wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

丹羽宇一郎氏が「歴史の節目の日」に発表する論考(東洋経済ONLINE)を読む~『戦争の大問題』その後

 2017年12月12日配信(予定)のメルマガ金原.No.3014を転載します。
 
丹羽宇一郎氏が「歴史の節目の日」に発表する論考(東洋経済ONLINE)を読む~『戦争の大問題』その後
 
 伊藤忠商事の社長、会長を歴任した後、民主党政権時代の2010年6月から2012年12月まで、中華人民共和国駐箚特命全権大使を務めた丹羽宇一郎(にわ・ういちろう/1939年1月生)は、大使退任後の2015年には、公益社団法人日本中国友好協会の代表理事会長に就任されています。
 
 また、今年の8月4日に東洋経済新報社から刊行した著書『戦争の大問題』が大きな反響を呼び、10月には赤旗の「焦点・論点」欄で大きく著者へのインタビューが取り上げられました(後に読んだのですが)。
 その一部を引用してみましょう。
 
(抜粋引用開始)
 最近の反中、嫌韓の世論も気になります。相手をバカにし、敵意を持てば、相手も同じ感情を持ちます。人は自分の鏡です。いくら相手をバカにしても、それで自分が立派になることはありません。一時的に留飲は下がりますが、自分自身の尊厳も下げます。
 お互いに共通することだけでなく、違っていることを認め受け入れることが基本です。敵意や戦意をあおるのは、平和友好を説くよりもずっと簡単で、国民の感情的な支持は得やすいものです。現在の日本でも、北朝鮮や韓国、中国に対し、強硬な議員の方が支持を得やすいでしょう。
 日本人に限らず、外国と対立すると、国民は強硬論を好む傾向にあります。慎重論は弱腰とされ、政府の政策が強硬になるとメディアも自由を失い、強硬論以外は排除されていきます。戦前のメディアがまさにそうで、いままた同じ過ちを繰り返そうとしています。
(略)
 日本が目指すべきは世界中から尊敬される国です。尊敬される国とは世界を屈服させる国ではなく、世界が感服し、見本となる国です。平和的手段で問題を解決するというのは当たり前のことです。
 歴史は勝者がつくるものといわれます。日本が目指すべきは「敗者の歴史」を冷静に検証する国です。
 相手にいかに非があっても、武力で正す方法は避けなければいけません。戦争による解決は選んではいけないのです。
(引用終わり)
 
 このような丹羽さんの発言は、昨日、今日言い出されたことではありませんが、ネトウヨ界隈やその周辺からの誹謗中傷(少しネット検索してみればぞろぞろヒットします)にもめげず、「今言っておかなければ」という義務感・切迫感が直接伝わってくるような発言を続けておられます。
 特に、『戦争の大問題』の版元である東洋経済新報社が運営する「東洋経済ONLINE」に掲載を続けている論考の内容を確認すると、その感を強くします(「習近平の3期目はない」というような観測を記したものもありますけど)。
 以下に、『戦争の大問題』を刊行した今年の8月以降、戦争を振り返る際に節目となる日に丹羽さんが「東洋経済ONLINE」に発表した論考をご紹介したいと思います。
 その節目の日というのは、以下の5日です。
 
8月 6日 広島への原爆投下(1945年)
8月15日 敗戦の国民への公表(1945年)
9月18日 満州事変開戦(1931年)
9月29日 日中国交正常化(1972年)
12月8日 太平洋戦争開戦(1941年)
 
 おそらく、節目の日に「東洋経済ONLINE」に掲載された論考は、『戦争の大問題』の続編として刊行されることになるのでしょう。
 是非皆さんにもお読み戴きたく、ご紹介します。
 
