否 3団体が救済申し立て 「護憲、反原発に差別的扱い」

(抜粋引用開始)
 東京都国分寺市で毎秋、開かれている「国分寺まつり」への出店を拒否された市民団体「国分寺九条の会」など三団体が二十四日、「特定の思想信条に基づき差別的取り扱いを受け、市民参加の機会を奪われ
た」などとして、東京弁護士会に人権救済を申し立てた。(萩原誠
 二〇一三年まで毎年、参加が認められていた三団体は「内容が政治的意味合いを持つ」と一四、一五年
と二年連続で拒否されており、来年以降は認めるよう求めている。
 申し立てたのは、九条の会と、原発関連の勉強会などを開催している「Bye-Bye原発国分寺
会」と「ちょっと待って原発の会」で、いずれも国分寺市民でつくる団体。「公共の場のまつりへの出店拒否は、憲法で定めた表現の自由や平等権の侵害に当たる」などと主張している。
 まつりは市が事務局で、市民らでつくる実行委の主催。九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye-Bye」は一一年、「ちょっと待って」は一二年から
参加し、東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。
 一四年、まつり出店者の募集要項に「政治的・宗教的な意味合いのある出店」は参加を断る旨の条件が
加えられた。実行委は同年以降、この要項を根拠に、三団体の参加を拒否している。
(略)
 まつり実行委事務局の市文化と人権課の宮本学課長は「実行委の役員会が、市民の親睦の場に、賛否があるものが参加するのは好ましくないと決定した」とした上で、申し立てについては「内容を確認してい
ないのでコメントできない」と話した。
(引用終わり)
 
※参考動画 国分寺まつり人権救済申立て」記者会見 20151224(55分29秒)
 

朝日新聞デジタル 2016年8月26日01時29分
まつり参加拒否、弁護士会が撤回求める 東京・国分寺

(引用開始)
 東京都国分寺市内で開催される「国分寺まつり」への参加を市民団体に認めなかったのは、表現の自由の侵害に当たるとして、東京弁護士会は25日までに同市とまつりの実行委員会に対し、参加を拒否しな
いよう要望書を出した。団体は25日、記者会見を開き、今年のまつりには参加させるよう求めた。
 参加を拒否されたのは「国分寺9条の会」「ちょっと待って原発の会」「Bye―Bye原発国分寺
の会」の3団体。
 例年11月に開催される国分寺まつりに参加し、憲法9条原発事故を考えるパネル展示などを行っていた。だが2014年と昨年の2回にわたり、内容が「政治的な意味合いを持つ」などとして市内の団体などでつくる実行委に参加を拒否された。このため昨年12月、東京弁護士会に人権救済を申し立ててい
た。
 弁護士会人権擁護委員会での調査を経て、参加が認められないのは「表現の自由の行使が妨げられたことになる」と指摘。「政治的な意味合い」という理由に「合理性はない」とした。市に対しては、実行
委に補助金を出していることなどから「適切な関与をすることが要請される」と求めた。
 3団体の代理人、梓澤和幸弁護士は「市民が広く社会に主張を伝えるための機会について、市は表現の
自由を実現すべき公的責任がある」としている。
 国分寺市の宮本学・文化と人権課長は「要望書は受け取っているが、今の段階でコメントはできない」
としている。
(引用終わり)
 
毎日新聞 2016年8月26日 地方版〔都内版〕
国分寺まつり 「今年こそ参加を」 護憲など3団体「政治的」と拒否され

(抜粋引用開始)
(略)
 3団体は昨年末、人権救済の申し立てを行い、東京弁護士会が今月18日、まつりへの参加を認めるよ
う求める文書を実行委と市側に送付した。これに対し、今年も参加を認めない旨の実行委員長名の通知が
23日に3団体に届いた。
 記者会見した「国分寺9条の会」代表の増島高敬さん(76)は「まつりは公共の空間であり、表現の
自由は保障されるべきだ。ぜひ参加させてほしい」と話している。一方、まつり実行委事務局の同市文化と人権課は「実行委の役員会で決まったことであり、現段階では今年も参加を拒否する方針」としている
(引用終わり)
 
NPJ通信 2016年8月25日
国分寺まつり出店拒否事件~表現の自由を侵害したと東京弁護士会が認定~
寄稿:大城 聡(弁護士)