いま聞かないと「戦争体験者」がいなくなる
「母は必死に座布団で焼夷弾の火を消した」
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年08月06日
(抜粋引用開始)
 私の記憶にある戦争体験は1945年3月の名古屋大空襲だ。米軍機の空襲を受け、母と兄弟5人で防空壕に逃げ込んだ。そのとき投下された焼夷弾のひとつは防空壕の入り口に落ちた。焼夷弾は発火し、防空壕の中に炎が吹き込んできた。そのため母は必死になって座布団で焼夷弾の火を消していた。
 その後、一家焼夷弾の炎の道を縫うように走った。まるで道の両側に焼夷弾のろうそくの列があり、ろうそくの灯りに照らし出された道の上を艦載機の機銃に追われ走っているような光景は、いまでも鮮明に憶えている。戦後72年経ったいまでも時折、夢に見るほどだ。これが私にとっての戦争である。
(略)
 故田中角栄元首相は「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」と若い議員によく言っていたという。
 われわれはいま貴重な戦争の語り部を失いつつある。体験の裏付けのない戦争論も非戦論もどこか弱く、空々しい。だが、それでもわれわれは追体験によって真実を推し量るという行為まであきらめてはいけない。 
(略)
 しかし、近年の世界情勢や、反中、嫌韓の世論を見ていると、日本が戦争当事国になる危険を感じることさえ禁じえない。私が最も危惧するのは、日本の世論に強硬論が目立つことである。
 戦前の日本も国民感情が対米強硬論、対中強硬論へ先鋭化するとともに、その反動として親ドイツ、親イタリアの論調が高まった。結局、それが世界を相手にする戦争へ日本を突入させる要因の1つとなる。
 強硬論、好戦的な発言が飛び交う背景には、戦争体験者が少なくなったという問題があると思われる。戦争を知らない世代は、戦争というものを具体的にイメージできない。戦争を知らずに、気に入らない国はやっつけてしまえという勢いだけがいい意見にはどこかリアリティがない。彼らはどこまで戦争を知っているのだろうか。
 私自身も、戦争はわずかに記憶の片隅にある程度だ。それでも、冒頭に書いたように、時折、名古屋大空襲で炎の中を逃げる夢を見る。幼心の記憶が、いまも鮮明に脳に刻まれている。
 中国や北朝鮮に対し強硬な意見を述べる人たちは、戦争の痛みも考えず、戦力の現実も知らないまま、勢いだけで述べているのではないか。戦争を知って、なお戦争も辞せずと主張するのなら、私とは相いれない意見ではあるが、それも1つの意見として聴こう。しかし、戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見が人の道に反することだけは間違いない。
 われわれは、一度、戦争の真実を追ってみるべきだ。それは私とは意見を異にする人たちとともにやってもよい。そのうえでもう一度、日本の平和と防衛を考えてみるべきではないか。
 2017年8月6日、72年前に広島に原爆が投下されたこの日に私が思うのは、唯一の被爆国である日本には、戦争をしない世界をつくる使命があるということだ。この一点に尽きる。
(引用終わり)
 
戦後72年「戦後はまだ終わっていない」理由
日本人は勇気をもって「敗者の歴史」を学べ
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年08月15日
(抜粋引用開始)
 昭和天皇は1975年を最後に靖国神社を訪れなくなった。今上陛下も靖国に行かれていない。その理由にはA級戦犯の合祀があるといわれる。古賀氏の言う「陛下がご親拝できる環境を整える」とはA級戦犯分祀である。古賀(誠)氏はこう言われた。
 「マリアナ沖海戦以後に200万人の日本人が死んでいます。マリアナ沖海戦は1944年6月です。マリアナ沖海戦で戦争をやめていれば東京大空襲はなかったし、日本全国の主要都市を襲った大空襲もなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆投下もなかったのです。日本はあのとき戦争をやめる決断をするべきだった。それをしなかったのは為政者の責任です」
 「決断するべき決断をせずに、大変な犠牲者を出した為政者と一緒に祀られることを英霊がよろこぶはずがありません」
 古賀氏が最後に口にした言葉は印象的だった。
(略)
 私は、日本人はあえて「敗者」の歴史を、勇気を持って学ぶべきと思う。普通の国は「勝者」の歴史を学ぶが、日本が目指すべきは敗者の物語も真摯に検証していく「特別な歴史」の学びである。
 検証すべきことは何か。それは、戦争は国民を犠牲にする。戦争で益する人はいない。結局、人も物もすべてを害する。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけないということである。これらは敗者の歴史からしか学べない重要なことだ。
 戦争を知っている世代が元気で、政治の中枢にいた時代は現代史を知らなくてもまだよかった。しかし、戦争を知っている人がいなくなっていく現在、日本人は文献や記録からだけでも戦争を学び知らなくてはいけない。
 日本は無責任文化から決別し、現代史を学ぶべきである。それが敗者の歴史に重要な区切りをつける最後の年になりつつある今年の8月15日に、私が強く言いたいことだ。
(引用終わり)
 
北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ
86年前、なぜ日本は「暴走」したのか
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年09月18日
(抜粋引用開始)
 北朝鮮のミサイルと核は由々しき問題であるが、『戦争の大問題』で述べているように、問題を力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる。それが先の大戦を体験した先人たちが、身をもってわれわれに教えてくれたことだ。
 北朝鮮に対しては圧力と制裁をもって臨むべきという意見が多い。かつて「対話と圧力」と言っていた人物まで、対話を忘れたかのように圧力と制裁が必要と繰り返している。確かに弾道ミサイルと核実験を繰り返す北朝鮮相手には、対話は手ぬるいように思えることもある。北朝鮮は周辺国に対して挑発的な態度を取り続け、対話のムードはみじんもない。われわれは、北朝鮮は言葉で言ってわかるような相手ではないと見限りがちだ。
 しかし、そもそも利害の対立する両国で、初めから意見が一致しているはずがない。言ってわからない相手は、力で懲らしめるというのでは、満州事変から日中戦争へと進んでいったときの日本人の意識にほかならない。意見の違いを乗り越え、妥協点を見いだすのが対話の目的である。初めから言ってわからない相手と見下していては、対話は成り立たない。
 お互いが相手を物わかりの悪い、話にならない国民と見下して、対話のための努力を放棄したのは戦前の姿そのものである。世論もそれに同調した。戦前の新聞紙面に躍った「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」の文言や「膺懲」という文字は今日の新聞にはないが、論調はどこか似通っている。
 私は、仮にも2500万人の国民を率いるリーダーが、対話もできないような野蛮人ということはありえないと思っている。対話する余地があるのに相手に“力”をかけ、窮鼠(きゅうそ)に追い込み対話を放棄することは、とても危険なことである。
 日本は戦前の轍を踏んではならない。力対力は決して選んではいけない。日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある。それが、86年前に満州事変が起きた今日9月18日に、私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
田中角栄×周恩来尖閣密約」はあったのか
日中問題は45年前の智慧に学べ
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年09月29日
(抜粋引用開始)
 ほんの小さな小競り合いからでも、全面戦争に至ることがある。
 もし、尖閣諸島周辺で日中衝突となったら、はたして国民は冷静でいられるだろうか。世論の後押しを受ければ事態はエスカレートする。そうなればもはや小競り合いでは済まなくなる。全面戦争に至る可能性は否定できないだろう。
 こうした想像が根も葉もない妄言と一蹴されるなら、そのほうがよい。だが、武力衝突が起きれば、それが小規模であっても国民の間にある反感や得体の知れない恐怖は、明確な敵愾心(てきがいしん)に変わり、攻撃的な感情がむき出しになるのではないか。おそらくそうなるだろう。
 領土主権がどちらにあるかは戦争をしなければ解決しない。これは古今の戦争の多くが国境紛争から始まったことからもわかる。
 領土であれ、権益であれ、それは国民を豊かにする手段である。しかし、領土に関しては、国民の間で合理的な思考が止まりがちだ。現代の戦争で利益を得ることはない。戦争は勝っても損、負ければ大損である。
 われわれは、尖閣諸島の領有権にあえて白黒をつけず、棚上げとしたまま国交を回復させた日本と中国の先輩たちの智慧(ちえ)に学ぶべきだ。それが、45年前に日中の国交が正常化した今日9月29日に、私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
太平洋戦争「開戦の日」に考えてほしいこと
現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年12月08日
(抜粋引用開始)
 歴史(History)とは勝者の物語(Story)である。歴史はただ事実を時系列に並べただけのものととらえるのは、あまりにもナイーブだ。同じ出来事でも国によって解釈が異なる。その解釈が「歴史」なのである。事実を勝者にとって都合よく意味づけ、勝者を正当化したものが歴史だ。
(略)
 われわれ日本人には勝者の現代史はない。あるのは敗者の物語だ。だが、勝者の歴史は勝者を正当化するため、過去の出来事を脚色し、勝者の正当化を図る。一方、敗者の歴史は過去の事実を粉飾する必要はなく、歪曲することも求められない。
 勝者の歴史は、過去から現代までで終わるが、敗者の歴史は過去の事実から学んだことを未来のために生かす。敗者である日本の現代史は、未来志向の歴史なのである。
 日本の現代史は敗者の物語であるが、日本人はあえて敗者の現代史を、勇気を持って学ぶべきである。そして、学ぶべき眼目で最大のものが、戦争をしない、戦争に近づかないための知恵である。
 戦争は国民を犠牲にする。戦争で得する人はいない。結局みんなが損をする。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけない。これは敗者の歴史からしか学べないことだ。だから日本人は現代史を学ぶべきなのである。
 戦争を実際に知っている人がいなくなっている今日、日本人は文献や記録からだけでも戦争を知らなくてはいけない。現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である。
 私は「あの戦争は正しかった」という発言があってもよいと考えている。問題は正しかったか、間違っていたかではないからだ。
 アメリカは広島、長崎への原爆投下を正しかったとしている。しかし、原爆投下の判断がどんなに正しかろうとも、原爆がもたらした惨状を肯定できるはずがない。正しかろうと、正しくなかろうと、人々を不幸のどん底に突き落とす戦争をしてはいけない。戦争が引き起こす悲惨さを、戦争なのだから仕方がないで済ませるようであれば、世界は日本国民を歴史から学ぶことを忘れた愚か者と言うだろう。
 戦争に近づいてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、日本国民の叫びであり、われわれが現代史を学ぶ意味とすべきだ。これが開戦の日である今日12月8日に私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
 最後に、10月20日、日本記者クラブに招かれて丹羽さんがお話された動画を視聴できます。会見リポートの末尾に「丹羽さんは、本書をはじめ著書の印税を、中国から日本に来る私費留学生の奨学金として全額寄付している。本の出版は、隣国とのパートナーシップづくりのためでもあるのだ。」と書かれているのを読んで驚きました。正直、すごいなあと思います。
 