(抜粋引用開始)
(略)
今年11月開催の国分寺まつりへの出店等について
 「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」、「Bye-Bye原発/国分寺の会」の3団体は、8月23日、
今年11月開催の第33回国分寺まつりに関して出店拒否の通知を受け取りました。国分寺市に問い合わせたところ、出店拒否を決定した実行委員会は、東京弁護士会の調査結果(要望)を受け取る前の8月17日に開催
されたとのことです。
 この状況を受けて、出店を拒否された「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」、「Bye-Bye原
発/国分寺の会」の3団体は、8月25日に記者会見を開き、国分寺市及び実行委員会に対し、東京弁護士会からの要望に基づき、再考の上、第33回国分寺まつりにおける3団体の出店を認めるべきことを強く求めています。
 東京弁護士会からの要望を真摯に受入れ、市民が自由に参加できる本来の国分寺まつりに戻すかどうか
国分寺市と実行委員会の判断に注目したいと思います。
(引用終わり)
 
 さて、本件人権救済申立事件について、東京弁護士会では2件の事件番号を付して受理しています。「東弁28人第198号」が国分寺まつりの主催団体である実行委員会を被申立人とするもの、「東弁28人第199号」が国分寺市を被申立人とするものであり、今回、いずれについても「要望」という措置がなされました。
 東京弁護士会のホームページに、両事件についての「人権救済申立事件について(要望)」が、固有名詞を匿名化した上で掲載されています。
 その内の結論部分にあたる「要望の趣旨」、及びその結論を導いた「要望の理由」の中核部分である「人権侵害性」を判断した部分を、やや長文となりますが、引用したいと思います。
 
【東弁28人第198号 被申立人 第33回国分寺まつり実行委員会】
(抜粋引用開始)
第一 要望の趣旨
 第31回及び第32回国分寺まつりにおいて、「国分寺9条の会」が出店の申込みを、「ちょっと待って原
発の会」及び「Bye-Bye 原発国分寺の会」がイベント参加の申込みを行ったことに対し、各回の国分寺まつり実行委員会が、「政治的な意味合いを持つ」との理由で出店、イベント参加を認めなかったことは、これらの団体に所属する申立人らの表現の自由を侵害するものでした。
 よって、貴実行委員会に対して、今後は、申込みがあった者につき、「政治的な意味合いを持つ」との
理由で、出店やイベント参加を拒むことのないよう、要望致します。
 
第二 要望の理由
二 人権侵害性
1 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会

(一)両実行委員会の性格
 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会(以下「両実行委員会」という。)は、市の市長の説明によれ
ば市民によって構成される組織であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
 他方、両実行委員会は、それぞれの本件祭りの開催のために、市からそれぞれ金466万円の交付を受けている。また、実行委員会の事務局は市の庁舎内に設置され、事務局の事務は市職員が担っている。また、
本件祭りは、都の管理する公園を市が同市の費用で借り上げて実施するものである。
 これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律
を受けるものというべきである。
(二)申立人らの人権
(1)申立人らは、「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」または「Bye-Bye 原発国分寺の会」
という名称でグループを作り、第31回及び第32回の本件祭りに参加しようとした者である。
(2)「国分寺9条の会」は、2004(平成16)年に大江健三郎らが発した「日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。」との「九条の会アピール」に賛同することを会員の唯一の条件として人びとが集まった団体であり、同会に属する者は、駅前での宣伝活動や毎月のニュースの発行などをしてきたものであって、
会の存在とその活動をより多くの市民に認知してもらうために本件祭りに参加してきた。
 かような動機によって本件祭りに参加することは、日本国憲法を守るという自身の見解を広める活動で
あり、かかる活動は表現の自由として憲法21条によって保障されている。
(3)「ちょっと待って原発の会」は、1986(昭和61)年4月のチェルノブイリ原発事故の後に設立された市
民グループであり、原子力発電の危険性を多くの市民に伝えること等を目的に勉強会や集会を開き、活動をしてきた。
 同会に属する者は、日頃の学習の結果を多くの市民に伝えて意見交換をするために本件祭りに参加して
きた。
 かような動機による本件祭りへの参加は、原子力発電は危険であるとの自身の見解を広め、また意見交
換をするという活動であり、かかる活動も表現の自由として憲法21条によって保障されている。
(4)「Bye-Bye 原発国分寺の会」は、福島第一原発の事故後の2011(平成23)年6月に結成した市民団体であり、原子力発電をなくして自然エネルギーによる電力供給の実現を目指し、定例会で情報交換をした
り、脱原発を呼びかけるチラシを作成し駅前で配布したりする等の活動を行なっている。
 同会に属する者は、自身の集めた情報をパネルにまとめて展示し、市民に広く伝え、交流するために本
件祭りに参加してきた。
 かような動機による本件祭りへの参加は、原子力発電をなくし自然エネルギーによる電力供給を実現しようという自身の見解を広める活動であり、かかる活動も表現の自由として憲法21条によって保障されて
いる。
(三)出店等が認められなかったことの人権侵害性
(1)申立人らは、第31回及び第32回の本件祭りへの出店等の申込みを行ったが、それぞれの実行委員会は、
これを認めなかった。
 申立人らが本件祭りにおいて活動することが、申立人らの表現の自由として保障されることは(二)で述べた通りであり、よって、本件祭りに出店等ができなくなったことは、申立人らの表現の自由の行使が妨
げられたことになる。
 かように表現の自由の行使が妨げられたことが申立人らに対する人権侵害といえるかにつき、以下検討
する。
(2)表現の自由は、思想及び情報の自由な伝達並びに交流を促進するものであるところ、これらの伝達及び交流は民主的な社会を維持発展させるために不可欠であり、よって、何らかの理由により表現の自由に対
して制約が課されることがあったとしてもその制約は必要最小限のものでなければならない。
 本件は、公園という公共施設における表現行為が問題となっており、かような事案の場合、規制の必要最小限性をどう考えるかについては、集会の自由に関して公共施設の利用拒否の合憲性が問題となった最
3小判1995(平成7)年3月7日(民集49巻3号687頁)の判示が参考になる。同判決は「集会の用に供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点からみて利用を不相当とする事由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られる」としている。
 かかる判旨をふまえれば、申立人らの出店等を拒みうるのは、他の者の基本的人権が侵害される危険が
ある場合に限られるというべきである。
(3)一3の認定のとおり、両実行委員会が申立人らの出店等を認めなかった理由は、「政治的な意味合いを
持つ」との一事である。
 しかし、いうまでもなく、出店等が「政治的な意味合いを持つ」からといって他の基本的人権を侵害す
ることにはならないのであり、よって、両実行委員会が出店等を認めない理由にはなんら合理性はない。
(4)なお念のため、現実に、申立人らの出店等により他の者の基本的人権を侵害する危険があるかを検討す
る。
 「国分寺9条の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)(2)のとおり、会の存在
およびその活動をより多くの市民に認知してもらうことである。
 また、「ちょっと待って原発の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)(3)の
とおり、日頃の自身の学習の結果を多くの市民に伝えて意見交換をするためである。
 そして、「Bye-Bye 原発国分寺の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)
(4)のとおり、自身の集めた情報をパネルにまとめて展示し、市民に広く伝え、交流するためである。
 これらからは、何ら他の者の基本的人権を侵害する危険性は看取されない。
 また、申立人らのこれまでの出店等において何らかの問題が発生したことは証拠上全く認められず、ま
た、申立人らの出店等を問題とした市議会総務委員会の議論においても、申立人らがこれまでの出店等において他の者の基本的人権を侵害するような行動をしたとは全く述べられていない。
 これらの事情をふまえると、申立人らの出店等により他の基本的人権を侵害する危険があるとは到底言
えない。
(5)そうであるとすると、両実行委員会は、何ら合理的理由なく申立人らの第31回及び第32回の本件祭りへの出店等を拒んだのであり、両実行委員会のこれらの行為は、申立人らの表現の自由を侵害したものとい
わざるを得ない。
(引用終わり)
 
【東弁28人第199号 被申立人 国分寺市】
(抜粋引用開始)
第一 要望の趣旨
 第31回及び第32回国分寺まつりにおいて、「国分寺9条の会」が出店の申込みを、「ちょっと待って原
発の会」及び「Bye-Bye 原発国分寺の会」がイベント参加の申込みを行ったことに対し、各回の国分寺まつり実行委員会が、「政治的な意味合いを持つ」との理由で出店、イベント参加を認めなかったことにつき、貴市が、これを黙認するだけでなく、漫然と市報に出店の広告を掲載して、両実行委員会の判断を助長したことは、これらの団体に所属する申立人らの表現の自由を侵害するものでした。
 そこで、貴市におかれては、今後は、国分寺まつり実行委員会に対し、「政治的な意味合いを持つ」との理由で、出店、イベント参加を拒むことのないよう適切に働きかけをするとともに、「政治的な意味合
いを持つ」との理由で出店、イベント参加が拒まれることがないことを、広く市民に広報されたく、要望致します。
 