著者と語る『戦争の大問題』 丹羽宇一郎 元中国大使 2017.10.20(1時間37分)
(会見リポートから引用開始)
悲惨な戦争の事実知るべき
 40年ほど前、わざわざ終着駅のある郊外に家を構えたのは、座って本を読む時間を捻出するためだった。2010年、民間出身では初の中国大使に就任、日中友好協会会長を務める今も、始発駅からの1時間の読書が「極上です」という活字の虫は、新聞も丹念に読む。1つの記事を書くために記者がいかに足を使っているかは、伊藤忠商事のアメリカ駐在時代、穀物相場の現場を歩いた経験からよく知っている。だからこそ自分が本を書くときにも取材する。
 戦後72年目のこの夏出版した『戦争の大問題』(東洋経済新報社)では戦争体験者、軍事専門家に聞いて歩き、いかに戦争が人間性を狂わせるかを事実で示した。「人間は動物的で賢くもあれば、鬼や邪になることもある非合理な存在。その人間を愚かにする戦争の真実から目を覆ってはいけない」
 世界の指導者の多くに戦争体験がなく、戦争を格好いいと思いこんでいる若い世代がいることに危機感を覚える。「私たち日本人には原爆の惨禍を知っている人もいる。戦争の悲惨な事実を知ってもらおうと、この本を書きました」
 北朝鮮の核・ミサイル開発を巡り米朝対立が激化していることを懸念している。最大の心配は、金正恩体制下の北の指導層と対話のチャンネルを持っている国が少ないことだ。「力で圧力をかけてごめんなさいという国はないし、力ずくで頭を下げろというのは子どもの喧嘩。窮鼠猫を噛む、ではないが、戦前にアメリカがハル・ノートで日本を追い込み、戦争になったように、力で北朝鮮を追いつめる〝出口なき戦略〟は暴発を生む可能性がある」と憂慮した。
 ビジネスも外交も基本は「信頼関係」という丹羽さんは、本書をはじめ著書の印税を、中国から日本に来る私費留学生の奨学金として全額寄付している。本の出版は、隣国とのパートナーシップづくりのためでもあるのだ。
読売新聞社編集委員  鵜飼 哲夫
(引用終わり)