第二 要望の理由
二 人権侵害性
1 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会の性格
 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会(以下「両実行委員会」という。)は、市民によって構成され
る組織であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
 他方、両実行委員会は、それぞれの本件祭りの開催のために、市からそれぞれ金466万円の交付を受けている。また、実行委員会の事務局は市の庁舎内に設置され、事務局の事務は市職員が担っている。また、
本件祭りは、都の管理する公園を市が同市の費用で借り上げて実施するものである。
 これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律
を受けるものというべきである。
2 市の人権侵害性の有無
(1)市は、両実行委員会にそれぞれ466万円の補助金を交付し、また、実行委員会の事務局を庁舎内に設置
し、事務局の事務を市職員に担わせている。
 また、本件祭りは、都の管理する公園を相手方市が同市の費用で借り上げて実施しているものである。
 かように市は、自身の強い関与によって本件祭りを実現させているのであり、かかる関与によって前述
1の如く実行委員会が公共性を帯びているのであるから、本件祭りの運営につき、挙げて実行委員会に任せて全く関知しないということは相当ではなく、実行委員会がその公共的役割を全うするよう関与することが市には求められるというべきである。
 とりわけ、本件祭りの空間は、市が主体的に関与をして市民の集まる場を作り出したものであり、一種のパブリック・フォーラムとして表現の自由の保障が強く及ぶ空間だというべきであるから、実行委員会
が市民の表現の自由を侵害することのないよう、市には適切な関与をすることが要請されるのである。
(2)かかる観点からいうと、第31回及び第32回の本件祭りにおいて、申立人らが出店等の申込みをしたのに対し、「政治的な意味合いを持つ」との理由で、これを認めなかった両実行委員会の行為については、申立人らの表現の自由を侵害するものであることが明らかなのであるから、そのパブリック・フォーラムを
実現した市としては、出店等を認めるよう両実行委員会に働きかけるべきであったといえる。
 更に言えば、そもそも市報に掲載された出店等の勧誘を行う広告に、「参加不可」の事由として、「政
治的な…意味合いのある出店である(こと)」を挙げていること自体、何ら合理的な理由なく出店等を制限するものであって、文面上表現の自由を侵害するものというべきであるから、かかる広告の文言(仮にそのような要綱があるのであればその要綱自体)を再考するよう実行委員会に働きかけるべきであったといえる。
(3)以上の次第であり、市は、両実行委員会が申立人らの第31回及び第32回本件祭りへの出店等を認めなかったことにつき、何の対応もせずに黙認し、それどころか、漫然と市報に広告の掲載をさせて両実行委員
会の判断を助長したものといえ、申立人らの人権を侵害したというべきである。
(引用終わり)
 
 各「要望書」のうち、引用しなかった「第二 要望の理由」「一 認定した事実」も、是非リンク先でお読みいただきたいと思います。この認定事実を踏まえた上で、人権侵害にあたるかどうかの判断が導かれたのですから。
 
 その「認定した事実」のうち、私の読み落としかもしれないのですが、このような事実も記載しておいて欲しかったということがあります。幸い、私の知りたかった事実は、東京新聞が記事の中で触れていました。
「(国分寺九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye-Bye(原発国分寺の会)」は一一年、「ちょっと待って(原発の会)」は一二年から参加し、
東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。」
 東京弁護士会人権擁護委員会)が、3団体が拒否されるようになる前年(2013年)の第30回国
分寺まつりに出店が認められていたことには触れながら、それ以前の参加実績にあえて触れなかったのは、もしかしたら意図的であったかもしれない(長年の参加実績が無かったとしても人権侵害になるのだという論理を貫くため)と思いつつ、やはり私としては、認定事実に含めて欲しかったですね。
 
 それから、引用した人権侵害性の判断について読むにあたり、法律家ならざる人にとって少し分かりにくいのは、以下の部分かもしれません。
 
これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律を受けるものというべきである。(下線は金原による)」(198号事件より)
 
 国分寺まつりのように、実行委員会形式をとりながら、実質的には地方公共団体が事務局を取り仕切っているところは、全国いたるところにありますが(我々が「九条連」を結成して長年出場を続けている和歌山市紀州おどりがまさにそうです)、そのような組織が「その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律を受ける」という部分は、実は「人権」とか「人権侵害」ということを考える上で、非常に基礎的かつ前提的な認識を明示した部分なのです。
 これは、近時ようやく国民の間に理解が広がりつつある「立憲主義」とも密接に関連することですが、「人権を侵害してはならない」という規範の名宛人は、何よりも国(及び地方公共団体等の公的組織)であるということです。もちろん、私人間における人権侵害が無いと言っている訳ではありませんが、まず第一義的に人権侵害が問題となるのは、国等の公的組織との関係においてなのです。
 
 そして、私としては、国分寺まつり実行委員会の公的性格を丁寧に認定した上で、東京弁護士会人権擁護委員会が、実行委員会による3団体に対する出店拒否を人権侵害と認定したその結論自体に異論はないのですが、はたしてその論理が、他の同種事案にも適用可能な普遍性を持つのかどうか、これから時間をかけて吟味しなければと思っています。
 私が、何故特にこの「国分寺まつり人権救済申立事件」について関心を持つのかについては、以下の私のブログから、末尾の部分を引用することで説明に代えたいと思います。
 
2016年7月23日
今年も「九条連」が紀州おどり(第48回 2016年8月6日)に参加します
(抜粋引用開始)
 様々な企画が生み出されても、始めたころの熱気がそのまま維持・発展していくケースは多くありません。大抵は、年を経るにつれて勢いを失い、やがて消滅に至るのが普通ですから、「九条連」とて例外で
はないと考えれば、いまさらじたばたしても始まらないのかもしれません。ただ私としては、「九条連」にここまで付き合った以上、最後まで見届ける責任があるだろうと思っています。
 ・・・というかなり悲観的な感想は、昨年の参加状況を踏まえてのものですが、ここに来て、「これが最後の九条連かもしれない」別の要因が浮上しつつあるようなのです。
 今のところ、この点に詳しく触れるだけの情報を私個人は持ち合わせていませんので、これ以上書く訳
にはいきませんが、2014年の憲法記念日に開催される憲法集会(講師:内田樹氏)の後援を求められた神戸市が、「憲法に関しては、『護憲』『改憲』それぞれ政治的な主張があり、憲法に関する集会そのものが、政治的中立性を損なう可能性がある」として後援不承諾としたこと、同年6月、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句が俳句教室会員の互選によって公民館報に載せる句に選ばれながら、公民館(さいたま市)が独断で掲載を中止したこと(この事件はその後、さいたま市を被告とする訴訟に発展)などが、決して対岸の火事などではないのだということを私たちは自覚する必要があります。
 現に、先の参院選の最中、「選挙に行こうよ」と街頭でアピールしていた女性たちに対し、和歌山県
が「集団示威行為であり、県条例に違反する」と警告したではありませんか(「選挙に行こう」と呼びかけることは集団示威運動か?~市民連合わかやま有志弁護士から和歌山県警に対する申入書(2016年7月1日)/2016年7月4日)。
 私たちは、「世界に誇る平和憲法9条を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないよう活動」すること
や、「平和な日本を築き上げてきた憲法9条に感謝しながら、力いっぱい踊」ることが出来て当たり前だと思ってきましたよね。
 そのような「当たり前」が「当たり前」でなくなりつつある世界に私たちは現に生きているのだということを認識した上で、一人一人が今年の「九条連」に参加するかどうを決めて欲しいと切に願っています。
(引用終わり)
 
 最後に付言すると、今年の8月6日に開催された第48回紀州おどりに、市民有志による「九条連」(憲法9条を守る和歌山弁護士の会と9条ネットわかやまによる共同呼びかけ)は、2005年以来11回目の出場を無事果たしました(2014年は荒天により中止)。参加者数も、危機バネが働いたからか、前年のほぼ倍の約80人が参加してくれました。
 弁護士9条の会が弁護士会に人権救済を申し立てる全国初の事例とならぬよう、今後とも、和歌山市国分寺市のような愚かな判断をせぬよう願っています。
 これが、私が「国分寺まつり人権救済申立事件」に注目する大きな理由の1つです。
 

(付録)
『めぐり逢い』 演奏:長野たかし&森川あやこ